偽聖女 1
色々あった王宮での謁見を終え、教会での平穏な日々が俺の元に戻ってきた。
ディラン王子やフランチェスカ王女から『ミラクル』のお礼の手紙をもらったため、四苦八苦しながら返事を書くという余波はあったものの、ロバートさんやメグ、アリーといった俺の正体を知る人たちと、守護結晶の仕事と、魔法とこの世界についての勉強をするという、もう身に馴染みつつある毎日を俺は過ごしていた。
守護結晶の方は変わらず順調で、魔力量が多いと言われる俺は魔力を注いだ後も普通に活動ができていた。
魔法の方も同じく順調で、『ライト』なら無詠唱でも小さな光を灯せるようになっていた。新しい魔法の『シャインウォール』もうっすらではあるが、小さなオーロラのような光の幕を出すことに成功していた。
そうして平穏であることに越したことなどないのだが、外の世界を知ってしまった今、自分の部屋と結晶のある建物を行き来するだけの日々に、俺は正直少し閉塞感のようなものを感じていた。あの王宮での心臓に悪い緊張感をもう一度味わいたい訳ではないが、少しぐらい外に出たいなという気持ちが、俺の中で生まれていた。
そんなある日、珍しくロバートさんが俺と二人で話がしたいと声をかけてきた。
「『ミラクル』をかけて欲しがっている貴族がいる?」
「はい、そうです。そのことでユーリ様にご相談をお願いしたいのです」
話というのは、どうやら先日の王族へ祝福をかけに行ったことを知った貴族の中に、自分達にも『ミラクル』をかけてほしいと言っている人たちがいるというものだった。
教会から出ない生活に少し飽きてきていたのと、先日の王宮へ出掛けた際も正体がバレなかったことから、俺の気持ちは最初から応えてもいいかなという方に傾いていた。しかし、それだけで判断をする訳にはいかないので、俺は黙ってロバートさんの話の続きを聞くことにした。
「ヨンハンス司教も色々手を尽くしてくださったのですが、侯爵の位にある二つの家がどうしてもと諦めてくれないのです」
「侯爵……というと、かなり高位の貴族ですね。それは断りにくそうですね」
「そうなのです。正直なところを申し上げますと、教会は貴族からの寄付を受け付けております。侯爵家ともなるとそれなりの額でして、こちらもあまり強くは出れないのです」
「なるほど」
神の教えを伝え、国を守る結晶を預かっていても、そこで人々が活動し、生活するにはお金が要る。俺の生活費ももちろんそこに含まれているのだろう。
元々行く方に気持ちは傾いていたし、そんな事情があるなら尚更受けるべきだと思い、俺はこう返事をした。
「俺、やりますよ。あ、でもできれば前と同じく立ち会う人数は絞ってくれると嬉しいです」
「ありがとうございます、ユーリ様。ユーリ様にお会いする人間はもちろん最小限に致します」
話はまとまったし、これでロバートさんの話は終了かなと俺は思った。しかし、彼は席を立たず、ソファに腰を下ろしたままだった。
彼は少し視線を下げ、しばらく黙っていた。まだ何かあるのかと俺が思い始めた頃、彼は意を決したように俺の方を見た。
「他人の個人的な話を私が勝手にするのは良くないとは思っているのですが、一つだけユーリ様に聞いていただきたいことがあるのです」
真剣なロバートさんの表情にこれは何かあるなと思った。俺は腹にぐっと力を入れてロバートさんの言葉の続きを待った。
「話というのは、メグのことなのです。『ミラクル』を希望している侯爵家のうちの一つ、モングスト侯爵家と彼女には縁があるのです」
「メグが侯爵家と、ですか?」
メグが高位貴族と関係がある。穏やかで素朴な彼女にそんなイメージはなかったため驚いたが、それと同時に言われてみれば納得できる部分もあった。
メグはアリーが貴族が主に使うと言っていた魔法をしっかりと習得していた。また、王宮に招かれた俺にマナーを教えてくれたのもメグだった。
俺の秘密を知る人の中でメグが一番適任であるため、彼女が全てを担ってくれていたのかとも思っていた。しかし、よく考えてみたらこの世界に関する知識と言い、貴族用のマナーと言い、魔法の素養と言い、彼女は平民だと言ったアリーにはないものをいくつも持っていた。
