死ぬつもりだった婚約者
この婚約は、今日で終わるはずだった。
なのに私は、まだ生きている。
大神殿の婚礼控室は、夜明けの光に静かに満たされていた。
白い大理石の床には深紅の絨毯が敷かれ、高窓から差し込む陽光が、燭台の残り火を溶かすように照らしている。
静寂のなかに漂うのは、甘くて、どこか冷たい芳香。
祝福というにはあまりにも静謐で、けれど、確かに神聖さを帯びた──まるで現実から切り離された、永遠の始まりのような空間だった。
私は、窓辺の長椅子に腰掛けていた。
ドレスはすでに着用していたが、まだ完成ではない。
髪も軽く整えただけで、化粧も薄いままだ。
脚を組み、手にしたティーカップを無意識にくるくると回す。
月光が銀の縁をなぞり、私の微かな震えを映していた。
控室の隅では、数人の使用人が控えている。
だが皆、うつむき、決して私と目を合わせようとはしなかった。
……わかっている。
誰も“その名”を口にできないのだ。
帝国第十三皇女――セフィラ・ナハト・エルディシア。
恐怖と呪いの権化。
触れることすら禁忌とされ、“神域の姫”とまで囁かれる存在。
そして、私の婚約者。
私は鏡の前に立つ。
映っていたのは、淡い金──ほとんど茶に近い髪。
色のない茶の瞳。
目尻には、かすかにそばかす。
華奢でも逞しくもない、なんとも中途半端な体つき。
「……やっぱり、モブ顔よね。どう見ても」
ぽつりと呟いて、苦笑する。
帝国公爵家の長女にしては、あまりにも地味だった。
原作では、私はここで死ぬはずだった。
婚約して十年。セフィラが十六を迎えた頃、
私は呪いに蝕まれ、ベッドの上で衰弱して死んでいた。
それが、彼女を“狂わせた”。
けれど今、私はここにいる。
咳も熱もない。頭は冴えている。心臓は穏やかに打っていた。
「……死なないの?」
声が震える。
この十年、私は死ぬ準備をしてきた。
少しでも穏やかに。少しでも苦しまずに。
あの子の中に“温かさ”を残せるように。
そのためだけに、優しくあろうと思った。
──十年前。
春の風がまだ冷たかった頃、父から政略結婚の命が下された。
「皇女と婚約しろ。すでに決まったことだ」
相手は、帝の十三番目の娘。側室のひとりの子。
異国の血を引き、褐色の肌に白銀の髪。
他の皇子たちからも疎まれ、帝都の外れにある“離宮”に幽閉されていた。
最初に見た彼女の姿は、衝撃だった。
崩れかけた噴水のそばで、泥のついたパンを抱えていた。
顔も手も汚れ、髪はぐしゃぐしゃに乱れていた。
それでも、その子は、私を見て、笑った。
「……お姉様、ですか?」
触れた手は冷たく、小さく、それでも確かに生きようとしていた。
その瞬間、記憶が――弾けた。
私は、前世で“彼女を推していた”。
冴えないOLだった。
シングルマザーの母に育てられたけれど、母は再婚して、継父とのあいだに新しい子供ができた。
それだけで、私は「いらない子」になった。
家に居場所はなく、早々に出て行けと言われて、高校を出たらすぐに働いた。
大学なんて、考える余裕すらなかった。
事務職として雇われた会社では、空気のような存在だった。
仕事をしても、誰かに褒められることはない。
飲み会にも呼ばれず、名前すら覚えてもらえない日々。
ただ生きているだけで、何かに疲れていた。
朝起きて、電車に乗って、何も感じずに机に向かって、帰って、コンビニ弁当を食べて眠るだけの毎日。
誰にも期待されず、誰にも望まれず。
けれど、それでも生きてしまう自分が、いちばん嫌いだった。
