マーガレット 1
メリーベルの騒動から数日経ち、いつもの日常に戻った俺は、日課をこなしつつ次のモングスト侯爵家の訪問に備えていた。
まぁ備えると言っても普段通り魔法の練習をしたり、マナーを再確認したりするだけなので、何ら変わらぬ日々を過ごしていた。
騒動後に変わったことといえば、俺が手紙をやり取りする相手にメリーベルが加わったことぐらいだった。彼女は味方になると言った言葉通り、最近の女性の流行りものの話など、俺に必要そうなことをあれこれ書いてくれていた。それまで王族とばかり手紙のやり取りをしていたので、メリーベルとの肩肘張らないやり取りはちょっとした俺の癒しとなっていた。
モングスト侯爵家の訪問を翌日に控えた昼下がり、メリーベルに言われてから外に出るときは必ず着けるようになった手袋を外して、休憩のための紅茶を飲んでいた俺にメグがやや遠慮がちに声をかけてきた。
「あの、ユーリ様、先日のカプレリア侯爵令嬢の件はご対応をいただきありがとうございました」
「ご対応ってほどのことはしてないよ。あれはメリーベルさんがしっかりしてたから解決したようなもんだよ」
「カプレリア侯爵令嬢もしっかりされた方でしたが、それでも私が説明をしていたらあのようには解決しなかったと思います」
「そうかな?まぁでも何にせよ、無事収まってよかったよ」
メリーベルから大きな爆弾は投下されたが、彼女はきちんと秘密を守ってくれるだろうから心配はないだろうと思っている。その他に気になる点はなかったし、俺の中であの件は無事解決したと思っていた。メグが気にすることは特にないと思うのだが、目の前に立つ彼女の表情は優れないままだった。
「メグは、何か気になることがあるのか?」
生真面目な彼女のことだから、小さいことまで気にしてくれているのかもしれない。そう思って俺は何気なくそう声をかけた。
しかし、そんな俺の軽い考えとは正反対に、メグは重い表情のまましばらく逡巡したあと、おずおずとその口を開いた。
「その、ユーリ様、少し私の話を聞いていただいてもいいでしょうか?」
そこからメグが語ったのは、彼女の生い立ちに関する話であった。
「私は教会に身を寄せておりますが、モングスト侯爵家とは血縁関係にあるのです」
唐突に明かされた事実に、俺はとっさに反応を返せないほど驚いた。ロバートさんからメグとモングスト家には縁があるとは聞いていた。しかしそれが血縁だとは夢にも思っていなかったのだ。
「現侯爵の妹が、私の母になるのです。つまり血縁上でいうと私はあの方の姪になるのです」
侯爵の姪となれば、本来ならばそれなりのご令嬢のはずだ。そんな彼女がなぜ、教会に一人身を寄せているのだろうか。疑問に思う俺にメグはさらに言葉を続けた。
「それなのに私が侯爵家の家名を名乗らないのは、母が駆け落ちをしたからなのです。侯爵家の使用人の一人であった父と恋に落ち、その人と結ばれるため母は家を捨て市井に下りました。そして、二人の間に私が産まれたのです。私たちは三人で慎ましく、静かに暮らしていましたが、母と父は私が五歳のときに流行り病で亡くなってしまいました。幼くして一人ぼっちになった私は、母の最期の言葉に従って、母の形見を持ってモングスト侯爵家を訪ねたのです」
そう言ってメグはチェーンに通して首から下げていた指輪を取り出して、俺に見せてくれた。
「これはモングスト家の血筋を証明する指輪です。本来はここに宝石が嵌め込まれており、内側に持ち主の名前が刻まれております」
本来はとメグが言ったとおり、内側の名前は分からなかったが、宝石があったであろうくぼみには、今は何も嵌め込まれてはいなかった。それでも、メグは大切そうにその指輪を見つめていた。
「侯爵様が子供に罪はないと私を受け入れてくださったため、そこから数年は使用人として侯爵家に身を寄せておりました。その間、侯爵様は衣食住を保証してくださっただけでなく、私に多くの教育を施してくださいました。マナーや魔法の基礎は、そのときに習ったのです」
メグが侯爵家と関係していると聞いたときから疑問に思っていた、メグが基本的に貴族が使う魔法を使いこなせるのも、平民のアリーにはない教養があったのも、そういう理由からだったのかと、俺は納得をした。
「そうして五年ほどお世話になったのですが、侯爵家にはいられない事情ができ、私はあの家から出ることになりました。その後は、現在までこうして教会のお世話になっております」
「そっか、メグと侯爵家にはそんな関係があったんだな」
