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その17.振り替え休日(2)

「どうぞ」

 まず応接間に案内されて少し安心したのもつかの間、自室の準備ができたと渡良辺が小走りに下りてきた。やっぱり部屋へ行くのか。

「ミミ、こっちおいで」

 小型犬のミミ蔵は(この正しい表記も外江は知っている)、きゃんきゃんと甲高く吼える彼流の出迎えが済んだあと、ソファに座る外江のひざで凛々しく正座していた。その彼を抱き上げ、渡良辺は2階へ上がっていく。

「二世帯住宅なんだっけ」

「うん、お姉ちゃん夫婦とね。わたしが小学生の時だったかなー、改築したの。前は狭くて、ちっちゃーい家だったんだよ」

 まだ新しく、きれいで広い家に感心しながら、贅沢に間隔のとられた階段をのぼる。彼女は歳の離れた姉にずいぶんと懐いているようで、手紙にもよく出演していた。

「じゃ、はい! わたし、外で待ってるね」

 渡良辺は光沢のある紙袋を押しつけると、有無を言わせぬ勢いで外江を部屋に放り込んで引き戸を閉めてしまった。なんとなく診察前の病院の看護師を思い出してため息をつきながら、部屋を眺める。畳敷きの和室、家具のそっけない様子から、客室としてあてがわれる場所なんだろう。

 まあどうせやるなら、あれぐらい押し切ってくれるほうがいいか。これで今更、やっぱりいや? などとおどおどと聞かれるほうがやりづらい。

 紙袋から取り出した件の執事服は、思っていたよりも重みがあった。広げて見ると、見た目の質感もずいぶんとしっとりとしており、そういえば2Cの執事喫茶に行ったときコスプレに受けがちのあの安っぽさを感じなかったと思い出す。もしかして、実際のレストランのユニフォームを執事として流用したという仕組みだろうか。ピンタックシャツのシワのなさに、文化祭は昨日なのにと首をひねりつつ、袖を通した。冷静になりそうになる頭を振って散らす。初めて来た彼女(この単語に若干の違和感や抵抗はまだあるけれど)の家で、ひとり服を脱いでいる自分について考えてはいけない。少なくとも今は。

 健気に言い聞かせていると、ふとカリカリと閉ざされたふすまをかく音がした。足元から聞こえるそれの犯人はミミ蔵だろう。やばい俺いま犬に癒された。

 特に着方に疑問が生じることもなく着替えを終え、古風な化粧台の鏡で自分の姿を確認する。ウエイターだな。抱いた感想はそれだけで、むしろ不安になった。期待はずれとなるのも正直気まずい。といって他にしようもないので、外江は脱いだ服を簡単にたたみ手に持ってふすまを開けた。ミミ蔵が足に飛びついて、くんくんと黒いズボンのスソをかいだ。

「渡良辺?」

 知らない匂いに夢中の彼を蹴らないようゆっくり廊下に出ると、階段をはさんだ隣の部屋から渡良辺が飛び出してきた。

「あ」

「着替えたよ。これでいい?」

 渡良辺は、はっと気づいたようにぶんぶんと首を縦に振った。

「写真っ……いいっ……!?」

「……そのまえに、撮った写真をどうするのか聞かせてくれない」

 外江家には写真を撮る習慣があまりなく、外江も関心は薄い。今までは第三者に撮られても気にしなかったけれど、渡良辺に関してはさすがに確かめておきたかった。

「はい!」

「はい?」

 想定外のはきはきした返事に驚く間もなく、腕を引かれた。ぐいぐい、彼女が今しがた出てきた部屋に連れ込まれる。

 床を覆う、紅茶色の花が咲いた白地のラグがまず目に入る。ベッドにはじまり、机、パソコンデスクと家具がみな低く、目線以上の高さにものがない。生成りの壁が目立つシンプルな部屋だった。ラウンドテーブルにはすでにお茶が用意されており、そこに座るよううながされる。

「このようになります!」

 渡良辺がやわらかいオレンジのフォトブックをテーブルに置く。開いてみると、綴られた黒の台紙に自分の写真が貼りつけられていた。とっさに本を閉じる。ばたんと勢いの良い音が響く。

