聖女と騎士 6
翌朝、伯爵は軽い足取りで本邸に戻り、早速侍従にアレックスを公爵家の養子へ出すための手続きをするように命じた。
オリビアは事前に伯爵の侍従に接触し、次期当主の座を確実に長男のものにするためにも、アレックスが養子に出されるよう協力を取り付けていた。そのため、侍従は伯爵の言葉に従い粛々と手続きを行った。
侍従はオリビアを嫌っている訳でも、伯爵夫人に心から忠誠を誓っている訳でもなかった。彼にとって重要なのは伯爵家であり、嫡男が跡を継ぐことが一番家を乱さないと判断したための行動であった。
そうして色々な人たちの思惑が交差する中、公爵の養子の選定は進んでいった。予想通り多くの候補者が現れたため、まずは書類にてふるいをかけられることになった。
アレックスは伯爵家の身分があり、家庭教師からの推薦状もあったため、問題なく書類審査を通過した。色々な審査を経て五人にまで絞られたアレックスを含む養子候補の子供たちは、最後は公爵が住む城に招かれ、彼と面談をすることとなった。
どの子供も大人が考えた模範解答を読み上げるように受け答えをする中、アレックスは睨まんばかりに公爵を見据え、自分の本心を彼に正直に伝えた。自分の出自も、伯爵家の事情も、彼の願望も、全て包み隠さず伝えた。
そして最後に、公爵にこう啖呵を切った。
「私は今日この城に来ていたどの令息より容貌が整っています。もちろん中身も伴うよう努力を致しますが、人間容姿の整った相手には、特に異性であれば好意を抱きやすいものです。聖女に選ばれる確率が一番高いのは、私だと思います」
そうはっきりと言ったアレックスの言葉に、公爵は堪えきれないとばかりに笑い声を上げた。彼はしばらく肩を震わせ笑った後、アレックスに楽しげな表情を向けた。
「確かに君が一番異性を惹き付ける容姿をしているね。もし君が私の息子となったら、その顔を活かして聖女となる女性を取り込まねばならなくなる。でも、彼女たちは聖女などと呼ばれてはいるが、強い光魔法を使えるだけで、内面も外面も清廉である保証はどこにもない。どんな女性でも、君は心を捧げられるかい?」
公爵の問いに、アレックスは淀みなく答えた。
「今の環境から救いだしてくれるなら、俺にとってその人はどんな存在であれ聖女です。受けたご恩は必ずお返し致します。私を貴方の息子にしてください」
公爵家での面談の数日後、アレックスが公爵家の養子になることが王家より発表された。邪魔者を排除できる伯爵夫人や異母兄はもちろん、『オリビアのお気に入り』という意味でしかアレックスを可愛がっていなかった伯爵もさっさとアレックスを公爵家に送り込もうとした。
伯爵家を立つ前の夜、アレックスは泣きそうな顔で母親の手を握っていた。困った顔をしたオリビアは、言い聞かせるように優しい声音でアレックスに話しかけた。
「私のことならもう十分に話し合ったでしょう。心配しなくても大丈夫よ。跡継ぎの座を脅かされる可能性がなくなって、本邸からの嫌がらせも減ったわ。私一人が静かに生きることぐらい、奥様は見逃してくださるわ」
公爵家の養子になることは、アレックスについては間違いなく救いであったが、オリビアも一緒にこの環境から抜け出せる訳ではなかった。いつの間にか自分とそう変わらない大きさになりつつある息子の手を握りしめ、オリビアは心から微笑んだ。これから近くで成長を見守れない寂しさは身を引き裂きそうなほどではあったが、それより息子が穏やかに生きることができる喜びが、彼女の心を占めていた。
「いつか必ず迎えに参ります」
「それよりも公爵様のお役にしっかりと立つことを考えなさい。貴方をここから救い出してくださるあの方には、いくら感謝してもしきれないのですから」
アレックスが一人公爵家に行くことは、二人で考え抜いて出した結論だった。しかし、最後の夜に繋がれた手を離すことは、どちらもできなかった。
翌日、簡単な身の回りの物と共に、アレックスは単身公爵家に向かった。伯爵の手前、オリビアは最後に息子を抱き締めることができなかった。彼女は視界が滲むのを避けるためにも意地で涙を押し止め、必死にその姿を目に焼き付けた。
