偽聖女 3
偽聖女。
確かに俺は偽者の聖女だ。
その自覚があるためか、驚きすぎたためか俺はとっさに動けずにいた。
そんな固まってしまった俺とは違って、周囲の動きは早かった。衛兵もメグも素早く後ろに下がらせ、代わるように前に出てくれた。さっきの叫んだ少女の侍女と思わしき女性も少女に追い付き、何とかその子を止めようとしてくれていた。
しかし、怒りを顕にした少女はそんな大人たちの行動などには目もくれず、俺を指差しながらもう一度大声で叫んだ。
「この偽聖女!偽者!貴女のこと、絶対に許さないんだから!」
少女は声を荒げ、肩で息をしながら全身で怒りを見せていた。しかし、その目には、同時にうっすらと涙が浮かんでいた。
訳が分からないなりに、怒り以外の何かも、その子は抱えているのではないかと俺は思った。俺がそんなことを考えている隙に、メグが少女を抱きかかえるようにして動きを封じた。
「この!私を誰だと思ってるの!離しなさい!」と叫ぶ少女を抑え込んだまま、メグは俺にこう言った。
「ユーリ様、申し訳ございませんが場所を移してもよろしいでしょうか。ここでは人目に付きすぎます」
メグに言われて改めて周囲を見渡すと、俺たちの周りに徐々に人が集まり始めていた。そして、誰もがメグに捕えられた少女に厳しい視線を向けていた。
ここは教会。この世界の中でも、特に聖女を信奉する者たちの集まる場所だ。そんなところで大声で俺を批判すれば、いくら相手が子供とはいえ、優しい目は向けられないだろう。
彼女のためでもあったが、自覚がある分これ以上偽聖女と人前で騒がれたくなかったため、俺はメグの提案に従い、場所を変えてもらうことにした。
騒ぐ少女をメグと少女の侍女が宥め、何とか教会内の応接室のような部屋まで移動をした。その間も少女はまるで気が立った猫のように俺を威嚇していた。
女性ではないから俺は偽者といえば偽者なのだが、目の前の面識のない少女に偽者と呼ばれ、またこれだけ怒らせるような真似をした記憶はなかった。そのため、彼女がソファに落ち着いたのを見計らって、理由を聞くため声をかけた。
「えーっと、お嬢さん、まずはお名前を聞いてもいいかな?」
すると彼女は目をキッと釣り上げながらも、きちんと名乗った。
「わたくしはメリーベル・カプレリア。貴女が……偽者の聖女の貴女が救えなかったお祖父様の孫よ」
カプレリアの家名を聞いてやっと彼女の正体が判明した。確かカプレリア侯爵には息子と娘が一人ずついたはずだった。彼女がその娘さんなのだろう。
そうして謎が一つ解明されたが、代わりに新たな謎が彼女の言葉により生まれてしまった。
「救えなかった?」
恐らく彼女が激しく怒りながらも泣いていた理由であろうその言葉を、俺は口に出した。すると、メリーベルは新しい涙を目に浮かべながら俺を睨み付けてきた。
「そうよ!貴女は聖女の癖に奇跡の光でお祖父様を救えなかったのよ!この偽者!貴女なんか、貴女なんか絶対本物の聖女様じゃないわ!」
そう言いたいだけ言うと、彼女は激しく泣き出してしまった。わんわんと泣くメリーベルに困惑していると、視界の端で彼女の侍女が隠れるようにメグに何かを耳打ちするのが見えた。メグは驚いた表情をした後、俺の側にやってきて、侍女が教えてくれた話を俺にも伝えてくれた。
「前侯爵が亡くなった……?」
メグから聞いた言葉が衝撃的すぎて、俺は思わずそう溢してしまった。そんな俺の言葉を聞いて、メリーベルはさらに激しく泣き出してしまった。
貴女のせいよ、聖女の癖にと嗚咽に混じりに言うメリーベルを俺は呆然と見つめた。確かに前侯爵の容態はかなり悪そうだった。しかし、つい先日あんなにもしっかりとした視線を向けてくれていた人がもうこの世にはいないことが信じられなかった。
呆然とする俺に、メグがこう伝えてきた。
「どうやら彼女は聖女様の祝福でお祖父様の病気は治ると思っていたようなのです。子供には、その、聖女様は本当に奇跡を起こせる存在だと信じている者もおります。彼女もその一人だったようなのです」
そのメグの言葉で、メリーベルが悲しみながらも俺に怒りをぶつけてきた理由がやっと理解できた。彼女の中では祖父を救う奇跡を起こせなかった俺は、偽者の聖女という訳だったのだ。
「彼女に聖女様についての説明をいたします。ユーリ様はこのままお待ち下さい」
メグは俺に静かにそう言ってくれた。メリーベルに聖女とはそういう存在ではないと言うのは、きっと簡単なのだろう。実際、歴代の聖女様も『ミラクル』の光は生み出せても、奇跡は起こせてはいない。事実を伝えるのは至極簡単だ。
しかし、それだけで彼女の気持ちの整理がつくようには俺には思えなかった。目の前の泣きじゃくる少女に必要な言葉は、それだけではないように思えた。
そのため、首を横に振ってメグに断りを入れた。そして、俺は正面のソファに座っていたメリーベルのところまで移動し、彼女の前に膝をついた。
きっと聖女が高位貴族とはいえ一人の少女の前で膝をつくのはよくないのだろう。メリーベルの侍女は息を呑んでいたし、メグも小さく「ユーリ様」と声を出した。
