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第一章『呪われて、生まれた』


夜の帳が落ちる中、王宮の奥深くで、ひとつの産声が静寂を引き裂くように響いた。


その声に、誰も喜ばなかった。


母は産褥の床の上で震えながら、赤子を見下ろし、目を見開いて呻くように言った。


「この子は……呪われている……っ」


赤子の周囲の空気がわずかに歪んでいた。産婆は悲鳴を上げ、侍女たちは顔を青くして後ずさる。どこからともなく吹いた風が燭台を吹き消し、部屋の温度が一瞬で奪われた。


私の人生は、その最初の瞬間から拒絶と恐怖に包まれていた。


それが、私――セフィラ・ナハト・エルディシアの誕生だった。




◆  ◆  ◆



離宮。


王宮の外れ、誰にも忘れられた廃墟のような場所。


そこに住む私は――

褐色の肌に、冷たく光る黄金の瞳。

白銀の髪は、長く梳かれることもなく、埃と絡まりで束のように垂れている。


纏うのは、かつてはドレスだったであろう布切れ。

ほつれた裾、泥に染まった袖口、裸足の足元には薄く血がにじむ傷跡。

誰がどう見ても、“見窄らしい”という言葉が似合う子供だった。


けれど、それが私にとっての“普通”だった。


苔むした噴水、枯れた庭木、ひび割れた石畳。壁には湿気が染みつき、風が通るたびに煤のような埃が舞い上がる。


私の居場所はそこだった。


名を呼ばれることもなく、目を合わせてもらえることもない。侍女は常に入れ替わり、私に仕える者は皆、長くは続かなかった。


食事は台所から“投げ込まれる”ように届いた。焼かれすぎたパン、しおれた野菜、冷え切ったスープ。


けれど私は文句も言わなかった。言う相手も、言葉も、必要なかった。


「……今日も、世界が私を見ないふりをしている」


それが当たり前の日常だった。




◆  ◆  ◆


ある日、侍女が私の部屋で足を滑らせた。


倒れかけた彼女の腕を咄嗟に掴んだその瞬間だった。


侍女の肌が触れた部分から黒く染まり、じわじわと腐り始めた。


彼女は悲鳴を上げ、すぐに連れ去られた。それから二度と姿を見ることはなかった。


その日から、私は誰にも触れなくなった。


誰かを壊す手。殺す手。そんなものを持って生まれた意味など、どこにあるというのだろう。


私はただ、黙って生きていた。


◆  ◆  ◆


八歳の誕生日。


数年ぶりに王宮から使者が来た。


現れたのは王族の一人、私の異母兄にあたる冷たい目をした王子だった。


「お前に婚約者ができたそうだ。呪いの制御のためだとさ」


「婚約者……?」


声を出したのはいつ以来だっただろう。


「お前みたいな呪われた化け物でも、誰かと繋げておけば制御できるらしい。聖女の血を引く家の娘だとか」


「……誰が、そんなものと……」


「お前に選択肢なんかないさ。どうせすぐ死ぬ。代わりの令嬢ならいくらでもいる」


吐き捨てるように言い、王子は笑った。


私は何も言えなかった。ただ、胸の奥がわずかにざわついた。


◆  ◆  ◆


婚約者が誰なのかは知らされていなかった。


けれど、誰かが来る。その事実だけが、私の中に妙な感情を呼び起こしていた。


どうせ、私を見て逃げ出す。あるいは怯えて泣き喚く。


これまでの誰もがそうだった。


だから今回もきっと同じだと、そう思っていた。


けれど。


ほんの、ほんの少しだけ。心の底の凍てついた深淵に、なにか温かいものが灯っていた。


「……もし、そんな人がいるなら」

「私の呪いを壊せるなら……」

「その人を、私のすべてにしてしまっても……いいのかな」





◆  ◆  ◆





そして、運命の日。


 崩れた噴水のほとりで、私は泥だらけのパンを抱えて座っていた。


