彼女を救うために 1
気が付くと、見慣れた天井が見えた。向こうの世界で住んでいた安アパートの古びた白い壁紙ではなく、ここ数ヶ月俺の寝室であった綺麗な部屋の天井だった。
「俺の、部屋?」
部屋には窓からオレンジ色の西日が差し込んでいた。まだ夕方なのに、俺はベッドで眠っていたようだった。状況が掴めず少し掠れた声でそう呟くと、ドアの方から大きな音がした。
「ユーリ様!」
慌ただしい足音と共に駆け寄ってきたのはアリーだった。彼女は涙が薄く張った瞳で俺を覗き込んできた。
「お気づきになられましたか?怪我は痛みますか?」
『怪我』と聞かれ、俺は昼頃のできごとを思い出した。中学生のような少年にぶつかられたその瞬間に、脇腹に痛みと冷たさを感じたのだった。脇腹を確認するため起き上がろうとすると、その部分にビリッとした痛みを感じた。
「いっ!」と思わず声を上げると、アリーが薬と水を持ってきた。
「痛むようであれば、この薬を飲むようロバート様から言付かっております。傷は深くないそうですが、今は安静になさってください」
差し出された薬を飲んでから、俺は痛む右の脇腹を確認した。気を失ってる間に着替えさせてもらったらしい緩い部屋着の下に、きっちりと包帯が巻かれているのが見えた。
「これ、ロバートさんが?」
「はい、ロバート様はお医者様でもありますし、ユーリ様のお肌を他の方に見せるわけには参りませんのでしたので」
確かにこんな場所に包帯を巻くには上半身を脱ぐ必要がある。いくらウィッグを被り、化粧をして女性のように見せていても、胸がないことまでは誤魔化せない。ロバートさんがお医者さんでよかったと思ったとき、俺はふとあることに気が付いた。
「あれ、メグは?」
いつもこの部屋にいるメグの姿が、そこには見えなかった。ロバートさんの手伝いでもしているのか、俺が少年に刺された現場にいたから話でも聞かれているのかと思っていると、目の前にいたアリーが耐えきれないとばかりにボロボロと泣き出した。
「ど、どうしたんだ、アリー?俺なら気を失ったとは思えないぐらい元気だぞ。痛いって言ってもそこまでじゃないし、傷も深くないようだし、そんな心配するなって。な?」
慌ててフォローのようなことを言ったが、アリーは首を横にぶんぶんと振るばかりだった。他にアリーを泣かせるようなことがあったかと思っていると、彼女は涙を流しながら、大きく頭を下げた。
「ユーリ様!どうかメグさんを助けてください!」
「メグを、助ける?え、もしかしてメグも怪我をしたのか?だから、ここにいないのか?」
勢いよく聞き返した俺に、アリーはまた首を振った。
「アリー、メグに何かあったのか?」
何だか酷く嫌な予感がした。アリーは所々言葉を詰まらせながらも、俺が気を失っていた間のことを教えてくれた。
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「君、どうしたの?ここは関係者しか入っちゃいけないところなんだけど、迷いこんでしまったかな?」
迷子らしき少年に話しかけるユーリの姿を、メグは少し下がったところから見ていた。その少年は奥まで入ってきてしまったのを咎められるとでも思っているのか、ひどく怯えているように見えた。彼を外まで連れていくなら騎士より自分が案内をした方がいいかもしれない、メグがそんなことを考えていたとき、それまでじっとしていた少年が急に動いた。
一瞬何が起こったのか、メグにも分からなかった。少年がユーリにぶつかったと思うと、ユーリの服の脇腹の部分に、赤い色が広がるのが見えた。聖女用に仕立てられた純白の衣装に現れた鮮やかな赤は、ひどく目立って見えた。
「ユーリ様!」
それが血だと理解する前に、メグは反射的に叫んでいた。その声に驚き少年が後退りするようにふらりと一歩下がった瞬間、少年の両腕が肘の辺りまでいきなり大きな氷で覆われた。何もなかった空間に急に生み出されたその氷は、明らかに魔法によるものであった。
アレックス様が贈ってくださった結晶の力だとメグが思ったのと同時に、ユーリがドサリと音を立てて庭の芝の上に倒れた。メグはすぐにユーリのもとへ駆け寄った。
「ユーリ様!」
