あの頃の俺が泣いているんだ
「つかさ?マジで泥盤街の子ならなんでブルーバード家の養子になれるわけ?」
中庭について、先ほど購買で買ったパンをちぎりながらゼラスがアルフォンソに意見を求めてくる。
「だからシュバルツ先生がワケありだって言ってたろ。 まぁ平民がいきなり貴族にってどんなワケだって話だけどな」
「当主の妾の子とか?平民街の夜の店で遊んだ時に出来ちゃった!とか」
ゼラスの予想は下卑てるようで的を射ている気もする。急に貴族になれる理由と言ったらこの辺がベターだろう。
「まぁ、でもこの際、理由はどうでも良いよ。そんなことより問題なのは…」
アルフォンソは弁当を突っつきながら本題へと移ろうとする。
アルフォンソにとっては、こっちの問題をどうするのかを決めていきたいのだ。
「ばりばりシュトロに目ぇつけられたことだよな。もうこうなると俺等じゃどうしようも無くね?てか元平民の子をこの学校に、ましてやシュトロのクラスにぶち込んだらこうなるの普通に考えてわかりそうなもんだけどなぁ」
ゼラスはアルフォンソの言葉に続くようにため息混じりに現状の問題点を述べた。
この辺の見解はアルフォンソとゼラスの間には食い違い無く一致している。
「アルは黒髪の女好きだもんなぁ…気に掛けるのも分かるけど、シュトロと揉めたなんてことになったらホントに学校生活終わるぜ。ましてや原因が、なぜか編入してきた平民の女の子を庇って…なんてことになったらな」
ゼラスはアルフォンソに諭すように言葉を投げかける。
これは正論だ。
ここ1年。うまくやる、幸せな人生をつかむために計画的に生きてきたアルフォンソが、こんなことで全てを台無しにするなんて、らしくない。
この先どう振舞っていくのか、答えなんて最初から分かっているのだ。
「まぁ、この学校で人間関係うまくいかないってなれば第2学園に編入するなり、平民街にも裕福な商人の子供とかが通う環境の良い学校だってある。先生達は気にかけてるみたいだし、本人が駄目だってなっでもいくらでも環境の変えられるだろ」
そもそも俺らが気にする問題じゃない。先生達とブルーバード家の問題だ。俺らがヤキモキしていても仕方ない。
「ゼラス個人としてはサラのことどう思っているんだ?」
もう考えるのはやめよう。そんな思考とは裏腹にアルフォンソはゼラスに問いかけてしまった。やっぱり心のどこかでつっかえているものがあるみたいだ。
「まぁ別に俺は…下級貴族の暮らしって裕福な平民の商人とかとほぼ変わらないし、上級や中級の中でも上の暮らししてる奴と比べるとそこまで大きな差別意識って無いけど、やっぱり泥盤街の子ってなると住む世界が違うよなぁって感じはするよ。気は合わなそう」
そんなこと聞いてどうすんだよ。と言わんばかりの表情だが、ゼラス個人にサラへの悪感情が強く無いことを知ってアルフォンソは少しホッとしていた。
「まぁ今はシュトロの様子を観ながら静観だな。あの子には悪いけど、俺らもシュトロとは長く付き合っていかなきゃいけないんだし」
という結論でゼラスは纏めた。な?アル。と言わんばかりにの表情でアルフォンソを伺う。
「そうだな。ありがとうゼラス。色々話してくれて。頭の中整理出来たよ。そもそも今日あったばかりの他人に学校生活めちゃくちゃにされる必要ないからな。俺がどうかしてた」
アルフォンソはそう言って残りの弁当をかきこんだ。胸のモヤモヤと一緒に、ゼラスと一緒に購買で買ってきたお茶で流し込む。
ゼラスの表情もどこか安心たような様子で、その後は他愛もない話を切り出した。
今のアルフォンソには心配してくれる友達もいる。それは尊いことだ。大切にしていかなきゃいけない。
あの頃とは違う。
アルフォンソは過去のトラウマを振り払い、今いる日常を噛み締めた。
最初は気が進まなかった外での食事もたまには良いかもしれない。
昼食前と比べるといくらか晴れやかな心で教室に向かう。
しかし教室に向かう足取りは軽いわけではない、いくら頭の中をリセットしたところで、午前中に起きた現実はリセットされるわけではないのだ。
教室に近づき、扉の前に立って開けようとする。なんとなく空気が冷たいような気がした。
嫌な予感。月並みな言い方だが、そんな感情がアルフォンソの心を駆け巡った。
隣にいるゼラスも、扉越しの嫌な空気を感じ取っているようで、目が合う。
この気持ちが、気のせいであることを願ってアルフォンソは教室のドアを開けた。
しかしそこに広がっていたのは、アルフォンソにとって、今、最も見たくない。地獄のような光景だった。
