その14.文化祭(4)
考えてみたら、こうなることはわかりきっていたじゃないか。
渡良辺はアイスを盛るディッシャーをにぎりしめ、教室内を分けるついたてからフロアをのぞく。渡良辺属する2年C組「執事喫茶・執事様とコーヒーを」、今まさにプリンス様のご来訪中。
「うおー外江君だ外江君だ、生プリンス!」
「生プリンスってたまに聞くけど、なんかうまそうだよな」
「あれ、返しかわいいよプリンス!?」
だからってなんであんたが一番外江君に食いついてるのよ、×××安部!(規制)
安部は、外江が教室に入るなりいの一番で見つけ、声を上げた。そしてそのまま安部を含めた数人が外江を取り囲み、まわりの、店員である生徒も客である生徒もその様子を興味津々で見ている。
「やっべえ、俺今執事じゃん、王子に仕えなきゃ!」
「執事が仕えるのって王子だっけ?」
「あれ? ちがう?」
「さあ、俺もよくわかんない」
これだけの注目を浴びておきながら、外江はいつも通りだ。まわりの過剰な反応にも、自分のペースを守り続けている。すごい、さすが外江君、王子様だ。それにしても安部、浮かれている。あれだけ渡良辺達を弾圧していたのだから、外江のこともおもしろく思っていないものと漠然と思っていたのに。きもいんだばか。引っ込め。渡良辺は呪詛を送る。
「あっ、ほんとだとのだ! 来てくれたんだーようこそようこそ」
「どーも、堀内」
さらに呼び込みで校内を回っていたメイド姿の堀内が戻ってきて、外江のテーブルについた。ひとりの男子高校生を執事4人とメイドひとりが取り囲んでいる様子はどう見ても非日常だが、渡良辺の思考(嗜好?)は歓迎していた。安部には脳内で目張りをしておく。ああ、あれで外江君が学校制服じゃなかったら。でも王子様ルックというとカボチャぱんつに白タイツしか思いつかないから、それは却下。
「との、なに頼んだの?」
「メニューない」
「あ、渡すの忘れてた」
「執事がこんなにいっぱいいてなにやってんの。申し訳ありませんお客様ー、こちらがメニューになりますぅ」
わざとらしいほど満面の笑みを作って堀内がメニューを差し出す。
「なんかコーヒーが凝ってるとか聞いたんだけど」
「コーヒー目当て!?」
いましがたの店員の顔があっという間にはがれ、堀内は目を輝かせた。
「とのは好きなコーヒーとかある? 飲みやすいようブレンド作ったんだけどさ、こんなときのためにメニューにないストレート用の豆もこっそり持ってきてあるんだな!」
「俺は別にくわしくもないけど。でもこのメニュー、わかりやすくていいね」
「えへへ、コーヒーくわしくないひとにも飲んでもらいたくて」
コーヒーには、おすすめブレンド、酸味強めブレンド、クセ少なめストレートコーヒーと3種類あり、豆の種類が添え書きされている。
「ブレンド、堀内が作ったの? じゃあまさか焙煎から?」
「そう、家でやってきたよー! あとはここで挽いてから淹れるしおいしいよ、ぜひぜひっ」
「でもさ聞いてよ外江君、こいつひでーんだよ。生豆買うとかなんだかでクラス予算からがっつりとってってさ」
「うるさいなー喫茶店がコーヒーこだわんなくてどーすんのよ」
「ほんで紅茶はティーバッグ。でも、はっきりいって紅茶のほうがオーダー多いの。コーヒーは挽くからちょっと時間かかるっつうと、じゃあ紅茶ってなるし。女って紅茶のほうが好きなやつ多いみたいだし」
「あーそっか。メニューも女子向きだしなあ」
「そうそう、つーかそもそもここ執事喫茶だっていうね。ばかだよな」
「安部だってそこまで頭回ってなかったじゃん、当日になってからそういうこと言うなよな、男らしくないっ」
「何言ってんだよ残った豆は責任持ってわたしが全部飲むからとかうれしそうに言ったくせに。私物化しやがって」
「うれしそうになんて言ってないって、わたしだっておいしいコーヒーをみんなに飲んでもらいたくてやったんだよ!」