メグが声をかけても、ユーリはピクリとも反応しなかった。メグは頭が真っ白になり、自分の心臓の音が周囲の音を掻き消しそうなほど煩く聞こえるように感じた。メグはへたり込みそうになる自分を叱咤し、ゆっくりとユーリの側に膝をついた。震える手でそっとユーリの右の脇腹に触れると、じわりと温かな血が彼女の指に付いた。しかし、出血はメグが想像していたものよりずっと少なかった。この程度の出血では倒れはしないだろうから、ユーリが気を失ったのは恐らくあの氷を生み出したことで急激に魔力を消耗したからだろうとメグは推測した。
それが原因であれば、ユーリはしばらくすれば目を覚ますはずだった。不安の中に一つだけ希望を見つけたような気持ちになり、メグは少しだけ落ち着くことができた。人を呼ばねばとメグが周囲を見回すと、建物の方から騎士が十数人こちらに向かってくるのが見えた。その姿にホッとしたのも束の間、メグは騎士のマントを見て、大きく目を見開くことになった。
十数人の騎士のうち半数は、王国の騎士団への所属を表す緋色のマントをまとっていた。他に教会に所属する白色のマントの騎士も二、三人いた。
しかし、残りの騎士は、濃緑のマントを身に着けていた。
モングスト家の騎士がなぜ、とメグが思っている間に、騎士の一団は彼女の側にやってきた。王国の騎士は倒れたユーリに気づくと、教会の騎士に医者を呼ぶよう慌てて声をかけた。
その動きを見ていて、メグははっとして教会の騎士に声をかけた。
「神官のロバート様をお呼びください。あの方はお医者様でもあり、ユーリ様の体調をよくご存じなのです」
ロバート以外の医者に、ユーリの腹部を見せる訳にはいかなかった。幸いここから事務棟はすぐ近かったので、ロバートを呼ぶのはそう不自然なことではなかった。
メグが騎士たちとそんなやり取りをしている横で、王国の騎士とモングスト侯爵家の騎士は、両腕が凍ったままの少年を囲んでいた。少年の腕は血の付いたナイフを持ったまま凍っていた。犯人は誰の目にも明らかであった。
「おい、お前。あの方を聖女様と知って襲ったのか?」
「どうしてこんなことをした。自分のしたことの意味が分かっているのか?」
大柄な騎士に囲まれ、少年は最初に声をかけたときとは比べ物にならないほど震えていた。彼はひゅっひゅっと浅く息を吸った後、メグの方を見てこう言った。
「せ、聖女様だって、し、知ってた。でも、ちゃんと、に、逃がしてやる、からって。あの人を、刺せって、言われたんだ。あの、あの金髪の女に」
倒れたユーリを除いて、そこにいた全員がメグを見た。少年の発言を最初から最後まで聞いていたが、メグは彼の発言の意味が理解できなかった。
私がユーリ様を刺せと言ったと、彼は言った?少年の発言は、メグが知る現実とあまりにも乖離していた。
突然の事態に対処しきれず、何も言えずにいたメグに、モングスト家の騎士が大股で近づいてきた。彼はユーリの側に座り込むメグにだけ見えるように、にやりと怪しげな笑みを浮かべた。
ユーリ様が倒れているのに、なぜこの騎士は笑うのか。メグが抱いたその疑問の答えは、すぐに示された。モングスト家の騎士は、回りに聞かせるような大声で、メグにこう命じた。
「聖女様殺害未遂の首謀犯よ、取り調べに応じてもらうぞ。早く立て!」
彼はメグが反論するよりも早く、彼女の腕を掴み上げた。無理やり立たせたメグを引きずるようにして、どこかに連れていこうとした。腕を無理やり引っ張られるのに必死に抵抗しながら、メグは残っていた教会の騎士にこう伝えた。
「ユーリ様のお怪我は恐らくそこまで酷くありません。気を失われたのは、魔力を一度に消耗しすぎたためと思われます。どうか、どうかロバート様が来るまで、この方を安静にしておいてください!この方を、ユーリ様をどうかよろしくお願いいたします!」
犯人から首謀者だと名指しされたメグにそう言われたため、騎士は戸惑っているように見えた。しかし、メグの必死さが伝わったのか、そのうちの一人が「承知した」と返してくれた。
その言葉を確認すると、メグは抵抗をやめた。本当はアリーかロバートが到着するまではユーリの側にいたかったが、非力な女性である彼女が騎士に抗えるのは、そこが限界だった。モングスト家の騎士に捕えられ、メグは少年と共に騎士団の詰め所に連れられていった。




