その7.しかしてその正体は狂犬
「堀内ーほーりー」
「なんだ伊草ー、ご機嫌だなー」
ぴょこぴょこはねながら体育祭撤収の手伝いに来た伊草に、堀内は少し疲れた顔を見せた。
「あれ、堀内は疲れてんな。はしゃぎすぎたか」
「んー。そうだ伊草、あとでちょっと相談があるんだ。打ち上げ出るでしょ?」
「出る出る。恋ね? 恋の悩みね?」
「うん」
「はっ?」
自分で聞いておいて驚く。わたしのじゃないけどね、と付け足されて、なーんだと納得する。
「堀内がとうとう、秘め続けた俺への愛を告白するのかと」
「残念ながら人気物件には興味がなくてねえ」
「人気物件だあ?」
「今日、告白されてたでしょ。目撃しちゃったーっ。てゆうか、別に今日に限ったことじゃないって知ってるのよー」
やーん、堀内は指を開いて口にあて、かわいこぶる。ぶっていても実際かわいい女子なので、それもかわいいと伊草は思う。思いながら自分もやーんとか言ってかわいこぶった。
「やっぱ実際モテんのはプリンスよりあんたみたいなのだろうねーってことで相談なんだわ」
「持ち上げといて相談とは、さすが世渡り上手ですな堀内さん」
「黒い黒い。まあ勘繰んないで、ちょっとほんとに困ってるんだ」
堀内は眉尻を下げて笑う。あら、伊草はまばたきをした。
「打ち上げふたりで抜けるとか、デキてるみたいね、俺ら」
「だねー」
「ちゅーとかしとく?」
「キモい」
「傷つく……」
二次会のカラオケ中、ふたりは抜け出してトイレとは反対方向にある非常階段に出た。夜でももう初夏、冷房の効いていないこの場所はむっとする。
「あ、そうそう、渡良辺はらちゃんってかわいいね、俺今日はじめて話したんだけどさ」
「え?」
無駄口をたたくのは、相談前に話しやすくしてやろうという気遣いと、実際の無駄口好き、あとはついでに渡良辺はらの情報も拾っておこうというもろもろ。が、堀内の反応は伊草の想定とはちがった。堀内は女子スキーなので、彼女と同じクラスの女子をほめれば軽く乗ってくると思ったのに、彼女は虚をつかれたように無邪気に目を見開いたのだ。
「やだ堀内さん、そんな意外な顔しちゃうのひどくない? 俺かわいいって言ったんよ?」
「あ、うん……そういえば、伊草ってまえも渡良辺のこと聞いてきたよね」
渡良辺が休んだ日、あのときは本当にその件だけを聞いた。堀内も質問への返事だけでなにも突っ込んでこなかったわけだが、そういえばそれは彼女にしては少し珍しい反応だったと今頃気づく。
「渡良辺、かわいいか。そうかー、ちょっと頼みやすくなった、かな」
「渡良辺のことなの?」
堀内は、やや真顔でうなずいた。不穏な雲行きを感じ、そしてそれは当たっていた。
「うちのクラス、基本的にはかなり仲いいんだけど」
「知ってる。安部や田中あたりがそのままCに集まったもんな」
クラス替えから2ヶ月と少しだが、2年C組は早くも結束し、ノリのいいクラスとなっていた。中心となる面子が1年の頃から仲のいい者同士でかたまっていたため、親しくなるのも早く、この体育祭を経て結束はさらに強まったと言える。
「まあ、ぶっちゃけて、渡良辺と他3人……外江ファンクラブの子達が孤立しだしてんの」
「ああん?」
外江ファンクラブ、その単語にもおどろくが。
「あの4人、昼休みに外江にきゃーきゃー騒いでるでしょ、アイドルみたいにさ。あれ、やっぱ目障りーって空気あって。安部とそのまわりが絡むのよ」
言われてみれば、それもそうだろうと納得した。外江は温厚でことなかれだが、それでもあのファンクラブ(今頃ぴったりだと思う)には辟易していた。進学校で、他人のすることには口を出さない校風があるが、だからこそ渡良辺達の行動が引っかかる人間はいるのかもしれない。
「今日も、とのの競技中に安部がからんで、渡良辺がそのケンカ買ってさ」
「……ええええ?」
安部。髪をつんつん逆立てて、腰でズボンを履く。格好いいが、少々ガラが悪い。女子にはこわがられる、声のでかい男子生徒だ。
「安部と一般女子がケンカ?」
「一般女子っていうか……クラスでの渡良辺のあだ名、狂犬ハラ公だよ」
「えっ!? ちょっと待ってイメージが、え、っていうかいやなんだけど!」
絶滅しかけた、恋する可憐な女子高生の夢を見ていたのに。
「安部がマジギレしかけて、今日はそこでなんとか止められたんだけど。このままだと、困るなーって」
「マジギレって、おいおい」
「渡良辺、口回るの。頭いいんだよね。相手をえぐる言葉がうまくてさ、手加減ない。見ててこわい。正直やりすぎなんだ」