アルフォンソが扉を開け教室に入ると、目の前で、サラが立ち尽くしていた。
立ち尽くしていた少女の視線には、見慣れた教壇の前の黒板。
しかし、この時の黒板は、いつも見ている黒板とは似ても似つかない。凶暴な悪意に満ちた、おぞましいものだった。
――死ね 消えろ 汚れ平民 ドブネズミ ビッチ 淫乱ネズミ 臭い ブス 底辺 ――
汚らわしい 汚らわしい 汚らわしい 汚らわしい 汚らわしい 汚らわしい 汚らわしい 汚らわしい 汚らわしい 汚らわしい 汚らわしい
思い思いの、思いつく限りのすべての悪口や悪意の言葉を書きなぐっている黒板。
特に、午前中にシュトロが言い放った汚らわしいという言葉や、その他、汚さを連想させる言葉が多く並べられている。
恐らく主犯であろうシュトロとレクネン。そしてその周りを4人の女子が囲んでいる。
彼女らの、サラを見つめてクスクスと笑う様子。教室にいるほかの人たちがサラに向ける視線。
そして無言でサラを見つめおぞましく笑うシュトロの姿が、この黒板に書かれているとびきりの悪意の塊の矛先が、彼女であることを告げていた。
流石に少し動揺したのか、立ち尽くし、固まっていたサラだったが、何事もなかったように、気に留めていないかのように歩き出した。
どれくらい固まっていたのか、今教室に入ったばかりのアルフォンソには分からない。
サラは淡々とした足取りで、不自然な自然体で教室を歩き、自分の席に向かっている。
「反応がうすいなぁ。必死に気にしていない振りしてるけどさぁ、ほんとは泣きそうなのバレバレだよ?哀れだよねぇ、悲惨なゴミみたいな生活を送ってきたんだろうけど、貴族の養子になって変われると思った?悪いけど僕たち高貴な貴族はドブネズミなんか受け入れない」
そう悪意に満ちたすごむような声で言うと、シュトロはサラに近づき午前の時とは違い、サラ本人を勢いよく蹴り飛ばした。
蹴り飛ばされた少女は衝撃で、傍に並べられている戦闘の列の机と椅子を巻き込み地面に倒れる。
目の前で人が蹴り飛ばされた様子に、流石に教室の中も騒然とし、何人か悲鳴を上げるものもいた。
不穏な空気が漂い始める教室とは裏腹に、サラは少しだけうめき声をあげたが、原因となったシュトロを無表情に軽く一瞥し、すぐに立ち上がり再び同じように自分の席に向かった。
変わらない足取りで、自分の席に着き、ほどほどに音を立てて座り、机に突っ伏した。
その姿は異様に見えたようで、純粋に気味悪がる視線もサラに向けられる。
そんな中、アルフォンソは1つ確信した。
――こいつ、”切り離している”。――
そのことに気づいたアルフォンソは猛烈な吐き気に襲われた。先ほどかきこんだお弁当を戻さないように、精一杯耐える。
アルフォンソの心はもう既に限界まですり減っていた。
”あの時”の記憶が、時間が、向けられた悪意が、走馬灯のように頭に流れてフラッシュバックしてくる。
――流れてくなよ、黙れ。黙れ。あいつだって”切り離している”んだったら大して何も思っていねーよ!どうせ気にしていないって!静観するって、このクラスでうまくやっていくんだって決めたじゃないか――
アルフォンソは必死に雑念を振り払う。時計を見ると予鈴まであと5分。その5分後に本鈴が鳴り先生が来る。あと10分経ったらこの地獄もどうせ終わるのだ。
「あと先生来るから、それ消しとけよ。あと机も…まぁ見られてもあの陰気な教師に何かできるとも思えないけど」
シュトロがレクネンや女子たちに黒板や机を消すように命じる。この空気鍛えかねたのか、見ていたほかの何人かも机を直し始めた。
そして命じた本人は、机に突っ伏しているサラの元へ向かい始めた。
シュトロは杖を取り出した。魔術の術式の反応があり、杖に魔力が宿る。
――こいつまた何かやろうとしている。やめろよ、今はとりあえずもういいだろ、先生来るって!アホなのか!こいつ頭いい癖にバカあなんじゃねーの?――
シュトロの杖に宿っている魔術はウォーターボール。簡単な水魔術だ。おそらく、これをサラに当てる気なのだろう。
サラは机から顔を上げない。シュトロの声は聞こえているだろう。彼女が魔力探知はできるかは、アルフォンソには分からないが、何かしようとしてきていることぐらいは分かっているだろう。
それでもサラはおそらく抵抗しない。アルフォンソにはなぜだかそれが分かった。だからこれから行われようとすることから、目をそらした。
見ていられない。アルフォンソは目をつむり、暗闇に閉じこもった。
「助けて!誰か、助けてよ!」
突然誰かの助けを求める声が聞こえた。サラの声か?
