その3.レターセットのお値段
「とのっちーおっはよー!」
「おーおはよ」
校門で、クラスで一番やかましいギャル娘、小池が外江の腕をたたいて教室へ走っていく。お約束のように教師に怒られ、ギャハハと笑いすいませーんと言って逃げた。
「との、おはよ」
次に声をかけてきたのは伊草だった。
「小池うっせーな」
「元気でいいじゃん」
外江に嫌悪がないことが伊草には意外で、顔をのぞきこむ。
「なんだよ?」
「外江ってギャルとか嫌いかと思ってた」
あらためて考えたことがなかったので、答えを一瞬考える。
「目の周りを白くするのはなんのまじないかと思うけど、別にきらう理由もないよ。集団になってひとで遊ぶやつらより、小池のほうがまともだろ」
「ふーん。でもあいつも、おまえのこと好きなんだぜ」
おどろいて伊草を見る。伊草はたまに見せる、意地の悪い顔をしていた。だからそれは本当のことなんだとわかってしまった。
自然、顔が険しくなる。外江は伊草の行為を無神経だと思った。けれど、そこでまた気づいた。
「なんだ。伊草おまえ、小池を好きなのか」
今度おどろくのは伊草だった。はあ? とおおげさに顔を歪める。おおげさすぎて、逆に確信を持った。
「なんでそうなんの」
「俺が、おまえの根性がそこまで曲がってると思わないから」
伊草は意味わかんね頭おかしんじゃないのと言う。小学生のような言い返しに彼の動揺を見る。外江は教室へ向けて歩き出した。予鈴はもうすぐだ。
「おまえにとってどうでもよくない子だから、俺を好きなのがむかついたんじゃないの?」
伊草は不機嫌に黙る。外江の隣をついていく。
「……王子様ってもっとこう下々のものの感情に鈍くてずうずうしいもんなんじゃないの」
「みなさまの顔色をうかがわないとうまく生きていけない庶民派なんですよ。モテすぎて友達も失くしちゃう」
「むっかつくわーむかつく」
「俺は小池をそーいう目で見たことないし、見ることもないと思うよ」
「何様よ!」
「王子様? 母親に言わせるとパンダらしいけど」
下駄箱から手紙を抜き取り、靴を履き替えて階段を上がる。朝の初夏の陽射しが廊下に満ちていく。新緑に目を細めた。
「小池って、新学期レクで幹事やってただろ?」
伊草の答えはないが、外江はかまわず話す。
「遅れたやつの席の確保とか、表だけじゃなくて裏方もがんばってて、けっこう気遣いできるやつだって思ったよ」
「……そーな」
ちらと見ると、あいかわらず憮然とした伊草。
「今俺のことからかったら、まじで殺す」
「ひゃひゃひゃ」
教室の扉を開けると、ちょうど予鈴が鳴った。
いつも通りの授業。手の空いたとき、何気なくクリアファイルに入れた手紙を見ると、差出人が渡良辺でないことに気づいた。知らない名前。1年生らしい。
あれ。もたれていた背をのばし、わかっているのにもう一度確認する。今日下駄箱にあった手紙は1通だったから渡良辺だと思い込んでいた。伊草と話していたから見逃したんだろうか。授業が終わってから短い休み時間の間に下駄箱へ急いだが、やはり手紙はなかった。
「そんな気になんの?」
「思ったより」
渡良辺の手紙について伊草に話すと、意外や至って静かな反応だった。からかってくると思ったのに、小池の件のせいだろうか。
「ずっと反応なかったから、おまえに飽きたんだろ。今更惜しがったって遅いって」
もっともで薄情なコメントを残し、伊草はどこかへ行ってしまった。今日は、昼休みの黄色い集団も来ない。飽きられたパンダはあわれなもんだな、外江は今日もらった手紙を読んだが、頭に残らなかった。
その日の放課後、伊草は珍しく用事があるらしく、外江はひとりで家路についた。伊草は皮肉屋なところはあってもからっとした男だから、小池のことは関係ないと思ったが、それも俺が思いたいだけなのかもしれないと少し晴れない気持ちだった。
駅前の繁華街でふと見覚えのあるものに目を留める。しかし、どこで見たのかすぐには思い出せない。センスのいい配色の、デフォルメされた独特のタッチの双眼鏡の絵。その店が文具店だったので、渡良辺の封筒にあった絵と同じだと気づいた。中に入り探してみると、確かに覚えのあるレターセットを見つけた。渡良辺が寄越す手紙には色々な種類のレターセットが使われていて、その中でこれを覚えていたのは外江の好みだったからなんだろう。値段を見ると560円。外江は頭の中で計算をはじめた。
封筒8枚入っているというから、単純に考えれば1通70円で8通出せる。探せばもっと安いものもあった。25枚の400円。これなら16円。学校にいくのが1ヶ月に22日として、実際は8ヶ月だけれども、長期休みを合わせて1ヶ月として引き、7ヶ月で154日。渡良辺は、154通の手紙を寄越したわけか。16円と70円の平均を43円として、費やしたレターセット代は6622円。もちろん穴だらけの概算なんだろうけれども、手紙代と考えると高かった。
でも、金よりも手間のほうがすごいことなんじゃないだろうか。それとも、手紙を書くことが好きな人間にはたやすいことなのか。ウィンドウに映る、レターセットを手に考え込む自分の姿に気づき、外江はそそくさと店を出た。
「あれ、との?」
あらためて駅に向かおうと歩き出したとき、うしろから声をかけてきたのは伊草だった。
「なんでまた文房具屋から出てくんの。消しゴムのことばっか考えてて買い忘れでもしたわけ?」
「ちがうよ。そっちは用事終わったのか?」
なんとなくの気恥ずかしさと、もし伊草が気まずくて帰宅をずらしたのだとしたら、我ながら間の悪いことをしてしまったとそんな気持ちで目をそらしながら答えた。少し言葉が早くなっていた。
「ああ、体育祭委員にちょっと手伝い頼まれてたんだけど、わりとすぐ終わった。そうそう、はらちゃん、今日病欠だってさ」
「え?」
なんだ、本当に用事があったのかと安堵して、そのあとに驚く。
「そいつ、はらちゃんと同じクラスだったから聞いてみた。よかったな、望みがつながったんじゃね?」
仕返しのようにやにやしながら、伊草は外江を抜いて歩き出した。外江はつられるようについていき、並んで帰った。