「うあー、……C組バイオレンス?」
「私はそんなのいやなんだよ」
もちろんだろう。堀内じゃなくても。
「しかし、堀内が女子相手に困るとか珍しいな」
堀内は目を伏せ、口の中を噛んだ。
「渡良辺ってなんていうか、保身がないんだよね」
「保身?」
「自分で言うのもあれだけど、立場的にさ、私を無視するのってクラスで致命的なことでしょ?」
堀内の発言力は、クラスでトップだ。男子に影響の強い安部と対立するなら、堀内の手をはねのけることは完全な孤立を意味する。
「でも、渡良辺は私にもトゲ、だす。他の3人は結構やさしくて、普通の女の子なんだけど」
堀内は、自分の気遣いが届かないことはかまわないと思っていた。お節介の基本は、見返りを期待しないことだと彼女はよく知っている。
「私が下手に渡良辺達にかまうと、渡良辺ひとりだけ孤立させちゃいそうで、こわい。でも安部達を黙らせることも難しい。だって渡良辺達のあれ、他のクラスでも評判よくないんだもん」
堀内の事態は理解する。が、伊草になにができるというのか。
「正直手詰まりなのね。だからなんか起きる前に、その、とのと伊草に、助けてもらえないかなーって……」
「外江ひっぱりだすの!?」
だってだって、堀内は必死に説明する。
「との、今度ので初めてしゃべったけど、いいひとでしょ、なんか気が利くし。ファンクラブの子達の昼アタックって、とのの顔とか反応とか見たいからなはずだから、実際にとのと顔見知りになればあんなことする必要なくない? あれさえやめてもらえば、あとは写真撮ろうが安部もからまないと思うんだ。実際他にまずいことやってないし、普通の子達なんだよ、ほんと」
なるほど、と思う。確かに距離感が知らない人から友人に変われば、もっとわきまえた行動に変わるのかもしれない。しかし、気は進まない。
「無理かな、とのをすごく困らせちゃうかな? とのに嫌な思いはさせたくないんだけど」
「んー、そういうあしらいは多分、うまいと思うけど……」
伊草としては、外江が渡良辺をあしらう、というかたちが気に食わなかった。これでは文字通りファンサービスで、人助けだ。からかってはいるが、せっかく外江が興味を持った女の子に、そんな出会いを強要したくなかった。しかし、話を聞く限りでは、渡良辺もかなりの性格でいらっしゃるようだ。閉会式後、カメラを返したときは頬を染めてはにかんでいたのに、詐欺じゃなかろうか。
「わかった」
「じゃあ」
「俺じゃなくて、外江に話して。あいつ、嫌ならはっきり断るからそこはへーき」
「そっか、そうだね。あ、でも伊草は?」
「俺?」
「伊草にも一緒にいてほしいんだけど。場を解決するの得意じゃん。こないだの、感心した。伊草がいてくれればとのも心強いだろうし」
「殺し文句……罪作りだな、女帝堀内。だが断る!」
「え、断るなよ! そこは受けろよ!」
肩をそびやかし、はいはい、と答えた。外江がなんと答えるかは知らないが、そんな事情じゃ断れないっつーのと伊草は思った。
ファストフード店で、おごりのハンバーガーに手をつけないまま、外江はあまり愉快ではなさそうな顔で堀内の頼みを聞いた。
「……だめ、かな?」
堀内が外江をうかがう。外江はオレンジジュースを口に含む。
「いいよ」
「ほんと!?」
「外江、いいのか?」
聞いたところで一度いいと言ったものを外江が引っ込めるわけがないと思いつつ、伊草は尋ねた。意外なほど心配な音色で。
「いいもなにも、C組大変なんだろ。それに、俺もあれあんまよくないと思ってるのに放っておいたとこあるし」
「うわ……、ほんとありがと、との」
堀内は心底ほっとしたように、肩を落とした。見た感じよりもだいぶ気にしていたらしい。それを見て、外江は苦笑した。申し訳ないと思う。
「うまい結果にできるかはわかんないけど」
「ううん、そういう風に言ってもらえただけでうれしい。今より悪くなったって文句なんかないよ。あの4人になにか言って一番角立たないのがとのだからさ。それじゃあ、私4人を呼び出すから、日にち……」
「あ、いや」
外江は携帯をいじりだした堀内を制する。
「渡良辺以外の名前、教えてくれる? ひとりひとりに言うから」
「え? でも」
「集団だからあーいうことするんだと思うんだ。さっき堀内も言ったじゃん、ひとりひとりは普通の女の子なんだって。……狂犬以外は」
納得したように堀内は名前を言い、外江はそれを携帯に打ち込んだ。