マーガレット 9
そうして明るいお茶の時間を終えた後、メグに改めてきちんと休むように念押しして、彼女を自室に戻らせた。アリーにも俺の世話は最低限でいいから、メグについていてほしいとお願いをした。
元の世界でも大学生になってからはずっと一人暮らしをしていたし、誰かに世話を焼いてもらう生活なんてこの世界に来てからしかしていなかった。一人で過ごすことが普通だったはずなのに、広い部屋に一人でいるとなんだか少し静かすぎるように俺は感じていた。
その静寂の中で、俺は今日のことを思い出した。部屋に残っていたジワリと汗ばむほどの熱、震える細い肩、憎悪のこもった赤い瞳。
そして、それらを踏まえて俺がしたいこと、するべきことをしばらく一人で考えた。キャサリンへの怒りで何度も思考が脱線したが、何とか考えをまとめきることができた。俺は今後のことを相談するため、夕食後にアリーにロバートさんを呼んでもらった。
「ユーリ様、この度はメグを助けてくださり本当にありがとうございました」
開口一番、ロバートさんは頭を下げながらそう言った。今日は本当に謝るべき人ではない人に、頭を下げられてばかりだった。
「俺は当然のことをしただけですよ。俺こそあのとき、こじつけの理由で部屋を飛び出しちゃいましたけど、あの後大丈夫でしたか?」
「そちらはヨンハンス司教がうまく話をまとめてくださいました」
メグのことが気がかりだったとはいえ、あのときは部屋に残される司教たちのことを全く考えられていなかった。自分でも苦しいと思う理由しか言えていなかったので、恐らく後の対応は大変だっただろう。
「司教にもお礼を言わなきゃいけませんね。どこかで時間を取ってもらえますかね?」
「それであれば、明日、今回のことを話すため司教にも時間をいただくようお願いをしております」
「助かります。お礼を言いたいのもあるけど、俺はまだこの世界のことについて知らないことも多いだろうし、こういう交渉みたいなのにも詳しくないので、司教が力を貸してくれるのは心強いです」
「今回のことは教会としても抗議します。ヨンハンス司教もそうおっしゃっています」
この世界で教会はそれなりの権力を持っているはずだ。その上、王族ともコネクションがありそうなヨンハンス司教が出てくれるなら、高位貴族であるモングスト侯爵とも対等に渡り合えそうだった。
「その抗議の内容ですが、俺は少なくとも、今後キャサリンをメグに近づけさせたくありません。接近禁止みたいなことはできると思いますか?」
「この教会に足を踏み入れるな、というのは難しいと思います。明確な証拠が提示できない状態で、礼拝する権利は取り上げられないでしょう。しかし、表の礼拝堂以外には入らせないというものであれば、可能だと思います。そうすれば、我々が普段活動するスペースに彼女が立ち入ることはなくなります」
できれば教会にも入れなくしてほしかったが、それを声高に主張できるような確実な物的証拠はなかった。不安は残るが、ロバートさんの言うあたりが妥協点になるのだろう。
「なら最低限それは約束させたいです。謝罪は別に要らないと思います。謝らせてもどうせパフォーマンスにしかならないでしょうし」
「そうですね。今日の口振りからしても心からの反省は期待できないでしょうね。立ち入り禁止も、メグの名前は出さずに、名目上はユーリ様を守るためとした方がいいかもしれませんね」
「必要なら俺の名前はいくらでも使ってください」
「ありがとうございます。あとは侯爵家相手となると、正直金銭の話で終わるのではないかと思います」
口止め料ではないが、向こうは金貨を積んでこの話を終わらせにくるということだろう。
「その辺りは、俺では分からないのでお任せします。俺はメグの安全さえ確保できたら、それでいいです」
「分かりました。ではヨンハンス司教にはこの内容で予め相談をしておきます」
「すみません、よろしくお願いします」
ここで一旦話はついたのだが、俺は一つ気になっていたことをロバートさんに聞くことにした。メグのいないところで話をしたかったのは、むしろこちらの方だった。
