マーガレット 8
悔しいがキャサリンの言葉を完全に否定する術は俺にはなかった。防犯カメラもないこの世界で、既に過ぎたことを証明することは非常に難しかった。メグが証言してくれるかもしれないが、この階級社会において、平民である彼女の言葉が侯爵令嬢相手にどこまで有効かは分からなかった。
唇を噛み、黙った俺を横目に、キャサリンはいけしゃあしゃあと彼女の父親にこう言った。
「お父様、このように聖女様にもご納得いただけたようですわ」
キャサリンの言い分に納得などできるはずがなかった。俺は反射的に言い返そうとしたが、それを止めたのは未だか細く震えるメグだった。
「ユーリ様、私なら大丈夫です。侯爵家と事を構えると、ユーリ様に不利益が生じる可能性があります。大丈夫、大丈夫ですから」
小声で俺にそう言うメグの顔は真っ青で、その言葉に説得力など全くなかった。しかし、彼女がそっと袖を引いてくれたお陰で、頭にカッと血が上って暴走しそうになっていた俺は少しだけ冷静になることができた。
そうだ。俺が今すべきなのは、キャサリンに非を認めさせ、言い負かすことではない。メグを早く安心できるところへ連れて行くことだった。
俺は小さく深呼吸をして気持ちを整えた後、モングスト侯爵に向かってこう伝えた。
「私は決して彼女の言葉に納得などしておりません。しかし、この話は後日に改めさせてもらえないでしょうか?私は早くメグを休ませてあげたいのです」
「承知いたしました、聖女様」
侯爵も早くこの場を納めたかったのか、俺の提案にすぐに応じてくれた。何であれここから早く立ち去れるならいいと思っていると、横からキャンキャン騒ぐ声が差し込まれた。
「お父様!私はその子に炎を出しただけって言っているじゃないですか!これ以上、話し合いなんて不要です!私は何も悪くないんですから!」
先程から変わらず、キャサリンに反省の色など全く見られなかった。それどころか、こちらに対する敵対心を隠そうともしていなかった。そんな娘を侯爵は慌てて宥めた。
「お前は少し落ち着きなさい。お前の話は後でゆっくり聞くから、今は下がりなさい」
「ひどいわ、お父様!この家の正統な娘である私より、そこの薄汚い紛い物を信じるとおっしゃるのですか?」
なおもキャサリンはメグを指差し、攻撃的な言葉を投げつけてきた。思わず何か言い返しそうになったが、それより先に侯爵が「誤解もあり娘は少し動揺しているようです。先に下がらせていただきます」と言ってきた。
誤解とはなんだと思ったが、未だメグを睨み付けるキャサリンを早く彼女から遠ざけたかった。そのため、俺が頷いて了承を伝えると、キャサリンは侯爵から命じられた侍女に抱えらるように部屋から連れ出されていった。彼女は最後まで不満やメグへの罵詈雑言を口にし続けていた。
キャサリンが去ると、部屋にやっとまともな静けさが戻って来た。彼女がいなくなったのもあってか、真っ青だったメグの顔色も、少しだけましになったように見えた。
「帰ろう。メグ、立てそう?」
そう聞くと、メグは「ありがとうございます、大丈夫です」と、無理やり作った表情で答えた。どう見ても全然大丈夫ではないくせに、誰の手も借りず立ち上がろうとした彼女の手を、俺は半ば強引に取った。まだ足元がふらついているメグを支えるために取った手に軽く力を込めると、その指先がひどく冷えていることに俺は気が付いた。
俺に魔力の流れを教えてくれていたあの日に触れた彼女の指先は、俺よりは体温は低かったが、それでも柔らかな温かさを伝えてきていた。それなのに今、俺の手に握られているその指先は、冷たいと感じる程であった。
それが弱音を吐かない彼女の本当の心の内を表しているようで、俺は胸が締め付けられるような気持になった。
「聖女ユーリ様、この度は大変申し訳ございませんでした。後日、改めて謝罪と説明のために教会に伺います」
深く頭を下げた侯爵と最後に少し言葉を交わしてから、俺たちはすぐに馬車に乗り込んだ。護衛の騎士に囲まれた馬車に乗るまでは、念のためいつでも魔法を使えるよう魔力を指先に溜めていた。馬車のドアが閉まると同時に、俺はそこでようやくその緊張を解いた。
