十七歳の結婚 4
「外国に……」
あまりに唐突な話に驚き、キャサリンは自分でも気付かぬうちにそう口から溢してしまっていた。
そんな彼女が落ち着くのを待つためにも、フランチェスカ王女は優雅な所作で紅茶を一口飲んだ。
「そう。グリゼルダお姉様の嫁いだリルゼラード王国に嫁いでもらいたいの」
「グリゼルダ様の、ですか」
グリゼルダはこの国の王の第一子で、ディラン王子とフランチェスカ王女の姉にあたる人物であった。北方の山脈を挟んで国境を接する隣国、リルゼラード王国の王太子へ六年前に嫁いでいた。
「お姉様がリルゼラード王国に嫁いだ理由の一つは、両国間の交流を密にすることだったの。お姉様が嫁がれてから、人も物も行き来が増えたけれど、もう少しそれを後押ししたいと我が国は考えていたの」
「その、後押しと言うのが……」
「ええ、今回の貴女の縁談、高位貴族同士の婚姻よ」
フランチェスカ王女が言った『我が国』という言葉が、ずしりと重くキャサリンに響いた。王族からもたらされる縁談が逃れようのないものであることを、改めて知らしめられているような気持ちになった。
黙り込んだキャサリンに、フランチェスカ王女は穏やかな声音で、しかしはっきりとこう続けた。
「お相手は向こうの侯爵家の嫡男よ。年は四つ上で、人柄も優れた方よ」
「二十一歳の方が、その、婚約者を今頃お探しなのですか?」
リルゼラード王国には聖女は降臨しない。そのため聖女との結婚の可能性を考える必要もないのに、二十一歳まで婚約者がいないとはどういうことなのか。問題のある人物を押しやられるのは困ると、キャサリンは言外に匂わせた。
そんな彼女の言葉に、フランチェスカ王女はにこやかな表情を変えぬままこう答えた。
「ああそうね、年齢だけ聞けば不安に思うのは当然ね。彼は幼い頃からの婚約者を、一年ほど前に病気で亡くしたの。それで新しく婚約者を探したのだけど、彼の年齢だと国内の家柄が釣り合うご令嬢は当然、みんな婚約済みだったの。そんな彼の事情と二国間の交流強化の目的から、我が国から花嫁を選ぶことになったのよ」
「そう、なのですか」
何か粗が見つかればと少しばかり期待していたキャサリンはその答えに落胆を隠しきれなかった。家柄も釣り合うし、相手が今頃婚約者を探す理由にも非はない。婚約を断れるような口実は見つかりそうになかった。
それでも悪あがきと知りつつ、キャサリンは最後にこう質問した。
「お話は分かりましたが、その、どうして私なのでしょうか?」
キャサリンは、自分が選ばれた理由は不本意ながら理解できた。しかし、そこに自分でなければならない理由は見当たらないと思った。自分と同じぐらいの家柄、年齢の令嬢は少ないながらいる。彼女たちでもいいのではないかと問うたのだった。
「ああ、確かに他にも条件の当てはまるご令嬢はいるわね」
フランチェスカ王女はあっさりとその事実を認めた。そこに勝機があるとキャサリンは前のめりになりかけたが、彼女が何か言う前に、王女はこう続けた。
「でもね、彼女たちは既に婚約を王家に届け出ているの」
「婚約を、ですか?」
「ええ、聖女様も見つかったことだし、どこの家も内々に進めていた縁談を正式に取りまとめているでしょう。貴女以外は、既にそれが正式に整ってしまっていたの。両家が整えたばかりの婚約を、こちらの都合だけで解消させる訳にはいかないでしょう?だから、まだ婚約の成立していない貴女に声をかけたのよ」
確かにキャサリンにも、ほぼ確定をしたような婚約の話はあった。父親からもその話を進めるよう度々言われていた。しかし、アレックスとせめて思い出だけでも作りたいと、キャサリンはそれを色々と理由を付けては引き延ばしていた。
他の家は婚約が整っているのにと母親にこぼされたことはあったが、一月、二月遅くなったところで何も変わらないだろうと高をくくっていた。
まさかそのことが原因でこんな話が持ち上がることになるとは、キャサリンは夢にも思っていなかった。父が選んできた相手でさえ、思い出を作るのが精一杯だったのだ。王家から打診される結婚を断ることなど、できるはずもなかった。
逃げ道がないことを悟り黙ったキャサリンを目の前にしながらも、フランチェスカ王女はその態度を変えることなく、にこやかに話し続けた。
「グリゼルダお姉様もいらっしゃるし、向こうの家も貴女を歓迎すると言っているわ。両国のこれからの更なる交流、発展のためにも、貴女には力になってもらいたいの。お願いね、キャサリン侯爵令嬢」
それは王族から告げられる、有無を言わせぬ決定事項だった。
なぜ私がこんな目にとキャサリンが密かに奥歯を強く噛んだとき、彼女は不意にこの話が出たときにメグのことが頭に浮かんだことを思い出した。まさかと思いつつも、このとこを逃せば二度と聞くことはできないと思ったため、非礼を承知でキャサリンはフランチェスカ王女にこう尋ねた。
「あの、今回のお話には聖女様は何か関係されているのでしょうか?」
「あら、なぜそう思うの?」
にこやかにそう問うてくるフランチェスカの表情はいつも通りの笑顔であった。しかし、キャサリンは何故かその目を少しだけ怖いと感じた。
「その、私たちの世代の結婚には聖女様の存在が大きく影響してきましたので、そう思っただけでございます」