「今日、侯爵がメグのところに来たときに、キャサリンに『また魔法を使ったのか』って聞きましたよね。まさかメグは、前にも同じような目にあっていたのですか?」
それはあのとき耳にしたときから、ずっと俺の中で引っ掛かっていた言葉だった。
「それについては、私も詳しくは存じてはおりません。しかし、恐らくそうではないかと思います」
ロバートさんは痛ましい顔をして、絞り出すように続けた。
「メグがこの教会にやってきたとき、彼女はひどい火傷を負っておりました。その跡は今も彼女の左のこめかみ辺りに残っております」
メグは左の前髪を目が見えないほどの長さまで伸ばしていた。そう言われれば、メグは風の強い日などは手で髪を押えて、その下に隠された肌を見せないようにしていた。あの伸ばされた髪の奥に、そのような怪我の跡が隠されていたとは、俺は全く知らなかった。
「あの頃のメグは火傷の治療中も、ひどく怯えた反応をしておりました。あれほどの火傷を負うぐらいです、何か怖い思いをしたのだろうと思い、怪我を負った経緯については触れずにおりました」
部屋に残っていた熱だけでもあれだけの熱さがあったのだ。その根元たる炎が幼い日のメグを襲っていた。そう考えると抑え込めたと思っていた怒りが、ぶわりと再び腹の底からせり上がってくるのを俺は感じた。
「そのため、メグからそうだと聞いたわけではありません。しかし、今日の怯えるメグの姿はまるでここに来た頃の彼女のようでした。侯爵の『また』という言葉からも、恐らくメグはかつても同じようにキャサリン侯爵令嬢から攻撃をされたのではないかと思います」
ふーっと、俺は落ち着くために長めの息を吐いた。そうしなければ机が何かを衝動的に叩いてしまいそうだった。
「この世界では裁判とかはないんですか?そんなのどう考えたって犯罪だ!」
思わず語気を荒げた俺に、ロバートさんは視線を落としながらこう答えた。
「裁判制度はあり、この教会の横に中央裁判所もございます。しかし、裁判となるのは、あくまで罪の申告があったものに限られるのです。メグがかつて襲われた件は、恐らく侯爵家の中ではなかったことになっているのでしょう」
「キャサリンがメグを魔法で攻撃したことは、あの家の中で揉み消されたってことですか?」
ロバートさんは黙ったまま首肯した。
「メグがここに預けられるとき、彼女に充分な教育を施すこと、本名を伏せメグと名乗らせることを条件に、かなりの金額が寄付されたと聞いております。メグが今まで過去を語らなかったことからも、それらと引き換えにキャサリン侯爵令嬢の罪を訴えないように言われていたのかもしれません」
両親さえいない姪と、娘であるキャサリンの未来。後者を取るために、侯爵は金銭で事実に蓋をした。それは充分に予想できることだった。
「しかし、今回は違います。外部の人間である我々があの場におりました。高位貴族とも対等に話せる立場である貴方が、その場を目撃しておりました。決定的な証拠が残っておりませんので、罪に問うのは恐らく難しいでしょう。しかし、前のように彼女がしたことをなかったことにはさせません」
メグは大怪我を負うような過去を打ち明けることさえ許されず、幼い頃からきっと一人で抱え込んできたのだろう。そして今回、未遂とはいえ、あれ程の怖い思いを再びした。細かく震える細い肩を思い出し、俺はぎゅっと拳を握り混んだ。
「今後、こんなことが二度とメグに起きないようにしたいです。俺にできることがあれば、何でもしたいです」
『ミラクル』と呪文を唱えても、俺には奇跡の一つも起こすことはできない。しかし、そんな俺にもできることを探るため、俺はロバートさんとしばらく相談を続けた。
その日の夜、やることを終えてベッドに横になっても眠気は訪れてこなかった。しばらくはゴロゴロしていたが目は冴えるばかりだったので、俺は眠るのを諦めて部屋の明かりを付けてソファに座った。場所を変えてみたが、そこでも思い出すのは今日のことばかりだった。
しばらくグルグルと結論のでないことを考えていたが、夜だからかどうしても考えがネガティブな方にばかり進みそうになった。気分を変えるためにコップに水を注いでいると、不意に部屋のドアが遠慮がちにノックされる音が聞こえてきた。
