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その15.文化祭(5)

 渡良辺はお化け屋敷が苦手だ。幽霊がこわいというのとは少しちがう、と思う。少なくとも彼女は信じていない。驚かされるのがだめなのだ。大きな音、怒鳴り声がこわい。映画でもからだがびくりと震えるほど驚いてしまうのに、間近でそんな音を聞いてしまうとどうなるかあまり想像がつかない。からだがすくむだけならいいが、感情の激しやすい彼女は涙腺もゆるい。文化祭のお化け屋敷で泣いてしまったりしたら、考えるだけで気まずい。

 外江に誘われたとき、はっきり断ればよかったんだろうと思う。でも、お化け屋敷がこわいなんて女の子らしくてかわいらしいことを本気で外江に訴えることは恥ずかしくて、渡良辺の妙にねじれたプライドが許さなかった。それに誘いはうれしかった。断りたくなかった。大丈夫、どうせ高校生のお化け屋敷、子供だましに決まってる、落ち着いて冷めて見れば全部全部ちゃちくって笑っちゃうようなものだ、何度も自分に言い聞かせる。素人で高校生だからこそやりすぎてしまう可能性についてはもちろん見て見ぬふりだ。考えてはいけない。

 時刻はすでに14時30分を回っていた。外江が指定したのは、14時から15時のあいだ。早く行かなければ、しかしそう思い続けて彼女は結局ぐずぐずと同じところをうろついていた。

 不意に少し遠くから、くぐもった女生徒の悲鳴が上がる。まただよ! なにやってんだよ! 2年E組のお化け屋敷は、本校舎ではなく、別校舎、芸術棟の1階と2階がつながった特別教室なのだ。なんでそんなにいっぱい部屋使ってるの、どれだけ広くしたの、ばかじゃないの。やっぱり無理、忙しくて行けなかったってことにしてしまおう、ずっと握り締めている携帯を見る。けれどメールを打とうとすれば、外江のメールを思い出す。楽しみになってきた。外江は、渡良辺が行くのを楽しみにしているのだ。

 行かなくても外江は怒らない。それだけは確信がある。でも、だから応えたかった。代休で会うとき、おんなじ話題を持っていたかった。

 時間は過ぎていく。40分を過ぎたとき、渡良辺はようやく本校舎を出た。


「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、2年E組渾身のお化け屋敷だよー、残暑も吹き飛ばすこわさだよー、こわくなかったらお代はお返し、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」

 こなれた呼び込みをする男子は、真っ黒い布に身を包み、顔を白くくちびるを真っ赤に塗りたくって毒々しいが、チープだし、声や口調が親しみやすくこわいと言うよりはおどけた印象だ。なかなか繁盛しているらしく、男子生徒も女生徒も楽しそうに入る事をためらっている。どうしよう、やっぱこわそうだよやめとくー? でも入った子はおもしろかったって言ってたよお。

 そう、クチコミもなかなかだったのだ。2Eのお化け屋敷はやばい、午前中のうちからそんな噂がちらほら回ってきていた。外江のクラスだからなおのこと口にのぼりやすいのだろうが、1年生にもお化け屋敷をやっているクラスはあったのにそちらはとんと聞かない。

 そうか、ここ出口がちがうんだ。出てきたひとの反応を見ようとまわりを見回して、入り口は1階、2階は出口だと気づいた。おそらく、反対側の階段から帰らせているんだろう。中の仕掛けをなるべく客がばらさないように。