唯一の逃げ場が、ゲームだった。
『ユグドラの花嫁』。
帝国の王子たちを攻略する、ごく普通の乙女ゲーム。
その中に、ただひとり──どうしようもなく心惹かれるキャラクターがいた。
セフィラ。ラスボス。
褐色の肌。白銀の髪。黄金の瞳。
帝国に憎悪を抱き、呪術で世界を塗り替える“最終の敵”。
けれど、彼女の過去はほんの数行で語られていた。
誰にも愛されず、誰にも望まれず。
唯一与えられた関係、それが“婚約者アメリア”だった。
しかし、そのアメリアからさえ、彼女は日陰のように扱われ、
人目のないところでは、冷たい言葉と無視、時には虐げられる描写さえあった。
それでも、彼女はアメリアに“依存”していた。
外面では優しく振る舞ってくれるその一瞬を、心のすべてとして信じてしまうように。
拒絶されても、殴られても、彼女にとってアメリアは“唯一”だった。
私には、それが分かってしまった。
……あの、母と同じだったから。
私の母も、時々だけ優しかった。
頭を撫でてくれたことがある。誕生日にケーキを焼いてくれたことも、あった。
でも、それはほんの一瞬で――
あとは、冷たかった。言葉も、目線も、すべてが私を否定するためだけにあった。
それでも私は、その“たった一瞬”に、縋ってしまった。
いつかまた優しくしてくれるかもしれない。
私がもっと“いい子”なら、笑ってくれるかもしれない。
そうやって、殴られても、無視されても、傷つけられても、“あの優しさ”が本当なんだと、自分に言い聞かせていた。
私はそれを、愛だと信じたかった。
でも今思えば、それはただの支配で、ただの暴力だった。
それでも――私は、母を憎みきれなかった。
だから私は、そんな自分が、一番嫌いだった。
傷つけられたのに、なお、縋ってしまう弱さ。
拒絶されたのに、なお、愛してしまう愚かさ。
壊されても、“もう一度笑ってほしい”と願ってしまうこと。
セフィラは、そこにいた。
同じだった。
アメリアに冷たくされても、彼女は“愛してもらえた”一瞬だけを信じて、壊れて、狂って、それでもすがっていた。
それが、とても、よく分かってしまった。
まるで、自分を見ているようで、胸が締めつけられた。
だから、彼女が“人をやめた”理由も、理解できた。
もう、誰かに見てほしくて、愛してほしくて、泣くことすらやめてしまった。
優しくされたいと願うのではなく、自分が“全てを壊してでも優しくする側”になろうとした。
それは、絶望の果てに辿り着いた、美しさだった。
だから私は、彼女を推した。
ただのラスボスじゃない。
この世界に、“絶望に育てられた美しさ”が、確かに存在していた。
その生き様に、私は泣いた。
理解されず、報われず、それでも誰かを想い、狂ってしまった少女。
まるで、私のようだと思った。
だから、私はこの世界で決めたのだ。
――彼女を、愛してあげよう。
私が、母から与えられなかったものを、今度こそ誰かに与えるために。
彼女に、たった一度でいい。疑いのない、真っ直ぐな愛を伝えるために。
アメリアに“なった”私が、この世界で願った最初で最後のこと。
それは――“彼女”を、救いたいという、祈りにも似た想いだった。
「……でも、私はまだ、生きてる」
私は再び椅子に戻り、ティーカップを置いた。
苦い。
いつも飲んでいたはずの茶が、今日に限って舌に刺さるようだった。
どこで間違えたの?
私が優しくしすぎた?
それとも、彼女が“原作以上”に私を望んでしまったの?
私は死ねない。
でも、それは本当に“生きている”と言えるの?
