横領疑惑で婚約破棄されたので、王太子殿下の『使途不明金』を全公開させていただきます。〜浮気相手への貢ぎ物、全部ログに残ってますよ?〜
「ルフィナ・ベルンシュタイン! 国庫の金を横領し、私腹を肥やす悪女め。貴様との婚約は、この場をもって破棄とする!」
王宮の大広間。数百のシャンデリアが煌めく建国記念パーティーの只中で、その叫び声は音楽を裂いて響き渡った。
視線の集中砲火を浴びるのは、私、ルフィナ・ベルンシュタイン。
財務省主計局に勤める、地味な眼鏡の男爵令嬢だ。
そして私を指差し、唾を飛ばして叫んでいるのは、この国の王太子ジェロン殿下である。その腕には、ピンク色の髪をふわふわとさせた可愛らしい女性――最近『聖女』として認定されたばかりのミアラ嬢がしがみついていた。
「……横領、ですか」
私はゆっくりと眼鏡の位置を直した。
周囲の貴族たちが扇で口元を隠し、ひそひそと嘲笑を交わす。「あんな地味な女が」「王太子妃のプレッシャーに耐えられず金を」「みっともない」といった言葉が、さざ波のように広がる。
普通なら、ここで泣き崩れるか、無実を訴えて縋り付くのが『婚約破棄』の作法なのだろう。
けれど、私の胸に湧き上がったのは悲しみでも絶望でもない。
――ああ、面倒くさい。また計算が合わなくなる。
ただ、その一点における、激しい『怒り』だった。
私は懐中時計を取り出し、時間を確認する。現在二十時十五分。まだ残業ができる時間だ。
「殿下。その発言は、王位継承権第一位にある者としての、公式な告発と受け取ってよろしいですね?」
「は、はん! 開き直るつもりか! 証拠は上がっているんだ!」
ジェロン殿下は自信満々に、束ねた羊皮紙をばら撒いた。
ひらひらと床に散らばるそれは、財務省の支出伝票の写しだった。
「見ろ! 先月から今月にかけ、王家予算から多額の資金が『不明金』として消えている! その額、金貨三千枚! お前が管理している口座からだ!」
「ひどいですぅ、ルフィナ様……。国民の血税を、自分のドレスや宝石に変えるなんて……」
ミアラ嬢が嘘泣きをしながら、殿下の胸に顔を埋める。
なるほど。金貨三千枚。
確かにその額は、帳簿上から動いている。だが、それを「私が使った」ことにするとは、あまりにもお粗末な脚本だ。
「……私のドレスを見ていただけますか?」
私は静かに両手を広げた。
身につけているのは、三年前の夜会で作った濃紺のドレス。流行りのレースもなければ、宝石の飾りもない。首元にあるのは、母の形見の小さな真珠が一つだけ。
「私が金貨三千枚も横領して、買ったのがこれだと?」
「ふん、隠しているに決まっている! 裏口座に送金したか、あるいは屋敷に隠し持っているのだろう!」
「違いますよ、殿下」
私は床に落ちた伝票を一枚、優雅な所作で拾い上げた。
「その金は消えたのではありません。正しく『決済』されたのです」
「何……?」
「殿下。貴方には学習能力というものがないのですか? ――これより、王家特別会計の『緊急監査』を執り行います」
私は懐から、一冊の黒い手帳を取り出した。
王宮内でも限られた人間しかその存在を知らない、『監査ログ』。通称、黒革の断罪書。
私が書き留めた、王宮内の全ての金の流れが記された閻魔帳だ。
「なっ、なんだそれは! おい衛兵、この女を捕らえろ! 口封じをする気だ!」
ジェロン殿下が喚く。
大広間の扉が開き、槍を持った衛兵たちが雪崩れ込んでくる――はずだった。
だが、現れたのは、黒い制服に身を包んだ『近衛騎士団』だった。彼らは衛兵たちを瞬く間に制圧し、壁際に整列する。
そして、その中央から、一人の男がゆったりと歩み出てきた。
氷のような銀の長髪。凍てつく黄金の瞳。
この国の行政を一手に担う『氷の宰相』、クラウス・フォン・ラインハルト公爵である。
「……騒々しいな。私の庭で何事だ」
「く、クラウス! ちょうどいい、この横領女を捕らえてくれ! 私の婚約者である立場を利用し、国庫に手をつけたんだ!」
ジェロン殿下が救世主を見たかのように叫ぶ。
クラウス公爵は冷ややかな視線を私に向けた。その目は、私を値踏みするように細められる。
……まただ。
この人はいつも、私が完璧な仕事をした時だけ、こういう熱のこもった――いや、獲物を狙うような目で見てくる。
「横領、か。それは聞き捨てならない。だがジェロン殿下、手続きには順序というものがある。被告人の弁明を聞くのもまた、法の定めだ」
「なっ、かばうのか!?」
「公平なだけだ。……続けろ、監査官」
公爵の低い声が、許可を与えた。
私は一礼し、黒革の手帳を開く。
「では、監査報告を開始します。まず、先月五日の支出、金貨五百枚。名目は『城壁修繕費』とありますが……実際は、王都の宝石店『ルミエール』への支払いですね」
会場がざわつく。
ミアラ嬢がびくりと肩を震わせた。彼女の首元には、大粒のダイヤモンドのネックレスが輝いている。
「そのネックレス。ルミエールの新作『天使の涙』。定価は金貨五百枚ですね」