「あのー、3人、お願いしますー」

「はーい、いらっしゃいませー3名様、600円ね。はい、どうぞー靴は脱いでこの袋に入れて持ってってくださいねー」

 1年生らしい女生徒3名が、うきうきしたように入場した。そうだ、あの3人についていけばいい。渡良辺は急ぎ、1名お願いしますとお金を払った。

 中は明かりはあるが、日光は完全に遮断されているようだった。こもったにおいに、使われている暗幕のカビくささもある。

「みなさん、ようこそ恐怖の館へ。ここから先は、おひとりさまずつ進んでいただきます」

「え、まじでですかぁ!?」

「まじですよーだってそのほうがこわいでしょー」

 冗談じゃねえよ。渡良辺は思わず案内役を殴りたくなった。

「じゃ、そこに座って待っててくださいね、順番にご案内しますから。あ、退屈でしたらお経か恐怖体験話のCD流しますけど、いかが?」

 1年生達が笑いながら断ってくれたおかげで、渡良辺は怒鳴らずに済んだ。

 数分おきに案内されていく。案内役はイヤホンつきのトランシーバーをつけており、進行状況を中と伝え合っているらしい。本格的で結構なことだが、それはともかくとしてこんな風に待たされるくらいだったら、最初から自分ひとりで入ればよかった。先に進んだ子達はみんな悲鳴を上げている。

「お待たせしました、どうぞー。中はかなり暗いですから、右側にある矢印に沿って、手探りで進んでくださいね」

 カーテンを開け、案内役は渡良辺を順路へと放り込む。うしろに待っている人がいたので、ためらうこともできなかった。

 中はすっかり暗かった。足元はやわらかく、しかししっかりしている。覚えのあるこの感触はおそらくマットだ。マットの上に、なにか布を敷いているんだろう。靴下ごしだからよくわかった。右手に薄ぼんやりと光る矢印を見つけ、すがるように右手を壁に当ててゆっくりと進みだした。

 すでに足は震えている。けれど最初はなにごともなく、目が闇に慣れて少し速度を速めたとき、足元にぐにゅりとやわらかい感触。気づけば悲鳴を上げていた。

 なに、なんなの。肩で息をしながら見てみると、赤いスカーフだった。感触から言ってスカーフでなにかを包んでいるのだろうが、中身を確かめる気にはさらさらならなかった。息をととのえ、踏まないように飛び越えて次へと進む。

 突き当たりの壁に右を差した矢印。右折しろということらしい。曲がるのこわいなと思いつつ、おそるおそる右手をすべらせながらまがると、右手すぐそばに誰かがいた。また悲鳴をあげ、転びかける。

 誰もいなかった。鏡だ。また息をととのえる。渡良辺がもっともおそれていた、お化けの格好をした生徒が突然現れて気持ち悪い声を出すなんてことはまだないが、来るならいっそ早く来て欲しかった。こんなのは生殺しだ。このお化け屋敷を考えたやつちょっと出て来い。絶対性格悪い。

 仕掛けはまだ2つ。階段にも上がっていない。そうだ怒ればいいんだ、こんなの考えたやつに怒れば。ぎゅっと手を握り、立ち上がった瞬間渡良辺の腕にひやりと冷たいなにかがかすめた。三度目、渡良辺は悲鳴を上げた。

 もちろん、きょろきょろと見回しても誰もいない。後続も来ていない。急いでもおそらく、前の子に追いつくことはないようになっている。渡良辺は泣きそうになりながらずりずりと前に進んだ。

 しかし予想を反して残りの道にはなにもなく、たどりついた階段は明るく「ちょっと小休止」とあった。ほっとして息をつく。これで半分、もうちょっとだ。

 2階部分の順路は、同じくマットが敷かれていたものの、1階よりも道幅があり、明るさもあった。うかがいながら進んでいくと、右手沿いの壁にぽつんと椅子が置かれていた。椅子には赤や青を混ぜたらしい照明が当たっており、おどろおどろしい。椅子の上に紙が置かれていることに気づき、あれを見ろってことなんだろうなとは察するが激しく気が進まない。しかし、見なければならないんだろう。紙に触る気にはなれず、上からのぞきこむ。私のスカーフ、知ってる? 読んだ瞬間、渡良辺の触れていた右手の壁の向こうからつんざくような女の悲鳴が上がった。

