表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

死ぬつもりだった婚約者

この婚約は、今日で終わるはずだった。


なのに私は、まだ生きている。


 


大神殿の婚礼控室は、夜明けの光に静かに満たされていた。


白い大理石の床には深紅の絨毯が敷かれ、高窓から差し込む陽光が、燭台の残り火を溶かすように照らしている。


静寂のなかに漂うのは、甘くて、どこか冷たい芳香。


祝福というにはあまりにも静謐で、けれど、確かに神聖さを帯びた──まるで現実から切り離された、永遠の始まりのような空間だった。


 


私は、窓辺の長椅子に腰掛けていた。


ドレスはすでに着用していたが、まだ完成ではない。


髪も軽く整えただけで、化粧も薄いままだ。


脚を組み、手にしたティーカップを無意識にくるくると回す。


月光が銀の縁をなぞり、私の微かな震えを映していた。


 


控室の隅では、数人の使用人が控えている。


だが皆、うつむき、決して私と目を合わせようとはしなかった。


……わかっている。


誰も“その名”を口にできないのだ。


 


帝国第十三皇女――セフィラ・ナハト・エルディシア。


恐怖と呪いの権化。


触れることすら禁忌とされ、“神域の姫”とまで囁かれる存在。


そして、私の婚約者。


 


私は鏡の前に立つ。


映っていたのは、淡い金──ほとんど茶に近い髪。


色のない茶の瞳。


目尻には、かすかにそばかす。


華奢でも逞しくもない、なんとも中途半端な体つき。


 


「……やっぱり、モブ顔よね。どう見ても」


ぽつりと呟いて、苦笑する。


帝国公爵家の長女にしては、あまりにも地味だった。


 


原作では、私はここで死ぬはずだった。


婚約して十年。セフィラが十六を迎えた頃、


私は呪いに蝕まれ、ベッドの上で衰弱して死んでいた。


それが、彼女を“狂わせた”。


 


けれど今、私はここにいる。


咳も熱もない。頭は冴えている。心臓は穏やかに打っていた。


 


「……死なないの?」


声が震える。


この十年、私は死ぬ準備をしてきた。


少しでも穏やかに。少しでも苦しまずに。


あの子の中に“温かさ”を残せるように。


そのためだけに、優しくあろうと思った。


 


 


──十年前。


春の風がまだ冷たかった頃、父から政略結婚の命が下された。


「皇女と婚約しろ。すでに決まったことだ」


相手は、帝の十三番目の娘。側室のひとりの子。


異国の血を引き、褐色の肌に白銀の髪。


他の皇子たちからも疎まれ、帝都の外れにある“離宮”に幽閉されていた。


 


最初に見た彼女の姿は、衝撃だった。


崩れかけた噴水のそばで、泥のついたパンを抱えていた。


顔も手も汚れ、髪はぐしゃぐしゃに乱れていた。


それでも、その子は、私を見て、笑った。


 


「……お姉様、ですか?」


 


触れた手は冷たく、小さく、それでも確かに生きようとしていた。


 


その瞬間、記憶が――弾けた。


 


 


私は、前世で“彼女を推していた”。


冴えないOLだった。


シングルマザーの母に育てられたけれど、母は再婚して、継父とのあいだに新しい子供ができた。


それだけで、私は「いらない子」になった。


家に居場所はなく、早々に出て行けと言われて、高校を出たらすぐに働いた。


大学なんて、考える余裕すらなかった。


事務職として雇われた会社では、空気のような存在だった。


仕事をしても、誰かに褒められることはない。

飲み会にも呼ばれず、名前すら覚えてもらえない日々。


ただ生きているだけで、何かに疲れていた。

朝起きて、電車に乗って、何も感じずに机に向かって、帰って、コンビニ弁当を食べて眠るだけの毎日。


誰にも期待されず、誰にも望まれず。

けれど、それでも生きてしまう自分が、いちばん嫌いだった。



唯一の逃げ場が、ゲームだった。


『ユグドラの花嫁』。


帝国の王子たちを攻略する、ごく普通の乙女ゲーム。


その中に、ただひとり──どうしようもなく心惹かれるキャラクターがいた。


セフィラ。ラスボス。


褐色の肌。白銀の髪。黄金の瞳。


帝国に憎悪を抱き、呪術で世界を塗り替える“最終の敵”。


 


