その30.中間考査(3)
「気に食わないって……俺はともかく、なんで東条もなわけ?」
今度は伊草が眉をひそめ、責める口調で尋ねる。矛先が彼女にも向いたことは、伊草にとって不本意だろう。
「あ。今もっと気に食わなくなった」
「なんよ、それ」
「っていうか、東条さんって小池さんの友達じゃ、ないんじゃないの?」
「え?」
東条がぴくっと肩を上げる。珍しく動揺を見た気がして、けれどなぜここでなのか、外江は彼女を見つめる。
「話聞いてて思ったけど。もし友達だとしても、そんな親しくはないよね?」
渡良辺の口調には確信がある。これまでの会話の一体どこで得たのか、しかし彼女には妙な勘があるんだろうとなんとなく納得もする。狂犬だから、嗅覚かあ? や、そんなことはどうでもよろしいんですが。
「伊草って、小池ちゃんのなんなの?」
「なんなのってなんだよ。……クラスメイトだってこないだ、おまえが確認したろ」
「おまえって言うな」
「うわっ!」
渡良辺は小さなぬいぐるみを伊草に投げつけた。かばんにぶらさげていたやつだったと思うが、いつのまに外していたのか、外江は呆れながらまだ暴れたりなさそうな渡良辺の腕をつかむ。
「無表情でモノ投げてくるとか……! やだもー、外江こいつ縛っといてよ、マジ噛まれる、俺いつか」
「あんたなんて噛むわけないでしょ、汚い」
「……………」
「伊草あんた、小池ちゃんを好きなんでしょ」
「はあっ!?」
「そんだけ好き好きオーラ出しといて、照れたりはぐらかしたりしないでよね。話も進まないし気持ち悪いし」
渡良辺はわりと本当にひどいと思う。青いんだか赤いんだか、ともかく返す言葉をすっかり封じられて黙るしかない伊草に同情する。
「なんだかんだで小池ちゃんと付き合ってるんだと思ってるから黙ってたけど、ちがうの?」
「なんで? それ、関係あんの?」
「ある。付き合ってないなら、気持ち悪い」
「だからその、いちいち気持ち悪いっていうのやめろよ、傷つくだろ」
「すっきりしない」
ぴりっと、鋭い視線を投げかける。
「小池ちゃんの彼氏だと思ったから、あんたがこうやって、小池ちゃんに内緒でこそこそ動き回ってるのも目をつぶろうと思った。でもそうじゃないなら、あんたの行動、ずうずうしい」
伊草が眉をひそめ、顔を赤らめる。
「これって、当人差し置いて根回ししてるってことでしょ。たとえば、小池ちゃんがあとから聞いたとき、伊草の判断ならって納得するなら、それほどの信頼があるなら、別にいいと思う。わたしがなんか言う筋じゃない。でも、たとえ彼氏でもそこまでの関係になるって簡単じゃないのに、それをただのクラスメイトのあんたができるの?」
これはきつい手だなと、伊草に同情する。小池を対等として扱うなら渡良辺の言うことは正しい。けれど、この件での小池は特に頼りなくてあぶなっかしいし、それをなんとかしてやりたいという伊草の気持ちも、よくわかってしまうのだ。
「わたしは彼女の友達として、彼女の希望する方向に持っていくために、ひとりじゃ足りない部分の手助けをしたいと思う。彼女が手を望まないなら、いっそ知らないふりをすることも大事だと思うよ。あんたはのめりこみすぎに見えるし、そこに恋愛感情が混じってるなら余計気分が悪いわけ」
「……わかりやすく否定してくれて、どうもありがとうございます」
「あと、東条さんはなんなの」
「いや、なんでそこで委員長が関係すんの? 俺が頼んだんだって言ってるだろ」
「仲が良すぎて気持ち悪い」
「は、ああ?」
どんな嗅覚なんだ。これが女子眼というやつなのか。伊草と東条がつきあっている(外江にはよく理解できないが)ことなど言っていないし、そもそも渡良辺は今日はじめて東条を知ったはずだ。
「たとえば、伊草が外江君だったら、わたし外江君と東条さんを燃やす」
「燃やすの!?」
「渡良辺さん、ヤキモチならもっとかわいく……」
「ヤキモチとか鼻で笑わせて頂く。いい、外江君。付き合ってる相手の他に大事な相手を作るってことはね、裏切りなの。名誉毀損なの」
「裏切りはともかく、名誉毀損ってどういうことでしょうか」
「他に大事な相手がいるって、もうそれ浮気じゃないもん。浮気はヤキモチで平手で土下座で済ませればいいけど、大事な相手を誰かと分け合うとか、どんだけばかにしてるんだって感じ」
伊草の顔色がない。
「さっきから、わたしが東条さんになんか言おうとすると伊草がかばうし。東条さんも東条さんで、すっかり伊草を信用した目でさ。だいたいふたり、近い」
伊草と東条は、少し近づけば腕が触れそうだった距離をぱっと離す。
「そのくせ、これを機に小池ちゃんに近づこうだとか考えてるなら、伊草まじで死んだほうがいいって思って不満なの。わかった?」
