最底辺のドブネズミの分際で、どうしてここにいるんだい?
「今日から、皆さんと同じ学び舎でお世話になることになりました。サラ・ブルーバードと申します。皆様の足を引っ張ることなく、自分を高めていきますので、どうかよろしくお願いします」
そう、凛とした様子で自己紹介のあいさつを終えた少女はその後深々と頭を下げた。長く、紫がかったきれいな黒髪が、地面に向かって垂れる。
ブルーバード家は大きな特徴のない、ごく普通の下級貴族の家系だ。
そんな子が2年生から編入してくるとは少し変な話だ。
初等部はどこの初等部なのだろうか。
王立学園の初等部は、エーデルガーデンの地区エリア東西南北によって分けられる。
それぞれの初等部によって見出された適性によって、より実践的な剣術や魔術や治癒術を学ぶ王立学園中等部と、剣術と魔術のカリキュラムは最低限にし、勉学や社会的な技能を習得して剣術や魔術を使う進路以外の進路を目指すことに重きを置いた王立学園第2中等部に分けられる。
アルフォンソは少し気がかりな部分があったので質問することにした。
「編入ですか?第二中等部からの転入ではなく?」
「まぁ、色々事情があってサラは去年中等部には通っていなかった。だから編入だ。まぁ1年生からの編入の方が良いって意見もあったが、この年齢なら同い年の子達と一緒のクラスにしてあげた方が良いという意見が多く、2年からの編入が決まった。みんなよろしくしてやってくれ」
編入生。それも綺麗な女子ということもあり、教室の空気もどこか浮足立ち立つ。
ただでさえ、みんな非日常をどこかで求めているのだ。こんな新学期の季節ならなおさら。
シュトロの転移魔法登校から始まり。今度は突然の編入生。1年の始まりとしても、やや行き過ぎるぐらいのイベント量である。
たが、そんなクラスの空気に釘を刺していったのは、他でもない最初のイベントの主役であったシュトロだった。
「ブルーバード家っていったら北エリアの貴族ですよね?僕と同じ。でも僕、そいつ見かけたことないですよ?北エリアの初等部にもいなかった。なにかワケありですか?」
「だから事情があったと言っている。子供が大人の事情に深入りするものではない」
「でも、目の前で起こっていることは僕たち子供にとって大事な出来事ですよ?これから1年、共にこのクラスで生活するんですから」
むぅ。と声を漏らしシュバルツの反論には力も説得力もない。おそらく自分でもめちゃくちゃ言っている自覚はあるのだろう。
そこまでして、サラ・ブルーバードの事情とやらを隠したいのだろうか。
アルフォンソは口論の原因となっているサラと名乗った少女を再び見つめる。
サラも徐々にバツが悪くなってきたのだろうか、先ほどよりかは俯き、手に持っているカバンをぎゅっと握りしめている。
「まぁ、いいですよ。シュバルツ先生にも立場があるでしょうから、一教員じゃ言えないこともあるでしょう。」
と言いたいことを言い終えたシュトロはそこまで執着せずに引いた。
――もしかしたらこいつ、その事情とやら知ってるのか?――
「そうか、そうしてくれると助かるよ。サラもとりあえず席に着こう。場所は――」
完全に言い負かされた形になったシュバルツであるが、何事もなかったかのようにサラの席を確認し、席に座らせる。
――この切り替えの速さはプライドがないのか、それとも精神の強さの現れなのか ――
こうして、最後はやや不穏な空気を漂わせた編入生紹介を終え、その後は淡々と今日の予定の確認や新学期を迎える生徒に向けた注意を行っていった。
サラに対して、この時はみんなどんな態度をとっていいか分かりかねている。そんな感じだった。
ホームルームが終わり、誰が新しい編入生に話しかけに行こうか、という空気を子もしだしたのもつかの間。
真っ先に立ち上がり立ち上がったのはシュトロだった。
アルフォンソは教室が若干ざわつくのを感じた。先ほど、サラの事情とやらを色々と気にしていたのもあって、やや不穏な空気を感じる。
シュトロは教室の窓側の一番後ろ隅、サラの座席につくとそこに座っている少女を見下ろし、口を開いた。
「君、当主のアイク・ブルーバードの弟、カノウの養子になった平民だろ?」
平民。という言葉に教室の空気が変わった。え?なに平民?どういうこと?教室全体が言っていることがよく分からないといった様子になっている。
ここまで凛とした空気と表情を大きく崩してこなかったサラの表情も、平民と言われた瞬間。大きく崩れ動揺し立ち上がった。
「なんでっ!」
「汚らわしい」
少しざわざわしていた教室の空気が、シュトロの一言で一瞬で凍りついた。
サラに放った言葉の殺伐さか、それともそれをいったシュトロの声が、あまりに冷たく悪意に満ちた声だったからか。
おそらく両方だ。そして。
シュトロは、動揺し理由を問いただそうとしたサラの机を蹴り飛ばした。
そう、蹴り飛ばしたのだ。
突然の衝撃を受けた木造の机が大きな音をあげ倒れる。
それを見ていたアルフォンソは、胸の奥がぎゅっとなるのが分かった。
忘れようと心の奥にしまい込んでいた光景が、突然頭の中を駆け巡るような感覚に陥る。
「おい……お前何やって……」
アルフォンソの絞り出すような小さな声は誰にも届かない。
周りも、クラスのみんな、上手く状況を飲み込めてないようで、固まっている。
シュトロの取り巻きのレクネンはニヤニヤ笑ってこの状況をみつめている。アレクも興味なさそうにシュトロの行動を黙って眺めていた。
誰もシュトロを止められない。
詳しい状況はクラスのみんな分からず混乱し動揺していた。
