偽聖女 2
ヨーロッパちっくな王都の中を走り、たどり着いたカプレリア侯爵家は歴史を感じさせる重厚感のあるお屋敷だった。先に王宮を見てなければ、元の世界では到底お目にかかれない超大豪邸に、多分俺は圧倒されていただろう。
馬車を降りると、執事と思われる男性が一人で俺たちを出迎えてくれた。彼の周囲に他の使用人らしき人は見あたらなかった。この大きさのお屋敷ならもっと大勢使用人がいるだろうに、なるべく人に会いたくないという俺の意向を今回もありがたくも汲んでくれているようだった。
その執事に案内されたのは、侯爵家の豪邸の横に建てられていた小さな礼拝堂だった。教会に似たその建物に入ると、そこにはおそらく侯爵夫妻とおぼしき男女がいた。
彼らは俺が礼拝堂に入るとすぐに座っていたベンチから立ち上がり、俺に向かって手を組んで、拝むようなポーズをした。事前に信仰心が厚いと聞いたためこういう対応を覚悟をしてからこの部屋に入ったが、慣れるはずもなく何とも居座りが悪いような気持ちになった。
やっとのことで祈りのポーズを解いてくれた侯爵夫妻と簡単な挨拶を交わし、さっそく『ミラクル』をかける手筈となった。
しかしその時点で、前もって聞いていた前侯爵の姿がその場に見えないことに、俺は気がついた。今回の祝福は彼のためだと聞いていたのにだ。無理を言ってまで聖女を呼んだのに、その目的たる前侯爵がいないことが気になった俺は、余計なお世話かもしれないと思いつつも侯爵にそのことを聞いてみることにした。
「今回の祝福に立ち会われるのは三人と聞いておりましたが、もうお一方はどうされたのでしょうか?」
すると侯爵は困ったような、何かを堪えるような顔をした。
「事前にそのようにお伝えしておりましたが、父はこの場には来られなくなりました。そのため、今回の祝福は我々二人だけで立ち会わせていただきたいと思います」
その彼の表情と、前侯爵は体調が思わしくないと聞いていたことから、俺は一つの可能性を思い浮かべた。それは、もしかすると前侯爵はここに来れないほど体調が悪いのではないか、ということだった。それならばと思い、俺は侯爵にこう返した。
「もしお加減がよろしくないのであれば、私が前侯爵のいらっしゃる場所へ行きましょうか?私室に入らせてもらうことにはなるかもしれませんが、それでもよろしければ伺います」
相手が来れないなら、俺が行けばいい。そう思って深く考えずにそう言ったのだが、俺の言葉を聞いた侯爵が目をわずかに潤ませた。驚く俺に、彼はこう言ってきた。
「聖女様、その御心の深さに心より感謝申し上げます。ご推察の通り父は昨日容態を崩し、今はベッドから出られない状態なのです。もし、聖女様のご慈悲にすがっても良いのであれば、どうか父に祝福と奇跡の光を見せていただけますでしょうか?」
『ミラクル』を使うのに特に場所は選ばない。俺と、俺の声を維持してくれるメグさえいれば問題はなかった。こちらは大丈夫だったが、念のためヨンハンス司教の方を見ると、司教も微笑みながら頷き返してくれた。そうなると答えは一つだった。
「もちろんです。前侯爵のところへ案内をお願いします」
前侯爵の準備などもあるため、そこから応接室へ移動して少し時間を潰した。侯爵家はどうやら王宮でのお茶会の話も耳にしていたのか、お茶うけにはあの日俺が気に入ったアーモンドを使ったクッキーが出された。その気づかいをありがたく頂戴していると、使用人が前侯爵の準備が整ったと呼びに来てくれた。
侯爵夫妻に案内され、俺は前侯爵の私室だという部屋に入った。日当たりのいい広い部屋には大きなベッドが置かれていて、そこに一人の男性が背を起こして座っていた。紹介されるまでもなく、彼こそがこの部屋の主である前侯爵だと俺は一目で分かった。
その人は衣服の上からも分かるほど痩せていて、頬もこけていた。しかし背筋はピンと伸び、力強い眼光は衰えを見せていなかった。ベッドから降りれないほどの病人のはずなのに、弱さを感じさせない雰囲気がある人だった。
前侯爵は俺の方を向くと、手を組んで祈るポーズをしたあと、俺に話しかけてきた。