「でも堀内おまえ、残ったコーヒー持って帰るつもりだろ?」
「……うん」
気まずそうに、けれど素直にうなずく。そのやりとりを見て外江はおかしそうに笑った。
もう、外江君、堀内はともかく安部なんかと楽しそうに話さないでよー、相変わらずディッシャーを握り締めて一連をのぞき見ている渡良辺の頭を川志田がたたいた。
「渡良辺いつまでも見てんの、ちゃんと働けよー」
「川ちゃん、だってさーだってさー」
「わかったあとで聞いてやる。いいからそこどいて、あいつらがオーダーとらないから今まわってないんだよ」
言われてやっと気づいたが、この騒ぎに教室をのぞきこんだ生徒が客として増えていっている。外江の客寄せはすばらしいが、店側の生徒が動かないんでは回転は滞る一方だ。しかし川志田のように気を利かせてオーダーをとりに行く気にもなれず(安部と外江がいるのに出て行けるもんか)、結局またのぞき見を続ける。
「それじゃ、おすすめブレンドにしようかな」
「コーヒーだけ?」
「うん」
「かしこまりましたー! って、あの、ちょっと時間かかっちゃうんだけど……いいかな?」
安部の台詞を気にしたらしく、堀内がおずおずと尋ねると、外江は笑ってうなずいた。そりゃああんなに楽しそうな堀内を見れば、外江は断らないだろう。渡良辺はなんだか誇らしいような気持ちになる。しかし、少々お待ちくださいと堀内が去っても、安部達は相変わらず外江のまわりに残っている。
「ねー外江君、ひとりで回ってんの?」
「友達誘ったけど、断られたから」
「えーなんで? あ、2Eってお化け屋敷だっけ、忙しいんだ?」
「いや、ローテあるしちゃんとみんな回れるよ。俺と歩くと、おまけ扱い食らうからヤダってさ」
まさしくこの騒ぎをさした言葉に、安部達は気まずく顔を見合わせた。
「メーワクだった? 外江君」
「俺は別にいーよ。声かけてもらったほうが色々と楽」
むしろこの台詞が気まずかったのは渡良辺だ。
「ただ、あんま騒ぎすぎるとまわりに悪いかなとは思うよ。執事さん達独り占めすんのもね」
「あ、そっすね!」
他の客をすっかり放っていたことに気づき、執事達はぱっと姿勢を正した。今更だろ、ばか。それにしても外江無双、渡良辺は改めて唸る。
「でもその前に、外江君、メルアド交換してくんない?」
「いいよ」
「やったっ」
おまえは女子高生か、安部! 苛立ちMAXで突っ込みを入れるが、俺も俺もと執事達が自分の携帯を取り出す。なんで店員が携帯持ちっぱなんだよ、つまりは外江のアドレスを安部達も知ることが腹立たしいことこの上なかった。わたしはあんなに時間かかったのに、ほいほい手に入れるんじゃない。
きゃぴきゃぴアドレス交換をする光景を、キッチンにいる女子達がうらやましそうに見ている。と、夢中でコーヒーを淹れていた堀内がブレンドを手に戻ってきて、眉をひそめた。
「こらぁ安部桜木佐藤山寺! いつまでやってんだ、ちゃんと仕事しな!」
喫茶店で響かせるにははなはだ不適当なドスの効いた一喝が店員も生徒もおどかして、ようやく正常な運営に戻した。
「外江君、かっこよかったねー」
「そう? 他のお客さんにメーワクじゃん」
「それは外江君のせいじゃなくない? 安部達がバカ騒ぎしたからじゃん」
「でもメーワクなことに変わりないし」
「アンチー。外江君に来るなっての?」
「もーやめなって。いーじゃん、お客さん増えたし、ちょっとくらい騒ぎあったほうが楽しいな、あたしは」
外江が帰ってからも、キッチンは外江の話題だった。そんな会話を聞きながら、アイス係を交替した渡良辺がすみっこでホットケーキを食べていると、同じくホットケーキを手にした川志田がとなりにすわった。
「渡良辺ってすみっこ似合うよね」
「それ、どういう意味……」
ホットケーキに乗せたアイスは、渡良辺がバニラで川志田がストロベリー。ちょっとちょうだいと言った川志田は大量に奪っていき、渡良辺はそれをしょんぼりと見送る。
「ねー渡良辺、午後どこ行くの?」