けれど、彼女の過去はほんの数行で語られていた。


誰にも愛されず、誰にも望まれず。


唯一与えられた関係、それが“婚約者アメリア”だった。


しかし、そのアメリアからさえ、彼女は日陰のように扱われ、


人目のないところでは、冷たい言葉と無視、時には虐げられる描写さえあった。


 


それでも、彼女はアメリアに“依存”していた。


外面では優しく振る舞ってくれるその一瞬を、心のすべてとして信じてしまうように。


拒絶されても、殴られても、彼女にとってアメリアは“唯一”だった。


 


私には、それが分かってしまった。


……あの、母と同じだったから。


 私の母も、時々だけ優しかった。


頭を撫でてくれたことがある。誕生日にケーキを焼いてくれたことも、あった。


でも、それはほんの一瞬で――


あとは、冷たかった。言葉も、目線も、すべてが私を否定するためだけにあった。


 


それでも私は、その“たった一瞬”に、縋ってしまった。


いつかまた優しくしてくれるかもしれない。


私がもっと“いい子”なら、笑ってくれるかもしれない。


そうやって、殴られても、無視されても、傷つけられても、“あの優しさ”が本当なんだと、自分に言い聞かせていた。


 


私はそれを、愛だと信じたかった。


でも今思えば、それはただの支配で、ただの暴力だった。


 


それでも――私は、母を憎みきれなかった。


だから私は、そんな自分が、一番嫌いだった。


傷つけられたのに、なお、縋ってしまう弱さ。


拒絶されたのに、なお、愛してしまう愚かさ。


壊されても、“もう一度笑ってほしい”と願ってしまうこと。


 


セフィラは、そこにいた。


同じだった。


アメリアに冷たくされても、彼女は“愛してもらえた”一瞬だけを信じて、壊れて、狂って、それでもすがっていた。


それが、とても、よく分かってしまった。


まるで、自分を見ているようで、胸が締めつけられた。


 


だから、彼女が“人をやめた”理由も、理解できた。


もう、誰かに見てほしくて、愛してほしくて、泣くことすらやめてしまった。


優しくされたいと願うのではなく、自分が“全てを壊してでも優しくする側”になろうとした。


それは、絶望の果てに辿り着いた、美しさだった。


 


だから私は、彼女を推した。


ただのラスボスじゃない。


この世界に、“絶望に育てられた美しさ”が、確かに存在していた。


 


その生き様に、私は泣いた。


理解されず、報われず、それでも誰かを想い、狂ってしまった少女。


まるで、私のようだと思った。


 


だから、私はこの世界で決めたのだ。


――彼女を、愛してあげよう。


私が、母から与えられなかったものを、今度こそ誰かに与えるために。


彼女に、たった一度でいい。疑いのない、真っ直ぐな愛を伝えるために。


 


アメリアに“なった”私が、この世界で願った最初で最後のこと。


それは――“彼女”を、救いたいという、祈りにも似た想いだった。

 


 





 


 


「……でも、私はまだ、生きてる」


私は再び椅子に戻り、ティーカップを置いた。


苦い。


いつも飲んでいたはずの茶が、今日に限って舌に刺さるようだった。


 


どこで間違えたの?


私が優しくしすぎた?


それとも、彼女が“原作以上”に私を望んでしまったの?


 


私は死ねない。


でも、それは本当に“生きている”と言えるの?


 


──コン、コン。


 


音がした。


低く、けれど絶対的なリズム。


室内の空気が凍りつく。


使用人たちは一斉に後ずさり、頭を垂れる。


誰ひとり、呼ばれなくとも分かっていた。


“神域”が、扉の向こうにいる。


 


私はゆっくり立ち上がる。


ドアノブを握る指が、かすかに汗ばんでいた。 


扉を開けた瞬間、空気が変わった。


褐色の肌に白銀の長髪を靡かせ、黄金の瞳でまっすぐ私を見つめるセフィラが、静かに立っていた。

その姿は、もはや“人”ではなかった。荘厳な礼装は神域の巫女のようでありながら、どこか軍服にも似た威厳と圧を宿している。

漂う魔力が視覚化され、彼女の周囲だけがわずかに歪んで見えた。


 


