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聖女と騎士 5

アレックスは今でこそ王弟である公爵の息子であるが、生まれは中流の伯爵家の次男であった。それも伯爵夫人を母としない、所謂庶子であった。彼の実母、オリビアは貧乏な男爵家の娘で、伯爵家の侍女だった。

オリビアは地位は低かったが、抜きん出た美貌を持っていた。金の髪は輝くように美しく、サファイアのような大きな青い瞳は溢れんばかりで、控えめに微笑む姿は誰もを魅力した。オリビアの父親が彼女を王都にまでわざわざ働きに出させたのは、彼女の美しさがあれば、玉の輿も夢ではないと思ったからだった。


しかし父親の思惑は外れ、オリビアは権力に物を言わせた伯爵に手込めにされてしまった。弱小男爵家の娘が伯爵家の当主に抗えるはずもなく、しばらくしてから当然の帰結として、彼女はアレックスを身籠った。

伯爵夫人は激怒し、オリビアに子供を堕ろさせようとした。しかし、オリビアに惚れ込んでいた伯爵がそれを阻止した。彼女のために離れを改築し、身を守ると言う名目で彼女をそこに軟禁した。

伯爵はオリビアを溺愛していた。それは本邸に住む妻子を蔑ろにするほどであった。そのような愛憎の渦巻く中、アレックスは誕生した。


アレックスも何も知らない頃は、常に母が側におり、優しい父も毎晩のように自分達のもとにやってきては夕食を共にとる生活を普通のものなのだと思っていた。高い柵の向こうに見える広い庭で遊べないことは不満であったが、それでも彼の人生はそれなりに満たされていた。

しかし、少しずつ世の中を理解していくと、母の父に向けるぎこちない笑顔や、使用人のどこかよそよそしい態度、柵の向こうにたまに現れる自分と同じ髪色の少年が向けてくる鋭い視線が、決して良いものではないと分かるようになっていった。

そしてある夜、深夜の暗闇の中偶然見かけてしまった母が静かにすすり泣く姿が、彼にこの生活に対する違和感を決定付けた。


アレックスは真実を知りたいと思うようになった。自分がどのような環境で生き、母と自分はどんな存在なのかを確認しなければならないと思った。

そのため、アレックスは使用人も最低限を残して休みを取る祝祭の夜に、そっと隠れるようにして母親の寝室を訪ねた。そして、母に全てが知りたいと告げた。


オリビアは子供にどこまで聞かせるかを一瞬悩んだが、アレックスの目を見て、全てを話すことを決めた。子供には辛い事実もあったが、包み隠さず全てを話した。


自分の立場を知ったアレックスはしばらく悩んだ。生まれのことも確かに彼の心を掻き乱したが、それは今さら変えられないものだとある程度割りきることができた。一番彼を悩ませていたのは、いかにして母と自分を守るかということだった。


柵の向こうに見かけていたのが自分の異母兄であり、彼が自分たち親子に憎悪を抱いていることは想像に難くなかった。異母兄でさえあの表情であるならば、伯爵夫人はなおのことだろうと思った。

アレックスは庶子ではあるが、伯爵の息子として届け出はされていた。オリビアの関心を引きたい伯爵は、アレックスに猫なで声で私の跡継ぎはお前だとよく告げていた。

母は法律上アレックスが次期伯爵になることは可能だが、伯爵夫人も異母兄も、親類もそれを認めることはないだろうと言っていた。父親がまるでこの上ない贈り物のように告げる跡継ぎの座は、アレックスからは憎悪だらけの人生への片道切符にしか見えなかった。


もしそんなことになれば、自分も母もただでは済まないだろうとアレックスは思った。自分たちは離れで身を潜めているからこそ、多少の嫌がらせはあれど、生活を脅かされることなく生きていられるのだ。表舞台に出て、それも当主と言う主役をかっさらいなどすれば、命すら脅かされる可能性も出てくると彼は思った。


母と二人平穏に生きるためにはどうすればよいのか必死に考えたが、デビュタントすら遠い子供にできることなど限られていた。焦るアレックスに、オリビアは落ち着いてこう告げた。


「あの人に掛け合って家庭教師を付けてもらいましょう。知識は必ず貴方の味方になるわ。自分のために学ぶのです、アレックス」


そうしてアレックスには伯爵の選んだ、口の固い家庭教師が付けられた。彼らは初めは愛人の子供など適当に相手をすればよいと思っていた。しかし、いざ授業を始めれば、アレックスの真剣な、鬼気迫るような態度に皆が驚いた。中には楽な仕事だと思って引き受けたのにと後悔する者もいたが、彼のやる気に触発され、真剣に向き合ってくれる家庭教師も何人かいた。

そんな教師たちから知識を、己に水魔法の属性を引き継いでくれた母から魔法を学びながら、アレックスは心身共に成長していった。

そして彼が十歳になる頃には、同年代の高位貴族の子息にも引けを取らない優秀な存在になっていた。


学問に秀で、魔法の扱いも上手く、そしてオリビア譲りの美貌までもをアレックスは備えていた。端から見れば順風満帆に思えたが、アレックスの焦りは、物事を知れば知るほど募っていった。加えてアレックスが優秀であることを伯爵が本邸で吹聴しているようで、夫人からの嫌がらせは日々エスカレートしつつあった。早く何とかせねばと、アレックスは溺れる人のように、見えない救済に向け日々足掻きつづけていた。


そんな母と二人ただ平和に生きる道がないか模索し続けていた彼の前に、その話は突然降ってきた。それは、王弟である公爵閣下が養子を探しているという話だった。



公爵閣下はアレックスが産まれた頃に、幼い頃から仲睦まじく、相思相愛であった伴侶を亡くしていた。彼は彼女以外と共に生きる気はないと宣言し、そこから再婚することなく一人で生きていた。