腕を組み、胸を反らしてふたりを見下ろしながら、渡良辺様は倣岸に言い放った。
しばし、気まずい沈黙。
「……すごい」
はあ、と東条が息を小さく吐いた。
「返す言葉がありません。渡良辺さんって、すごいのね」
「ばかにしてるの? 言っておくけど、わたしあなたみたいなタイプ、好きじゃない」
「渡良辺!」
「黙れ伊草。それがムカつくの。わたしは東条さんと話してるんであって、あんたと話してるわけじゃない」
「伊草君、もう全部話したら?」
伊草がはじかれたように東条を見る。
「わたしはかまわないから」
かすかに微笑む東条に、伊草は困ったように目を伏せ、渡良辺はぐえっとまずそうに顔をひしゃげた。
「……えーと。だいたいっつーか、わんわんの言うことは、当たってます。確かに俺は……まあ、小池好きだし、委員長とは仲いーし、委員長と小池はそこまで仲良しとかじゃないです」
伊草はいつのまにやら正座し、ひざにこぶしをつくっている。対する渡良辺はまだ腕を組んでおり、現在の力関係をそのまま表しているようだ。
「んで確かに、俺は小池おいといて、こっち側から固めようとしました。わんわんの言うとおり、あんま筋じゃないと思う。でも小池は、この件から目を背けたがってるんだ」
それについては外江も感じている。口をはさまないところを見ると、渡良辺にも思い当たる部分があるのだろう。
「ほっといて終わるんだったらそれでいいよ。でも、相手ははっきり接触してきて、これからエスカレートしそうな気配じゃん。それなのに小池は、俺がこの話するとすげえ嫌がる。外江やわんわんに迷惑かけたくないとか、大丈夫だよとか言う。賭けてもいいけど、あいつ絶対なんも考えてないから。大丈夫に根拠とかないから」
「だから、あんたが勝手にやるの?」
ひるみ、伊草はかすかにあごを引いた。外江がなにか言葉を添えようと言葉を探すと、そのまえに、伊草は渡良辺を睨みつけた。
「……そーです。心配なんです。だから手ぇ貸して下さい。あいつがいらないって言っても、あいつのこと気にかけといてください」
あ、開き直った。なんとなく感心しつつ、外江は再び口を閉じた。
「でも言っとくけど、俺、小池とどうこうとか考えてないから。つか、あいつ俺のことそーいう眼中に入れてないし、俺ももうそーいうの外してるつもりなんです。だから委員長と仲良くしようが俺の勝手だし、小池にも問題ないことです。小池も委員長に憧れてるし」
「そんなの信じると思うの?」
容赦ない渡良辺の疑わしい声に、伊草はなぜか苦悩に顔を歪めた。
「でも、ないですから。俺、何度もあいつに振られてるし」
「はっ!? すみません、俺初耳なんですが!」
「とのにそんなこと言うわけがございません」
「ちょ、おまえ、俺のこと親友とか言うくせに」
「伊草、具体的な事例を挙げよ」
ますます拍車のかかる渡良辺様に、一同うやうやしく態度を控える。
「はい、えーとですね、……はっきり告白をしたとかそういうことではないんですが」
「なんだそれ」
「まあ最後まで聞け。俺、映画はひとりで見るタイプなのね」
「ふむ」
「あいつはそれ、知ってるわけ。みんなで映画に行こうって誘われて、俺が断ったあと、あいつとふたりで次に見たい映画の話になって。あいつが挙げた映画、俺も見たいと思ってたから、……誘ったんだよ。一緒に行くかって」
ささいな話だけれど、伊草をよく知る外江にとって、それがどれだけ深い意味を持つかはわかる。伊草は、外江とも映画には行かない。
「そしたら、え、じゃあみんな誘ってくるね! って」
「…………」
「結局、なんか、12人とかで見に行くことになった」
辛辣な言葉を返すかと思いきや、渡良辺は難しい顔でうーんと唸っている。映画をひとりで見るのは渡良辺も同じだ。
「あとは、あいつが俺宛ての手紙を預かってきたことがあって」
「手紙?」
「わんわんの大好きなラブレター。すみませんごめんなさいお許し下さい」
「謝るくらいなら言うな次は許さない。それで」
「むかつくじゃん。いらねえ、捨てとけって言ったのね」
「はっきりした態度はいいことだ」
遠まわしに自分のことを責められているのかと外江は思わず渡良辺をうかがったが、渡良辺は伊草の話に集中しているようだった。
「そしたら、ナンデナンデー相手も知らないのになんでそんなこと言うのー、超好みの子からかもしれないじゃんっておっしゃるんですよ、小池さん」
「……ふむ」
「あんまりむかついたんで、おまえが預かった手紙が俺の好きなやつからのはずねえだろって怒鳴ったんです」
小池が預かった手紙なら。
「それで」
「いぐっちゃん、ラブレター嫌いなの? だって」
「………………」
「後日、直接告白受けたんですけどね。小池さん、直接言ったほうがいいみたい! ってそいつにアドバイスしてたらしいです」
