その1.ラブレターを捨てる日
「外江くーん!」
声へ顔を向けると、きゃああっと歓声。色にすれば黄色。3~4人の女生徒達はひじでつつき合いながら喜んでいる。
「じゃあねー」
なにがじゃあねなのか、ともかくひとりがそう言うと他も続き、押し合いへし合いじゃれつきながら駆け去っていく。この事態に外江瑞穂は慣れていた。今の次第を見ていた生徒達の視線に知らぬふりを決め込み、なにもありませんでしたよと顔を作って教室に戻る。
その高校のプリンス、王子、アイドルといえば、外江瑞穂と誰もが口を揃え、疑いを持たない。プリンスってなんだよと失笑する至極まっとうな感覚の持ち主も、実際彼を見れば、これはこれはと一目を置いた。彼はととのったすがたかたちに加えて、ひとを惹いてやまない独特のオーラを持っていた。芸能人になるヤツってあんな感じ? なにをしてもどこかさまになる、なにをするのかどう動くのか見ていたい気になる。そんな理由から彼は所属する高校において王子の座を不動にしている。
「とのっち、古典見せて古典」
外江は、お願いお願いとかわいこぶって身をよじらせる友人伊草に古典のノートを放った。
「おまえ、なんでいつも俺のノート見たがるんだ。古典の成績いいくせに」
プリンス外江は、学業運動に優れ、流行への嗅覚も敏感で、さらにはひとによってはそんなもの全部あきらめても欲しがる友人達を持っている。彼の持つものの多さに疎ましく思う輩もいるが、プリンス外江はおだやかで親切だったので、実際に言葉を交わせば毒気の抜かれることがしばしばだった。社交にも優れていたと言える。果たして、あまり欲のない彼は、王子と呼ばれどもつつましやかな日常を送っている。
「出来る俺サマは出来るヤツのノートを見て、さらに高みを目指すわけ。わかる? とのみたいにね、なんもしないで成績いいヤツにはわからないかしら」
「バカ言うな、俺は勉強してるよ」
「へーあーそーう」
憎たらしい。消しゴムを投げつけると、伊草はにししっと笑った。
昼休み、買ってきたパンはすでに食べ終えている。まったりと校庭を眺めると、元気者達がわあわあボールを蹴っている。その中に知った顔を見つけた。
「そういや、今日のラブレターは?」
ハーフコートサッカーから目を離さないまま、クリアファイルにはさんでおいたそれを示す。伊草は顔を伸ばし、差出人を見た。
「今日ははらちゃんだけか」
「お」
友人がディフェンスから隙を奪いシュートを狙う。が、ボールはキーパーにはじかれコートの外へと転がっていった。惜しい、外江はつぶやいた。
「とのって、もらったラブレターどうしてんの?」
「どうって?」
「このはらちゃんとか、毎日寄越してるんだろ。捨ててんの?」
ああ、外江は自分の首うしろをなでた。
「捨てづらいからとってあるんだけど、最近、いい加減捨てようと思って。渡良辺はらのだけでも」
「はらちゃんのだけ捨てるんだ! ひでえ!」
伊草は楽しそうにけたけたと笑った。おまえ絶対そんなこと思ってないだろと突っ込む。
「場所とるようになってきたし」
外江はわりと捨て魔だ。余計なものがあるのがあまり好きでなく、部屋もほとんどものがない。携帯も、使わないアドレスはがんがん消してしまう。去年の秋くらいから毎日届くようになった渡良辺はらからのラブレターは、他の女子からもらったラブレターと一緒に母親からもらった百均のケースに入れてあるが、3つめがそろそろあふれそうになっている。
「んじゃ、しかたないんじゃね」
話題は終わったらしく、興味は尽きたとばかりに適当にうなずきながら、伊草はまた外江のノートに目を移した。
伊草の帰り道の途中に、外江の家はある。ふたりは帰宅部だが、放課後寄り道をしつつだらだら帰るため、実際に帰宅する頃には日はだいぶ落ちている。
「それじゃ、また明日な」
「あ、との、模試受けてみたいって言ってたべ? K塾の模試あるけど、どうする。受けるなら申込書もらっとくけど」
「あー受ける受ける。ありがと」
はいよ、伊草は笑って手を振った。高二の六月時点、外江はまだ予備校には入っていない。学校のテストでは上位をとっているが、そのまま入試に反映されるものではないらしいことは、曲がりなりにも進学校に籍を置く身、耳タコだ。なにがどう違うかはまだ正直ぴんとこないので、学校以外のテストに触れて、それから考えてみるつもりだった。外江は特にしたいこともなく、勉強はそれほど苦でもなかった。
「ただいまー」
「みっちゃんおかえり! 今日はねーなんとハンバーグよ」
「わーほんとーやったーうれしー」
「なにそのかわいくない言い方!?」
「みっちゃんやめろって言ってるだろ」
「だって瑞穂君よりかわいいんだからしかたないじゃない」
理由になるか。まだキッチンからぎゃーぎゃー言っている母親を無視して二階に上がった。自室に入りかばんを置き、ラフな格好に着替え、ハンガーに制服のズボンをかけ終えると、ベッドに座って一息ついた。
と、新聞を持ってきていないことに気づく。朝刊は朝に父親が占領するので、外江は夕食前に読むのだけれど、先程のやりとりのせいですっかり忘れていた。取りに下りようとして、そのまえにラブレターの処分をしてしまうかと思いつく。クローゼットを開け、安っぽいプラスチックのレターボックスを引っ張り出した。