「きゃあああっ、きゃああああああっ!」

 対抗したわけでは、もちろんない。渡良辺はその場にしゃがみこんで耳をおさえ、何度も悲鳴をあげた。それきり顔を上げず、肩をふるわせる。

「渡良辺!」

 異常を察したおどかし役達が顔を出し、その中を外江が駆けてきた。外江はクラスメイト達と目を合わせたあと、渡良辺と彼女の靴を抱えてセット裏へ引っ込んだ。


 セット裏から行ける、控え室として使っていた小さな準備室に入り、外江は渡良辺を長椅子に座らせた。渡良辺はまだしゃくりあげている。

「渡良辺、渡良辺。ごめん、そんなにこわがると思わなくて」

 首を振る。

「やだって、言った」

「だって女子がこわいとか言ってもそこまでじゃなかったりするしさ、だから」

「言った、よ、行かないって」

 目をぬぐいながら、肩をふるわせる。

「ごめん」

「もうやだ、声、きらい」

「声?」

「こわい声、きらいー」

「あれか、……ごめん」

 外江は渡良辺を抱きしめ、髪に顔をうずめる。しばらくそうしているうち、渡良辺はだんだんと冷静になってきた。おや、この状況はなんでしょうか?

「と、外江君」

「ん」

 名を呼ぶと、力をゆるめ、少しからだを離す。顔の近さに驚く。うつむくにもうつむけない近さ。

「誘ってごめん。やだって言ったのに信じなくて。でも、そんなにこわいのだめだったら、すっぽかしてくれてもよかったんだよ」

 それについては、自分も悪い。というか、自分が悪いと渡良辺は思っていた。外江の誘いは、度を越えたものでは決してなかった。多少親しければあれくらいはよくあるやり取りだと思うし、渡良辺だってはっきりと断れるのだ。誘ったのが外江でなければ。

 けれどそれをうまく説明できるわけもない。返す言葉が思いつかなくて、まだ少し落ち着きの戻りきらないままぼうっと外江の顔を見つめた。外江は困ったように眉をひそめ、ごめんとつぶやくと渡良辺にキスをした。今度こそ頭がはっきりする。違う意味では混乱する。

「と、とっ」

「すっごい怒られそうだ。すみません渡良辺かわいい。今俺、もーどーしていいかわかんない」

「うえっ?」

 止められないと言った様子で、外江がにやにやと笑っている。

「うえ、じゃないよ。……おびえてるのかわいくて楽しくて、実を言うと途中でクラスのやつがこれ以上はやめたほうがいいんじゃないかって言ったんだけど、俺おどかすの最後だしどーしても自分でしたくて続けてって言っちゃった」

 ひどい、言いかけて、ずっと見られてたことを今更思い出す。ここに外江と来ている事もあの場にいた面々は知っているのだ。なんてことだ。もう死ぬしかない。でも外江がうれしそうに渡良辺を抱きしめている。

「こわかった?」

 なにを当たり前のことを。怒りたいのに怒れないし外江がうれしそうなのはうれしいしどうしていいかわからない。とりあえず恥ずかしさから涙がこみあげる。どれもこれも悔しい。だましうちみたいなキスも。

「こわかった、よ! 本当にこわかったんだから、こわいの好きなひとには、平気かもしれないけどっ」

「そっかそっか」

「なんでそんなうれしそうなの」

「んー?」

 にこにこ。にやにや。こんな笑い方をする外江は少し幼く見える。髪をなでられてまた心臓がはねる。

「ごめん」

「あんまり謝ってない」

「そんなことないよ」

 頬に頬を触れさせてくる。反射的にぎゅっと目を閉じる。そのすきに、またくちびるにキスが降った。目を開けたときにはもう離れている。だから、だから。

「なんで、……するの!?」

「……なんでって?」

「だって!」

「渡良辺がかわいくてしょーがないからだけど」

「なっ、ち、ちがくてっ」

 なにを言っているかなんて渡良辺にもわからない。なのに、外江はわかったようだった。目を細めると、渡良辺の耳にささやいた。

 好きだから?

 腰が抜ける。いやずっと抜けているのか。

「……疑問系」

「渡良辺が好きだよ」

 からだの芯があまくふるえる。

「もういっかい」

 耳に落ちるささやき。渡良辺は外江の首にぎゅっと抱きついた。

 振り向いて欲しくなかったなんて自分を守るためのうそだった。わたしはずっとわたしを見て欲しかった。この言葉が欲しかったんだ。だから、手紙を書いていたんだと、渡良辺は知った。


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