「聖女ユーリ様、この度はこのような場所までご足労いただき誠にありがとうございます」
「お礼には及びません。私は三人の前で祝福の光を披露する約束でこちらに来ておりますので」
本当に場所のことは何も気にしていないので、それが伝わるようにと意識して口角を上げながらそう答えた。それが伝わったのか、前侯爵は表情を和らげ、俺に頭を下げてくれた。
ベッドに座っているとはいえ、病人に負担をかけるのは良くないため、俺は挨拶を終えるとすぐ『ミラクル』をかけることにした。
事前の打ち合わせどおり、まずヨンハンス司教が何に祝福を望むのかを聞いてくれた。
「聖女様に申し上げます。祝福を我が父の……」
侯爵がそう答えようとしたところ、前侯爵が軽く手を上げることでそれを制止した。戸惑う息子に鋭い視線を向けたあと、彼は少し掠れた声で俺にこう言った。
「……ごほっ。聖女様に申し上げます。祝福をこの国の平穏と、これからの世代を担う者たちにお授けください」
建前として何に祝福を願うかを聞くが、今回は前侯爵のために祈ることは決まっているのだとばかり思っていた。そう思わせるほど彼の容態は深刻そうに見えた。
しかし、それを当の本人がしっかりとした口調で否定をした。彼の息子は少し戸惑うような態度を見せていたが、本人にその気は全くなさそうだった。
「このような身です。聖女様の奇跡にすがりたい気持ちを息子が抱くのも無理はないでしょう。しかし、祝福を受けるのは彼らであるべきです。これからのこの国を支えていく彼らこそが、この国とって、そして私にとっての希望なのですから」
落ち着いた口調で前侯爵はそう言った。侯爵はそんな父の言葉を聞いて、深く目を瞑ったが何か反論を言うことはなかった。
結論は出たようだったので、俺は前侯爵の願いに従って魔法を使うことにした。
全員に祝福の光が降り注ぐように、侯爵夫妻にもベッドの側に寄ってもらってから、俺は王宮で行ったように美しい所作を意識しながら『ミラクル』の呪文を唱えた。
『神よりもたらされし祝福と奇跡の光を、ミラクル』
聖女の魔力により生み出された『ミラクル』のきらびやかな光の粒子たちが、侯爵たちに降り注いだ。この神秘的な光に何かを起こす力はない。けれどその光景を穏やかな表情で見つめる前侯爵たちの姿を見て、俺は今日ここに来て『ミラクル』を使ってよかったと感じていた。
前侯爵に負荷をかけないためにも、お礼の言葉をもらうと、挨拶もそこそこに俺たちは彼の私室を辞した。そこから応接室へ戻ると、今度は侯爵夫妻からも大袈裟なほどの感謝の言葉をもらった。
「ありがとうございます、ユーリ様。昨日父が容態を崩してから、父にあの素晴らしい祝福の光を見てもらうことは諦めておりました。本当にありがとうございます」
自分としては大したことはしていないつもりだったが、これだけ喜んでもらえると女装という制限は付くが聖女をしていてよかったなと思えるほどであった。
短時間の滞在であったこともあって、性別を疑われるようなことも、前回のような予想外のイベントもなかった。万事上手くいったなと思いながら、俺たちはカプレリア侯爵家を後にした。
次のモングスト侯爵家への訪問は、そこから約二週間後の予定であった。いつもの日々を送りつつも、俺は気になっていたモングスト家の話を、メグの目に付かないところで少しずつ聞いて回った。
と言っても、俺の主な話し相手はヨンハンス司教、ロバートさん、アリーぐらいである。そんな限られた相手からしか話は聞けなかったが、おぼろ気ではあるがモングスト家のことを掴むことができた。
モングスト家にはメグより二つ年上の息子と、四つ年下の娘がいるそうだ。二人ともメグと同じ金髪で、息子は中々の男前で、娘は性格はキツいが美人だそうだ(アリー談)。
そして、モングスト家はカプレリア家と違い、聖女の訪問を望んでいる理由は信仰心からではないそうだ。彼らはこの世界で唯一の存在である『聖女』がもつ権力に興味があるのだそうだ。
聖女と懇意になりたいという願望と、対立するカプレリア家が聖女を呼ぶならうちにも必ず呼ばなければという敵対心から、彼らは今回の訪問を切望しているようだった。