「あ、あ、もうちょっとていねいにあつかっ、て?」

 悲しそうに注意され、とっさにごめんと謝るも、眉間にしわは寄る。え、どうなの、これ。

「あのね、最初は林間学校のなの」

 外江がなぜフォトブックを閉じたかということに意識はいかないらしく、外江に見やすいように改めてページを開く。

「外江君が写ってるのは全部欲しかったんだけど、あんまりいっぱいあって、しかたないからいいやつだけ買ったの」

 そう言われて落ち着いて見てみると、いくつかなんとなく覚えのある写真があった。同行した教師が撮り、林間学校後に貼り出したものだ。買わなかったけれど、伊草と一緒に眺めた。

「うわ、こんなのあったのか」

 自分が全開で笑っているのに驚く。隣の伊草も、同じ方を見て笑っている。

「これ、秘蔵の写真なんだよ!」

「秘蔵?」

「男の子が川に落っこちた時のなの」

「あ。もしかして阿久津?」

「そんな名前だったかな? そんなおおごとじゃなかったから外江君達は笑ってるんだろうけど、先生としてはのんきに写真撮ってる場合じゃないでしょ。あとで気づいて、これと前後の写真は隠したんだって」

「前後のって」

「男の子が川に落っこちてるとこの写真もあるの」

 納得する。その場にいるものならあの空気を知っているだろうが、写真が与える冷静すぎる印象と、教師の立場を考えればアウトだろう。

「わたし、撮ってるの知ってたから、先生を脅して譲ってもらったんだ」

「渡良辺さん、誇らしげに言わないで」

 うなだれるが、かまわず次をめくってと急かされた。

「ここからは、今年の体育祭の。ごめんね、伊草君に頼んで撮ってもらったの」

「知ってる」

「えっ?」

「ん? 伊草から、渡良辺に頼まれたって聞いてたよ」

 渡良辺の口が、ぽかんと小さく開く。

「あいつこんなのまで撮ってたのか……ひとん家の弁当なんか撮るなよ」

 ぶつぶつ言いながらページをめくる外江には、渡良辺のつぶやきは聞こえなかった。言わないって言ったのに。

 唐突に写真が終わり、あとは黒い台紙が続くばかりとなった。フォトブックの半分にも来ていない。

「あれ、これだけ?」

 今までによこしたあの膨大な手紙の量から、なんとなく写真も大量にあるような気がして意外に感じる。渡良辺はやや気分を害したように、くちをとがらせた。

「だって普通、写真なんて手に入らないよ。隠し撮りもだめだし」

「ほー」

「アングルとか不自然じゃない。そのうえ遠かったり暗かったりで、労力のわりに出来が見合わないっていうか」

 そこかよ。

「体育祭とか、みんなが撮ってるときなら一緒に取れるけど、わたし動いてるもの撮るの苦手なんだよね」

 外江は深く考えないことにした。しないというならそれでいい。きっとそう。

「ミミ蔵は? いつも撮ってるって言ってなかったっけ」

「ああ、それは」

 デジカメを持った渡良辺が名を呼ぶと、のんびり寝そべっていたミミ蔵はびくっと跳ね起きた。

「おすわり!」

 彼は姿勢良くお座りをした。そのまま、カチーンと凍ったように動かなくなる。

「しつけたから」

 にこにこと笑いながらついでのようにシャッターを切り、お許しを出す。くたりと姿勢を崩すミミ蔵に、少しのおびえと、たっぷりのあきらめを見る。

「じゃあ、撮っていい?」

 自分があわれな小型犬になったような気分をごまかしきれないまま、おまえもがんばっているなら俺もがんばるよと一方通行の思いを寄せ、力なくうなずいた。

 細かいリクエストには応えられないよと断った通り、渡良辺は突っ立っている外江の写真を何枚か撮った。くるくる、自分のまわりをまわる彼女に思考を停止させたまま時間が過ぎるのを待つ。

「ありがとう!」

 気が済んだらしく、満足げにカメラをおろす。

「今、ケーキ持ってくるね。お姉ちゃんが焼いてくれたの」

 うなずき、息を深く吐く。と、出て行こうと立ち上がったはずの渡良辺がぴたりと止まってこちらを凝視してきていることに気づく。窮屈な袖口のボタンを外していただけなんだけれども。

「……なに?」

「…………」

 突然テーブルに顔を伏せ、そろえた両手の指先で太鼓のようにぱたばたぱたぱたとテーブルをたたいた。

「もしもし、渡良辺さん」

「わたしはだめな人間だっ……!」

「……そーね?」

 もー突っ込まない。

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