聖女といざこざがあったなど自分から言える訳もなく、キャサリンはそう言葉を濁した。そんな彼女に、フランチェスカ王女は口調だけは穏やかに、しかしその瞳は先ほどと変わらぬ光をたたえたままこう答えた。
「それはそうね。貴女が聖女様降臨の関係で今まで正式な婚約を結んでいなかったという点では関係しているわね」
フランチェスカ王女は彼女から視線を外せないでいるキャサリンに、殊更優しく微笑みかけた。
「貴女はこの婚約話を誰かの差し金のように感じているようだけど、もし、もしもだけど、聖女様が関係していたら、この程度の話では済まないのではないかしら?あの方はこの世界を守る唯一無二。例え私や貴女の身分があっても、あの方ご本人に何かしていれば決してこの程度では許されないわ」
『相手が聖女本人ではなかったから、この程度で済んでいるんだぞ』
言外にそう言われたような気がして、キャサリンの胸がドクリと重く、嫌な音を立てた。彼女の頭の冷静な部分は、自分が不満を表に出してしまったから、こういう話になっただけだと理解していた。しかし、猜疑心のような気持ちが、フランチェスカ王女にメグとのことが知られているのかもしれないと彼女に思わせた。
しかし、キャサリンにフランチェスカ王女の真意など確認などできるはずもなかった。目の前の同い年の可憐な王女様は、今はあくまでも外交のための話としてこの話をしている。それをキャサリンの側から崩し、何かの罰ではないかと問うことは、自白をするようなものだった。
自分の行動が王家に伝わっているかもしれないという焦り。家族と離れ、生まれ育ったこの国の外で一人嫁ぐことへの不安。どうして私がという苛立ち。自身を押し潰すような色々な暗い感情が頭をめぐったが、キャサリンが選べる返事は一つだけだった。
「お答えいただきありがとうございました。このお話、謹んでお受けいたします」
フランチェスカ王女とのお茶会の席を辞して、迎えの馬車に乗り込むまでは、キャサリンは意地で穏やかな表情を保ち続けた。しかし、馬車のドアが閉まり、車輪が石畳を叩く音が鳴り始めると、彼女は声をあげて喚き散らした。
王城へ来る前は、キャサリンは己の身にこんな不幸が降り注ぐとは思ってもいなかった。あわよくばアレックスと結ばれたいと夢見ていたが、現実的には自分はローダス侯爵家に嫁ぐのだと思っていた。キャサリンは自分の夫となる人のことを可も不可もないような男だと思っていた。しかし、それでも貴族の責務として嫁ぐことを、そこまで悲観していなかった。
それなのに、キャサリンの運命はこの一時間ほどで大きく変わってしまった。隣国の、顔すら知らぬ男と生涯を共にすることになってしまった。家族も、友人も側にいない、遠い地へ嫁ぐことが決まってしまった。
覆せない現実に、キャサリンはずっと泣き続けた。
キャサリンの涙は、家に着き、複雑な表情をした母親に出迎えられても止まることはなかった。
「お母様!どうにかしてくださいませ!私、隣国になど嫁ぎたくありません!絶対に嫌です!」
母親を前にして、キャサリンの涙は己の悲劇を訴えるため、止まるどころか勢いが増すばかりだった。
いつもなら、母親はキャサリンが泣けばすぐ彼女の願いを聞いてくれた。あのメイドが気に食わないと言えば、すぐ首にしてくれた。新作のドレスも、仕方ないわねとは言うが希望通り仕立ててくれた。メグに火傷を負わせたあのときも、母親はキャサリンを貴女は悪くないわと慰めてくれた。
そんな母親であったが、いくら娘を甘やかしていても、侯爵夫人としての力があっても、王家の決定には異を唱えることなどできるはずがなかった。
キャサリンは涙を流し続けて、母親からの「お母様が何とかしてあげるわ」という言葉を待ったが、ついぞその言葉を得られることはなかった。
キャサリンは兄にも、父にも涙で訴えた。父には口外しないように言ったはずなのに、聖女とのことが王家にバレているかもしれないとも伝えた。しかし、二人とも彼女の不安に同情は示してくれたが、それをどうにかするとは言ってくれなかった。王家が決めたことを覆せないことを心の底で理解しつつも、キャサリンはみんな私を愛していないのだわとわんわん泣いた。
泣いて、泣いて、いつものように家族や使用人が己の望む通りにしてくれるのをキャサリンは待った。
しかし、部屋に閉じ籠ろうとも、食事を拒否しようとも、現実は決して変わることがなかった。
日もかなり前に暮れ、夜と言っても差し支えがない時間になっても、キャサリンは自室に籠り続けた。始めはこれ見よがしなすすり泣く声を出していたが、キャサリンの部屋の前に来る足音が減り出した頃から、それは罵倒の言葉に変わっていった。
「平民のくせに」「全部あの女のせいよ」「あいつさえ、あいつさえいなければ」
キャサリンの感情は、確証もないのにまたもメグに向かっていた。彼女をなじる言葉を繰り返していたが、ある瞬間、キャサリンは何かを思い付いたかのような顔をした。
化粧も剥がれ、泣き跡が残る赤くギラついた目で暗闇を見つめ、キャサリンは口の端をぐにゃりと曲げて笑顔を作りながら、仄暗く呟いた。
「聖女様に何かあれば、例え誰であっても許されない。ふふ、本当にそうよね。ふふ、ふふふふ。あはははは」
どす黒い喜色を乗せた声で、キャサリンはこう続けた。
「それは重用されている聖女様ご自身の侍女であっても、例外ではないわよね」