重苦しい沈黙が再び訪れる。
「そりゃ、遠回しですよ。あいつはばかだし、俺はひねくれててわかりづらいでしょーよ。でもこんなのばっか繰り返してりゃね、俺が誰を好きかなんてあいつは全然興味ないんだってこと、いやでもわかっちゃうってもんなんですよ」
がくりと頭を下げたまま、伊草は早口でまくしたてた。
「つーか、あいつ、とののことばっか見てるし」
「まあ、外江君と伊草が並んでたら、外江君見るよね」
あまりの言い草に思わず渡良辺を凝視するも、なに? と普通に見返される。
「俺、今日なんでこんなに傷つけられてるんだろう……」
疲れ果てたように、床にぐったりと突っ伏す伊草に、渡良辺は肩をすくめる。
「いい加減なことやってるからでしょ」
「俺? いい加減!? 結構超まじでがんばって生きてるつもりなんですけどっ」
「ふーん。じゃあ正直者がばかをみるってことなんじゃない」
「真逆じゃん! ……って、おまえどうでもいいんだな? 適当言ってんだろ!」
「そりゃどうでもいいよ、あんたなんか。そんなことより伊草。あんた、小池ちゃんに手ぇ出さないって言ったよね」
「は?」
「だから東条さんとよろしくやってるんだって。言ったね」
「つか、手ー出すとか……まあ、そういうような意味っていったら、そうだけど」
「それ、ちゃんと覚えときなさいよ。ちょっとでも怪しい真似したら、洗いざらい小池ちゃんにぶちまける」
「なんでそーなんの!?」
突然の脅しに青ざめる。
「あんたがなにしようとどうでもいいけど、それでわたしの友達の小池ちゃんを巻き込もうとか言うのは許せないし、今回のあんたの勝手な押しつけにわたしを協力させようって言うなら、東条さんと切れないまま小池ちゃんに近づくとか半端なことしないで。見てて無視できるほど我慢強くないの」
「いや、俺と東条は」
「あんた達の関係とか、それもどうでもいい。どうせ、いかに東条さんが大事かとか語るんでしょ? そんなの聞いたってしょうがないもん。さっきも言ったけど、大事なひとをふたりで分け合うことなんてありえないから。あんたが東条さんを隣に置く限り、小池ちゃんは渡さない」
渡良辺のものでもないと思うけど、とはさすがに誰も突っ込まない。
言葉を失くし、酸素を求める金魚のように口をぱくぱくさせている伊草に、渡良辺は「返事は」とたたみかける。
くく、と、笑い声。
全員の目が、東条に集まる。
「……ごめんなさい。でも、なんかもう、いっそ気持ちよくって。うん、そうよね。本当にそう」
「なに? ひとりで話さないでよ」
「そんなに嫌わないで。わたし今、渡良辺さんのこと大好きになっちゃいそうなんだもの」
「はっ?」
「伊草君、もういいわ」
「い、委員長?」
「もう、振ってあげる」
「振るって、ばか言うなよ。だって」
「うん。確かに大丈夫じゃないけど、でもやっぱりわたしが頼るべき相手は伊草君じゃないわ。他に誰もいなくても、そんなのはわたしがどうにかすることであって、伊草君が犠牲になることじゃない。……わかってたつもりだったんだけど」
うつむき、視線を床に落とす。
「ほんと、渡良辺さんの言う通り。だめなものはどうしたってだめなのよね。伊草君の好きなひとはわたしじゃないし、わたしの好きなひとも伊草君じゃない」
顔を上げた東条には、すっきりとした表情が浮かんでいる。
「ねえ、渡良辺さん。これなら、伊草君が小池ちゃんにアタックしようがかまわないのよね?」
「……まあ、見苦しくなければ」
「やっぱり容赦ねーな、おまえ……」
だからおまえって言うなと反抗しようとした渡良辺を、空気と化していた外江が止める。
東条は、ぽんっと両手を合わせる。
「これで晴れて、小池ちゃんを守ろうの会、結成ね!」
「なにそれ!? 突っ込みありすぎて困る、とりあえず却下で!」
「略して、こまもの会。和風で可愛いと思わない?」
「人の話聞きなさいよ!」
「あと渡良辺さん、わたし渡良辺さんとお友達になりたいの。はらちゃんって呼んでもいい?」
「断る!」
「ちゃんづけはいや? じゃあ思い切って、はら。わあ、わたし、だれかを呼び捨てにするのってはじめてなの。ちょっとどきどきするわね」
「外江君! この頭のいかれた女になんか言ってやってよ!」
「東条が呼び捨てにするなら、俺もそうしようかなあ」
渡良辺の顔が耳まで赤く染まる。
「そ、ゆうっ、話じゃっ」
「外江君もしたことのない呼び方、わたしが先にしちゃうとか、なんだか親友みたい……」
「東条――っ!」
立ち上がり、ばんとテーブルをたたく。東条はきらきらと目を輝かせた。
「それ、すてき」
「……な、なに?」
「わたし、女の子から呼び捨てられるのもはじめて」
いい加減にしてよと、渡良辺は腹の底から怒鳴った。