高校に入るときに以前のものは処分したので、ここにあるのは高校に入ってからのもの。最初の部分をつかめるだけつかみ出し、差出人を見ていく。そのうち渡良辺はらの名前を見つけ、それを抜き出した。日付は去年の11月初旬。実に8ヶ月の間、学校のない日をのぞいて渡良辺は手紙を出し続けてきたわけだ。冬休みと春休みをはさんでいるとはいえ、常軌を逸した量。はじめの頃は伊草も「ストーカーじゃないのか」とわりと本気で心配していたが、まったく無理のない話だと思った。
手紙をもらえども、外江も伊草も、渡良辺はらとほとんど面識がない。今でこそ伊草ははらちゃんなどと呼んでいるが、ふたつ隣のクラスの彼女とは合同の授業で知り合う機会もなく、学年や全校のイベントも生徒数の多さにまぎれてしまう。彼女との接点といえば、この毎日届くラブレターと、さきほどの「外江くーん!」だった。3人だか4人のうち、確かひとりが渡良辺はら。顔は正直おぼえていない。手紙に添えられた差出人の文字が、今の外江の「渡良辺はら」だ。
外江は、渡良辺からの手紙を読んでいない。最初は目を通していたが、途中からはもう封も開けずレターボックスに突っ込んでいた。
そういえば、どんなことを書いていたんだっけ。渡良辺の手紙の内容をまったく思い出せず、外江はおそらく最初だろう手紙を開いてみた。
外江 瑞穂様
同校1年A組、渡良辺はらといいます。わたらべ、と読みます。とのえ君よりは少し読みやすい気がしますが、それでも新学期はいつも訂正と自己申告をしています――
字は特別綺麗というわけではないが、白い便箋にくっきりとしたペン字が読みやすかった。そうそう、だから俺は渡良辺の苗字の読みを知ったんだっけ。文面をさらに追う。
――はじめて外江君を見たとき、なんでこんなに見ていて飽きないひとがいるんだろうと驚き、感動しました。
それは褒め言葉かと突っ込みを入れたことも思い出す。
――なんでこんなに見てしまうんだろう、不思議だなあ、不思議だなあと、ずっと見ていました。きれいなかおも、かっこいいスタイルも、髪型も、仕草も。でも、見ていても理由がうまく見つけられません。
そこから、外江のどの部分がどのようにかっこよく感じるのか、それはなぜかと詳細に書き出してあった。分析されているような文章に思わず顔が赤くなる。若干腹も立つ。当時の外江はこの部分を読んで、ストーカーくさいというか、なんかこいつ危ないんじゃないかと思い、手紙を読むのをやめたのだ。かまえばつけあがる、放っておけばいつかは飽きると、騒がれ慣れた少年の賢明な判断。
けれど、今日でこの手紙をすべて捨てるのだから、もう少し、せめてこの手紙くらいは読み終えようと決める。想いを込めたものを捨てることに罪悪感がないわけではなかった。
――たくさん考えたんですけど、でもまだ不思議で、どうしようもありません。だから手紙を書くことにしました。
11月4日 渡良辺 はら
手紙は唐突に終わっていた。なんだこの自己完結。電波感じるんだけど。最後まで読んだことを後悔する。が、こわいものみたさのようなもので2通目を開いた。まずは一通目と同じ宛名。
――あの手紙を外江君が読んでくれたか、読まずに捨ててしまったか、考えていました。出すか出さないか夏休み前から悩んでいました。昨日出してから、やはり出さなければよかったと思い、手紙を取り返したい時間を戻したいと後悔しました。でも、落ち込んでいると、話を聞いてくれた姉が言いました。あたしは結婚してよかったわよ、と。なんのことかと思ったんですが、だってもう結婚しなきゃってあせらなくて済むもの、と言われました。なるほどと思いました――
それはそうだな、と外江も納得し、その妙さにあとから気づく。
――外江君が手紙を読んだか、読んでいないか、わたしにはわかりません。昨日、外江君の下駄箱には、ほかに3通の手紙が入っていました。よくは見なかったけど、どれも女の子からの手紙ですよね? 男の子が手紙を書いて下駄箱に入れる、なんて、想像できないし。
こんなにたくさんもらったら、読むのも大変だなあと思いました。メールのほうがいいのかもしれないって思ったんですが、メールアドレスを知らないので、無理でした。だから、手紙を書きました。
11月5日 渡良辺 はら
だからなんでそういう終わり方なんだ! むずむずして仕方ない。外江は几帳面な性質だ。2通目が短かったこともあり、3通目を開いてみる。3通目は便箋が2枚あると思ったら、2枚目には生まれたばかりらしい子犬の写真が切り込みにおさめられていた。叔母の家で子犬が産まれたので、譲ってもらったらしい。みずほって名前にしていい? と聞いたが、却下されたと書いてあった。家族はまともなようで安心する。
4通目は、その日見た映画の話。5通目は、彼女のクラスで起きた奇妙な出来事。6通目、7通目。
どれも、あまり長いものはなかった。時々に出てくる自分の名前にどきりとしながら、多分そのせいも手伝って、外江は手紙を読み続けた。夕食のしらせを無視され続けた母親が部屋に怒鳴り込んでくるまで。ハンバーグを食べ、風呂に入り、部屋に戻ったあとも、手紙を読み続けた。