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その22.帰り道(2)

 外江の通う高校では、通学時における自転車の利用は片道30分以内に限り許可されている。

「とのっちぃ! ちょっと、俺今日マジで死ぬかと思った!」

「おはよ、阿久津」

「おはよ! トラックがさ、横抜けてったんだけど、そんときマジ風圧ぶわあって! 左によろけてガードレール引っ掛いて超あせった!」

「おまえ、また自転車できたのか?」

 呆れて眉をひそめる。外江は電車と徒歩だが、朝の自転車登校の危険さを知らない者はこの学校にいない。最寄駅と学校をつなぐ主な道路には、その先の工業地へ向かう大型トラックが時間を問わず走っているのだ。

「だって遅刻しそうだったんだもん。俺真面目でしょ?」

「ばか。せめてあの道は押して歩けよ」

「押して歩く?」

 呆れ返された挙句ばかにしたように笑われ、非常に癪にさわったので阿久津の頭を押さえつけ、がすがす乱暴にまぜかえした。そりゃ確かに、自転車なのにわざわざ降りて押して歩くなんて、若者にはとてもできない行為だとわかってはいるけども。

「でもあれ、本当に危ないだろ。見ててこわいよ、俺」

 ガードレールに沿って車道を走る自転車の横を、2tトラックが追い越していく。学校まで続く自転車の群れにいちいち速度を落としてやるトラックもいなければ、かたや学校へ急ぐ高校生。自分の思うスピードで彼らはすれ違っていく。

「歩道はだめなのか?」

「歩道なんか走れないよ、混んでて」

 自転車は原則として車道を走るよう定められているわけだが、通学に使われる歩道は自転車の走行も許可されている。それも過去に生徒の死亡事故があったことが起因しているというのだから、折り紙つきだ。

「俺、電車よりチャリのが早いんだもん。電車だと45分かかるだけど、チャリだったら直線で来れるから35分で着くんだよ。あーあ、チャリ通の許可証欲しいなあ。なんで30分までなんだよー」

「学校としちゃ、自転車通学の許可自体出したくないんだろうけどな」

 校則などあってないような高校だが、バイクと自転車についてだけは非常に厳しく取り締まっており、長期休みには必ずバイク免許取得に関する注意が呼びかけられる。

「そういや阿久津、おまえってどこに自転車置いてるんだ。確か駐輪場って、許可車しか置けないだろ?」

「2グラ倉庫の裏にこっそり。まあ見つかったらそれまで!」

 それから阿久津は、思い出したように外江に詰め寄った。

「つーかとのっち、ノート! コピらして! 日本史と地理と地理と数IIと数Bと化学と英IIとライティングと現代文と古典!」

「全部かよ!」

「保体は大丈夫!」


 中間試験を来週に控え、学校全体はすっかり勉強モードだった。文化祭でハメを外した直後とはいえ、そこは進学校の生徒達といえるかもしれない。阿久津が校則を違反してまで遅刻を回避したのも、試験のために今朝のHRに出なければならなかったからだ。2E担任の玉里明は、試験一週間前の朝のHRで自分の担当する教科の試験範囲を通達する。本来なら授業時間を使って伝えられるべきことだが、授業時間を削りたくないからか、はたまた遅刻者が嫌いだからか、真相は定かでない。

