彼女の夢
──どうやら彼女は誰かと待ち合わせをしているらしく、その待ち合わせ場所がここから2キロくらい先のホテルらしい。俺達はそこへ向かって歩いていた。
「……予言者様?」
「そう。予言者様。元々あなたを無事に連れて行く事が、私に与えられた依頼でしたから」
「じゃあ、あそこで助けてくれた事は偶然じゃないと言う事ですか?」
「そうですね。あの辺りに行けば水曜日の子が居るかもしれないと言われました」
道中、彼女は俺を助けに来た経緯を話してくれた。なにやら予言者と言う、いかにも胡散臭い肩書を持つ者が仲介してくれていたらしい。
ふむ。その予言者様は間接的に命の恩人になる訳か。確かに都合良く助けが入ったものな。偶然にしては出来過ぎていたかもしれない。
「その予言者様は危険を予知する『力』とかなんですかね」
「多分そういう事だと思います。私もよく知らないんですけど」
予言者様か、どんな人なんだろう。何故俺を助けるんだろう。
俺は宙を仰ぐ。都会の夜空には虫食い穴は無く、新品の服のように単色で塗りされている。街はこんなにも煌々としているのに、上空は反対に殺風景だ。
「予言者様に会ってどうするんですか?」
「さぁ、廻さん次第ですね。予言者様の所には強い方が居るんで、合流すれば人形から守ってもらえると思いますよ。」
少し気になる言い方だった。
「鈴鳴さんはどうするんですか?」
「私はあの方達とは一緒に行けないので……」
彼女はそう言って、ばつの悪そうな雰囲気をかもし出した。何でですか?と能天気に聞けばいいものの、俺は妙に気を揉んで押し黙った。
──それから俺達は三十分弱歩き、そのホテルに到着した。それはかなり大きなホテルで三十階以上はありそうな程、高くそびえ立っている。
入口らしき木製の自動ドアへ近付くと、センサーが反応し自動で開く。ガラス越しに見えるフロントにも明かりが灯っている。先程の服屋と違って、このホテルには電気が通っているようだった。
「ここは開いてるんですね」
「はい。不思議ですよね、この街。まるで人が生活しているかの様に振る舞うんです。人も動物も全く居ないのに、街として機能しようとしてるんです。先程のお店も朝になればひとりでに電気がつきますよ」
「何か怖いな……」
俺は何故か街に見張られている様な不思議な感覚を覚え、街自体に恐れを抱いた。
そして彼女はエントランスへ入って行く。中は外観通り広く綺麗で、そうとうお高いホテルだという事がうかがえる。床は豪華なタイル張りで中央には訳の分からない、唐辛子の様な赤色のオブジェが置いてあった。
彼女は迷いなくエレベーターの方へ歩いて行き、腰ポーチの浅いポケットから何やらカードキーらしきものを何枚か取り出していた。恐らく彼女は以前にもここへ来た事があるのだろう。心なしか彼女は神妙な面持ちになっている気がする。予言者様は怖い人なのだろうか。
エレベーターのボタンを押すと、一階で待機していたらしく、2つある内の右ドアがすぐに開いた。
「3607号室にいきます……」
「36階……。そこに住んでるんですか?」
「ずっと居る訳では無いみたいですけど、割とこのホテルには居るイメージはありますね……。部屋は毎度違いますが」
ドアは閉まり、エレベーターは高速で36階へ上っていく。予言者という得体の知れない存在に会うと思うと、少しだけ緊張する。
エレベーターはあっという間に目的の階へ着き、不気味に口を開いた。薄暗いエレベーターホールがお出迎えしてくれ、俺達は付き合いたてのカップルのようにエレベーターを後にした。
廊下は高級ホテルの割には少し狭く、両側にズラッと部屋が整列している。辺りは静まり返っており、良い絨毯のせいか重厚感のある足音が心臓に染みた。
目的の部屋はエレベーターホールからそこまで離れておらず直ぐに到着した。彼女は少し首を傾げながら、紫色のカードキーをぶっきら棒にセンサー部にタッチさせた。
彼女は取手に手を掛け、扉を数センチ開いた瞬間に口を開いた。
「あ、やっぱり」
何かと思い、開け放たれたドアの先を観てみると、そこには薄っすらとした闇が広がっていた。
「まだ来てないね……」
「……」
俺は少しだけ胸を撫で下ろした。きっと予言者なる人に会うことを不安に思っていたのだろう。夢の中ですら人見知りを発揮する事になるとは。
彼女は部屋のドアを最大まで開けるとドアストッパーで固定する。その後ズカズカと部屋に入っていき、どこかしかのスイッチを押すことでカーテンを開けた。どうやら半自動で動くカーテンのようだった。すると月明かりが入って来て部屋の全体があらわになる。
右側にはガラス張りの洗面所があり、奥に抜けると右側にキングサイズのベッド、左側にはテレビと落ち着いた感じのミニテーブル。突き当りには窓に沿うようにソファーが設置してあった。
「暫くここで待ちましょうか」
彼女は迷いなく窓際のソファーに腰掛け、リュックを傍へ下ろした。
窓の先には大きな緑地公園が広がっており、その奥には海が見えている。
こんな風になっていたのか、下からでは分からなかったな。
俺は座るべき場所を一考し、キャスター付きの椅子を彼女のパーソナルスペースに入らなそうな位置まで引いて腰掛けた。
彼女はおもむろにポケットから録音機を取り出し片耳だけにイヤホンを付けた。