ああ、やっぱり──。


 


「……お姉様。準備は、整っていますか?」


 


その声は甘く、静かで、けれどどんな命令よりも重たかった。


それなのに、私は笑ってしまった。


こんな怪物に、愛されているのだ。私が、死ねるはずがない。


 


セフィラが私に手を差し出す。細く長い指先。触れるのが躊躇われるほど神聖で、それでも確かに、私を求めている手だった。


私は、その手を取った。


触れた瞬間、胸の奥に何かが流れ込む。


──あの日のこと。あの手を、初めて取った日のこと。


 


──────


 


あれは、十年前。


離宮の扉を開けたとき、最初に感じたのは、ひどい湿気と埃の匂いだった。

花は枯れ、噴水は苔に覆われていた。門は錆びつき、草は伸び放題。とても人が暮らしているとは思えない、荒れ果てた廃墟だった。


 


その片隅に、ひとりの少女がいた。


崩れかけた噴水のそば。

水は澱み、苔が縁に張りつき、かつての清らかさなど見る影もない。

濡れた石畳の上で、少女は膝を抱えていた。


 


褐色の肌に、くしゃくしゃに乱れた白銀の髪。

顔も手も泥と埃にまみれ、ぶかぶかのドレスはところどころ裂け、濡れて重く垂れていた。

腕の中には、泥のついたパンが一切れだけ。

それが、この日のすべての食事なのだと、誰の目にも明らかだった。


 


誰もいないはずの庭園で、彼女はただ、静かにうずくまっていた。


人を拒むようでも、誰かを求めているようでもない。

けれど、私が立ち尽くすと、ふいに顔を上げた。


驚きも警戒もなく、むしろ、どこか懐かしさをたたえた瞳で——


 


「……お姉様、ですか?」


 


その瞬間、心の奥で何かが弾けた。


 


空気が変わった。

風もないのに、肌を冷たいものが撫でた気がした。


胸の奥がずしんと重くなる。

喉が熱い。手の先が震える。目の前の光景が、まるで既視感のように胸に焼きついていく。


 


——知っている。


 


この子を、私は知っている。

この世界を、私は知っている。

ここは、前世で私が夢中になった乙女ゲームの舞台。


この少女は、セフィラ。


原作で、誰からも見捨てられ、世界そのものを呪って滅ぼす“ラスボス”。

そして、その破滅の引き金となる、彼女の唯一の光だった“婚約者アメリア”。


 


私は、そのアメリアだ。


このままでは、彼女に淡く依存され、そして私が死ぬことで、彼女が崩壊していく未来しかない。

原作のように進めば、私はやがて、彼女の世界の“喪失”になる。

それはあまりにも、残酷すぎる。


 


でも。


 


「……こんにちは、セフィラ。私が、今日からあなたの婚約者になるアメリアよ」


 


私は彼女の前に膝をつき、手を差し伸べた。

その小さな手は冷たく、けれど、どこまでも生きようとする熱を帯びていた。


指先が触れた瞬間、確信した。


 


私は、彼女を壊させない。

この子の世界を、失わせたりしない。


この手を、二度と離すものかと、心に誓った。



──────


 


それから、私は動いた。


離宮の生活環境を整えるため、物資と人材を手配した。


使用人を増やし、食事を改善し、衣服も新調した。掃除が行き届いた部屋、ふかふかの毛布。


セフィラの表情は、日を追うごとにわずかずつ、明るくなっていった。


 


だが——


「帰らないで。お姉様、今日もいて……」


 


手配を終えて帰ろうとする私の手を、セフィラが涙ぐみながら握って離さなかった。


私が“原作のアメリア”ではないと気づいていたわけではない。


ただただ、彼女は孤独だったのだ。


 


それから週に二度、私は離宮に泊まることが許された。


その夜の彼女の喜びようは、今でも忘れられない。


 


「お姉様、お姉様! 今日はね、一緒に寝てくれる? お話もする?」


 


私は笑って頷いた。


私もまた、彼女がただ愛おしかった。


恋愛感情でも、同情でもない。


“推し”に抱く純粋な思慕。


それが、少しずつ形を変えていくことに、私はまだ気づいていなかった。


 


