マーガレット 2
モングスト家を訪問する当日、昨夜はメグから聞いた話のことを遅くまで考えてしまっていたため、若干の寝不足を感じながら俺は起きた。
「ユーリ様、もしや夜更かしされました?そういうの、お肌のコンディションに響くんですよ!」とアリーに軽く叱られながら、俺はいつものように外行き用聖女様の支度をしてもらった。
今日の手袋は、あの日メリーベルに貰ったものを着けることにした。今日も無事うまくいきますようにと、願をかけるような気持ちでそれを選んだ。
きれいに整えられたウィッグを乗せてもらい、フードを被り身支度を終えると、部屋にヨンハンス司教を呼んでもらった。事前に打ち合わせをしたいと頼むと、彼もロバートさんも時間を作ってくれた。
メグとアリーには少し席を外してもらって、ヨンハンス司教たちに俺は今日の相談をもちかけた。
「今日向かうモングスト侯爵家ですが、ここのご令嬢がメグに何かをしてくる可能性があるかもしれないと彼女から聞きました。お二人は、メグの事情はご存知なのでしょうか?」
俺の問いに先に答えてくれたのはヨンハンス司教だった。
「彼女がこの教会にやってきた経緯は、ある程度は存じております。ご令嬢と折り合いが悪いというのもその関係で把握しております」
「私は彼女の事情の詳細は存じませんが、彼女にとってそのご令嬢が危険な存在になる可能性があることは聞いております」
二人ともメグの立ち位置はある程度は知ってくれているようだった。そのためその辺りの説明は省いて、俺の考えを彼らに伝えた。
「メグは今の私にとって、なくてはならない存在です。それだけでなく、私は優しく、真面目な彼女の味方でありたいと思っています。もし万が一侯爵家で何かあれば、彼女の身を守れるよう動きたいと思っています」
そんな俺の言葉を受けて、ロバートさんが大きく頭を下げた。
「メグにお気遣いをいただき、誠にありがとうございます。ユーリ様のお考え、大変ありがたく思います」
続いてヨンハンス司教も返事をしてくれた。
「メグが良い娘であるのは、私もよく知っております。もし先方で何かあれば、微力ながらユーリ様のお手伝いをさせていただきます」
反対をされるとは思ってはいなかったが、二人が協力してくれると答えてくれたのは心強かった。俺たちは何があるかは分からないが、なるべくメグを一人にしないようにしようと決めた。
「何かあれば聖女の地位をかざして、ゴリ押しをするかもしれません。そのときはフォローをお願いします」
二人にそう頼んで、俺たちは事前の打ち合わせを終えた。
前回と同じく騎士たちに警護を固めてもらいながら向かったモングスト家のお屋敷は、カプレリア家に負けず劣らずの大豪邸だった。あちらよりもやや華美なイメージを抱かせるそのお屋敷に、俺はいつもとは少し異なる緊張感を持って足を踏み入れた。
そんな俺を出迎えてくれたのは、侯爵夫妻だった。メグの伯父である侯爵は一見穏やかな感じのする人で、髪の色を始め、外見は彼女に似ているところが見受けられた。
幼い頃のメグを引き取り、教育まで施したというその人は、メグに似ているところもあるためか第一印象としては悪い人には見えなかった。そんな彼がまだ十歳ぐらいのメグを家から追い出して教会に入れるようになる。彼の娘とメグの間には一体何があったのだろうと、俺はつい考えてしまった。
「聖女ユーリ様、この度は我がモングスト家にご足労をいただき誠にありがとうございます。聖女様の祝福を受けることができること、大変光栄に思います」
俺の少し後ろに控えるメグの姿も見えているだろうに、侯爵は彼女には微塵も目線を向けず俺にそう言った。メグの方も他人の家であるカプレリア家を訪ねたときと同じように、彼らには何の反応も示していなかった。
それはお互いを完全に他人として扱うような反応であった。もしかしたら侯爵からメグに敵意のようなものが向けられるのかと危惧していたが、それすらもなかった。この無反応をどう解釈したものかと思いながらも、俺は聖女としての役割を果たすため、侯爵の挨拶に応えていった。
カプレリア侯爵家は信心深いこともあったためか、自宅に併設していた礼拝堂で祝福を行った。しかしモングスト家はそのような施設はないようで、案内された応接室でそのまま祝福を行うこととなった。
この国の平和と繁栄、そして家の安寧。侯爵たちに希望された内容に沿って、俺は魔法の練習の成果により前より少しキラキラ量が増した『ミラクル』をかけた。
日々の特訓により、最近は『ライト』であれば詠唱なしでも強い光を出せるようになっていたが、『ミラクル』ではまだ成功していなかった。それもあるし、何より人前で行う『ミラクル』はあの発動させるまでの所作も込みで意味をなすので、優雅に見えるように心がけながら詠唱と動作を行った。