 空は灰色で、風は湿気を孕んでいた。空気は重く、世界は沈黙していた。


 陽の当たらないこの離宮には、もう何年も誰かが訪れたことなどなかった。


 だから――彼女の足音が響いたとき、私は夢を見ているのだと思った。


 白く、けれど少しくすんだ靴。

 茶金色の髪は、光に当たると淡く輝いて見えた。

 紅茶色の瞳。鼻筋にかかったそばかす。

 公爵令嬢には不釣り合いなほど、質素なドレス。


 でも、彼女は――この私を、まっすぐに見て、微笑んで、言った。


「……こんにちは、セフィラ。私が、あなたの婚約者になるアメリアよ」


 その言葉は、私にとって雷鳴より衝撃的だった。


 誰もが私を避け、拒み、呪われた存在として扱ったというのに。

 彼女はそう言って、ひざを折り、そっと私に手を差し伸べた。


 その手が自分に向けられていると気づいた瞬間、胸の奥が、なにか熱いもので満たされるのを感じた。


 私は、生まれて初めて、自分の名前を呼ばれた。

 生まれて初めて、誰かが自分に触れようとしてくれた。


 ああ、この人に、愛されたい。


 その日、八歳の私はただその衝動に呑まれていた。


 アメリアと過ごした数時間は、夢のようだった。

 紅茶の味。手の温度。髪を撫でる優しい仕草。

 すべてが眩しくて、痛いほどだった。


 彼女は言った。


「すぐに戻ってくるわ。離宮の環境も、衣食住も改善するよう手配するから。だから、少しだけ待っていてね」


 私は泣いた。

 今までどんな仕打ちを受けても、決して流さなかった涙が、そのときだけは止まらなかった。


 その夜、彼女の残した香りが染みついた毛布を抱いて眠った。

 こんなにも温かいものを、私は知らなかった。


 その瞬間から――私は、彼女に恋をした。




◇  ◇  ◇




 それから日々は変わった。


冷たい風が吹き抜けるだけだった離宮に、暖炉の火が灯り始めた。

灰色だった壁が磨かれ、苔むした石床には絨毯が敷かれた。

温かい食事。整った衣服。清掃された部屋。

窓から差し込む陽光は、以前よりも柔らかく感じられた。


あの人が「必ず戻ってくる」と言ったとおり、離宮はみるみるうちに“生き返って”いった。


けれど、それ以上に嬉しかったのは、彼女がまた訪れてくれることだった。


アメリアは学園にも通っていたため、毎日会えるわけではなかった。

けれど週に何度かは来てくれて、時には一緒に眠ってくれた。


その夜は特別だった。


眠る前に絵本を読んでくれる。

その内容など、正直どうでもよかった。

私は、彼女の声が紡ぐ物語が好きだった。

その声に包まれながら、髪を撫でられ、眠りへと落ちていく時間。

あれが永遠に続けばいいのにと、そう思っていた。


アメリアの寝息を聞きながら、そっとその手に触れる。

――これが、幸せなんだ。

子どもの私には、それだけで充分だった。


けれど、彼女が帰ったあとの夜は、ひどく寂しかった。


私は、アメリアが触れたティーカップやブランケット、ベッドの端に、小さな魔術を施した。

温度を保存し、匂いを封じ込める簡易保護結界。


それは、ある日アメリアが何気なく語った「保存術式」の話をもとに、私が独自に再現したものだった。


ほんの断片的な知識だったのに、私には構造が見え、理解できた。

再構成し、展開し、固定する。

まるでそれが“当然のこと”のように。


本来ならば、そんな術式は高度な魔術理論と演算資源を必要とする。

魔術の歴史をひとつ塗り替えてもおかしくない――

けれど、私にはそんな価値などどうでもよかった。


私は、ただ、アメリアの“気配”を保存していたかっただけ。


だから私は、笑っていた。


(これで少しだけ、お姉様と一緒にいられる)




◇  ◇  ◇




 