 一日の授業が終わり、帰りのHRが終わるなりそそくさとクラスメイト達が教室を出て行く中で、のんびりと教科書を見ている外江の机の上に、伊草がどすっとかばんを乗せた。

「との、帰んないの?」

「阿久津にノート貸してるんだ。今コピーに行ってる」

「ああ? そんなの待ってたら帰れねーぞ」

「そうなのか?」

「どうせ全教科だろ? 試験前の図書室のコピーってばか混むんだぜ」

 呆れたように肩をすくめ、帰り支度をうながしてくる。

「んー、まあ、俺は待っとくよ。家でノート使うし」

「あいつ、どうせコピーしただけで気が済んで勉強なんかしねーよ。いつもそうなんだ、貸すだけ無駄。今日使わない教科だけ貸して、あとは取り返して帰ったほうがいい」

「……なるほど」

 確かに、今日すべての教科を使うことはない。納得して、外江は広げていた教科書をかばんに詰め込み、伊草を追った。

「そういえば、いつもはおまえが阿久津にノート貸してるんだ?」

「まあなー。でもあいつ、この俺様のノート貸してやってんのにいっつも赤スレスレとかよ。失礼だと思わねえ? 絶対使ってないから」

 本人からして、日頃勉強はやっていないとたまっている。周囲の空気にあせりはしても、そのあとの実際の努力には至らないらしい。

 図書室は芸術棟にある。外江達がお化け屋敷に使った別校舎だ。中間試験と大学入試に関する話をしながらてれてれと歩いていると、ちょうど阿久津が飛び出してきた。

「あ、とのっち」

「終わったのか?」

「それがさー、俺の持ってるのがプリンスノートだってわかったら、なんか鑑賞会はじまっちゃって」

「はあ!?」

「みんなとののノートコピーしたいっつってんだけど、イイ?」

「いいわけねえだろアホかおまえは」

 屈託のない笑顔の阿久津の頭を、伊草は無表情でごすっと殴った。

「なっ……中指立ててたろ今……!?」

「この寄生犬。早くノート取り返して来い。まじめに勉強してるやつに迷惑かけんな」

「い、い、伊草には関係ないじゃんっ、俺はとのに聞いてるんだし!」

「おまえみたいにノートの利用法もその価値もわかってないやつが、試験前だけあわててとののノートのコピーとるとかむかつくんだよ。俺が借りられないじゃねえか」

「って伊草、とののノート狙ってたの!?」

「は。俺がなんのために外江の友達やってると思ってんの」

「ちょっ」

 最後にあわてたのは外江だ。たったいま、自分のノートが不特定多数におもしろがられている窮地も吹っ飛ぶ。

「とのっち……」

「……阿久津、なにそのアワレミの目」

「あのね、俺はとのっちのこと、ノートのひとだなんて思ってないよ。俺がとのと友達やってんのは、とのがポテト必ず頼む派だから! もらえる……痛い痛い痛いやめて背ぇ縮む下痢になる!」

 ヘッドロックを決め、立てた中指でつむじをぐりぐりする。伊草の笑い声も腹立たしいので阿久津の次に蹴り飛ばす。

「ったく! もうノート貸さない!」

「えぇ~、スネるなよう~瑞穂ちゃんかわいいぞう~」

「怒らせたいの、つぐみちゃん」

「本当にすみませんでした」

 きりっと顔を引き締める。

「阿久津、ノート返して。おまえに貸すのはいいけど、全然知らないやつらにまで出回るとか微妙」

「う、でも、今更言いづらいんだけどぉ……」

 じろっと睨むと、阿久津は肩をすぼめ、すごすごと図書室へ歩いていった。

「ばかだねー、阿久津は。ま、貸したとのも甘いけど」

「まさかこんなことになるなんて思わないだろ」

 芸術棟と本校舎の渡り廊下にいたふたりは、冷たい風から逃げ出すように本校舎に寄せる。

「ねーとの、振り替え休日、ほんとになんにもなかったの?」

「言わないって言ってるだろ」

「なーんでー」

「渡良辺がひとに話すなって言うから」

「その返事、かえってえろくない? 俺今超妄想したんだけど」

「するな」

「だって親友が済か済じゃないかなんて気になるでしょ! ねえ、あたし達親友でしょ、瑞穂ちゃーん」

「おまえ、どの口で……」

 さっきなんて言ったよ。

「あんなの軽いジョークじゃない。なー、イメクラどうなったんだよー」

 好奇心丸出しで、にやつきながらひじでつついてくる。火曜から今日木曜まで、ふたりになるたびこの調子だ。いい加減、バラすか怒鳴るかと思ったとき、後ろから声がかけられた。

