招かれざる来訪者 2
イリスは騎士に深々と頭を下げてから、教会の奥に向かってゆっくりと歩いていった。その落ち着いた足取りは、角を曲がり騎士の視界から外れると、すぐに駆け足へと変わった。
アリーを助けなければいけない。でも、どうすればいいのか、イリスの考えはまとまっていなかった。
騎士を待たせ過ぎるとアリーに危害が加えられるかもしれないから、まずは客間を確認するべきなのか。侍女が危ない目にあっていることを聖女様に先に伝えるべきなのか。ヨンハンス司教は無理でも、誰か偉い人に助けを求めるべきなのか。
どれが正解か分からないままであったが、イリスはその焦燥感に突き動かされるように足を動かし続けた。
明確な目的も決められないまま進んでいると、神官たちの執務室のある事務棟の近くでイリスは一人の神官を見つけた。彼女は飛び付くように、その人のもとへと駆け寄った。
「す、すいません神官様。あの、礼拝堂で、貴族の騎士と、アリーが大変なことになってて、わ、私っ」
やっと頼ることができる人を見つけ、緊張から少し解放されたからか、イリスの話し声は途中から涙声になっていった。急に話しかけてきた女性が目の前で泣き出したため神官はかなり驚いたが、それでも落ち着かせるようにそっとイリスの肩に手を置いた。
「息を吸って、落ち着きなさい。そして、そうですね、まずは貴女の名前を名乗りなさい」
「は、はい。イリスでございます」
「イリスですね。先ほど、聖女様の侍女の名前と、貴族の騎士と言いましたが、彼女たちの間にトラブルがあったのですか?」
イリスは目元に涙をためたまま、何度も頭を縦に振った。
「そして、その侍女は助けを必要としているのですね?」
「は、はいっ。多分ですが、相手の騎士から聖女様に会わせろと迫られていたんだと思います」
なるほど、と神官は小さく呟いた。そこから彼は根気強く、イリスから話を聞き出した。しばらく時間を要したが、神官は大まかな内容を把握した。
彼は少し考えたあと、懐から出したメモに走り書きをしながら、イリスにこう命じた。
「ここに聖女様への言付けを書きます。イリス、聖女様のお部屋の場所は分かりますね?聖女様のお部屋にはもう一人の侍女であるメグがいるはずなので、彼女にこれを届けなさい」
「はい」
「客間の手配と、上への連絡は私がやります。聖女様のお部屋に着いた後は、聖女様かメグの指示に従いなさい」
「かしこまりました」
「では行きなさい。火急の用件です。駆け足を許可します」
その言葉を受け、イリスは神官に頭を下げたあと、聖女ユーリの部屋に向かって駆け出した。
残された神官も、すぐに彼の目的に向かって動き出した。彼はまず近くで仕事をしていた神官見習いを捕まえ、客間の準備を命じた。
そして次に、彼はヨンハンスの執務室へと足を進めた。
「今日のヨンハンス司教の予定は、先方の都合で急遽キャンセルされたはずだ。お部屋にいらっしゃればいいのだが」
神官は焦りを滲ませた声で、そう独りごちた。
神官からの命を受けた後、イリスは許しを得たこともあり、聖女の部屋に向かって全力で走った。彼女は聖女の部屋に行ったことはなかったが、有名なこともあり場所だけは知っていた。聖女様に仕事ぶりを見込まれてお部屋に呼ばれたりしないかしらなんて、同僚と冗談を言ったことがあった。しかし、まさかこんな理由で訪れることになるとは、イリスは夢にも思ってもいなかった。
イリスがユーリの部屋のすぐ近くにたどり着くと、ここまで止まらず走ってきたので彼女の息はすっかり上がっていた。しかし、気の焦りからイリスは息が整うのも待つこともできず、半ば乱れた呼吸のまま聖女の部屋の手前に立つ衛兵に話しかけた。
「わ、私、イリスと申し、ます。せ、聖女様への、面会を、お願い致します。火急の用事で、神官様より言付けを、預かっております」
肩で息をしたままそう言ったイリスに、衛兵は冷静にこう尋ねた。
「どの神官様からの言付けですか?あと、貴女は神官見習いではありませんね?普段、神官様のご用事は見習いが持ってくるのですが、今日は何故貴女が持ってきたのですか?」