だけど、ここにいる大勢がこれだけは確かに確信した。
サラ・ブルーバードはシュトロ・スカルワームに快く思われていないのだ。
この教室でシュトロに嫌われることの意味はとても重い。
いきなり目の前で自分の目の前の机をけられたサラも、その場を動けず沈黙している。
「うちの使用人に聞いたんだよ。半年ぐらい前から、ブルーバード家がどうやら平民の、しかも最底辺の連中が暮らしている泥盤街の子供を養子に取ったってね。ブルバード家はうまく隠していたつもりかもしれないけど、うちの情報網にかかれば筒抜けだよ。特に北エリアの貴族の情報なんかはさ。」
サラは何も言わずにシュトロを見つめている。その表情からはあまり感情が読み取れない。アルフォンソからは感情を出さないようにしている表情にも見えた。
「最底辺のドブネズミの分際で、どうしてここにいるんだい?」
サラに向かって問いかけ、彼女グイと近づき首元の襟をつかみ口を開いた。
「言っとくけど、ここに君の居場所なんかないから」
シュトロは、悪意に満ちた、冷たく血の通ってないような声で、サラに言い放った。
その後、フンと鼻で笑い、首元から手を離す。
シュトロの手から離れたサラは少しよろけたが、大きくバランスを崩すことはなかった。
「ドブネズミの菌が手についたから消毒しないとな。手が腐ってしまうからね。」
シュトロはそう言って、そそくさと教室から出ていく。
「腐るわけねーだろ…そんなんで…腐ってるのはてめーの頭だよ」
「オイ!アルッ。お前何言って…やめとけよっ」
また思わず出てしまった、アルフォンソの絞り出すような小さな声は、傍までいていたゼラスには聞こえていたようで、慌てて小さな声でその発言を咎める。
サラは何かをあきらめたような、そんな表情に変わり、無表情に、無感情に淡々と、倒された机を直す。
その様子は先ほどの出来事などまるで無かったかのような、周りに向けて気にも留めていないとアピールするかのような、そんな態度にも感じた。
それを見て、アルフォンソの胸はさらに苦しくなる。この表情。この態度。アルフォンソには”覚えがある”。
アルフォンソは無意識に、手に爪の跡が痛々しく残るほど強くこぶしを握り締めていた。
「おい、アル…おまえ」
ゼラスはその続きの言葉が出ない。アルフォンソにも今の自分がどんな状態になっいているかはなんとなくわかる。
先ほどの騒動の中心のサラより、アルフォンソのほうが何倍もひどい顔をしていた。
教室内では、平民や泥盤街、そんな人たちがなんでここにいるのか、そんな話題で持ちきりにだ。
悪意に満ちた会話も節々からアルフォンソの耳に入ってくる。
みんなシュトロの悪意に宛てられているようだった。
その後、予鈴が鳴る前にシュトロが戻る。あまり様子が変わらないサラを見てやや面白くないといった様子で自分の席に着く。
次からは、二年生になり最初の座学授業が始まる。
魔術理論、治癒術理論、算術。どれも、アルフォンソ・テレグリズリーのアイデンティティとする優秀な成績を形成するための欠かせない座学達。
それの大事な一発目の授業だ。
にもかかわらず、これらの午前中の座学の時間、サラやシュトロのことが頭から離れず、アルフォンソは全く集中することができなかった。
「 アル。今日、昼は外で食うぞ」
いつもは教室で侍女が作った弁当をゼラスやモドと食べることが多いアルフォンソだが、この日は珍しくゼラスが外で食べることを提案してきた。
「いや…別に教室でいいだろ。移動めんどくさいし、それに…」
アルフォンソは自然に目が先ほど、このクラスの実質的な長と揉めてしまった少女に目が行ってしまう。
サラはこの後の昼休みをどう過ごしていくのだろうか、なぜかそんなことがアルフォンソの頭の中をよぎった。
「あんなことがあった中で教室で、飯なんか食えるかよ。お前のためでもあるしな」
ゼラスは誰にも聞かれないように、耳元へ小声でアルフォンソに向かって囁いた。
「ここじゃできない話もあるだろ。いったん感情の整理しようぜ。」
ゼラスなりに気を使っているようだ。感情の整理。シュトロたちのいないところで、いろいろ気にせず会話することも大事かもしれない。
そもそもサラとは赤の他人なのだ。気にしたってしょうがない。こっちが何かをしてあげる義理だってないんだ。
――今の俺は、アルフォンソらしくない。――
ゼラスと飯でも食って、今後の教室での振る舞い方を確認して、日常に戻っていこう。それがいい。
アルフォンソは、ゼラスに外で食べることの了承をしようとすると、教室のドアが開き、シュバルツが顔をのぞかせた。
「サラ、用があるから今から職員室に来てくれるか?」
シュバルツの呼び出しにサラが、「はい、今行きます」と淡々と答える。今の彼女の雰囲気は、自己紹介の時ような気を張った凛とした雰囲気とは、また違うものになっていた。
どこか空虚的な、淡々と周りを遮断するかのような雰囲気を周りに与えている。
サラは机から立ち上がり、シュバルツに続く形で教室を後にした。
それを見つめていた教室内の雰囲気は安堵のため息半分。悪意に満ちたくすくす笑い半分、といったところである。
「ほら、ナヤミのタネもいなくなったことだしさ、中庭にでも行こうぜ、アル」
「そうだな、らしくない感情をリセットしに行くか」
アルフォンソはカバンから、弁当を取り出し立ち上がる。
重い足取りを無理やり軽くして、今の気分には似ても似つかわしくない、温かく、晴れやかな日差し差し込む中庭へと向かっていった。
整理したものになります。再投稿のような形になってしまって申し訳ございません