それはメグも同じだったようで、それまでずっと俯いていた顔をやっと少し上げてくれた。その顔色を確認するためにメグの方を見やると、彼女もこちらを見ていた。
「ユーリ様、この度はご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
俺が何かを言う前に、彼女はそう言って大きく頭を下げた。
「何言ってるんですか、メグは何も悪くないでしょう」
「いえ、ユーリ様の身を危険に晒してしまいました。自分で対処すべきことでしたのに、光魔法まで使っていただいて」
彼女の黄緑の瞳は未だ不安定に揺らいでいた。どう考えたってメグは被害者でしかないのに、そうやって謝る彼女の言葉を切るため、俺は短く、でもはっきりと「メグ」と彼女の名前を呼んだ。
名を呼ばれたことで、メグはやっと俺の目をしっかりと見てくれた。
「メグが謝る必要はないよ。私には君を守れる力があった。あの状況でその力を使うのは、当然のことです」
「しかし……」
「私の魔力量が多いのはメグもよく知ってるでしょう?あれぐらい何ともありません。それよりメグ、怪我とかはしてないですか?痛むところとかはない?」
「ありがとうございます。ユーリ様のおかげで何ともございません」
「本当に間に合ってよかった。もし気になるところがあれば、ロバートさんにちゃんと診てもらって」
「はい。あの、私、あのときキャサリン様と……」
固い表情のままで先程のことを話そうとするメグを、俺はそっと押し止めた。
「メグ、無理に話さなくていいよ。話は後にしよう。今はとにかく体を休めて」
「はい、ありがとうございます」
そう言ってメグは、力なさげではあったが、少しだけ表情を柔らかくした。
早くメグを休ませてやりたいという気持ちばかりが逸り、帰り道は行きの倍ぐらい時間がかかったように感じられた。ようやく教会へと戻った俺たちは、後のことは全てヨンハンス司教たちに任せて、真っ直ぐに俺の部屋に向かった。
「メグさん!」
部屋のドアを開けた途端、勢いよく飛び出してきたのはアリーだった。彼女はその飛び出してきた勢いのまま、メグに抱きついた。有無も言わせず、驚くメグをしばらくぎゅうぎゅう抱き締めた後、「怪我はないですか?」「あんな酷いこと、信じられない」「許せないです」と次々に口早に言った。どうやら今日のことが、先にアリーの元へ伝わっていたようだった。
そして最後に「今日のメグさんのお仕事はもう終わりです!ユーリ様、それでよろしいですよね?」と俺に聞いてきた。メグを休ませたいと思っていた俺は「よろしいです」と答えた。
それなのに、まだローブを預かろうとしたり、俺の身の回りのことをしようとしたメグに、今日は休むようにと俺は改めて命じた。「これは命令だよ。メグはそこに座ってて」と言うと、ようやくメグは諦めたのか、ソファに腰を下ろしてくれた。
「ユーリ様が何かなさってるとメグさんが落ち着きませんから、ユーリ様も休憩なさってください」
アリーは俺にそう言うと、お茶の準備をするためパタパタと部屋を出ていった。
しばらくすると、アリーはお菓子を山盛りに積んだワゴンを押して戻ってきた。普段は午後のお茶の時間でも、お菓子は多くても二品ぐらいしか持ってこないので、明らかにいつもと違っていた。
「何か今日多くないか?」
俺がそう指摘すると、アリーは大真面目にこう返してきた。
「当然です!元気を出すにはエネルギーが必要ですからね。さ、お茶にしましょう。ユーリ様、今日は私たちもご一緒してもいいですか?」
「アリー!それはいけません!」
メグが慌ててアリーを止めようとしたが、アリーの意図を察した俺は彼女の提案を承諾した。
「いや、メグ、今日はそうしよう。今日は三人で休憩しよう、な?」
「ほら、ユーリ様もこうおっしゃってますし、今日は一緒にお茶をしましょう」
二人がかりでそう言うと、メグは遠慮を見せながらではあったが、折れてくれた。
「……分かりました。二人とも、ありがとうございます」