──────


 


ある晩、セフィラがうなされて泣いていた。


 


「いや……こないで……もう、いや……っ」


 


寝台に駆け寄った私は、彼女の髪を梳いた。額に手を当て、小さな声で子守唄のように囁く。


 


「もう大丈夫。お姉様が、ここにいるわ」


 


彼女は泣きながら、私の腕を掴んで離さなかった。


 


──────


 


ある日、庭で皇子たちに囲まれていた。


 


「呪いの子が、またしゃべったぞ」「下賤の血を引いた子が、婚約者だなんて笑わせる」


 


思わず、私は彼らの間に割って入った。


 


「その口を慎みなさい。私は彼女の婚約者よ。彼女を侮辱することは、私を侮辱するのと同じこと」


 


当然、私も罵倒された。けれど、それでよかった。


 


「お姉様……私のために?」


 


「ええ。セフィラは呪われてなんかいない。私の、大切な婚約者よ」


 


あのときの、彼女の震えた瞳を今でも覚えている。


 


──────


 


やがて歳を重ね、彼女には淑女教育が始まった。


私は信頼できる家庭教師を手配し、宮廷の礼儀作法や学問、舞踏を学ばせた。


それでも彼女は言った。


 


「お姉様に、教えてほしいの」


 


だから私は教えた。礼儀も、作法も、ワルツも。

指導のたびに、彼女は本当に嬉しそうに笑った。


 


──けれど、ある歳を境に、彼女の瞳の奥に、違う光を感じるようになった。


ただ慕う妹のそれではなく、ひとりの女性が向ける眼差しだった。


 


私は気づいていた。


けれど、気づかないふりをした。


どうせ私は、あと数年で死ぬ。


それなら、彼女の笑顔に包まれて終われれば、それでいいと思った。


 


そうして──セフィラは十六歳になった。


 


──────


 


気がつけば私は、鏡の前に立っていた。


 


目の前にいる自分は、どう見ても“余命幾ばくもない花嫁”には見えない。


髪にも、肌にも、温かな色が宿っている。


私は、まだ生きていた。


 


そのとき、セフィラが私の手を握った。


 


「お姉様」


「……なに?」


「わたし、知っていたんです」


「……何を?」


「お姉様が、死ぬはずだったこと」




まるで世間話のように。それでいて、その声音には、冗談の余地など一片もなかった。


私はただ黙って、彼女の顔を見つめていた。


結婚式を目前に控えた控室。飾られた白百合の香りがあまりにも現実離れしていて、息を吸うことさえ躊躇ってしまう。


けれど、セフィラの存在は、その空間すべてを支配していた。


神聖衣に身を包んだ彼女は、美しく――美しすぎた。

黄金の瞳に見つめられるたび、魂の奥まで見透かされるようで、思わず息を呑んでしまう。


「呪いの因果が、ずっとお姉様を蝕んでいたんです。ゆっくりと、静かに。でも、確実に……だから私は、それを壊しました」


“それを”。

彼女はそう言った。まるで何でもないことのように。


この世界の構造を、理を、法則を――彼女は、壊した。


「だって、お姉様が死ぬ世界なんて──間違ってるじゃないですか」


あまりにも素直に、当たり前のように言ってのける彼女に、私は言葉を失った。


けれど、不思議なことに――理解できてしまったのだ。

この子なら、本当にやってしまったのだと。


彼女は、小さなその手で、確かに世界を壊し、作り直してしまった。


たったひとり、私を生かすために。


「……お姉様」


その呼び声に、私ははっと我に返る。


「覚えてますか? あの離宮で、私が初めて“お姉様”と呼んだ日のこと」


淡く香る花の香気にまぎれて、遠い記憶がふいに立ち上る。


冷たい石畳。崩れかけた噴水。

光の差さない、ひとりきりの世界にいた少女。


「初めて、名前を呼ばれた時……心臓が、ちゃんと動いた気がしたんです。あの瞬間から、私、やっと人間になれた気がして……」


セフィラの声が震える。


「お姉様の声、手、眼差し……全部、私の最初で最後の宝物でした。名前を呼ばれるたびに、細胞が震えて、脳が焼けるみたいに嬉しくて。ずっと、それを繰り返してほしくて……」


