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その25.帰り道(5)

 4人は、場所を校内の多目的ホールに移した。委員の会議などで伊草になじみのある場所だ。大学のように、教壇にむかって聴講席が斜度をつけて並んでいる。

 窓際にとりつけられたヒーターのひとつを伊草がつけている間に、ぞろぞろと席に着く。が、最後の伊草が座ると、渡良辺は気づいたように席を立ち、自分と小池を入れ替えた。

「危ないから小池さんは一番離れたとこで」

「どういう意味」

「女の子に怒鳴る男なんて消しゴムのカス以下」

 伊草は言い返したそうに口を動かしたが、結局顔をそむけて勝手にしろよとつぶやいた。

「消・し・カ・ス・以・下!」

「追い討ち!? 俺おさえたのに!?」

 ふんっと鼻を鳴らし、渡良辺は小池に寄り添って軽蔑しきった目線を伊草に向ける。

「外江、おまえの彼女サイコー」

「あの……ごめん」

「外江君が謝ることないじゃん」

 って、このひと本気で怒ってるんだ? しかもまだ? 苛立った渡良辺の口調に驚き、あわてて認識を改める。今の今まで伊草が渡良辺にキレることを心配していたのだけれど、伊草は存外落ち着いており、渡良辺は遠慮なく怒りを表していた。外江の面子など気にした風もなく。

「渡良辺ちゃん、あたしだいじょぶだよ? いぐっちゃんが怒るのはいつものことだしさ」

 やや困ったように、言葉を選びつつ小池は言う。

「そんなの知らない。わたしは、小池さんがどう感じたから怒ってるんじゃなくて、このひとがぎゃんぎゃん怒鳴ったことに腹を立ててるの」

 なんでそこで小池のフォローを蹴っ飛ばすんだ。しかし、おそらく突っ込んだところで言い返されて特に事態は変わらないのだろうと予想をつける。

「本題に入ろ。時間も遅いし」

 小池は心細そうに、まばたきをした。

「えーっとぉ……でもほんと、たいしたことじゃないんだよ?」

 話しづらそうに、爪をいじる。

「今更もったいつけるとかどこまで面倒なのおまえ? いい加減に」

 渡良辺がサブバッグを振り上げたので、外江は身を乗り出しバッグの飛行予定路をすんでのところでさえぎった。

「どいてよ外江君! 暴言は割に合わないって思い知らせてやる!」

「どんだけ手が早いのあんた!? っていうか暴力はやめなさいほんとに! バッグ没収、ついでに席替え」

「横暴だ! 王子だからって!」

 ふざけているのかと思うも、渡良辺の表情は本気で言っているように見える。どちらにせよ、外江は眉をひそめて真顔でつぶやいた。

「怒るよ?」

 びくっと身をちぢこませ、渡良辺は眉を下げた。バッグを没収されながらも、悔しそうにぶつぶつとパワハラだとぼやく。外江は後ろの空いている椅子を引っ張って角に置いた。いわゆるお誕生日席に渡良辺を座らせ、自分がふたりの間になるようにする。なんでこんなことしなきゃいけないんだ。