いや違う。そもそも今の声は女の子の声じゃない。
「なんで誰も助けてくれないんだよ!俺がなにしたっていうんだよ!痛いのはもう嫌だよ…拒絶されるのは…怖いよ…」
アルフォンソは目を開け、周りを見渡す。ところが誰も何かを言ってる様子はない。シュトロが、ウォーターボールをサラの机に向かってるだけだ。
それどころか、誰もさっきの声は聞こえていないような様子だ。まるでさっきの声がアルフォンソにしか聞こえていないみたいだ。
「助けて…グズッ…助けて…」
今度は、泣き声だ。助けを求めて泣いているようだ。
あぁ。そうか。
アルフォンソは声の主が誰だか分かってしまった。いや。本当は最初から分かっていたんだ。
この声は、アルフォンソの前世の、三高優大の声だった。
サラのほうを再び見ると、無感情に机に突っ伏している姿が前世での三高優大の姿と重なる。
でも、この時重なった三高優大の姿は生前の姿とは異なり、机に突っ伏しながら助けを求めて泣きじゃくっていた。
無感情に、淡々と、何も気にしていないかのように振舞っていたあの時の三高優大は、本当は誰かに助けてほしかったのだ。
よくいじめられている人に対して、立ち向かえ。とか、黙ってやられるな。とか、何も知らない他人は言う。
でも無理なんだ。”一人じゃ無理”なんだ。
アルフォンソは足を踏み出す。
足を踏み出し、サラとシュトロに近づくアルフォンソに視線が集まる。
隣でずっと経過を見守っていたゼラスは何かを察したようで、アルフォンソを止めようと手を伸ばした。
しかし、その手は空を切り、アルフォンソが二人の元へ向かう速度は勢いを増す。
シュトロもサラの机の目の前に来ていた。
ウォーターボールを放出ため、それを目の前の少女にぶつけるため足を止めた。
何かに焚きつけられた、取りつかれたような様子で、サラに悪意を向ける。
「ドブネズミはちゃんと消毒してやないとな!」
怒鳴りつけられた少女の身体が少し動いた気がした。これから自分に向けられる”なにか”に備えたのかもしれない。
アルフォンソは今は杖を持っていないため、目の前のウォーターボールを打ち消す手段はない。
だから止める手段はシュトロ自身。
魔術は、杖を触媒として、術式をイメージすることで形成し、放出される。
つまり、シュトロ自身に衝撃を与えれば魔術の放出は止まる。
向かってくるアルフォンソには気づいていない、防御の結界魔術も出されないだろう。
サラの気持ちは分からない。実は余計なお世話かもしれない。ヒーロー気取りで気持ち悪いと思われるかもしれない。
でも関係ない。
今、目の前の少女の姿と重なっている少年は助けを求めている。
――あの頃の俺が泣いているんだ。あいつを助けてやれるのは俺だけなんだ――
サラに向かってウォーターボールがぶつけられる直前。アルフォンソは、シュトロの顔面を殴り飛ばした。