その4.待ち伏せは早朝に
翌日、外江の下駄箱に入っていた手紙は一通。取り出し、差出人を見ると、渡良辺はらの名前。あ、いま俺ほっとした。驚きつつ、まだひともまばらな教室で封を切って手紙を読む。内容は体育祭のことで、去年の体育祭では外江を知らなかったので、楽しみにしているとあった。手紙を一日空けたことや彼女自身が欠席したことにはなにも触れていなかった。
手紙をいつものようにクリアファイルにしまい、頬杖をつく。教室に入ってくるクラスメイト達と、おはよーおはよーと挨拶を交わす。外江の登校は早い方だ。ということは、渡良辺はそれよりも早く学校に来て、下駄箱に入れていることになる。一度も入れる姿を見たことがないということは、ずいぶんと早い時間のはずだ。それとも朝ではなく、外江の下校後に入れているんだろうか。外江は帰宅部だから、渡良辺が部活をやって帰りが遅いとすればそのほうがありえる気がする。
「おっはよ、との」
「おう、おはよ」
伊草に肩をたたかれる。彼は隣の席だ。新学年のはじめに、クラス担任の適当に座れーと言う指示のもと、外江は窓際を選び、一年の時から親しくしている伊草はその隣に座った。
「との、俺、今日も放課後、体育祭委員の手伝い頼まれてるから」
「うん」
予鈴が鳴る。鳴り終えてから、外江は伊草の腕をつついた。
「伊草、それ俺も手伝っていい?」
伊草の友人だという体育祭委員は、外江には意外なことに女子だった。長めの髪の一部をおだんごに結い上げ、残りは流している。この委員を務めるだけあって、活発そうな目をしていた。
「あれっ、王子だ!? なんでー!?」
はしゃいで、外江ではなく伊草をばんばんとたたいて尋ねる。
「なんか手伝ってくれるって言うから、連れて来た」
「まじで! 伊草おまええろいー!」
「えろいってなんだ、つか痛えっつの、ばかホリ!」
「男ならこれくらい我慢しろって、ねーもう、よろしく外江君、堀内ですーわーまじでかっこいいねー!」
にこにこ、両手を組んでかわいこぶる。伊草がぶちぶち文句を言うが、その豹変に思わず笑ってしまう。
「堀内、そのノリ、やり手のおばさんっぽい」
「あっ!? ちょっと失礼なんじゃない、王子のくせに!」
怒り方もわざとらしい。本心で怒っているわけじゃないんだろう。
「怒った、馬車馬のように働かせてやる」
「最初からそのつもりのくせに……」
「うるせーよ伊草」
ごすっと蹴りを入れ(なかなか鋭い)、ぱっと堀内は切り替える。
「そんじゃ、今日中に教室いっこ開けたいのよ。壊れた机や椅子がぶちこんであってさ、それ出さなきゃいけないんだけど、今夜業者さん来るからちょっと急がなきゃなんないのね」
「は? それ、俺ら3人でやるの?」
「まさか、あと5人声かけてあるよ! ただみんな他にも委員とか部活とかあるから、遅れてるだけ。君達みたいに暇人じゃないの」
「失礼じゃね?」
「ほらほら、とっととはじめるよ!」
すでに壊れているものを人間は粗雑に扱うのだ。ということがよくわかる乱雑なしまわれ方に、堀内の「ぶちこんである」という表現がぴったりだと思いながら、手前のものから廊下へかきだしていく。最初は面倒がって制服のままやっていたものの、壊れた椅子から飛び出す木片を見て、結局ジャージに着替えた。援軍はぽつぽつと訪れ、そのたびプリンス外江に騒いでは盛り上がった。
「おー、やっぱ人増えると早いね」
外江も伊草もまじめに作業に取り組んでいたが、堀内が一番一生懸命で元気だった。作業を取り仕切りながらも雑談をまじえ、今度の体育祭を思い切り盛り上げるんだと熱意を語る。ようやく終わった頃には、18時を回っていた。