メグが側にいないので、今の俺は地声しか出ない。そんな声で返答をする訳にはいかなかったが、部屋の明かりは付けていたので、今さら寝ているふりもできなかった。明かりを付けるべきではなかったなと思っていると、外から小さく「メグです」と言う声が聞こえてきた。
その声に慌ててドアを開けると、そこには緩いワンピースのような服を着たメグが立っていた。
「メグ?あっしまった、声が。てか髪も!」
寝る前だったので、俺はペンダントもウィッグも着けていなかった。モロに地声だし、髪も短い姿でドアを開けてしまった。今さら慌てる俺に、メグは「大丈夫です、私だけですよ」と言ってくれた。
「あの、ユーリ様、少しだけお時間をいただいてもいいでしょうか?」
一瞬、こんな夜更けに女性を部屋に招き入れるのはどうかと思った。しかし、メグが何か聞いてほしい話があるのであれば、今はそれを聞く方を優先したかった。俺の部屋は女性である『聖女』の部屋なので、夜にこの部屋にメグがいたことが知られても、彼女に変な噂が立つこともないだろう。そこまで考えてから、俺はドアの前に立つ彼女に「どうぞ」と返答をした。
メグは部屋に入ると、まずお湯を沸かしてお茶を淹れようとした。そのため、俺は慌てて彼女を止めた。
「今日は休みだって言ったろ?」
「いえ、これは私が飲みたいから淹れるんです。ユーリ様の分はついでです」
そう言ってテキパキと手を動かすメグを言葉だけでは止められそうになかった。そのため、俺は思いつきであったが彼女にこう言った。
「なら、俺が淹れるよ!」
元の世界では紅茶なんてほとんど縁がなかったが、ここに来てからは毎日メグやアリーが淹れてくれているのを近くで見ていた。彼女たちがササっと準備していたのもあって、俺にだってお茶ぐらい淹れられるんじゃないかと思っていた。
しかし、実際にやってみると全くダメだった。
「げっ。かなり薄いな」
いつもメグやアリーに淹れてもらう紅茶の半分ぐらいしか色のない液体は、飲んでみると見た目相当の味しかしなかった。唸る俺に、メグは柔らかな表情でフォローを入れてくれた。
「でも、この時間にいただくならこれぐらいがいいかもしれません」
「確かにカフェインは薄そうだけどさ。やっぱ慣れてない人間が下手なことするもんじゃないな」
「ユーリ様は元の世界でお茶を淹れられる機会はなかったのですか?」
「そうだな、紅茶は飲むとしてもだいたいペットボトルとかだったな。んー、何て説明するかな。既にお茶になったものが透明のこういう入れ物に入って売ってるんだ」
身振り手振りで説明をすると、メグは驚いていた。
「そんな便利なものがあるんですね」
「まあ楽だけど、メグやアリーの淹れてくれるものの方がずっと美味しいよ。俺にもできるかと思ってたけど、紅茶って結構難しいんだな」
「そうですね、色々と気を付ける点はございます。よろしければ、今度ご説明しましょうか?」
「いいの?この先の生活もあるし、教えてもらいたいな」
俺が頼むと、メグは快諾してくれた。
そこから俺たちはしばらく穏やかに雑談をした。ペットボトルの話から、話題は俺がいた世界の話になった。
「ユーリ様は元の世界では何をなさっていたのですか?」
「俺は大学生、えーっと、勉強中の身だったよ。教育学部で、人に学問を教える先生になるための勉強をしていたんだ」
「先生!素晴らしいですね。私も教会に身を寄せる子供たちに勉強を教えられたらと思っております」
「メグは教えるの上手だからな。きっと向いてるよ」
「ありがとうございます」
そう言ってメグは緩く微笑んだ。その表情には陰りが少し残っていたが、ここに戻ってきたときよりは顔色はずいぶん良くなったように見えた。
俺が彼女の表情に気を取られていたせいか、そこまで続いていた会話に少しだけ沈黙が落ちた。そのわずかな、夜のしんとした静けさを破ったのは、メグの言葉だった。
「ユーリ様、モングスト侯爵家で私を助けてくださり本当にありがとうございました。そのことや、私とキャサリン様のこと、少し聞いていただいてもいいでしょうか?」