神官のことを言えばすぐに通してもらえると思っていたため、予想外の展開にイリスは思わず言葉に詰まった。その反応を衛兵は虚偽の疑いがあると見たのか、彼女を見る目の厳しさが一つ増した。
神官様のお名前なんてうかがってないわとイリスが焦れば焦るほど、衛兵は疑いを強めていった。預かったメモに署名があるかもしれないと冷静に考えることもできず、おどおどするばかりの彼女に、衛兵の向こうから別の声がかけられた。
「あれ、イリスじゃないか。お前、西棟で働いてたんじゃなかったけ?どうしてここに?」
聞き覚えのある声にイリスがばっと顔を上げると、そこには見知った顔があった。
「ニック兄さん!」
ニック兄さんと呼ばれたその衛兵の男は、そのまま足を進め、詰問していた衛兵とイリスの間に入った。それでもイリスから視線を外さぬまま、妹なのか?と尋ねる同僚に、ニックは軽く手を振った。
「違う違う。でも、同郷の娘なんだ。妹分みたいなもんだよ。それよりどうしてイリスがお前に泣かされそうになってるんだ?」
睨み付けてくる同僚に対し、今度は衛兵が面倒くさそうに手を振った。
「あのな、見たことのない娘がいきなり聖女様を訪ねてくると、まず疑ってかかるのが俺たちの仕事だろうが。お前の知り合いというなら、ここの教会の者なのは間違いないようだ。しかし、イリスと言ったか?何故君が神官様の言付けを預かってきたんだ?」
ニックの顔を見て落ち着けたこともあって、イリスは礼拝堂での出来事と、その後出会った神官とのやり取りをやっと話すことができた。そして、最後に神官から預かったメモを二人に渡した。
「大体の事情は分かった。しかし、君の話だけでここを通すことはできない。私は君が嘘をついているとは思っていないが、そういう規則なんだ」
「そんな……」
崩れ掛けたイリスを、ニックが手を背に添えて支えた。
「おい、それだけを言うとイリスが早合点するだろうが。大丈夫、メモの神官様の字を見ても、見習いを呼ぶ時間すら惜しまれたのは予測ができる。お前は通してやれないが、このメモはすぐにメグさんに渡してくる」
「あ、ありがとう、ニック兄さん!」
「お前はこのままここにいろ。事情が事情だけに、メグさんが詳しい話を聞きたがるかもしれない」
「分かったわ」
ニックはイリスにそう言うと、聖女の部屋に向かって歩いていった。
コンコンというノックの音が、メグ一人しかいない広い部屋に響いた。彼女は掃除の手を止め、ドアに向かって歩いていった。
「はい」
「ニックです。メグさん、悪いけど少し出てきてもらえますか?ご確認をお願いしたいことがあるのです」
警備をしている衛兵から声がかかることは珍しかった。何かあったのだろうかと思いつつ、少し間を置いてから、メグはドアの外に出た。
「お忙しいところにすみません。先ほど、あちらの下働きの娘が神官様よりこのメモを預かってきました。急ぎの用件です。彼女は現場にいたそうです」
思い当たる用件はなかったが、ニックの焦りを滲ませた表情に急かされ、メグはすぐに差し出されたメモに目を落とした。少し読みづらい走り書きの文字を読み進めると、そこには信じがたいことが書かれていた。
聖女と会うために侍女を脅すなんて、あり得ない手段だった。例え一度会えたとしても、印象を悪くするのは必至だ。
そう考えるのが普通だが、メグにはこの非常識な手段を取りかねない人物に心当たりがあった。その人物は、己の血筋に絶対の自信を持ち、自分こそが聖女に相応しいと考える男だった。
それを確認するため、メグはもう一人の衛兵の側に立つ少女に質問をした。
「貴女が現場にいた方ですね。一つお聞きしたいのですが、この貴族の騎士は何色のマントを纏っていたか覚えていますか?」
貴族の家に属する騎士は、所属を明確にするため、家毎に異なる色のマントを着用する。知らぬうちにメモを強く握っていたメグに、イリスはこう答えた。
「マントは濃い緑色でした」
その答えを聞いて、メグは自分の脳裏に浮かんでいた人物がアリーを捕まえるよう指示を出したに違いないと確信した。
濃緑のマントを羽織る騎士が属するのはモングスト侯爵家。聖女に無理やり会いに来ているのは、恐らくジュリアスだろうとメグは思った。