「あ、ごめんね替わってもらっちゃって」
「それはいーけどさ。どーせ渡良辺、いてもあんま役に立たないし」
「ご、ごめんね……」
女子内における渡良辺の扱いは、おまめさんだ。不器用で男子嫌い、女子ばかりになつく渡良辺をクラスメイトは妹のように扱っている。そして確かにこの執事喫茶では役に立っていなかった。盛り付けさせれば、なんとなく、でもはっきりと見栄えが悪いし、燃える堀内のコーヒー淹れ方指導にはついていけなかったし、洗い物は遅いし、ウエイターである男子との関わりを嫌がるし、せめてアイスくらいはと意気込んでも、客に出すタイミングのために少し硬めに冷凍保存されているアイスをこそげとるには非力すぎ、結局川志田にやってもらう始末だった。
「で、どこに行くの」
「うん……」
渡良辺は、外江とのことを川志田達にいまだに言えずにいた。
抜け駆けしたようで気まずいというのももちろんだが、外江が正気に戻ったらどうしようといまだになんとなく信じられないでいることもある。いや外江はそんなひとじゃないと思うのだけれども、憧れ続けた期間が長すぎて、気持ちも卑屈にかたちを変えてしまっていたから、王子様が突然話せて触れられる男子高校生になってしまったことに渡良辺は戸惑った。それはだいぶ大きくて、とてもすぐには受け入れられなかった。
メールを交わして、廊下で声をかけてもらって(うまく返せないけれど)、やっとやっと、これは本当なんだと思えるようになってきた。自分の方が先に好きになったはずなのに、どうしてか外江に待ってもらって、手を引いてもらっている気がするのはきっと気のせいじゃない。自分の気持ちはそんなに幼かったのだと思うとなんとも情けないが、でも外江が自分に振り向くことを、渡良辺は本気で夢見たことがなかった。だからこそ、あんな風に恋心で遊んでいられた。彼に対して、失礼に騒ぐことができた。
本来自分は、彼氏ができたとしても友達にあまり話さないほうだろうと思うが、外江のことは川志田達に話すべきで、それくらいはわかっている。それでも、どう話せばいいのか、ずっとずっとわからなかった。どうしても。そのことを考えると、追い詰められて泣きたくなった。そして泣いてどうするんだと自分に呆れる。
黙ってうつむいてしまった渡良辺の頬を、川志田がつねった。そのまま自分のほうを向かせる。
「渡良辺ー」
つねられるまま、情けない目をした渡良辺に川志田はため息をついた。
「ほんとに、言うことないの?」
渡良辺は目を見開いた。川ちゃん、知ってる。
「なんで? どうして」
「……それ、もう確信してる? なんでそう、微妙にピンポイントで鋭いの、あんたは」
自分の皿を渡良辺に持たせ、両手を使って頬をびよびよと伸ばす。ううと渡良辺は耐えた。ちょっとつねるだけならいいけれど、つねり続けられるとなかなか痛い。
「夏休み終わってから、伊草君が教えてくれたんだよ」
「ひふはふんは? ほんあいははう!?」
「何言ってるかわかんないなー」
伊草君が? そんなに早く!? だいたいは見当がついているんだろう。川志田は続けた。
「早くてこっちはよかったけどね。あんたが言ってくるの、待ってやってたのに」
「ほへん……」
ま、と手を離す。
「言いづらかっただろーし、しょーがないか」
よかったね、川志田は微笑んだ。渡良辺は痛みだけでなく、頬を熱くした。
「で、午後は2Eに行くんだね、君?」
「う、うん……ただ」
「てかお化け屋敷だよね? どーすんの?」
ほんとにどーすんだ。渡良辺は肩を落とす。
「タケフジもあたしも抜けられないしなあ……小林は生徒会演劇だし」
「……だよね」
「でもま、行くんでしょ? 行くよね? 行きなさいよ?」
「わかってるよお」
ちょっぴりになってしまったバニラアイスをホットケーキになすりつけ、切り取ってぱくつく。お化け屋敷への気鬱は晴れないけれど、川志田と一緒に食べたホットケーキはおいしかった。