しかし聖女の降臨が近づいてくると、王家に近しい血筋である公爵家にも聖女が嫁げるように、公爵も新しい妻を迎え、子をもうけるべきだという声が高まった。公爵は今さら子をもうけても聖女とは年回りが合わないとその話を一蹴したが、娘を公爵家に嫁がせたい貴族たちがその声に便乗し、しつこく縁談を押し付けてきた。

公爵は王弟で、先代聖女の息子であった。歳こそ三十路を越えていたが、娘を持つ貴族にとってはこれ以上ない嫁ぎ先だった。

そうした下心もあり貴族の声の高まりは、国王も無視できないほどになっていった。公爵の気持ちは知りつつも一人で生きる弟を心配していたこともあって、国王までもが公爵にもう十年も経つのだからと声を掛けるようになった。

そうした状況の中、それでも彼女以外を娶る気のない公爵は周囲にこう宣言した。


「皆の懸念はもっともだ。しかし、今から子をもうけても、次に降臨する聖女とは年回りが合わないだろう。よって、それらを解決するため、私は養子を取ろうと思う」


国王以外は、子供の話を建前に公爵に再婚を迫っていた。なら子供さえいればいいのだろうというのが、公爵が示した返答だった。


「そうだな、次期聖女と年回りの合う男児を養子に取ろう。その子供を聖女の伴侶に相応しい、公爵令息に育てようではないか」



そうして年頃の娘の嫁入り競争だったはずの話は、次の聖女と年齢の釣り合う十歳前後の令息の戦いとなった。

高位貴族の次男、三男がこぞって養子に立候補し、家の地位によっては長男を養子候補に差し出す家まで現れた。


社交界との繋がりがほぼないオリビアがこの話を聞いたのは偶然だった。オリビアたち親子に同情的なメイドが、夫人が口にしたこの話を彼女に伝えたのだった。


そこでオリビアはアレックスに公爵家の養子のことを伝えた。アレックスは血は半分しか継いでいないが書類上は正式な伯爵令息であったし、能力も容姿も申し分がなかった。アレックスであれば、養子に選ばれる可能性は高いとオリビアは思っていた。


しかし、そこには二つ大きな問題があった。一つ目は母親を残してはいけないとアレックス自身が渋ったこと。二つ目は養子になるには、当主から申し込みをしてもらう必要があることだった。


アレックスとオリビアは、何日もかけてこの件について話し合った。アレックスは初めは頑なであったが、母親の「ならこの状況のまま生きて、どちらかだけでさえも救われる可能性があると思っているのですか?」という問いに答えられなかったことで、覚悟を決めた。


次に伯爵に手続きをしてもらう件だが、アレックスを次期伯爵に据えると言って憚らない父親が、すんなりと彼を公爵家への養子に出そうとするとは思えなかった。方便を必死で考えるアレックスに、オリビアは微笑みかけながらこう言った。


「貴方は何も心配しなくていいわ。全てこの母に任せておきなさい」



そこからしばらく経ったある日の夜、いつものように離れまで夕食をとりに来た伯爵に、オリビアはいつもより多くワインをすすめた。自分もそれに合わせ随分と早いペースでワインを飲み、彼女の胸元の抜けるような白い肌をうっすらと赤く染めた。伯爵の目が自分のその肌に釘付けになっているのを確認したオリビアは、慈母のように微笑みながら伯爵に向けて少し甘えた声を出した。


「旦那様、今晩はお酒を飲まれすぎたのではありませんか?こちらで少し休んでいかれませんか?私も旦那様に聞いていただきたいお話があるのです」


アレックスを産んで十年経ってもなお衰えぬ美貌にそう囁かれて、伯爵が否と答えるはずがなかった。彼はオリビアの腰にねっとりと腕を回しながら、促されるままにオリビアの私室に向かった。


既に普段よりもワインが回った伯爵に、オリビアは強いブランデーを入れたコーヒーを出した。伯爵がそれを飲んだのを確認してから、オリビアは彼のすぐ隣に座り、男の腕に白い指をそっと沿わせながらこう呟いた。


「ただの自意識過剰だとお笑いになるかもしれませんが、最近息子が私の胸元をじっと見ているような気がするのです。その視線が何だか怖くて、側にいることが不安なのです」


先ほどまでその胸元に無遠慮な視線を注いでいた伯爵は、酔いも相まってそれを気のせいだとは思わなかった。目の前で不安げに瞳を揺らす女は、未だ男を惹き寄せる美貌と色気を有していた。子供の域を出つつある少年が、それに当てられても無理はないと彼は思った。


「でも、たった一人の息子をそんな不確かな理由で追い出すことなどできないでしょう?私、どうすればいいのか途方に暮れておりますの」


己に添えられた細い指を握りしめながら、伯爵は思考を巡らせた。そのとき、彼はふと昼間に侍従が言っていた公爵家への養子のことを思い出した。


「おお、オリビア。ならばいい方法がある。あいつを王弟のところに養子に出せばいい。狭き門のようだが、あの顔と優秀さがあれば可能性は低くはないだろう」


「公爵様の養子に?さすが旦那様、それであれば名誉であれこそすれ、子を捨てたなど批判をされることはありませんね。ああ、やはり旦那様を頼ってよかったですわ」


普段のオリビアならしないような寄りかかり体重を預ける様を気にすることなく、伯爵はアルコールで赤らんだ顔で満足げに彼女を受け止めた。


「推薦状は私と、後はあやつを気に入っている家庭教師にでも書かせよう。上手くいけば、この離れは私とお前だけのものとなる。そうなればまた存分に愛し合うことができるだろう」

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