私は目を見開く。

その言葉は狂気にも似ていた。でも、あまりにも美しく、あまりにも純粋だった。


「お姉様が触れた毛布は手洗いして、肌の温度を保てるように魔術で封じて、毎晩それに包まって眠ってました。笑わないでくださいね?」


笑えなかった。


「お姉様の匂いも、声も、歩く足音も、全部、覚えてます。口癖も、寝相も、紅茶の好みも。……世界が全部消えても、きっと私はそれだけで生きていける」


金色の瞳が、真っ直ぐに私を見つめていた。


「でも、だんだん足りなくなってきたんです。お姉様が私を撫でるときの手が、庇護のそれだって分かってきたから。……私は、あなたの可愛い妹でいたいだけじゃない。もっと、もっと深く、強く、お姉様の中に残りたかった」


彼女の瞳が、微かに揺れる。


「お姉様が眠っている間、何度も唇を重ねました。……ごめんなさい。指先も、髪も、抱きしめたかった。お願いされてじゃなくて、私から触れたかった。……でも、それじゃ駄目だって、ずっと我慢してた」


その声は、告白ではなく、懺悔のようにすら聞こえた。


「それでも……お姉様が、いつもどこか終わりを見ているのが、嫌だったんです。どうせ私は死ぬからって目をしてるの、ずっと気づいてた」


セフィラは、震える拳を胸元で握りしめる。


「だったら、世界のほうを壊してしまえばいいって、そう思ったんです。お姉様が死ぬ未来なら、未来ごと燃やして、私が書き換えればいい。誰も許さなくても、神すら否定しても、それでお姉様が生きられるなら、私は何度でも世界を壊す」