「はい。そして先ほど申しました事情というのは、その、残念ながら良いものではありません。そのため、私が侯爵家へ同行をすることで、もしかするとユーリ様にご迷惑をおかけするかもしれないのです。お伝えするのが直前になり、申し訳ございませんでした」
そう語るメグの顔には、ずっと緊張の色が見えていた。自分の生い立ちを語るのは、その環境が複雑であるほど容易ではなくなる。そのことは、施設に入っていた俺にはよく覚えがあった。
「言いづらいこともあっただろうに、教えてくれてありがとう、メグ」
彼女が勇気を持って俺にこの話をしてくれたことに、俺は感謝を伝えた。
「確かにこの話はほとんど他人にしたことはありません。教会でも、私が引き取られた頃からいる一部の人間しか知らない話です。両親のことや自分の血筋を恥じたことはありません。けれど、近しい親族である侯爵様たちと折り合いが悪くなってしまったことは、どこか言いづらく感じておりました」
「うん、親族とうまくいかなかったなんて話は、しにくいもんだよ。俺も昔親戚の家をたらい回しにされたけど、そんなこと誰にも言えなかったよ」
「今回もユーリ様にモングスト家とは良くない関係であることだけを伝えようかと思っていました。けれど、先日のユーリ様のお言葉を聞いて、きちんと説明をしたいと思えるようになったのです」
「俺の?」
思い当たるようなことはなかったので、俺は思わずメグに聞き返してしまった。そんな俺にメグはこう言ってくれた。
「『血の繋がりがあるからといって無条件に思い合える訳ではない』、ユーリ様はカプレリア侯爵令嬢にそうおっしゃいました。私はずっと侯爵家の方とうまくできなかった部分をどこか負い目のように感じていました。しかし、ユーリ様のお言葉で、何だかそれを許されたような気持ちになったのです」
あれは別に何か信念のようなものがあって言った言葉でもなかった。自分が家族や親戚というものの脆さを体感し、見聞きしているから出ただけの言葉であった。でもそれが、同じように家族というものを早くに失ったメグには響いたようだった。
「ユーリ様、私はモングスト侯爵家のご令嬢であるキャサリン様から良く思われておりません。今回のご訪問では侯爵夫妻のみが立ち会われるとのことですが、あの方が我々に何かしてくるかもしれません。ユーリ様のことは何に代えてもお守りします。しかし、危険があるかもしれないことは、お心に留めておいていただければと思います」
メグは必死に訴えるように俺にそう言ってきた。歴とした侯爵令嬢と、その血縁ではあるものの平民のメグ。彼女たちの立場の違いを思えば、「良く思われていない」メグが、そのご令嬢からあまりいい扱いを受けなかったであろうことは、彼女の必死さから想像ができる気がした。
それなのに、メグは俺のことを守ると、俺に危険に備えるようにと言った。彼女は自分のことを棚に上げていたが、俺にとってはずっと親切にしてくれているメグも、守るべき人だった。
「教えてくれてありがとう、メグ。俺も気を付けるけど、メグこそ気を付けてくれよ。危ないと思ったら、必ず俺を頼ってくれ」
そう真っ直ぐ伝えると、メグは少し表情を緩ませてくれた。
「お心遣いありがとうございます。ユーリ様にはご迷惑をおかけしないよう、対応には気を付けます」
自分のことを二の次にして、的外れなことを言う彼女に言い聞かせるように俺は言った。
「ご迷惑なんて思わないでいいよ。むしろ遠慮されてメグに何かある方が、俺は困るよ。聖女様ってここでは侯爵令嬢なんかより偉いんだろ?俺にどーんと頼ってくれよ」
権力なんて使いなれていないが、そういうものはこういうときにこそ使うべきものだろう。「絶対だぞ」と念を押すと、メグはまだ遠慮がちではあったがしっかりと頷いてくれた。
キャサリン・モングスト。
夜、寝室で一人になったとき、今日メグから聞いた話を思い出しながら、その人物のことを俺は考えた。
現モングスト侯爵の娘。年齢は確かメグより四つ年下で、メグからみれば従姉妹にあたる存在。火属性を持つ、早くから聖女にはなれないことが分かっていたご令嬢。
生まれからずっと侯爵家で育った生粋のご令嬢と、市井で育ったメグ。メグは侯爵家に使用人として招き入れられたと言っていたし、地位や権力だけを考えると、彼女がメグに不満を抱く要素などあまりないように思えた。
メグは誰かの不興を買うような性格でもないし、二人の間に一体何があったのだろうか。
そんな答えが出るはずのないことをふつふつと考えながら、俺はその日の遅くに眠りについた。