 つけられている気がするのだ、と小池は聞き取るのもやっとの小声で言った。

「え、ストーカーってこと?」

「おまえにぃ?」

「だから気のせいだから! あたしの!」

 ぶんぶんと首を振る。

「だからほんと、いいから。こんな騒ぎになっちゃってごめん」

 かわいそうなほど顔を赤くして、小池はうつむいた。

「でも、チャリ通のリスク冒すほどには怖い思いしてるんじゃないの? とりあえずの問題ってそれだよね。本当に気のせいならそのほうがいいことだし」

 外江の言葉に、いくらか安堵したように小池は顔を上げる。

「なにかあったんだ?」

「帰りに、誰かうしろにいて。あたしんち、田舎だからあんまひといない、ってかほとんどいないんだけど、家までずっと足音してたんだ」

 言いように引っかかり、首をひねる。

「それ、一回だけ? ……じゃないよね?」

 小池は自覚していたまちがいを指摘されたように、居心地の悪そうに肩をちぢこめる。

「二回。火曜と水曜。昨日は自転車で帰ったから」

「はあ?」

 伊草が呆れた声を上げる。

「二回そんなことがあっただけでそんなにびびってんの?」

「だから! 気のせいだって、言ってるじゃん……」

「それだけ? 小池、まだ言ってないことない?」

 伊草の言う通り、そして小池本人も言う通り、今の話だけではあまり納得できそうにない。もちろん、自分を付け回す存在に驚いて怯えたことを、おおげさだと否定したいわけではないのだけれど。

「あの、あのねー、あたし、中三のときも同じようなことがあってさ。誰かついてくるっていうか。でもまあ特になにもなく、高校に入学したらなくなったんだ。おとといおんなじような感じがして、だからお恥ずかしながらびびっちゃったけども、でもあれからもう二年近く経つのにまた同じひとなんてのも考えづらいじゃん? だからやっぱ、小池の気のせいなんだよ」