私はすべてを吸収していった。


魔術、剣術、礼儀作法、政務、舞踏。

アメリアが手配してくれた教師たちは、皆私を“奇跡”だと評した。


けれど私は知っている。


私は“ただ機会がなかっただけ”なのだと。


アメリアがその機会をくれた。

だから私はすべてに応えた。

もっと傍にいたい。その一心で。





◇  ◇  ◇




それは、アメリアが離宮に通い出して、数ヶ月が過ぎた頃のことだった。


その頃には、私の姿はすっかり変わっていた。

泥にまみれていた髪は艶を取り戻し、肌も血の通った色を取り戻した。

ボロ布のようだった衣服は整い、背筋も、言葉遣いも、見違えるようになっていた。


だが、それはただの“変化”ではなかった。


私は今まで、母の呪いを“無意識に”跳ね返し続けていた。

生まれた瞬間からその穢れを浴びせられ、それを反射し続けることが、生存の最低条件だったのだ。


けれど今は違う。


近くに、アメリアがいる。

誰よりも大切で、かけがえのない人が、私の傍にいてくれる。


だから私は、初めて“意識的に”呪いを跳ね返した。


明確に因果を定義し、対象を指定し、封じ、転写し、還元する。

それは初めて“私の意志”で行った、れっきとした魔術だった。


結果、母の容体にどんな変化が現れたのか――


ある日、ふと尋ねた。


「お姉様。母上の容体って……最近どうなっているのか、ご存じですか?」


彼女は少し驚いた顔をして、それからすぐに優しく微笑んだ。


「……大丈夫よ、セフィラ。きっと、きっとよくなるわ」


そう言って、私を抱きしめてくれた。


本当は、ただ呪いの反射がどうなったかを知りたかっただけだった。

だが、こうすればもっと構ってもらえるのだと、私は学んでいった。




◇  ◇  ◇




ある日のことだった。

 離宮を訪れた王子たちが、私を見てあざ笑った。

 異母兄妹たちは、私を『失敗作』や『呪いの化身』と呼んで蔑んだ。

 私は気にしなかった。彼らなど、どうでもよかったから。


 けれど、アメリアは違った。

「失礼ですわ。セフィラ様に向かって、そのような言葉を……!」


 彼女は私の前に立ち、毅然と王子たちを叱責した。

 その瞬間、王子の一人がアメリアを罵倒した。


 許せなかった。


 私はその王子に呪いをかけた。

 喋ろうとすれば喉が焼けつくように痛み、言葉が出なくなる呪い。

 しばらくして、彼は療養のため辺境へ送られたと聞いた。


 私は、ますますアメリアを好きになった。




◇  ◇  ◇




 私は考えた。

 どうすれば彼女にもっと愛されるか。

 どうすれば彼女の隣にいられるか。


 完璧な妹になろう。


 言葉遣い、仕草、甘え方――

 すべて彼女に合わせて修正した。

 好きと言ってほしくて、褒めてほしくて。


 私は、“アメリアにとって理想の妹”という役を演じることを誓った。


 ダンスの稽古は、私にとって至福の時間だった。

 アメリアの指先が触れるたび、心が熱くなる。


 けれど、成長とともに事情は変わっていった。


 栄養ある食事と快適な環境のおかげで、私は急激に成長し、十代を迎える頃にはアメリアと同じ、あるいはそれ以上の背丈になっていた。


 小さな頃のように甘えると、「もう淑女なのだから」とたしなめられることが増えた。


 ある日、ダンスの最中にアメリアがふいにふらついた。

 私は咄嗟に彼女の腰に手を回して支えた。自然に――けれど、心の底では強く意識して。


 近い。

 吐息が触れるほどの距離。


 私は、彼女の目をまっすぐに見つめた。

 このくらい、婚約者なのだから――。


 でも。


 アメリアは一瞬、困ったような微笑みを浮かべて、そっと半歩、距離をとった。


 その動きが、胸を貫いた。

 静かに、鋭く、深く。


 私の呪いが、彼女を蝕んでいる。

 あの目眩も、その距離も、全部。


 その事実が、私の心を深く抉った。


 私は“妹”でなければ、彼女の隣にはいられないのだ。

(もっと、近づきたかったのに)



この作品は前作、

『死ぬはずだった悪役モブ令嬢(16歳)、婚約者(8歳)の愛が重くて死に損ねました』

のサイドストーリーであり、セフィラが主役の視点です


いわば「ヤンデレ神の恋愛回顧録」みたいなものです(重い)。


アメリア視点では見えなかったセフィラの想いや、

彼女がどれほど一途に愛していたかが描かれていきます。


全話完結済み!毎日19時更新!

愛が重くても受け止めてくれる方、お付き合いよろしくお願いします!

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