「えっ、い、いいえ! これは殿下からのプレゼントで……!」
「ええ、その通りです。殿下が『城壁修繕費』という名目で決済した金で買われたものですから」
「なっ……!?」
私は次々とページをめくる。
「続いて十日、金貨八百枚。名目『貧民街への炊き出し支援』。実際は、高級服飾店『シルク・ド・レーヌ』にて、夜会用ドレス三着を購入」
「そ、それは……!」
「ミアラ様。今着ていらっしゃるそのピンクのドレス。背中のリボンの形状からして、間違いなくそのうちの一着ですね」
ミアラ嬢の顔が蒼白になる。
ジェロン殿下が脂汗を流しながら叫んだ。
「で、でたらめだ! 私がそんな決済をするはずがない! お前が勝手に名目を書き換えたんだろう!」
「いえ。すべての決済には、殿下ご自身の『魔力認証』がなされています」
私はダメ押しの一手を打つ。
ポケットから取り出したのは、拳大の水晶玉だった。
会場の貴族たちが息を飲む。「あれは、王族専用の決済水晶……!」
「この水晶は、登録された王族の魔力を感知して初めて、国庫からの引き出しを承認します。つまり、殿下が直接触れて魔力を流さない限り、金貨一枚たりとも動かせない。――殿下、まさかご自身の魔力の波長をお忘れではないでしょうね?」
私は水晶を掲げた。
中には、使用履歴が鮮明な光の文字で浮かび上がっている。
『宝石店ルミエール承認』『服飾店承認』『高級馬車購入承認』……。
そこには、横領犯が誰であるかが、残酷なまでに明確に記されていた。
「そ、そんな……まさか、あの水晶が記録媒体になっているとは……」
「ご存知ありませんでしたか? これは先月、私が導入を進言し、宰相閣下が承認した新システムです」
ちらり、と横を見ると、クラウス公爵が口の端をわずかに釣り上げていた。
そう、これは罠だ。
殿下の浪費癖に気づいた私が、動かぬ証拠を押さえるために張り巡らせた、監査の網。
「横領したのは私ではありません。国民の税金を、愛人の着せ替え人形遊びに使ったジェロン殿下、貴方です!」
私の断言が、処刑宣告のように響いた。
ジェロン殿下は膝から崩れ落ちる。ミアラ嬢は悲鳴を上げて彼から離れようとしたが、近衛騎士たちに取り押さえられた。
「ま、待ってくれ! ち、違うんだ、これは魔が差して……そうだ、ミアラが! こいつがどうしても欲しいとねだったんだ!」
「ひどいジェロン様! 私はただ、愛の証が欲しいと言っただけで……!」
醜い責任の押し付け合い。
その時、壇上の玉座から、重々しい拍手の音が響いた。
「見事だ。……これほど完璧な監査報告は初めて聞いたぞ、ルフィナ」
現れたのは国王陛下だった。
陛下は冷たい目で愚息を見下ろす。
「ジェロン。予てよりお前の素行には不審な点があったが、これほどとはな。……ルフィナに罪を擦り付けようとしたその性根、もはや矯正不可能だ」
「ち、父上!?」
「ジェロン、お前を廃嫡とする。王籍を剥奪し、北の鉱山にて労働に従事せよ。横領した金は、その体で働いて返済するのだ」
「そ、そんなああああ!」
絶叫と共に、元王太子と自称聖女が引きずられていく。
会場は静まり返り、やがて私への称賛の拍手がパラパラと起こり始め、それは瞬く間に雷鳴のような喝采へと変わった。
――終わった。
私は大きく息を吐き、眼鏡を外してレンズを拭こうとした。
仕事は完遂した。あとは、婚約破棄された傷物として、田舎に引っ込む準備をするだけだ。
そう思っていたのに。
「……優秀だな、君は」
不意に、目の前に影が落ちた。
顔を上げると、クラウス公爵が至近距離に立っていた。
その整った顔が、今まで見たこともないような、甘く危険な笑みを浮かべている。
「え、あ、恐縮です。宰相閣下」
「無駄がない。冷徹で、正確で、そして美しい」
公爵の長い指が、私の手から眼鏡を抜き取った。
視界がぼやける。けれど、彼の黄金の瞳だけが、熱を持って私を射抜いているのがわかった。
「目元を隠すのはやめろ。計算をしている時の君の瞳は、どんな宝石よりも価値がある」
「は……?」
「ジェロンとの婚約は消えたな。ならば、私がもらっても文句はないはずだ」
公爵は私の手を取り、その場に跪いた。
大広間中の令嬢たちが、悲鳴に近い歓声を上げる。
氷の宰相が、公の場で、女性に跪くなんて。
「私の妻になれ、ルフィナ。君のその計算能力、そして君自身を、私は誰にも渡したくない。国庫の鍵も、我が公爵家の全財産も、すべて君に預けよう」
「え、あ、あの……!?」
「返事は? 効率的に頼む」
効率的に、と言いながら、その顔は拒絶を許さない独占欲に満ちている。
私は熱くなる頬を押さえ、小さな声で答えた。
「……計算、してみます。貴方の隣にいることの、メリットを」
「フッ、いいだろう。一生かけて計算させてやる」
手の甲に落とされた口付けは、驚くほど熱かった。
どうやら私の人生の『監査』は、これからもっと甘く、厳しいものになりそうだ。
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