 髪をいじりながら、自分でうなずく。伊草が不快げに目を細めたので、先に外江は尋ねた。

「俺らがこういう風に聞くの、小池に迷惑っぽい?」

「えっ、いやいやそんなことないよ! ありがたいよお、あたしなんかにさ」

「ごめんな、困らせたいわけじゃないんだ」

 小池は叱られたように、また顔をうつむけた。

「ごめん。被害になるようなこともないのにストーカーだなんて騒いで、イタいよね。渡良辺ちゃんみたいに、ちっちゃくてかわいい子なら……」

「小池さんのほうがかわいいよっ!」

 突然渡良辺が机をたたく。

「顔は主観! 小池さんはいいにおいがするしスタイルいいし胸おっきいし!!」

 渡良辺の目はまっすぐに小池の胸に向けられている。伊草が口元をおさえて顔をそむけ、外江は渡良辺の頭をがしっとつかんだ。阿久津にするように。

「渡良辺さん、ちょっと落ち着こうか」

「なんで!? だってわたし痴漢とか遭ったことないもん! おねえちゃんに聞いたら後ろ姿が子供だからだって。小池さんの後ろ姿、すっごくきれいだよ!」

「わ、渡良辺ちゃん、もういいから……」

 顔を赤らめ、大変に気まずい様子で小池が首を振る。渡良辺は怪訝に眉をひそめるだけだ。えーと。外江は頬をかいた。

「……なんの話、してたんだっけ」

「だから、小池さんはかわ」

「渡良辺さんがいると話が脱線してとっても楽しいよ」

「どういう意味!?」

「そのまんまでしょう。もう一度考えてごらん、わいてない渡良辺さんの頭ならわかる」

 にらみ合っていると、チャイムが鳴った。下校時刻の10分前だ。ここから戸締りがはじまり、生徒は追い出される。

「帰んべ。今なら当直回ってるし、チャリだしても見つからないだろ」

 立ち上がり、かばんを肩にひっかける。3人も伊草にならって立ち上がる。

「小池、ともかくチャリで来んのはやめろ。帰りがこわいなら、家まで一緒に帰ってやるから。な、との?」

「うん」

「そそそそんなのだめだって、悪いって! 大丈夫だから!」

「じゃあ小池さん、わたしが!」

「いや渡良辺ちゃんも同じだから!」

「しょうがないな、じゃあ外江君と伊草も一緒でもいいよ」

「俺呼び捨てなわけ!?」

「じゃあ『クサ』」

「悪くなってんじゃねえかよ! そこまで不愉快なあだ名今までなかったわ!」

「わがまま言うなら連れて行ってあげないよ。ただのクラスメイトの分際で自覚が足りないんじゃないの」

「外江!」

「ごめん俺にはもうどうしようも」

「だから外江君謝ることないから!」

「ねえ誰か、あたしの話聞く気ある……っ!?」


 学校を少し離れてから、小池と伊草は外江達と別れて、自転車にふたり乗りをして帰って行った。駅に向かわないほうが、小池の家に帰るには早い。

「なんで伊草だけ小池さんと帰るの? しかもなんであいつ、うしろに乗ってるの!? 男のくせに!」

 ふたりが見えなくなってもまだ怒っている渡良辺に、小さく息をつく。

「渡良辺さん」

「あ、お説教する気だ!」

 ぱっと外江を振り返って身構える。

「バッグぶつけたけど、謝らないよ。わたし、外江君の友達だからってなんでも許せるわけじゃないもん」

「てか、いつもああなの? 安部とかにも?」

「安部?」

 ぴくりと眉を動かす。

「なんであれが出てくるの。関係ないよね?」

「俺、渡良辺にザンゲしなきゃいけないことがあるんだ」

 驚いたように目を丸くする渡良辺の肩から、彼女のバッグを預かる。

「渡良辺の手紙、最初は読んでなかった」

「え?」

「はじめてちゃんと読んだのは、体育祭前」

 手紙を出し始めて、八ヶ月も経ってから。

「だってあのとき、……終業式の日、読んでたって」

「あのときには全部読んでたんだ。でも長い間、読まずにしまってた。他にもらった手紙は目を通してたけど、渡良辺のはすごくいっぱいあったし」

 さっと渡良辺がうつむく。

「なんで今そんなこと言うの?」

「一応、伊草には恩があるから」

「恩?」

「俺、手紙くれるひといっぱいいたけど、正直関わりたくなかった。誰かと付き合うとか、面倒で考えたくなくて。でもあいつは渡良辺とのこと、押してくれてた」

 おもしろがりながら、でも外江が向け始めた渡良辺への興味を、見守っていたように思う。小さく点ったろうそくの火を、煽るでもなく、放るでもなく。

「……そうかも、しれないけど、でも今のことと関係ない」

「うん。ない。俺が言いたいのは、伊草の家は俺と同じ方向で、つまり小池の家とは正反対ってこと。あと、今頃は多分小池が後ろに乗ってるだろうってこと」

 渡良辺が口をとがらせる。

「頭にバッグぶちかまされてもキレないけど、小池がチャリ使うことにはキレるってこと」

「そんなの、わたしわからないもん。知らなかったもん」

「あのね、俺、渡良辺責めてないからね? むしろさっきはよくやってくれたと。あいつも頭冷えたみたいだったし、小池も笑ってたし」

「なんでそう真綿で首をしめるっていうか、ああもう、いいから言いたいことがあるならはっきり言ってよ!」

「じゃ、伊草はあれでいいやつなので、次からはちょっと手加減してやって下さい」

「知らない! そんなのあいつ次第!」

「でも渡良辺さん、男子にムダにきついみたいだからー」

「……もしかして今バッグ持ってくれたの、わたしが外江君をバッグでぶたないように?」

「うん。今渡良辺、右手でバッグ探したね。あー危なかった」

 わざとらしく胸をなでおろして笑う外江にぎゅっとこぶしを握り締める。

「そんな噛みつきそうな目をするなら、殴ってもいいよ? 別に怒らないし」

 余裕の態度に、自分は殴られないとでも思ってるのか思い知らせてやると思うも、なんとなく言われるまま殴ってはいけない気がした。悪い予感がする。しかしあまりに腹立たしく、本能的に自分の片手での攻撃を恐れた彼女は、外江の胸を押し飛ばすべく両手を突き出した。が、外江がうしろに引いてしまったので勢い余りつんのめる。

「捕獲」

 笑いのまじった声が髪に降る。転びそうになった渡良辺は、ふわあとか情けない声を出した挙句に外江に正面から抱きかかえられていた。あせって無事で安心して、さらに怒りはふくれあがった。