「おつかれさまー! みんなありがとね、とのもありがと、助かったー」
伊草の呼び方を聞いてお殿様みたいだと評した堀内は、ならってとのと呼ぶようになっていた。手伝いにきたほかの面子も、さすが堀内の友人とでも言うべきか、同じくとのとのと気安く呼ぶ。
「いや。またなにかあったら声かけて。気が向いたら手伝うから」
「向かなきゃ手伝わないのかよ!」
突っ込みが入る。けらけらと笑いながら、帰りにファミレスに行こうと盛り上がる。ひさびさに騒がしいノリにまじって楽しみながら下駄箱を確認したが、手紙は入っていなかった。
「堀内ー」
「なんだね、との?」
「学校って朝の何時から開いてるか知ってる?」
「朝? 校門は朝練のために6時から開くよ。校舎は7時から」
「そっか、ありがと」
翌日、外江が学校に着いたときには6時半を少し回ったくらいだった。早すぎたと思いつつ、朝の空気はさわやかで、まあ悪くないと朝練の野球部で活気づく校庭を少し見てまわる。それから別校舎の外階段にのぼり、昇降口が見下ろせる場所を探した。開放後に校舎に入り、校舎内から下駄箱を見張ってもいいが、下手に近づいて渡良辺とはちあいたくなかった。
なんか、俺のほうがストーカーみたいだな。渡良辺に気づかれないように渡良辺の姿を見たいというのだから、あまり趣味がいいとは言えない。しかも女の子が男にやるのにくらべて、男が女の子になんていうのは格段に印象が悪くなる気がする。
ま、いいか。一応お互い様だ。さくっと思考を切り上げて、外江は持ってきた音楽プレーヤーを再生した。と、チャイムが鳴る。時計を見ると7時。この時間にも鳴ることをはじめて知った。昇降口に、おそらく宿直の教師が現れて鍵を開けていく。
7時はさすがに早すぎると思っていたので、持ってきた単語帳を開く。外江はいつもとちがうことを楽しんでいた。が、すぐにぽつんとひとり、制服を着た人物が昇降口へ向かっていく。おどろいて目を凝らす。肩上でそろえられた髪。おかっぱの女生徒。じゃああれが渡良辺? 彼女は昇降口に消えた。単語帳をポケットにねじこみ、外江は階段を下りた。
昇降口に人の気配はなかった。自分の下駄箱を見ると、手紙が1通。差出人は渡良辺はら。渡良辺の下駄箱を探すと、ローファーが入れてあった。やっぱりさっきのが渡良辺はらなのか。彼女は教室に向かったんだろうか。自分がどうしたいのか考えながら、外江は靴を履き替えた。
いるんだろうか。人気のない廊下を歩く。心臓がどきどきしていた。こんなところで誰かに会ったら、相手が誰でもかなりおどろいてしまいそうだと思う。2年C組の教室が見える。扉は開いていた。そっとのぞいてみると、中に女子がひとり、席に座って本を読んでいた。
文庫本には見覚えのあるカバー、あれはここらで一番大きな本屋のものだ。と、彼女は左手だけで本を開き、右手で親指の爪を噛んだ。それからやおら両足をあげ、椅子に乗せる。椅子で体育座りをするような姿勢にスカートが少し落ち、膝があらわれた。ひとがいないからって、なんて格好してんだ。多少うしろめたく思いつつも、外江は渡良辺を見た。小柄で、細っこい感じだった。髪は少し茶色がかっていて、やわらかそうだ。座敷わらしには見えないな、と思う。
夢中で本を読んでいるようだった。外江が見ていることにもまったく気づかない。視線は本から離れず、ページをめくる音が教室にささやかに響く。不意に彼女は姿勢を変えようとし、その注意の足りない動作は机にぶつかりペンケースを落とした。静寂を破る遠慮のない音に外江は驚いてからだをひっこめた。
もう一度のぞく勇気はなかった。声をかけるつもりもなかったので、外江はそのまま自分の教室に戻った。