あと、モングスト家は過去何人かの聖女を輩出していることにかなりの誇りをもっているという話も聞いた。次代以降のために俺の取り込みを本気で狙っていると、噂好きのアリーが言っていた。
「そこまで聖女にかけてる家だと、自分の家にも年頃の娘がいたのに今回俺が選ばれて、相当がっかりしてるんだろうな」
期待は大きければ、それだけ叶わなかったときの反動は大きい。ポツリとそうもらした俺に、アリーはこう教えてくれた。
「そこは大丈夫ですよ。モングスト家の現当主は火属性で、一人娘のキャサリン様も同じ属性なのです。なので彼女が聖女様になれないことは、昔から明らかでしたからね」
「ん?聖女が持つのは光属性だろ?火属性かどうかなんて、何か関係あるのか?」
光属性以外は同じじゃないかと思った俺に、アリーは説明をしてくれた。
「ありますよ。ユーリ様、魔力計のことは覚えてらっしゃいますか?」
「あの時計みたいなやつだろ。覚えてるよ」
ここに来てすぐに使った魔道具を思い出しながら、俺はそう答えた。
「あの魔力計で光属性の両隣の属性は水と風だったのは覚えていらっしゃいますか?人が持てる魔力の属性は多くて二つ、そしてその二つは必ず魔力計で隣り合っている属性になるんです」
確かにメグは風属性と光属性を持っているし、ロバートさんも水属性と光属性を持っていると言っていた。言われれば、彼らが持つ光属性以外の属性は、魔力計で隣り合うものだった。
「そして今までこの世界から誕生した聖女様は皆様、光属性の素養を初めから少しはお持ちでした。つまり聖女になる可能性があるのは、水属性と光属性をお持ちのフランチェスカ王女や、風属性と光属性を持つメグさんのような人なんです」
「なるほど、光属性と隣り合わない火属性のそのご令嬢は光属性の素養がないから、最初から聖女になれる可能性がなかったんだな」
「そうです。平民はそんなことしませんが、貴族の子供は魔力の属性が落ち着く七歳頃に魔力判定をするそうです。なのでその時点でキャサリン様が聖女になれないことは確定しちゃってたのです」
アリーはいつも通り手をてきぱきと動かしながら話を続けた。
「その頃から自分たちの家から聖女が出る可能性はないと思っていたモングスト侯爵家は、嫡男に聖女を娶らせたいとずっと画策していたそうです。そして今、彼女の兄であるジュリアス様のお嫁さんとして、まさにユーリ様が狙われている訳です。うん、モテモテですね」
「はは、嬉しかねーよ」
「次期侯爵様のジュリアス様でも聖女様であるユーリ様に無理強いをすることはできません。きっぱりお断りすれば大丈夫ですよ」
「はー、聖女の地位が高くて本当によかったよ」
そうして聞きたいことも、聞きたくないことも耳に入ってきたが、メグに繋がるような話は誰からも聞くことはできなかった。モングスト家の訪問が決まってからメグから何かを相談されることもなかったし、詳細は未だ分からぬままであった。
けれど、本人が言わないなら、俺はそれを尊重するし、どんな理由であれ俺は彼女の味方になるだけだった。
その気持ちは変わらぬまま、モングスト家の訪問までの日々を俺は過ごしていた。
そんな平穏な日々の中で、次に波乱が起きるとすればモングスト家の訪問時だとばかり思っていた。しかし平穏をぶち破るそれは、唐突に俺の身に降りかかってきた。
その日もいつも通り、俺は午前中に守護結晶を満たす聖女の務めを行っていた。作業を終え、守護結晶の置かれている建物を出たところで、中庭が騒がしいことに俺は気がついた。
普段は人もまばらで、いても教会の関係者が歩いているぐらいなので、中庭から大きな音がすることはなかった。何事かと思いそちらに視線を向けると、大人の制止を振り切り、こちらに向かってくる一人の少女が見えた。
身なりのいい、年頃は小学生になったばかりぐらいに見える少女は、こちらに向かって真っ直ぐ走ってきていた。慌てて止めにかかった彼女の使用人らしき大人の制止を振り切りこちらに近づいてきた彼女は、俺を見据えると子供らしい高い声を響かせて、こう叫んだ。
「見つけたわよ!この偽聖女!」