聖女が起こす奇跡 3
メグの詠唱に応えるかのように、彼女の頭上に星屑のような細かな光が現れた。それらはふわりと舞い降りるように落ちていき、メグの膝辺りでそっと消えていった。
時間にすれば、たった数秒のことだった。しかし、この僅かな時間で彼女は己にかけられていた疑いを完全に吹き飛ばした。
それまでちらほらあった俺たちを疑う視線は、全く見られなくなった。奇跡の光を目にし、誰もがメグこそが聖女であると認めていた。
だが、そんな中でも一人だけ、今しがた目にした現実を否定する女がいた。
「いやあああっ!あ、あり得ないわ!マ、マーガレットが本当に聖女だなんて!認めない!認めないわ!」
メグの奇跡の光が消えた後、しんと静まり返っていた処刑場にキャサリンの絶叫が響いた。彼女は血走った目をメグに向け、両手を前に突き出した。
「そうよ、消せばいいんだわ。そうすれば全てなかったことになるのよ!お前が消えればいいのよ!」
そう言い終わるや否や、キャサリンは魔法の詠唱を始めた。
『炎よ赤く燃え盛れ、フレイム』
大勢の前で、キャサリンの禍々しい炎がメグに向かって真っ直ぐ走っていった。それはモングスト侯爵家で俺がバリアで防いだものとは比べ物にならないぐらい、大きな炎だった。
聴衆の中から、女性の甲高い悲鳴が聞こえた。しかし、キャサリンが自ら望んだ魔法の届かない距離にメグはいたため、炎は彼女のもとに届く前に失速し、消滅した。
それでもキャサリンは何度も何度も、メグに向けてがむしゃらに魔法を放った。魔法が届かない距離とは言え見ていられず俺はメグのもとへ急いだが、そんな俺を飛び越えて凍てつく冷気がキャサリンの魔法に向かって放たれた。魔力の主の意志を示すかのように荒れ狂っていた炎は、相反する魔法に相殺され、煙のような水蒸気を残して消えていった。
それはアレックスの魔法だった。俺がアレックスの魔法に驚いている間に彼はメグの側まで駆け寄っており、炎に慄いていた彼女の背にそっと手を添えていた。
アレックスが気遣わしげな目をメグに向けるのを見て、キャサリンが更に喚いた。
「お、お前、聖女ばかりか、私のアレックス様まで目の前で奪おうと言うの!この汚らわしい売女!離れなさい!私のアレックス様から離れなさいよ!」
周囲にいた男性がキャサリンを押さえようとしたが、彼女はそれを振り払い、メグの方へ走り出そうとした。しかし、キャサリンが数歩も進まない間に、彼女は駆けつけた騎士団に取り押さえられた。
体の動きを拘束されても、キャサリンは「無礼者!私を誰だと思っているの?気安く触るな下男が!」と喚き続けた。ついには猿ぐつわをされ、手には魔法を吸収する結晶がはめ込まれた道具が取り付けられた。
それでもうーうーと唸り続けるキャサリンに、俺はアレックスと共に近づいていった。それまでは拘束を振り払うように暴れていたキャサリンだったが、アレックスの姿を目にすると、その目を見開いて、顔を隠すかのように身を反らした。
そんなことで隠しきれない無様な姿を晒す彼女をちらりと見下ろしてから、俺は彼女にも聞こえるようアレックスにこう伝えた。
「アレックス様、聖女マーガレット様を陥れようとしたのは、聖女様の出自をよく知り、深い妬みを持つこのような者だと思われます。しっかりと捜査をしていただきますようお願いいたします」
俺のほぼ名指しをするような言葉に、アレックスも同じように返してくれた。
「分かりました。清らかなる聖女様を害せんとする者は、きっと先ほど喚いていたこの者のように性根も言葉も汚い者なのでしょう。必ずや犯人を突き止め、罪を償わせます」
キャサリンは釈明でもしたいのか、懲りずに何か唸っていた。しかし、俺はもう彼女を見ることなく、メグのもとへと走っていった。
「マーガレット様、お疲れ様でした」
俺がそう言って手を差し出すと、彼女はずっとケープの胸元を握りしめていた右手を解き、ゆっくりと俺の手に乗せた。その手はまだ微かに震えていた。そのことはメグがかなり緊張していたことを物語っていた。