メグが了承するとすぐ、アリーはテキパキとお茶の準備をしてくれた。お茶の入ったポットを用意し、次々とお菓子を並べ、机の上はちょっとしたパーティーみたいになった。
よく休憩時間に出してもらう素朴な焼き菓子から、綺麗にカットされたフルーツ、ポップな包み紙のチョコレート、高級っぽいクッキーまで、多種多様なお菓子が所狭しと並んでいた。
どれから食べようか悩んでいると、メグが戸惑ったようにアリーにこう声をかけた。
「アリー、このクッキーは貴女の私物でしょう?やっと買えたとっておきって言ってたじゃない」
数あるお菓子の中、綺麗な缶に入った美しいクッキーをメグは指差していた。そんなメグに、アリーは何てことないように、こう答えた。
「とっておきだからこそ、今食べるんですよ!美味しいものは、こんな日こそ食べるべきなんです!すっごく美味しいって噂ですから、メグさんも食べてみてくださいね」
そう言うと、アリーはいつも見せてくれる明るい笑顔をメグに向けた。それまで少し困ったように眉を下げていたメグも、その笑顔に釣られるように「ありがとう、アリー」とふわりと笑顔を見せてくれた。
俺は女の人を元気付ける方法なんて思い付けてなかったので、アリーのこの明るさと気遣いにかなり救われたような気持ちになった。
いつもは華奢なカップにお上品に紅茶が淹れられているが、今日はシンプルなマグカップにアリー特製のミルクティーが並々と注がれていた。俺はわざと少しだけいつもよりテンションを上げて、目の前のお菓子をいただいた。
「うっま!何このクッキー!さすがとっておき」
「ふふーん、でしょうユーリ様。今王都で一番人気のパティスリーの中々買えないクッキーなんですから。今やここのお店は貴族も御用達なんですよ」
「わ、本当に美味しい」
俺たちの高いテンションにつられるように、メグも少し明るい声を出してくれた。
「メグさんも気に入りました?ここは焼き菓子も美味しいんですけど、生菓子も絶品らしいんですよ。系列のカフェは平民じゃもう予約できないぐらい人気なんです。ユーリ様、聖女様権限で予約取れませんか?」
「アリー、聖女様の地位をそのように利用しようとしてはいけませんよ」
「できるのかな?今度ロバートさんに聞いてみるか」
「ユーリ様まで」
俺たちが普段のような軽い会話を交わしていると、メグも少しずつであるが、そこに入ってきてくれた。
そうした何気ない会話で出た話題ではあったが、聖女権限で人気店を予約するのはともかく、外の美味しい店でメグたちに何か奢るのはいい考えに思えた。俺が女装なんて秘密を抱えているばかりに、真実を知る彼女たちに負担をかけてしまっている。少しばかりでも、何かを返したいとは以前から思っていた。
「いいじゃんか。俺たち結構真面目に働いてきたからな。たまには息抜きしたってバチは当たらないだろ。その店がダメでもさ、どっか美味しいもの食べに行くとかもいいよな」
「いいですね。街中まで行くなら、二番通りのアクセサリー店とか洋服の店も見たいです」
「アリーはそういう店、詳しそうだな。メグは買い物だと、どういうところに行くんだ?」
「私はそうですね。書店や結晶を扱う店が多いですね。書店だと中央広場の近くのブルーバード書店、結晶を見るなる東通りのフィリップス工房とかですね」
俺も教会の外には何度か出ていたが、全て行き先は予め決まっていて、街中の店など見たことはなかった。彼女たちのためと思って始めた会話のくせに、二人が楽しそうに語る街の話を聞いていると、俺も色んな店を散策してみたくなってきていた。
「フィリップス工房ってアクセサリーも扱ってますよね?あのお店、シンプルで可愛いの置いてますよね」
「結晶を扱う店なのにアクセサリーも売ってるのか?」
「結晶はユーリ様がお持ちのペンダントのように、アクセサリーに加工される場合が多いんです。そのため、普通のアクセサリーも併せて扱っているお店もあります」
最初はぎこちなくしていたメグも、何気ない会話をしているうちに、少しずつ普段の調子が戻ってきていた。自然に明るい会話を振ってくれるアリーに感謝しながら、俺は優しい風味のミルクティーを味わった。