しかし、俺はそれに気付かない振りをして、メリーベルに視線の高さを合わせた状態で話しかけた。
「メリーベルさん、お祖父様のことお悔やみ申し上げます。私は先日一度会っただけだったけど、あの人が素晴らしい人であったのは、それだけでも十分感じられました」
そう声をかけると、メリーベルは目にこぼれそうな程の涙を溜めたまま、俺の方を向いてくれた。大泣きしたことで、怒りが一時的に身を潜めたのか、初めて激しい感情を伴わない彼女の目を見ることができた。
その目は、大切なおじいちゃんを亡くした、その悲しみに染まったただの幼い少女の目だった。
「君の言うとおり、私の魔法では奇跡は起こせないんだ。祝福の光を与えることはできても、大切な人との別れが来ないようにすることはできないんだ」
「それは、貴女がっ、偽者だからでしょ!」
「違うよ。私は間違いなくこの教会に認定された聖女だ。けど、できないんだよ」
「……嘘、嘘よ!」
「残念ながら、嘘ではないんだ」
メリーベルの目を見つめて、俺はそうはっきりと言った。彼女は嘘、嘘よとしばらく否定をしていたが、俺が全く目を逸らさずにいると、徐々にそのトーンと目線を落としていった。
そしてメリーベルは俺の視線から逃れるかのように、彼女の侍女へと目を向けた。
すがるような目を侍女に向けたが、彼女も苦しそうな顔をしながら、「お嬢様、おとぎ話の聖女様と現実の聖女様は異なるのです」と彼女に告げた。
侍女の隣にいたメグも、「この教会の教徒である私も、この方は間違いなく聖女様であり、そのお言葉に嘘はないと保証します」と言った。
期待した言葉をもらえなかったメリーベルは視線を彷徨わせた後、弱々しく俺の方に向き直った。
「……ひぐっ、聖女様、なのに?聖女様は、奇跡を、起こせるんじゃないの?」
「聖女でもそれは無理なんだ。それはきっと人ではなく、神様の領域なんだろう。ごめんよ」
「それなら、それなら、貴女の祝福の魔法は何のためにあるの?聖女様は、人々を救う奇跡の存在なんじゃないの?」
すがっていた糸はどこにも繋がっていなかった。そんな不安を滲ませながらメリーベルは俺にそう問うてきた。そんな彼女にどうか伝わりますようにと思いながら、彼女の小さな手を取って、俺は慎重に言葉を続けた。
「この世界を守る結界を張るのが聖女の主な仕事だ。そして、それ以外の何か奇跡のようなことは起こせないという点でいうと、私の祝福の魔法に意味はないね」
「……だから、奇跡が起こせないから、貴女が本物の聖女様でもお祖父様の病気は治せなかったの?」
「うん、私の祝福の魔法では君のお祖父様の病気は治せなかった。でもね、そもそもあの日、君のお祖父様は自分の病気のために祝福をかけてほしいとは願わなかったんだよ」
「え?どうして?起き上がれなくなるぐらい、あんなにしんどそうだったのに。お父様だって、お祖父様のために奇跡の光を願うんだって言ってたのに」
驚く彼女に視線を合わせたまま、俺は言葉を続けた。
「君のお祖父様はね、自分のためではなくこれからを生きる君たちにこそ祝福は捧げられるべきだと言っていたよ」
「祝福を、私たちのために?」
「うん。君たちの未来が少しでも良きものになるようにと願いを込められたんじゃないかと私は思っているよ」
「お祖父様……」
「私の祝福に特別な力はないよ。けれど、君はお祖父様の体調が戻って欲しいと願い、お祖父様は君たちの健やかな未来を願った。そのお互いを思う心にこそ、すごく意味があると私は思うよ。お互いを思いやれる家族がいる、それは君たちが築き上げてきた素晴らしい関係だ」
早くに両親を亡くし、親戚から見放され、施設で育った俺には彼女たちの関係が本当に眩しく思えた。本心からの気持ちを込めて、俺はこう言った。
「血の繋がりがあるからといって、無条件に思い合える訳じゃない。お互いのことをそう願える君たちこそ、奇跡みたいだと俺は思うよ」
そこからしばらくメリーベルは小さな肩を震わせ、無言で涙を流し続けた。彼女の涙が収まるまで、俺は彼女の手を握り続けた。
すんすんと鼻をならし、やっと涙が引いたメリーベルはここに来たときとは別人のように落ち着いた状態でこう言った。
「ごめんなさい、聖女様。私、貴方がお祖父様を救ってくれるって勝手に思ってました。それであんな言葉を言ってしまって。本当にごめんなさい」
「うん、メリーベルさん、君の謝罪を受け入れるよ」
大きく下げていた頭を上げたあと、メリーベルは俺を見つめながら静かにこう言ってきた。
「ねぇ聖女様、貴方はご自分の祝福には効果がないっておっしゃったけど、貴方がお祖父様に祝福を授けてくれたおかげで私はお祖父様のお言葉を知ることができたわ。本当にありがとう」
彼女の目にはまだ涙が残っていた。目元も痛々しく見えるほど赤くなっていたが、その瞳には力強い光が宿っていた。
「私、お祖父様が大好きだったの。とても尊敬もしていた。だから私、お祖父様が願ってくれた未来を手にでにるように、それに相応しい大人になれるよう、これから努力をしていくわ」
そう言った彼女の瞳は、俺があの日見た前侯爵の力強い瞳と、とてもよく似ていた。