招かれざる来訪者 1
フランチェスカ王女を訪ねてから、数日が経った。
俺はやっと聖女と神官見習いの二重生活を始め、ロバートさんのもとで簡単な書類の確認などから仕事を習いだした。専門用語が多くて思っていたより大変だが、一つ覚える度に少しずつ前に進めている実感があった。
アリーも俺が神官見習いをやっている間に、メグから付きっきりで侍女の仕事を習っているようだった。先日の訪問で経験を積んだのもあるのだろうけど、最近姿勢や立ち振舞いがぐんと良くなっているように感じられた。
そうして各々自分の将来のために順調に動き出していたのだが、一つだけ俺の頭を悩ます問題が起きていた。
「いやー、ピンブローチ効果はすごいですね。私、教会の表に出ると、色んな貴族の家の使用人にあれはアレックス様からの贈り物なのかって探りを入れられますよ」
俺はあの日アレックスから言われたことを踏まえ、聖女として活動するときには貰ったピンブローチを胸に着けていた。俺の活動範囲は限られているし、そこまで人の目に触れることはないはずなのだが、何故か俺がアレックスからの贈り物を受け取ったと貴族の間で大きな噂になっているらしいのだった。
聖女の俺に直接それを聞いてくる人はいないが、一般の参拝者が訪れる教会の表にも足を運ぶメグとアリーは、そのことで質問責めにあっているのだった。
「本当かよ、アリー。それ、誤魔化してくれてるんだよな?」
「もちろんですよ。存じ上げませんって答えてますよ」
「ありがとうな。アリーも誤魔化してくれてるのに、何でこんな騒ぎになってるんだろうな」
大きくため息をつき嘆く俺に、メグが言いにくそうにこう伝えてきた。
「貴族たちは、否定をしなかったため肯定していると取っているのだと思います。話を聞きに来た使用人たちによると、どうもアレックス様がピンブローチを工房に依頼したときから、愛用の品と同じ結晶を用いた物を誰かに贈るようだと噂にはなっていたみたいです」
「はー、それで皆アレックスが誰に贈るのか注目してたところに、そのアレックスと同じ結晶を着けた俺がのこのこ出ていっちゃったんだな」
自分の迂闊さに、俺はがっくりとうなだれた。
「護身用にといただいたのですから、ユーリ様がお召しになるのは自然なことです。しかし、こうなってはもう私たちでは噂を抑えようもありません。素知らぬ態度を貫くしかないかと思います」
この中で貴族社会に一番詳しいメグがそう言うのだから、もう俺たちになす術はないのだろう。
そのため鎮火するまで黙っておくかと割りきろうとしたが、そんな矢先にメリーベルから「男性とのお付き合いでも、私は応援します」と遠回しに綴られた手紙を受け取ってしまった。俺は盛大に凹み、そして誤解を解くべく必死に手紙を書くことになった。
人の噂も何日と言うように、俺たちが沈黙を貫いていると、しばらくするとピンブローチの話も徐々に落ち着いていった。メグもアリーも質問責めにされることも減ったときいて安心していたある日、その招かれざる来訪者はやってきた。
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その日、ユーリは神官見習いの仕事をするため、午後はロバートの執務室にいた。
彼が神官見習いをしているとき、普段であればメグとアリーがユーリの部屋に残り聖女の世話をしている振りをして、聖女が自室にいるように見せていた。
しかし、その日はアリーは用件があったためユーリの部屋にこもらず、外で仕事をしていた。ユーリが守護結晶を満たす作業は順調に進み、結界を構築する儀式が近づきて来ていた。そのため、彼女は聖女の衣装について色々と打ち合わせをしなければならなかったのだった。
メグは侍女の仕事全般を担っていることもあり、ユーリの側を離れることは少ない。しかし、アリーはちょこちょこと外でも仕事をしていたので、彼女が聖女の在室中に側を離れるのは珍しいことではなかった。
結界を構築する儀式は大変重要な儀式だ。そのため、それに相応しい衣装を仕立てるべく、針子やデザイナーたちは細かな打ち合わせを行っていた。聖女の身支度を担っているアリーは、ユーリの好みや要望を伝えるためそこに参加していた。儀式まで時間はまだあるが、いいものを作るのに時間はあるに越したことはない。真剣な議論は時間いっぱいまで行われた。
「では、こちらがデザイン画と本日決定した布地の見本です。聖女様にご確認をいただきますようお願いいたします」
アリーが受け取ったシルクの生地は、最高級に相応しい美しい光沢を放っていた。それを大事に鞄に仕舞ってから、彼女は打ち合わせをしていた会議室を出た。
中庭にある大きな時計塔を見ると、時間は午後のお茶の時間の手前を指していた。ユーリが帰ってくる前に片付けたい仕事も色々あったため、アリーは近道になる礼拝堂の方へ向かっていった。
午後の礼拝が終わった後なのか、礼拝堂の近くにはちらほら参拝者の姿が見えた。その間を足早に、でも駆け足にならないよう姿勢に気を付けながらアリーが歩いていると、急に雑踏の中から「彼女です!」という声が聞こえた。