──コン、コン。
音がした。
低く、けれど絶対的なリズム。
室内の空気が凍りつく。
使用人たちは一斉に後ずさり、頭を垂れる。
誰ひとり、呼ばれなくとも分かっていた。
“神域”が、扉の向こうにいる。
私はゆっくり立ち上がる。
ドアノブを握る指が、かすかに汗ばんでいた。
扉を開けた瞬間、空気が変わった。
褐色の肌に白銀の長髪を靡かせ、黄金の瞳でまっすぐ私を見つめるセフィラが、静かに立っていた。
その姿は、もはや“人”ではなかった。荘厳な礼装は神域の巫女のようでありながら、どこか軍服にも似た威厳と圧を宿している。
漂う魔力が視覚化され、彼女の周囲だけがわずかに歪んで見えた。
ああ、やっぱり──。
「……お姉様。準備は、整っていますか?」
その声は甘く、静かで、けれどどんな命令よりも重たかった。
それなのに、私は笑ってしまった。
こんな怪物に、愛されているのだ。私が、死ねるはずがない。
セフィラが私に手を差し出す。細く長い指先。触れるのが躊躇われるほど神聖で、それでも確かに、私を求めている手だった。
私は、その手を取った。
触れた瞬間、胸の奥に何かが流れ込む。
──あの日のこと。あの手を、初めて取った日のこと。
──────
あれは、十年前。
離宮の扉を開けたとき、最初に感じたのは、ひどい湿気と埃の匂いだった。
花は枯れ、噴水は苔に覆われていた。門は錆びつき、草は伸び放題。とても人が暮らしているとは思えない、荒れ果てた廃墟だった。
その片隅に、ひとりの少女がいた。
崩れかけた噴水のそば。
水は澱み、苔が縁に張りつき、かつての清らかさなど見る影もない。
濡れた石畳の上で、少女は膝を抱えていた。
褐色の肌に、くしゃくしゃに乱れた白銀の髪。
顔も手も泥と埃にまみれ、ぶかぶかのドレスはところどころ裂け、濡れて重く垂れていた。
腕の中には、泥のついたパンが一切れだけ。
それが、この日のすべての食事なのだと、誰の目にも明らかだった。
誰もいないはずの庭園で、彼女はただ、静かにうずくまっていた。
人を拒むようでも、誰かを求めているようでもない。
けれど、私が立ち尽くすと、ふいに顔を上げた。
驚きも警戒もなく、むしろ、どこか懐かしさをたたえた瞳で——
「……お姉様、ですか?」
その瞬間、心の奥で何かが弾けた。
空気が変わった。
風もないのに、肌を冷たいものが撫でた気がした。
胸の奥がずしんと重くなる。
喉が熱い。手の先が震える。目の前の光景が、まるで既視感のように胸に焼きついていく。
——知っている。
この子を、私は知っている。
この世界を、私は知っている。
ここは、前世で私が夢中になった乙女ゲームの舞台。
この少女は、セフィラ。
原作で、誰からも見捨てられ、世界そのものを呪って滅ぼす“ラスボス”。
そして、その破滅の引き金となる、彼女の唯一の光だった“婚約者アメリア”。
私は、そのアメリアだ。
このままでは、彼女に淡く依存され、そして私が死ぬことで、彼女が崩壊していく未来しかない。
原作のように進めば、私はやがて、彼女の世界の“喪失”になる。
それはあまりにも、残酷すぎる。
でも。
「……こんにちは、セフィラ。私が、今日からあなたの婚約者になるアメリアよ」
私は彼女の前に膝をつき、手を差し伸べた。
その小さな手は冷たく、けれど、どこまでも生きようとする熱を帯びていた。
指先が触れた瞬間、確信した。
私は、彼女を壊させない。
この子の世界を、失わせたりしない。
この手を、二度と離すものかと、心に誓った。
──────
それから、私は動いた。
離宮の生活環境を整えるため、物資と人材を手配した。
使用人を増やし、食事を改善し、衣服も新調した。掃除が行き届いた部屋、ふかふかの毛布。
セフィラの表情は、日を追うごとにわずかずつ、明るくなっていった。
だが——
「帰らないで。お姉様、今日もいて……」
手配を終えて帰ろうとする私の手を、セフィラが涙ぐみながら握って離さなかった。
私が“原作のアメリア”ではないと気づいていたわけではない。
ただただ、彼女は孤独だったのだ。