そして、彼女は静かに言った。


「だから、お姉様。ねえ……今度は、私を、欲しがってもらえませんか?」


その声音は、神ですらない。

たったひとりの少女が、世界のすべてを捧げて差し出す、渇いた祈りだった。


私は、震える指先で、そっと彼女の頬を撫でた。


熱があるわけでもないのに、肌が熱かった。いや、私の手が冷たすぎるのかもしれない。


「……あなた、こんなに……ここまでして……私のために?」


信じられなかった。いや、信じたくなかった。


「嫌いになりましたか……?」


その声はかすれていた。

どこか、子供が母親に叱られるのを恐れているような、怯えた顔だった。


私は、ふっと息をついた。


「呆れてるわよ。心底、ね」


セフィラが、かすかに身を竦める。


その肩を、私は優しく抱き寄せた。


「……でも、それ以上に、嬉しいわ」


「え……?」


彼女が見開いた目は、あの日、泣きながら私の手を取った少女のそれと、まったく同じだった。


「だって、ここまで好きになってくれるなんて、滅多にないもの」


「お姉様……?」


「ねえ、ここまで好きになってしまったの?」


その問いに、セフィラは唇を噛んだ。


そして、泣きそうな顔で、笑った。


「はい。好きです。好きなんです。ずっと、ずっと……大好きなんです、お姉様」


まるで壊れた音楽人形のように、何度も、何度も。


私はそれを聞きながら、胸の奥がじりじりと焼けるような感覚に襲われていた。


それは、罪悪感だった。


私は、知っていた。

この子が、どれほど私に懸命だったか。

それでも、どこかで「自分は死ぬから」と線を引いていた。


この十年、与えるばかりで、受け取ろうとしなかった。


“愛される資格”なんてないと、勝手に思い込んでいた。


だから今、こんなにも重く、歪で、真っすぐな愛を突きつけられて──


私は、何も返せなかった自分を恥じた。


「なら……もう、結婚しましょう?」


「……え……?」


「私は、もうとっくにあなたのこと、愛してるわよ」


その瞬間、セフィラの顔が崩れた。


涙が、ぽろぽろと零れ落ちる。


それは神の涙ではなかった。


ただの、ひとりの少女が、十年分の愛情に報われた瞬間の涙だった。


私は彼女の頭をそっと撫でながら、囁いた。


「まったく……ここまでされたら、もう逃げられないわね」


「逃げないでください……ずっと……私の、そばにいてください……」


「ええ。私の可愛いセフィラ」


私は微笑み、そして、そっと彼女に口づけた。


それは祝福でも、慈愛でもない。


ようやく結ばれた、たった一度きりの、本当の愛の約束だった。



◆  ◆  ◆


式は、帝都最大の大神殿で行われた。


神官たちは膝をつき、貴族たちは言葉を失って見守るばかりだった。

セフィラの神々しさに、誰もがひれ伏すしかなかった。


──神が、ひとりの人間を娶る。


それはもはや伝説であり、奇跡だった。


だが、この世界はそれを拒まなかった。

受け入れ、祝福し、こう祈ったのだ。


――神が“このひとりの人間だけ”を愛してくださるのならば、

この世界はきっと、永遠に穏やかだと。


祭壇の前で、セフィラと向き合う。

白金に輝く装束に包まれた彼女は、ひとりの少女ではなかった。

それでも、その瞳は変わらず、私だけを見ていた。


「お姉様」


私の名を、優しく、そして誇らしげに呼ぶ。


その声は、いつかの離宮の夜と、何も変わらなかった。


私はそっと、彼女の指に指輪をはめる。


それは、確かに“神”と“人”とを結ぶ、永遠の契約だった。



◆  ◆  ◆


《西暦2312年。神格セフィラ・ナハト・エルディシアと、公爵令嬢アメリア・ヴェルトの婚姻が、帝国史に正式に記録される。


この日を境に、“世界の理”が書き換えられたとも言われている──》


――『帝国年代記・改定第四巻』より


私はその本を静かに閉じ、息を吐いた。


「まるで……神話みたいね」


窓から差し込む朝の光が、机の上の銀のインク壺に反射してきらめいている。


「お姉様」


背後から、あの変わらぬ声が響く。


「今日は、いいお天気ですから。お散歩に出ませんか?」


振り返ると、白いワンピース姿のセフィラが、花瓶に花を活けながら、ふんわりと微笑んでいた。


今はもう、神でも魔でもない。

ただの私の妻――セフィラ。


私は立ち上がり、彼女の手を取る。


「それもいいわね」


屋敷は、ふたりで暮らすには少し広いが、貴族の邸宅としてはとても小さい。


だが、ここは“不可侵の神域”。

王家ですら踏み込めない、静かな楽園。


世界の理を変えてしまったふたりは、

今、この場所で――静かに、穏やかに、生きている。


私と、セフィラの、ふたりで。



最後までお読みいただき、ありがとうございました!

この物語は、

「死ぬはずだった悪役モブ令嬢(16)」と

「婚約者の最強ラスボス皇女(8)」による、

“世界改変レベルで重たい愛”と“おねロリ百合”を描いた短編です。


AIに魂を売って百合を書いておりますが、

百合のためなら魂の一つや二つ、安いものです。


私は「おねロリ始まり」が大好きです。

大人びたお姉さんに甘えるちいさな女の子、最高ですよね。

けれど……成長して立場が逆転するのは、もっと最高だと思っています。


――かつて守っていた少女が、自分の全存在を賭けて守ってくれる。

――「お姉様は、もう私のものです」と言わんばかりの支配的な愛情。

年下ヒロインの執着と成長が爆発する“おねロリ→逆転百合”、至高です。


この物語では、そうした構造をぎゅっと詰め込みました。

おねロリ百合、そして狂愛の世界観を楽しんでいただけたなら何よりです。


そして、次回はセフィラ視点のサイドストーリーを公開予定です。

「神様になってしまった少女」の祈りと孤独、そして恋の本質を、

彼女の言葉で丁寧に描きます。

毎日19時更新予定ですので、ぜひ続けてお読みください!


さらに!他にも完結済の百合作品があります。こちらもオススメです:


本編8話+後日談3話の完結作!

『女官リセル、冤罪で死罪寸前!?助けてくれたのは無口な女騎士でした』

→ https://ncode.syosetu.com/n4421ko/


感想・評価・ブクマ、どれも作者の命の源です。

お気軽に送っていただけると、心の中で百回くらい拝みます。


また次の作品でお会いしましょう。


おねロリは、いいぞ。

でも、逆転百合はもっといいぞ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