強く握りしめていたためくっきりとシワが付いたケープの胸元を見ながら、俺はメグに小さな声で話しかけた。
「……ちゃんと気付いてくれたんだな」
メグは自分の胸元に視線を落としてから、「はい」と小さく答えた。
メグが『ミラクル』の詠唱中ずっと握っていたケープの胸元には、ブローチがあるだけではなく、実はその裏側にポケットが縫い付けられていた。それは元から付いていたものではなかった。今回のために、アリーに急ぎで縫ってもらったものだった。
俺はそのポケットの中に、アレックスと作った『ミラクル』が込められた結晶を隠していた。そして、直接そうとは伝えられなかったが、メグに結晶に気づいてもらうために、彼女にケープを羽織らせたときにブローチに彼女の手を触れさせたのだった。『ミラクル』を込めた結晶はそれなりの大きさがあった。触れれば、きっと気づいてくれるだろうと、その可能性に賭けたのだった。
聖女だと名乗れば、それを証明するために『ミラクル』を使うよう要求される可能性があるだろうと俺は思っていた。
もしそうなっても、魔法が届く距離なら俺が無詠唱で対応するつもりだった。しかし、万が一魔法が届かないほど距離を置くよう言われたときのために、保険として結晶を密かに忍ばせたのだった。
そうして対策はしていたが、人目がずっとあったため結晶のことをメグに直接伝えることはできなかった。彼女が隠しポケットの結晶に気が付くか、それがアレックスと作った『ミラクル』を込めた結晶だと分かってくれるかは、完全に賭けだった。
しかし、メグはあのときケープの胸元を握りしめながら自分に任せるようにと言ってくれた。だから俺は彼女は全て気付いていると信じて、遠くから彼女を見守ったのだった。
それでも、光の粒が現れるまでは気が気ではなかった。最悪の事態が、何度も頭を過った。
でも、俺たちは無事やりきった。聖女がメグであるという、途方もない嘘をつききったのだった。
今やメグが聖女であることを疑う人はこの場にはいなかった。そうなれば、こんなところに長居する理由は何もなかった。俺はメグの手を緩く引き、彼女にこう言った。
「マーガレット様、帰りましょうか」
俺たちは騎士団と教会の大勢の騎士に囲まれて、教会へと帰った。馬車を降りるとすぐ、念のため教会に残ってくれていたロバートさんが、彼らしくもなくバタバタと足音を立てて駆け寄ってきた。
ロバートさんは俺たちの顔を見ると、目を潤ませ、目頭を押さえた。
「聖女様が無事お戻りになりました」
俺がそう言うと、彼は「ええ、何よりです。何よりでございます」と小さな声で答えてくれた。
聖女が男で、聖女の侍女が聖女であった。教会にも裁判所での話は伝わっていたようで、大勢の人たちが俺たちを見るため集まっていた。神官たちもやってきて、ロバートさんに矢継ぎ早に質問をしてきたが、それに応えるよりも先にメグを休ませたかった。
ヨンハンス司教をちらりと見やると、彼は俺の考えを察してくれたようだった。彼は集まった人たちに向けて、こう声をかけてくれた。
「聖女様に関するお話は、私が説明します。神官以上の者は、この後私の執務室に来るように。それ以外の者は、神官より通達があるのを待つように」
ヨンハンス司教はメグに一礼すると、神官たちを連れて、彼の部屋に移動していった。そのタイミングで俺たちもその場を離れ、聖女の部屋に戻った。
部屋のドアがバタンと閉まると、メグはふうと溜め込んでいた息を吐いた。俺も見慣れた部屋に、やっと帰ってきたんだなということを実感した。
俺たちがそうして気を抜いている間にアリーがてきぱきと動いてくれたようで、彼女は紅茶を乗せたワゴンを押して部屋に入ってきた。それに気づいたメグが動こうとしたが、アリーは彼女を止めた。
「メグさんは戻ったばかりなんですから、ソファに座ってください。軽食は食べられそうですか?いくつか用意してましたが、無理はしないでくださいね」