それから週に二度、私は離宮に泊まることが許された。
その夜の彼女の喜びようは、今でも忘れられない。
「お姉様、お姉様! 今日はね、一緒に寝てくれる? お話もする?」
私は笑って頷いた。
私もまた、彼女がただ愛おしかった。
恋愛感情でも、同情でもない。
“推し”に抱く純粋な思慕。
それが、少しずつ形を変えていくことに、私はまだ気づいていなかった。
──────
ある晩、セフィラがうなされて泣いていた。
「いや……こないで……もう、いや……っ」
寝台に駆け寄った私は、彼女の髪を梳いた。額に手を当て、小さな声で子守唄のように囁く。
「もう大丈夫。お姉様が、ここにいるわ」
彼女は泣きながら、私の腕を掴んで離さなかった。
──────
ある日、庭で皇子たちに囲まれていた。
「呪いの子が、またしゃべったぞ」「下賤の血を引いた子が、婚約者だなんて笑わせる」
思わず、私は彼らの間に割って入った。
「その口を慎みなさい。私は彼女の婚約者よ。彼女を侮辱することは、私を侮辱するのと同じこと」
当然、私も罵倒された。けれど、それでよかった。
「お姉様……私のために?」
「ええ。セフィラは呪われてなんかいない。私の、大切な婚約者よ」
あのときの、彼女の震えた瞳を今でも覚えている。
──────
やがて歳を重ね、彼女には淑女教育が始まった。
私は信頼できる家庭教師を手配し、宮廷の礼儀作法や学問、舞踏を学ばせた。
それでも彼女は言った。
「お姉様に、教えてほしいの」
だから私は教えた。礼儀も、作法も、ワルツも。
指導のたびに、彼女は本当に嬉しそうに笑った。
──けれど、ある歳を境に、彼女の瞳の奥に、違う光を感じるようになった。
ただ慕う妹のそれではなく、ひとりの女性が向ける眼差しだった。
私は気づいていた。
けれど、気づかないふりをした。
どうせ私は、あと数年で死ぬ。
それなら、彼女の笑顔に包まれて終われれば、それでいいと思った。
そうして──セフィラは十六歳になった。
──────
気がつけば私は、鏡の前に立っていた。
目の前にいる自分は、どう見ても“余命幾ばくもない花嫁”には見えない。
髪にも、肌にも、温かな色が宿っている。
私は、まだ生きていた。
そのとき、セフィラが私の手を握った。
「お姉様」
「……なに?」
「わたし、知っていたんです」
「……何を?」
「お姉様が、死ぬはずだったこと」
まるで世間話のように。それでいて、その声音には、冗談の余地など一片もなかった。
私はただ黙って、彼女の顔を見つめていた。
結婚式を目前に控えた控室。飾られた白百合の香りがあまりにも現実離れしていて、息を吸うことさえ躊躇ってしまう。
けれど、セフィラの存在は、その空間すべてを支配していた。
神聖衣に身を包んだ彼女は、美しく――美しすぎた。
黄金の瞳に見つめられるたび、魂の奥まで見透かされるようで、思わず息を呑んでしまう。
「呪いの因果が、ずっとお姉様を蝕んでいたんです。ゆっくりと、静かに。でも、確実に……だから私は、それを壊しました」
“それを”。
彼女はそう言った。まるで何でもないことのように。
この世界の構造を、理を、法則を――彼女は、壊した。
「だって、お姉様が死ぬ世界なんて──間違ってるじゃないですか」
あまりにも素直に、当たり前のように言ってのける彼女に、私は言葉を失った。
けれど、不思議なことに――理解できてしまったのだ。
この子なら、本当にやってしまったのだと。
彼女は、小さなその手で、確かに世界を壊し、作り直してしまった。
たったひとり、私を生かすために。
「……お姉様」
その呼び声に、私ははっと我に返る。
「覚えてますか? あの離宮で、私が初めて“お姉様”と呼んだ日のこと」
淡く香る花の香気にまぎれて、遠い記憶がふいに立ち上る。
冷たい石畳。崩れかけた噴水。
光の差さない、ひとりきりの世界にいた少女。
「初めて、名前を呼ばれた時……心臓が、ちゃんと動いた気がしたんです。あの瞬間から、私、やっと人間になれた気がして……」
セフィラの声が震える。
