六. 三方原
元亀三年十月(1572年)。
武田勢は怒濤の勢いで西進を開始した。
諏訪から伊那郡を経て遠江へ。山県昌景と秋山虎繁の支隊は三河へと進み、信玄本隊は馬場信春とともに青崩峠を越え、遠江へなだれ込んだ。
山県勢は柿本城、井平城を次々と抜き、信玄本隊と合流。一方、秋山勢は東美濃の要衝・岩村城を包囲し、これを陥落させる。遠江、東美濃の両面において、武田の快進撃は止まるところを知らなかった。
十月十四日、一言坂の戦いにおいて徳川家康を破り、武田軍の威名はさらに高まる。
だが、行く手に立ちふさがった二俣城は強固であった。
天竜川と二俣川が合流する丘陵に築かれたその城は、天然の堀に守られた堅城。上洛という大目的を前に、力攻めによる兵の消耗は避けねばならぬ。
信玄は水の手を断つ作戦に切り替えた。ようやく落城に追い込んだのは、十二月十九日。極寒の空の下、一つの城にふた月もの歳月を費やすこととなった。
劣勢に追い込まれた家康は、浜松城に籠もる構えを見せる。
城攻めに時間を取られることを嫌った信玄は、浜松城を敢えて素通りし、三方ヶ原を西へ向かう。徳川勢を城外へ誘い出すための大胆な挑発であった。
「信玄、恐れるに足りず」
その動きに激した徳川勢が城を打って出る。
十二月二二日、遠江三方ヶ原。
雪混じりの寒風が吹き荒れるなか、武田と徳川の両軍が激突した。
結果は武田軍の圧倒的勝利であった。家康の精鋭たちは武田の「魚鱗の陣」に粉砕され、這う這うの体で浜松城へと逃げ落ちていく。
三方ヶ原の台地に立ち、敗走する徳川勢を眺める信玄の表情は、勝利の悦びに浸る者のそれではない。
冷たい風が頬を打つ。その内側で、信玄は自らの内臓を蝕む病の根深さを感じ取っていた。
「……ゴホッ、ゴホッ」
抑えきれぬ咳が漏れる。信玄はすぐさま口元を覆い、何事もなかったかのように視線を前方へ戻した。
平静を装う。だが、内心には激しい焦燥が渦巻いていた。二俣城で費やした時間、そして衰えていく己の肉体。天下を目前にしながら、時間は無情にも砂のように指の間を零れ落ちていく。
傍らに控える高坂昌信は、そのわずかな肩の震えを見逃さなかった。
主君の背中に向けられた昌信の視線には、深い憂慮と、言葉にできぬ悲痛な色が宿っている。
吹き付ける寒風が、武田軍の旗指物を激しく叩く。
勝利の歓声が響く戦場の真ん中で、信玄はただ一人、迫り来る自身の死の足音を聞いていた。