ふと声がした方に顔を向けると、身なりのいい騎士に囲まれた男が、自分を指差しているのが見えた。アリーがもしかして私のことかと思っていると、一人の騎士とばちりと目があった。がっしりとした体格のその騎士は、アリーを指差していた男を雑に押し退けると、濃緑のマントを翻し彼女の前までやってきた。
自分を見下ろす男の顔を見て、アリーは瞬時に彼は貴族の関係者だと気が付いた。顔の表面こそ笑みの形をしているが、冷めた目は平民を蔑む色を隠しもしていなかった。
「お前がユーリ様のもう一人の侍女だな」
それは質問ではなく、確認だった。フランチェスカ王女のもとを訪れるときに同行したためか、貴族社会の中でもアリーの顔を知る人が増えていた。先日、ピンブローチの件で質問をしてきた貴族の家の使用人たちも、アリーの特徴を知っていたのか、迷うことなく真っ直ぐ彼女に近寄ってきた。
顔が知られていては言い逃れはできないし、平民が貴族に逆らっていいことはなかった。特にこんな目をした相手なら、それは尚更だった。アリーはメグと日々練習している侍女らしい笑みを浮かべ、緊張を押し隠して返答をした。
「はい、そうでございます」
それを聞いた騎士は、懐から手紙を出し、アリーの目の前に突きつけた。目の前に示された封蝋のデザインが示す家名を、アリーはメグから習っていたため知っていた。手紙の主はモングスト侯爵家の人間だった。
「ご令息が聖女様との面会を望んでおられる。すぐに聖女様への取り次ぎをせよ」
傲慢な物言いに、アリーはもう少しで眉をピクリと動かしそうになった。相手は大貴族の侯爵令息かもしれないが、ユーリもこの世界で唯一の聖女であった。前触れも事前の調整もなしに、突然押し掛けて会えるような存在ではなかった。
アリーがきっぱりと断ろうと騎士の顔を見上げると、騎士は返答の内容を予測したのか、彼女が何かを言う前に腰に帯びた剣に手を掛けた。
ガチャリと重い音が、アリーの耳に大きく響いた。重たい鉄を思わせる音が、彼女の指先を冷たくした。
アリーがすくんで口を開けられずにいると、騎士はその反応を満足げに見下ろした。
「平民、返答の内容は慎重に考えるように。私は無礼を働かれたら、それを躾ねばならんくなるからな」
それは暴力を思わせる、明確な脅しだった。肩を寄せ、身を守るようにきゅっと体を固くしたアリーに、騎士は優しく囁いた。
「聖女様は侍女を殊更大切になさるお方だそうじゃないか。信頼厚い侍女であるお前が頼めば、しばしの時間ぐらい融通してくださるのではないか?」
ユーリが貴族からの誘いを基本的に仕事を理由に断っているのを、アリーは知っていた。中でも男性からのアプローチについては、最近手を組むことになったアレックスを除いては、全て拒否していた。
モングスト侯爵令息のジュリアスはそんな状況に業を煮やし、ユーリの側にいる自分を利用して強行突破を仕掛けてきたのだと、アリーは理解した。
メグのように魔法の力もなければ、貴族と渡り合える教養もない。後ろ楯も能力もない自分がユーリの弱点として狙われたことを、アリーは悔しく思った。色んな意味で泣きそうになったが、彼女はぐっとそれを押し込めた。
先ほどこの騎士に掴まっていた自分を指差した男性は、騎士の注意が逸れた隙に急いで教会の奥へと走っていった。彼はきっと人を呼びに行ってくれたはずだと、アリーは思っていた。回りの参拝者や、ちらほら見える同僚たちの中には、アリーたちの間にある不穏な空気を察している人もいるようだった。
自分の力だけでは無理でも、時間を稼げばロバートや貴族と対等に話ができる人が来てくれるはずだ。そう己に言い聞かせて、アリーは声の震えを抑えて、こう言った。
「ユーリ様に伺うにしても、少しお時間をいただくことになります。貴方のご主人様を待たせてしまっては申し訳ございませんので、客間をご案内させていただいてもよろしいでしょうか?」
時間稼ぎのこの提案に対してどのような反応が返ってくるか、アリーには予想がついていなかった。そのため緊張しながら相手の反応を待ったが、騎士は彼女の提案を悪く思わなかったようだった。
「ふむ、いいだろう」
「では、すぐに客間の用意をさせます」
「待て。部屋は用意は他のやつにさせろ。お前はここに残れ」
「承知致しました」
アリーは騎士に深く頭を下げた後、辺りを見渡し、見知った顔を探した。近くにこちらを心配そうに見ている同僚を見つけたので、彼女を手招きして呼んだ。
「ごめんなさい、イリス。どなたか神官様にお客様を案内できる客間があるか、確認してきてもらってもいいかしら?ユーリ様もご臨席されるかもしれないので、できれば一番いい部屋を使いたいの」
騎士がこちらを監視していたので、アリーは彼にも聞こえるよう少し大きめの声でイリスにそう頼んだ。言葉にしたのはそれだけであったが、騎士に背を向けていたので、アリーは瞳で懸命に助けてほしいと訴えた。
イリスの姿はアリーが騎士に捕まった辺りから見えていた。やり取りをずっと見ていたなら、視線の意味に気づいてくれるはずだとアリーは信じた。
そんなアリーの願いが通じたのか、イリスは顔を引き締め、一度大きく頷いた。
「任せて、貴女の希望を必ず伝えるわ」