「お姉様の声、手、眼差し……全部、私の最初で最後の宝物でした。名前を呼ばれるたびに、細胞が震えて、脳が焼けるみたいに嬉しくて。ずっと、それを繰り返してほしくて……」
私は目を見開く。
その言葉は狂気にも似ていた。でも、あまりにも美しく、あまりにも純粋だった。
「お姉様が触れた毛布は手洗いして、肌の温度を保てるように魔術で封じて、毎晩それに包まって眠ってました。笑わないでくださいね?」
笑えなかった。
「お姉様の匂いも、声も、歩く足音も、全部、覚えてます。口癖も、寝相も、紅茶の好みも。……世界が全部消えても、きっと私はそれだけで生きていける」
金色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめていた。
「でも、だんだん足りなくなってきたんです。お姉様が私を撫でるときの手が、庇護のそれだって分かってきたから。……私は、あなたの可愛い妹でいたいだけじゃない。もっと、もっと深く、強く、お姉様の中に残りたかった」
彼女の瞳が、微かに揺れる。
「お姉様が眠っている間、何度も唇を重ねました。……ごめんなさい。指先も、髪も、抱きしめたかった。お願いされてじゃなくて、私から触れたかった。……でも、それじゃ駄目だって、ずっと我慢してた」
その声は、告白ではなく、懺悔のようにすら聞こえた。
「それでも……お姉様が、いつもどこか終わりを見ているのが、嫌だったんです。どうせ私は死ぬからって目をしてるの、ずっと気づいてた」
セフィラは、震える拳を胸元で握りしめる。
「だったら、世界のほうを壊してしまえばいいって、そう思ったんです。お姉様が死ぬ未来なら、未来ごと燃やして、私が書き換えればいい。誰も許さなくても、神すら否定しても、それでお姉様が生きられるなら、私は何度でも世界を壊す」
そして、彼女は静かに言った。
「だから、お姉様。ねえ……今度は、私を、欲しがってもらえませんか?」
その声音は、神ですらない。
たったひとりの少女が、世界のすべてを捧げて差し出す、渇いた祈りだった。
私は、震える指先で、そっと彼女の頬を撫でた。
熱があるわけでもないのに、肌が熱かった。いや、私の手が冷たすぎるのかもしれない。
「……あなた、こんなに……ここまでして……私のために?」
信じられなかった。いや、信じたくなかった。
「嫌いになりましたか……?」
その声はかすれていた。
どこか、子供が母親に叱られるのを恐れているような、怯えた顔だった。
私は、ふっと息をついた。
「呆れてるわよ。心底、ね」
セフィラが、かすかに身を竦める。
その肩を、私は優しく抱き寄せた。
「……でも、それ以上に、嬉しいわ」
「え……?」
彼女が見開いた目は、あの日、泣きながら私の手を取った少女のそれと、まったく同じだった。
「だって、ここまで好きになってくれるなんて、滅多にないもの」
「お姉様……?」
「ねえ、ここまで好きになってしまったの?」
その問いに、セフィラは唇を噛んだ。
そして、泣きそうな顔で、笑った。
「はい。好きです。好きなんです。ずっと、ずっと……大好きなんです、お姉様」
まるで壊れた音楽人形のように、何度も、何度も。
私はそれを聞きながら、胸の奥がじりじりと焼けるような感覚に襲われていた。
それは、罪悪感だった。
私は、知っていた。
この子が、どれほど私に懸命だったか。
それでも、どこかで「自分は死ぬから」と線を引いていた。
この十年、与えるばかりで、受け取ろうとしなかった。
“愛される資格”なんてないと、勝手に思い込んでいた。
だから今、こんなにも重く、歪で、真っすぐな愛を突きつけられて──
私は、何も返せなかった自分を恥じた。
「なら……もう、結婚しましょう?」
「……え……?」
「私は、もうとっくにあなたのこと、愛してるわよ」
その瞬間、セフィラの顔が崩れた。
涙が、ぽろぽろと零れ落ちる。
それは神の涙ではなかった。
ただの、ひとりの少女が、十年分の愛情に報われた瞬間の涙だった。
私は彼女の頭をそっと撫でながら、囁いた。
「まったく……ここまでされたら、もう逃げられないわね」