そうして母親と別れたアレックスは、公爵家で『聖女に相応しい令息』となるための教育を受けることとなった。
「貴族たちに立派な息子を育てると言ってしまった手前、君にはそれなり以上に優秀になってもらうよ」
そう告げた公爵の手配した教師たちにしごかれ、アレックスは勉学、マナー、剣術、魔法、話術と、毎日目まぐるしいほどに知識と技術を詰め込まれた。聖女になる可能性が一番高いと目されていたフランチェスカ王女との交流の時間も組み込まれ、息つく暇もない日々をアレックスは過ごした。
母親との交流は、多忙な中でときおり交わす手紙だけだった。懐かしい筆跡で綴られた言葉に支えられながら、アレックスは公爵令息として相応しい存在するなるべく、己を磨き続けた。
そうした日々を過ごすうちに、気づけば季節はアレックスが公爵邸にやってきたときと同じものになっていた。
夜、公爵と共に夕食をとっているとき、いつものように軽い調子で公爵はアレックスにこう言った。
「今日で君がここに来てちょうど一年になる。私の想像より君は努力を重ね、優秀な結果を出している。だから、君にご褒美をあげようと思うんだ」
「ありがとうございます。義父上に認めていただけて、大変嬉しく思います」
「ご褒美は明日届く。楽しみにしておきたまえ」
公爵はこうして、ときおりアレックスにご褒美と称して何かを与えていた。それは万年筆だったり、観劇のチケットだったり、遠乗りに行くための休暇だったり、様々だった。この一年で色々と腹をわって話をするようになったフランチェスカが言うには、あの人は理由でも付けないとどうやって子供に物を与えていいのか分からないだけよ、とのことだった。
毎回唐突に告げられるが、贈られるものはアレックスが欲しいものや、そのときの彼に必要なものだった。そのため彼は特に疑問を抱くことなく、フランチェスカの教え通り、素直に感謝を伝えた。
翌朝、アレックスは懐かしい声に起こされた。夢の続きかと目を開けると、そこには声の主であるオリビアがいた。記憶より鮮明に見えるその姿に、夢というものはすごいなと変な感心をしていると、目の前の母は目を潤ませながら彼の髪を撫でてきた。
確かめるように撫でられるその感覚は、決して夢ではなかった。徐々に目を大きく見張った息子に、オリビアは微笑みながらこう告げた。
「公爵様が私を貴方の世話係として住み込みで雇ってくださいました。貴方の努力によって手にしたご褒美、だそうですよ」
あふれる涙を隠すように、アレックスは目の前の母親の胸に飛び込んで、力一杯抱きついた。匂いも、声も、頬に触れる自分とよく似た髪も、全てが懐かしかった。そこにいたのは紛れもなく、アレックスが産まれた日から彼を一番に愛してくれていた母だった。
ひとしきり母親を抱き締めた後、アレックスは寝間着のまま部屋を飛び出した。そして、その足で公爵の私室に向かった。
対応した公爵の侍従に身なりを整えるよう追い返されたため、部屋に走って戻り使用人に急いで準備をしてもらい、再び公爵の私室に駆け戻った。
廊下を走ってきたことに小言をもらった後通してもらった部屋にいた公爵は、いつもより満足げな、イタズラが成功した子供のような顔でアレックスを出迎えた。
「私は半年で迎えてもいいと判断したのだが、周囲との調整もあり、今になった。どうだ、最高のご褒美だったろう?」
「はい、義父上。本当にありがとうございます。今まで以上に恩義に報いるため、私にできる努力は惜しみません」
「なに、私にも利があることだ。今回、周囲には養子という他人ばかりの環境で努力する息子のためにあの者を召し上げたと言ってある。最近また再婚をしろと煩い奴らが増えてきたが、実母とやっと再会したばかりの息子に義理の母ができては落ち着かないであろうと断る口実にさせてもらっている」
今の環境を与えてもらっているだけでも十分ありがたいことであるのに、公爵からこれほどまでのものを貰ってしまった。この方のために自分にできることは全てやらねばならない。アレックスは改めてそう心に誓ったのだった。