俺にとっては練習も含めて何度も目にしている『ミラクル』であったが、聖女からもたらされるその光は信仰心の有無はさておき、美しく見えるようであった。侯爵からは大袈裟なほどの称賛の言葉をもらった。
「此度の聖女様はお力が強いとうかがっておりましたが、あの美しい奇跡の光を目の当たりにしてそれが真実であると確信致しました。伝え聞いていた光景より、とても素晴らしい光でした」
「力の強さは分かりませんが、こうして喜んでもらえたなら何よりです」
「強いお力をお持ちなのに謙虚でもいらっしゃる。さすがは聖女様、お人柄まで素晴らしい」
「いえ、まだまだ未熟なだけですよ」
「聖女様として立派に務められている方が未熟な訳がございません。貴女ほどのお方なら、聖女様としの仕事を終えられたあとも引く手あまたでしょう。聖女ユーリ様は、先のことは何かお考えなのですか?」
誉め殺しからのにこやかな会話の流れで、侯爵は俺の聖女としての役目を終えた後のことの探りを入れてきた。これは引退後の勧誘を受けるパターンなのではと俺が思っていると、それを裏付けるように応接室の扉がノックされ、一人の男性が部屋に入ってきた。
その男性は侯爵とよく似た金髪を持つ青年だった。年は俺より少し上ぐらいで、髪に少し癖があり、ちょっと濃いめのイケメンといった風貌だった。
「初にお目にかかります、聖女様。私はこのモングスト侯爵家の長男、ジュリアスと申します」
己の顔の良さを理解している完璧な笑顔を向けられながら侯爵の息子、ジュリアスの挨拶を受けた。形式ばった返事を返しながら、メグのこともあるのにこれは面倒なことになりそうだと俺は思った。
そんな俺の危惧は当たらなくていいのに、こういうことに限ってばっちりと当たってしまった。そこからジュリアスはお世辞を交えながら、あれやこれやと俺にまるで口説くように話しかけてきた。聖女の血を取り込みたいという彼らの意図は事前に聞いてはいたが、面と向かって男に「貴女はたおやかな淑女」だの、「黒い瞳が宝石のように美しい」だの言われると、ローブの下の両腕に鳥肌が立ちまくる思いだった。
ジュリアスだけでなく、彼の両親もぐいぐいと話しかけてくるため、入り口の側で控えているメグのことが気になるのに、俺は視線をそちらに向けることすらできずにいた。ストレスのかかる会話をどう切り上げるかばかりを考えていたそのとき、部屋の入り口の方から、物音と共ににわかに騒がしい声が聞こえてきた。
何か起こったのか気になったが、モングスト親子の話は中々途切れてくれなかった。短い会話の隙間を狙ってなんとか視線を動かすと、近くに控えてくれていたヨンハンス司教と目が合った。彼からの訴えるような視線にハッとなり、顔を部屋の入り口に向けると、そこにメグの姿が見えないことに気がついた。思わず体ごとそちらを向いた俺に、侯爵が声をかけてきた。
「いかがなさいましたか、ユーリ様?」
そう問うてくる侯爵の表情からは、何かを企んでいるような気配は特に感じられなかった。侯爵はメグがこの部屋から消えたことを俺に気づかせないため、長ったらしい会話でわざと俺の気を引きつけていた訳ではなさそうだった。
「いえ、入り口の方が少し騒がしかったので気になっただけです。何かあったのでしょうか?私の侍女の姿も見えないようですが」
「侍女殿がですか?すぐに確認をさせます」
侯爵が入り口付近にいた使用人を呼ぶと、彼女は慌ててこちらに近づいてきた。
「お騒がせして申し訳ございません、聖女様。メイドがお茶をこぼしてしまい、聖女様の侍女の方のお召し物を汚してしまったのです」
「それで、メグは今どこに?」
あんなに気を付けていたのに、メグの姿が見えないことを内心焦りながら、俺はその使用人に端的にそう聞いた。彼女はやたら焦りのようなものを見せた表情のままこう答えた。
「お、お召し物に染みが残ってはいけませんので、別室でお召し替えをお願い致しました」
やられた!瞬時に俺はそう思った。
ヨンハンス司教たちもメグのことを気に掛けていてくれたが、女性の着替えとなると彼らでは付いていくことができない。本当にただのアクシデントの可能性もない訳ではなかったが、目の前の女性の挙動の不審さから見てもその可能性は低いように思えた。
あんなに警戒していたのに、メグをまんまと連れ出されてしまった。しかも、今ここで彼女を別室とやらまで追いかけられるのは、女性だと思われている俺だけだった。焦りでヒリつく思考回路をなんとか落ち着かせながら、俺はメグを追いかけるためこの部屋を出る理由を必死に考えた。