「ちょっと、信じらんない! 離してっ!」

「渡良辺ってさー、怒るとなかなか冷めないよね」

「ちがう、外江君がさらに怒らせてるだけ! っていうか外江君、わたしのことばかにしてるでしょ!? なんかすごく、こう、おつむのかわいい子みたいに!」

「してないよ。彼女扱いしてるだけだよ」

「外江君は彼女を罠にはめるの!」

「楽しいね。クセになりそう」

 逃れるため暴れようとするが、うまくいかない。外江相手だから力が抜けているとかそういうわけではなく、力自体がうまく込められなかった。彼女はクリンチを知らない。

「もう、なんでっ!?」

「あんまり騒がれると、俺通報されちゃう」

「されちゃえ!」

「にくたらしい子」

「声! 笑ってる!」

「ねえ、ちょっとおとなしくしてよ。キスしたいから」

 ぴたっと渡良辺の動きが止まる。

「あ、たま、腐ってるっ……」

「だってもー、渡良辺かわいいんだもん」

「なんで!? ど・こ・が!」

「渡良辺、小池が困らないように怒ってたじゃん」

 小池のためではなく、自分がむかつくから怒っているのだと、渡良辺の態度はとられていた。実際そうなのかもしれないが、小池の気持ちを代弁しない渡良辺の怒りに、小池を巻き込まない意図を見る。

「C組で安部達と対立してたときも、そんなだったの?」

「なんでまたその話なの?」

「堀内が心配してた。渡良辺がいつかひとりになっちゃうんじゃないかって」

「そんなの余計なお世話だよ」

「ちょっとわかった気がする」

 近くの、歩道用の鉄柵に渡良辺を座らせる。ひざまずいて、小さな手をにぎった。

「見透かしたつもり? そんなの勘違いだよ、わかるわけない」

「まさかそんな、渡良辺様のお気持ちを理解するなんて畏れ多い。ところで、興奮すると泣いちゃうひと?」

「…………」

 渡良辺は、目に浮かんだ涙こそが悔しいように、くちびるを噛んでいる。

「外江君、きらい」

「俺は渡良辺好きだよ」

「きらい」

「好き」

 頬に触れ、親指でなでる。すべらかで、やわらかい。熱を持っている。

「渡良辺様、キスしていいですか」

「あのね、外江君、わたし本当に悔しいしむかついてるし怒ってるんだよ」

「知ってると思う」

「知ってるならそれってS宣言だよ?」

「かも。ごめんね」

 くしゅっと渡良辺の顔が怒ったまま歪む。こらえていた涙が落ちる。

「口で負けるの、お姉ちゃんだけなんだよ」

「それは光栄」

「外江君はわかってないよ。全然全然、わかってないよ」

 それを言うなら、渡良辺だってわかっていない、と思う。たとえば、彼女の涙に今自分がなにを思うか、とか。とても告げられる内容じゃないから口にはしないけれど。

 近づくと、渡良辺はぎゅっと目を閉じた。くちびるをあわせる。やわらかさに誘惑されながら、なんとか蹴とばして、なだめるように触れ合わせた。離れると、目を開けた渡良辺は、頼りないまなざしで外江を見つめる。それから、ぎゅっと外江の腕をつかんだ。物言いたげに。

 抱き寄せて、もう一度ゆっくりとキスをする。


「今日も遅くなっちゃったな。帰ってとっとと勉強しないと」

「なんでそんなに勉強が好きなの?」

「なんでそんなにヤな風に言うの。だって成績落ちたとか渡良辺のねーさんに絶対知られたくないし」

「お姉ちゃん? なんで?」

 口をすべらせたことに多少あせりつつ、笑顔は崩さない。

「別になんでもないよ。かえろ。あ、手をつないで帰るのいや?」

 渡良辺は少し黙ったあと、つないだままだった手に力を込めた。


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