アリーはそう言うと、メグの手を取ってソファに座らせようとした。しかし、ソファの手前で、アリーの足がぴたりと止まった。
メグの手を握りしめたまま、アリーはポロポロと泣いていた。最初は静かに涙を流していたが、すぐにそれは嗚咽の混じるものになった。
「メ、メグさん、本当に無事でよかったです。私、私、本当に心配で、不安で。メグさんが戻ってこなかったらどうしようとか考えてしまって……」
泣きじゃくるアリーの背を、メグはそっと撫でた。
「ありがとう、アリー。ユーリ様たちのおかげで無事戻ってこれたわ。このケープを用意してくれたのは、アリーかしら?とても温かかったわ」
「これっ、これは、ユーリ様が急に結晶を隠せるものを用意してくれって言いだしたんです。ユーリ様は、滅茶苦茶なことをいきなり言い出すし、もう本当に、本当に大変だったんです」
今回の作戦のためにアリーに色々無茶をお願いした自覚はあった。そのため、俺は黙ってアリーの言葉を聞いた。
「こんな人、私だけじゃとても相手しきれません。手に負えません。だから、だから、メグさんはもうどこにも行かないでください。ここにちゃんと居てくださいね」
アリーはメグの手を、もう離さないとばかりにぎゅっと握った。そんなアリーに、メグは柔らかく微笑みかけた。
「アリー、ありがとう。ええ、私はもうどこにも行きません。また一緒にユーリ様をお支えしましょうね」
「約束ですからね!」
「はい、約束です」
えぐえぐと泣き続けるアリーが落ち着くまで、二人は手を握っていた。
メグがソファに腰を落ち着ける頃には、アリーの入れてくれた紅茶は少し冷めてしまっていた。アリーが淹れ直すというので、俺は彼女にミルクティーをリクエストした。
温かく、優しい味わいのミルクティーを飲むと、外にいたこともあってか自分の体が思ったより冷えていたことに気が付いた。それはメグも同じだったようで、暖を取るようにマグカップに両手を添えていた。
人心地ついたところで、メグは改まって俺の方を向いた。
「ユーリ様、この度は大変なご迷惑をおかけし、申し訳ございませんでした。私のためにユーリ様の秘密を明らかにさせてしまいました。本当に申し訳ございませんでした」
「メグが謝ることじゃないだろ。それに、俺も女装がそろそろ面倒になってきてたし、ちょうどよかったんだよ。儀式だからって、あれで人前に出るのも嫌だなとも思ってたしね。それよりこっちこそ、本当に悪かった。急に聖女とか言われて困っただろ?」
事前に作戦を伝えたロバートさんやアリーでも戸惑っていたのだ。あの場で急に告げられたメグは相当困惑しただろう。
そう思っていたのに、メグは緩く首を横に振り、それを否定した。
「確かに驚きはしましたが、それだけでしたよ」
「本当に?ぶっつけ本番だったし、不安だったろ?」
上手くいったからこそこんなことを言えているが、本当に綱渡りな作戦だった。心配する俺に、メグは予想外の答えを返してきた。
「不安はありませんでした。だって、ユーリ様が私に信じろとおっしゃってくれましたから」
確かにあのとき、俺はメグに信じてと言った。だから、彼女は俺を信じたと言うのだった。
言葉にすればそれだけなのだが、嬉しさと、よく分からない恥ずかしさが腹の底から上がってきた。
顔が赤くなっているような気がして、俺は話題を変えるためにもアリーに話を振った。
「アリーにも無茶をさせたよな。色々と助けてくれて、本当にありがとう」
「無茶っていうか、最初に聞いたときは無茶苦茶な作戦だと思いましたよ。でも、メグさんを助けることができて、本当によかったです。ユーリ様こそ、本当にありがとうございました」
アリーの言葉に、俺は少しばかり苦笑いをした。彼女の言うとおり、これはとんでもない思いつきを実行した、本当に滅茶苦茶な作戦だった。
これを最初に言ったときは、ロバートさんもアリーもポカンとした顔をしていた。そんなことを思いながら、俺は一昨日の事の発端を思い返した。