「すみません。夏休み明け早々に学力テストがあるんですよ。暗記箇所、昼間の内に録音しておきましたw」
「へぇ、やっぱり学生さんだったんですね。何年生ですか?」
「あ、大学1年生です」
やっぱり歳下だったかー。でもしっかりしてるなぁ。
「廻さんも明日から、読みたい本とか持って来ると良いと思いますよー。記憶だけは残るんで、勉強とかにはもってこいです」
なるほどね。この世界で勉強すれば、実質的に睡眠学習になるって訳だ。こんな世界でもポジティブに考えれば活動時間が増えると捉えられるんだ。
彼女は言い終えると学習に戻ったようで、何やら自分のふとももに指で文字を書き出している。俺は暫くその姿を凝視していたが、流石にアレだったので持って来ていたスマホを取り出した。しかし予想通りデータ通信が出来ず、やることをなくした俺は、暫くホーム画面をシャトルランした後、スマホを閉じた。その後、俺は指のささくれ除去に勤しむことにした。
──暫くした後、指毛の除去にまで施術範囲を広げている俺を流石に哀れに思ったのか、彼女が話しかけてきた。
「廻さんは社会人なんですよね。どんなお仕事されてるんですか?」
唐突だなぁ。
「え、あぁ、コンサルティングって言ったら分かるかな……?プロジェクトを成功に導く為にお客様にアドバイスしたりする仕事っていうの……?」
まぁ、プロジェクトなんて一個も任された事なんて無いんだけどね……。何だか言ってて自分が嫌になってきた。
「へぇー、何か大変そう。社会人って凄いですねぇ」
「いや全然、大した事ないよ……。言っても1年目だし」
本当に大した事ない。出勤して誰とも話さず、ただうつむいて、学習教材をやって帰るだけ。大した事どころじゃない。実際は無意味だ。同期や先輩から陰で笑われているんじゃないか。そう思うだけで会社に向かう足が震えて、動けなくなる。ただ情けなく、恥ずかしく、惨めだった。キエテシマイタイホドニ……。
「私、実は学校の先生になりたいんです。まだ全然学力とか足りてないんですけど」
言いながら彼女は笑った。俺にはそれがとても眩しく、そして目障りに見えた。彼女は今の俺とは違って夢と希望に満ち溢れている。その輝きに俺は目をひそめた。
「えぇ、すごっ!俺なんか絶対に無理だもんなぁ。だって生意気な生徒とか、クラスの中に結構いたじゃん??あいつらの担任とか絶対に嫌だもんなぁ」
それが今の俺に言える精一杯の皮肉だった。
「ははっ。そうかもですねぇ。でもだから先生になりたいんですよー」
しかし彼女の屈託のない笑顔は一瞬たりとも崩れない。
「私、高校の頃、イジメられてたんですよねw と言ってもドラマとかで見る様なガチなやつじゃないですよ!?でも当時の私からしたら凄く辛かったんです。だから、そういう人達の助けになれないかなって」
先に笑顔が崩れたのは俺の方だった。
「そっか……」
凄いな、この子。人間としての出来が俺とは違うんだ…。何だか自分が、とても小さくて幼く感じられる。
「でも最初からそう思ってた訳じゃないですよ。辛い時、この世界で尊敬できる人に出会えたから、今の夢があるんです。意外と、この夢の世界も悪くないですね!」
彼女は口を閉じてそっと窓の方を向いた。
彼女が夢を叶えられるかは、俺には分からない。でも彼女がもし学校の先生になれたら、きっと生徒に信頼される先生になることだろう。
きっとこの世には、辛い思いをした人にしか言えない言葉や教えられない事があるんだと思う──。俺も彼女のようになりたいと思ったし、その夢を応援したくなった。
「うん。健闘を祈る!」
彼女は急な俺の声量に少し驚いた後、ニッと笑顔を作って見せた。
──その後、俺達は喋ったり喋らなかったりしながら、各々時間を過ごした。その間に俺は手榴弾と発煙手榴弾を1個ずつ彼女に貰って、この夢の世界の物騒さを噛み締めていた。
結局の所、俺達はその部屋で1時間以上待ちぼうけた。
「来ないですねー」
「来んなぁ…」
彼女は窓際のソファーで寝そべっており、俺も結局ベッドに寝転がって天井とにらめっこしていた。ベッドにはよくわからないヒヨコの人形が置いてあったので、俺はそれをひたすらにいじっていた。
「売店でも行きますかぁ…?」
「ん?いいねぇ…」
「確か下の階に売店があったと思うんで」
あっ!と言って彼女が起き上がる。
「知ってました?この世界っていくら食べても現実では太らないんですよ??」
ダイエットしてる人にとっては文字通り夢の世界ってことか。
「へぇ、いいじゃん!菓子あさりに行くかー」
「行く!」
俺は持っていたヒヨコの人形をベッドに捨て去り、暇を潰すべく勢い良く部屋を後にする。
──既視感。
「確かきりが悪い階に売店があったと思うんですよねー」
細長い廊下を進みエレベーターホールに着くと、彼女は下行きのボタンを押した。
──なんだろう。とてつもない既視感と気持ち悪さを感じる。
エレベーターは36階で待機しており、2つある内の左ドアがすぐに開いた。
──この感覚、前にもどこかで……。
するとエレベーターの中には信じたくない光景があった。
「お゙ぉぉあ゙あ゙あ゙あ゙」
アイツだ──。『長鼻の人形』。そいつはエレベーター奥の方で背を向けて揺れていた──。