現実逃避
──俺はふと目を覚ました。意識が連続的でとてもハッキリしてる。長めの瞬きの合間に瞬間移動した様な不思議な感覚だった。
辺りは暗く、携帯見ると時刻は4時21分。起きるにはまだ早い。あまりにも夢の中で意識が明瞭だった為、眠った感じがあまりない。もう一眠りしたいところだ。
俺は大きな溜息をつきながら寝返りを打つ。
それにしてもリアルな夢だったな。なかなか面白い設定だったし。そんなことを思いつつ、俺は目を瞑った──。
──携帯からアラームが鳴る。地獄の底から響く鐘の音。時刻は5時50分だ。もう起きねばならない。俺は一時の安寧から地獄に引摺り戻される。
俺はのっそり起き上がり、ベッドの上で胡座をかいて、薄ら笑いを浮かべた。
「はは、変な夢見たなぁ……」
内容は刻々と忘れていっているが、変な仮面をつけた男に襲われたこと、それを少女に助けてもらったことは憶えている。
「すずなり ゆうり……」
華奢な感じの色白な少女。黒い布で目隠しをしているあの少女は、黒髪のショートボブ。声は吐息混じりで、透き通った感じだったな。
そういえば彼女が、明日は動きやすい格好で寝ろと言っていたな。
俺の夢にしては凝った設定で、続きが気になる。
奇跡的に今晩も見れはしないだろうか。
俺は少し顔が緩んだ状態で、ベッドから勢い良く立ち上がり洗面所に向かう。
全体を通してはホラーだったが、面白い夢だった。
今日も会社に行くのはとても憂鬱だ。しかし夢の中の少女のおかげで、少しだけ頑張れそうな気がした──。
──俺は電車の座席で揺られていた。車窓からは暗闇に密集する住宅が次々と吹き飛んでいく。都心から50分程度の場所ということもあり、少しだけ田舎な景色だった。
時刻は23時54分。俺は友人宅から帰る最中だった。勿論、本日も出勤だったが、会社の同期達と違いプロジェクトを外されている俺は、残業をすることもなく友人宅へ遊びに向かった。
毎日、無駄なサービス残業ばかりしていると精神が病みかねないからな。
この友人は大学時代に同じサークルでよくつるんでいたツレで、当時からそいつのアパートによく遊びにいっていた。
友人宅が俺の借り上げ社宅と数駅程の近さだった為、上京してからも、こうして近況を報告しに行くことがある。
話していることは仕事の愚痴ばかりだが、こうしていると大学の頃に戻ったようで、少しだけ心が和らいだ。
友人は明日が休日のようで、俺に泊まることを勧めてくれたが、俺はそれを断った。
俺は明日も仕事だったし、明日の朝にそいつの彼女さんが訪ねて来るそうで、ギリギリまで居座っても迷惑だと感じたのだ。
友人は上京して半年もたたず、会社で同期の女子と交際をスタートさせており、会社での評価も上々そうだった。
友人は俺と違って、社会人として順調な滑り出しを見せている。
本当に羨まし限りだ。俺は友人を実は妬ましく思っているのかもしれない……。
車窓に映る自分のやつれた顔を見て溜息をつく。
窓に頭をもたれ掛けながら夜景を眺めていると、風景が減速していくのが分かった。次の駅に着くのだろう。
──駅に着く。主要な駅だからか、まばらに座っていた乗客は全員立ち上がり、各々最寄りのドアから出ていった。
扉は閉まり、この車両は俺独りだけになった。そんな車内に少しの哀愁を感じつつも、俺は再び景色が加速していくのを眺めた。
「そして悪夢の水曜日 心を包む悲しみが沈む
想いの旋律 悲鳴と化して 朝日の影が間近に迫る
悪夢の唄が夜空に響く揺れる心に不治の傷跡
偽善の糸に縛られたまま この手にどうか火を灯して……」
俺は気づくと小声で歌を口ずさんでいた。あれ、この歌、なんの歌だっけ。なんか妙に頭に残るんだよなぁ。
列車が十分に加速して暫く経った頃、俺は窓に映る車内に、ふと違和感を覚えた。
確かに車両内には俺しか居なかったはずだが、車窓が反射する景色に俺以外の人が見える。
反射越しに人の足が映っており、しかもそれは俺の真正面の席だった……。
俺の顔が反射して上半身は隠れてしまっているが、確かに正面の席に誰かが座っている様に見える。
俺は車内に独りだけだと勘違いして、鼻歌を歌ったりしてただけあって、少しだけギョッとした。まさか正面に人が座っていたとは。恥ずかしすぎる……。
俺は不審に思われないよう、平静を装いながらゆっくり向き直った。
しかしその瞬間、俺は絶句した──。
えっ……?
──正面の席には俺が座っていたのだ。
正確に言えば俺と全く同じ顔をしている何者かが、正面の席に座っているのだ。
何だこれ、ありえない……。
俺はそいつと目が合ってしまい、動揺して目を逸らした。
心臓の鼓動が大きくなるのを感じる。
確認の為にもう一度見上げるが、その男とまた目が合ってしまって、つい目を伏せてしまう。
しかし2回目で俺は確信する。あれは俺が毎朝鏡で見ている顔だ。
今みたいに眼鏡はしていない。していないが、あれは他人の空似と言えるものではない。
俺はもの凄く血の気が引き、背筋が凍るような感覚を覚えた。
もう一度勇気を振り絞りヤツを見るが、やはり俺の方を無表情で見ている。恐怖心で目が泳ぎ出しそうになるが、頑張ってヤツのことを観察する。やはり見れば見るほど顔は俺だった。
ただ服装などは全く見覚えがなく、高価そうな黒色のスポーツウェアを着ており、髪型や雰囲気も今とは違う感じだった。
その男は脚を開き、席に浅く座り込んでおり、右手親指にはめている特徴的なウロボロスを模した指輪を左手でいじっていた。
俺はそいつとの対峙にいよいよ耐えられなくなって、席を立ち去ろうとするが、席の横に放っていた『ビジネスバッグ』が無い。だがそれどころではない俺は構わず席から離れようとした。しかしそいつの口が動くのを確認し俺は立ち止まった。
何かを言おうとしている……?
そいつは明らかに何かを言っている。しかしそいつの口からは見事に音が発せられない。何かを言っているのは確かなのだが、それが全く音として伝わっていないのだ。まるで車内が真空状態かのようだ。
数秒間、無音状態でこの光景は続いた──。
「何いってんだっ。聞こえねぇよ……」
俺はビビり過ぎて、キョドりまくる。
その時、体に掛かる慣性で列車が減速し出すのを感じ取る。次は降りる駅だ。
この状況を打開するために、彼から目を離さないようにして、ドアの方に向かう。
まずこの空間から逃げなければ。
暫く話して、声が届いていない事を理解したのか、彼は話すことを断念したようだった。
もし彼がドッペルゲンガーだとするのならば、俺に危害を加えてくるだろうか。漫画とかの知識しか持ち合わせていないが、ドッペルゲンガーは害のある存在として語られることが多いように思う。
彼は相変わらず俺の方を見つめており、とてつもなく気色が悪い。
──電車は順調に減速し、俺の最寄りの駅で停車する。俺は扉が開くのが待ち遠しく、扉に限界まで近づいた。
その最中、俺は途方も無い眠気に襲われた。普通に立っているのが難しい程の眠気で、意識が遠退くのを感じる──。
「あ……」
声が出た。
──気がつくと俺は身に覚えのあるオフィスに居た。