「逃げないでください……ずっと……私の、そばにいてください……」
「ええ。私の可愛いセフィラ」
私は微笑み、そして、そっと彼女に口づけた。
それは祝福でも、慈愛でもない。
ようやく結ばれた、たった一度きりの、本当の愛の約束だった。
⸻
◆ ◆ ◆
式は、帝都最大の大神殿で行われた。
神官たちは膝をつき、貴族たちは言葉を失って見守るばかりだった。
セフィラの神々しさに、誰もがひれ伏すしかなかった。
──神が、ひとりの人間を娶る。
それはもはや伝説であり、奇跡だった。
だが、この世界はそれを拒まなかった。
受け入れ、祝福し、こう祈ったのだ。
――神が“このひとりの人間だけ”を愛してくださるのならば、
この世界はきっと、永遠に穏やかだと。
祭壇の前で、セフィラと向き合う。
白金に輝く装束に包まれた彼女は、ひとりの少女ではなかった。
それでも、その瞳は変わらず、私だけを見ていた。
「お姉様」
私の名を、優しく、そして誇らしげに呼ぶ。
その声は、いつかの離宮の夜と、何も変わらなかった。
私はそっと、彼女の指に指輪をはめる。
それは、確かに“神”と“人”とを結ぶ、永遠の契約だった。
⸻
◆ ◆ ◆
《西暦2312年。神格セフィラ・ナハト・エルディシアと、公爵令嬢アメリア・ヴェルトの婚姻が、帝国史に正式に記録される。
この日を境に、“世界の理”が書き換えられたとも言われている──》
――『帝国年代記・改定第四巻』より
私はその本を静かに閉じ、息を吐いた。
「まるで……神話みたいね」
窓から差し込む朝の光が、机の上の銀のインク壺に反射してきらめいている。
「お姉様」
背後から、あの変わらぬ声が響く。
「今日は、いいお天気ですから。お散歩に出ませんか?」
振り返ると、白いワンピース姿のセフィラが、花瓶に花を活けながら、ふんわりと微笑んでいた。
今はもう、神でも魔でもない。
ただの私の妻――セフィラ。
私は立ち上がり、彼女の手を取る。
「それもいいわね」
屋敷は、ふたりで暮らすには少し広いが、貴族の邸宅としてはとても小さい。
だが、ここは“不可侵の神域”。
王家ですら踏み込めない、静かな楽園。
世界の理を変えてしまったふたりは、
今、この場所で――静かに、穏やかに、生きている。
私と、セフィラの、ふたりで。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
この物語は、
「死ぬはずだった悪役モブ令嬢(16)」と
「婚約者の最強ラスボス皇女(8)」による、
“世界改変レベルで重たい愛”と“おねロリ百合”を描いた短編です。
AIに魂を売って百合を書いておりますが、
百合のためなら魂の一つや二つ、安いものです。
私は「おねロリ始まり」が大好きです。
大人びたお姉さんに甘えるちいさな女の子、最高ですよね。
けれど……成長して立場が逆転するのは、もっと最高だと思っています。
――かつて守っていた少女が、自分の全存在を賭けて守ってくれる。
――「お姉様は、もう私のものです」と言わんばかりの支配的な愛情。
年下ヒロインの執着と成長が爆発する“おねロリ→逆転百合”、至高です。
この物語では、そうした構造をぎゅっと詰め込みました。
おねロリ百合、そして狂愛の世界観を楽しんでいただけたなら何よりです。
そして、次回はセフィラ視点のサイドストーリーを公開予定です。
「神様になってしまった少女」の祈りと孤独、そして恋の本質を、
彼女の言葉で丁寧に描きます。
毎日19時更新予定ですので、ぜひ続けてお読みください!
さらに!他にも完結済の百合作品があります。こちらもオススメです:
本編8話+後日談3話の完結作!
『女官リセル、冤罪で死罪寸前!?助けてくれたのは無口な女騎士でした』
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感想・評価・ブクマ、どれも作者の命の源です。
お気軽に送っていただけると、心の中で百回くらい拝みます。
また次の作品でお会いしましょう。
おねロリは、いいぞ。
でも、逆転百合はもっといいぞ。