「伊草君、外江君」

「東条」

 振り向くと、委員長の東条由布子が何冊かの本を片手に立っていた。

「悪いんだけど、道を開けてくれる? こうして近くで見ると、ふたりとも背が高いのね」

 かすかに微笑む。謝りながらよけると、礼を言われた。要求にさりげなく相手をほめるような言葉を織り込むあたり、外江はやはり彼女にすきのなさを感じてしまう。

「東条サン、まさかあなたもコピー機に御用が!?」

 伊草がわざとらしくショックを受けた顔を作るが、東条は首を傾げる。

「借りていた本を返すのよ?」

「あ、ですよねー、なにかお勉強関係ですか」

 答えるかわりに、持っていた本の表紙を見せる。絵本のような絵柄に、飾られた英字。どこか日本の装丁らしくないなと思ったら、外国の児童小説の原書だった。

「ちょっとハマっちゃって。色々読み漁ってたら、訳が追いつかなくてね。もう徹夜」

「試験前になにこの余裕? 聞きました、外江さん?」

「へえ、東条ってこういうの読むんだ。これおもしろかった?」

 俺スルー!? 怒る伊草をさらに無視して、外江は本を受け取り、ぱらぱらとめくる。

「どう見えてるのよ。わたし、小説は好きなのよ? まあ、そういうクリエイティブな才能は皆無だけど。どうも根が理系みたいだし」

「読む事を楽しむのに、作る才能は必要ないだろ。東条が小説なんて読まなさそうなイメージなのはその通りだけど」

「はっきり言ってくれたわね!」

 くすくすと笑う。かわいらしくも品がよく、小池や渡良辺とは大違いだなあと思う。

「これはおもしろいんだけど、あんまりお勧めじゃないかなあ。結構残酷なのよね。サーカスが文字通りの見世物小屋でね、異形のひと達を、作中の子供達は喜んで笑うの。あ、でも、男の子ってそれくらい刺激のあるほうがいいのかしら?」

「俺はわりと好きなほうかも。日常にないものってやっぱ好奇心かきたてられる」

「そうね。わたしも結局は、そういう部分でもおもしろがってるんでしょうし。文化のちがいを感じられるのも、こわいけどおもしろいわ」

 礼を言い本を返すと、東条は小さくうなずいてみせる。

「それじゃ、また明日。じゃあね、伊草君」

 伊草にも視線を寄越し、東条は芸術棟へ入っていった。

「今の一連を見て、おまえと東条が付き合ってるって何人のひとが思うかね」

「とのがモテ会話なのが悪いんじゃん」

「モテ会話ってなにそれ」

「相手に興味を示しつつ、正直かつちょっぴり失礼なことを言う。相手との距離を縮めるのに有効です。女っていうのは常に自分を理解されたがってるからな」

「なんか変な本読んだのか? ハウツー?」

「あんなもん読むより、とのを研究したほうがはやそ」

 不愉快に眉をひそめてみせるも、伊草はけらけらと笑ってかわしてしまった。彼女なんだったら、俺と仲良さそうなの見て怒ってみせろっていうの。これが小池だったら底なしに機嫌を悪くするくせに。その点をねじこんでやろうかと思ったとき、阿久津が半べそで戻ってきた。


「俺、自分のこと付き合いがいいって思う」

「俺、伊草に迷惑かけてないもん! とのにはかけてるけど!」

「俺、普通に勉強してるんで少し静かにしてくれない? ここにいるのは勝手だけどさ」

 ノートを取り返すことはできなかった。王子のノートなら(物珍しくて)勉強に身が入る、17時半までには必ず返すからと懇願され、勢いに負けてうなずいてしまった。

 いっそあきらめて帰ろうかと思ったものの、約束の時間まで一時間を切っていることもあり、なら範囲の英単語でも覚えるかと教室に戻った。静かに騒がしい図書室にはいたくない。伊草と阿久津もついてきた。

「って、阿久津、なんでおまえもここにいるの?」

「あっ、とのっち、やっぱり怒ってるんだ!」

「は?」

「俺がいないとこで、伊草とふたりで俺の悪口言うんだぁ」

「わーこの犬うざい」

「うるさい伊草、うざいって言うな! との、ごめんねごめん俺が悪かったから怒らないで、ほんと反省したから」

「うざいはだめでも犬はいいのか」

「いやよくないけど! でもとのっちになら俺、犬って呼ばれてもいい……ご主人様、どうぞお好きにお呼び下さい、よよ落涙」

「よっ、脳みそ3グラム!」

「だからおまえに言ってねっての!」

 ノートはもうあきらめたが、これじゃ集中できない。外江を放ってじゃれつきはじめるふたりに半目を送るが気づく気配もなく、深くため息をついたところで、ふと思いついて携帯を取り出した。登録してあるショートカットを選ぶ。

『帰ったら勉強するの?』

 送信すると、メールは驚くほど早く返ってきた。

『まだ学校。川ちゃん達にカラオケ行きたいって言ったら怒られた』

 俺も怒るけど。しかし、まだ帰っていないのならと急ぎ新たにメールを送る。

『2E来ない? 17時半まで暇なんだ』

 行く、と返事が返ってきた。

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