「メグとモングスト家の詳細については、さすがに私からは申し上げません。ただ、彼女とあの家の関係は、決して好意的なものではないのです。その点だけ、これは私の独断ですが、ユーリ様にお伝えしたかったのです」
ロバートさんが他人の事情を語るほどなのだから、彼は好意的ではないと表現したが、メグとその家の関係はかなり良くないものなのだろうと俺は推測した。高位の貴族である侯爵家と教会に身を置く一人の女性。メグ個人が対峙するなら、その力関係には圧倒的な差があるのだろう。だからこそロバートさんは、聖女という地位のある俺にこの話をしたのだと思った。
「分かりました。メグには毎日お世話になってるし、彼女なくしてここでの俺の生活は成り立ちません。声のこともあるし、メグには必ず俺の側にいてもらうようにします」
「ありがとうございます、ユーリ様。私どもにとっても彼女は大切な仲間なのです」
「任せといてください。何かあったら聖女様の権力を遠慮なく使ってやりますよ」
そう言うとロバートさんはやっと表情を和らげてくれた。
そこから数日後、ロバートさんが俺の部屋にやってきて、改めて侯爵家に『ミラクル』をかけにいくことについての詳細を伝えてくれた。
『ミラクル』を希望する侯爵家は二つ。一つ目はメグと確執があるというモングスト家、もう一つはそのモングスト家と二大派閥の長として権力を争っているカプレリア家だった。
「ユーリ様には、先にカプレリア家に行っていただくこととなりました。当日祝福を授けていただく場には、当主夫妻と前当主が立ち会わせていただきます」
「分かりました。アリー、また衣装とかよろしくな」
「お任せください!また騎士様にもモテちゃうぐらいの聖女様に仕上げますよ」
「あれはもう忘れてくれ……まぁでもよろしく。メグも同行よろしくな」
「はい、お供させていただきます」
こうして俺の二回目の外出は決まったのだった。
外出当日、その日も朝からアリーが張り切って俺の支度をしてくれた。先日王宮に行ったときほど豪華ではないが、彼女は今日も俺を聖女らしいイメージに仕立て上げていってくれた。
「今回もバッチリ仕上げますよ!騎士様だってイチコロです!」
「だからもうその話はいいよ。俺は前回みたいなアクシデントはないことを祈るよ」
王城へ行った日の最後のできごとについてアリーに愚痴るんじゃなかったかもと俺が後悔していると、彼女は不満の声を上げた。
「えー!騎士様と聖女様なんてとても絵になるじゃないですか。しかも、あの日のお相手はあの氷の騎士様だったのでしょう?羨ましいぐらいですよ」
「氷の騎士?アリー、あの騎士のことを知ってるのか?」
俺はあのイケメン騎士の名前さえ知らなかったので、アリーには乞われるままに彼の見た目の特徴をいくつか伝えただけだった。それなのに、アリーはあの男が誰か分かっているようだった。
「もちろん、麗しの氷の騎士様ですよ?王都の乙女で彼を知らない娘はいませんよ!」
「そうなのか?メグはあの騎士のこと、そんなあだ名で言ってなかったぞ」
「メグさんは乙女だけど、そういうのにすっごく疎いんです!美人だし、もっと恋愛に関心を持てば絶対に引く手数多だろうに」
「まー、関心がないかどうかは知らないけど、真面目だよなメグは」
「そんなメグさんは別として、氷の騎士様ことアレックス様は本当に王都の女性の間では有名なんですよ。ディラン王子の懐刀で、王子様の信頼が厚い上になんてったってあの顔立ち!貴族のご令嬢たちも、こぞって彼に熱をあげてると言われています」
そんな大袈裟なと言いたくなったが、確かにあの騎士は女性に大変モテそうな顔をしていたので、それは黙っておいた。
「へー、そうなんだ。ところで、その『氷』ってのはどこから来てるんだ?そんな冷たそうなイメージはなかったと思うんだけど」
「それは魔法の属性からですよ!水属性の魔法の一種である氷を操る魔法を得意とされてるんです。あー、いいなぁ。私も一生に一度ぐらいはあんな方にひざまづかれたいです」
「だから、本当にもうその話は勘弁してくれ」
口も絶好調に動いていたが、手元もおろそかにすることなく動かしていたアリーは、そんな雑談をしながらも俺をきちんと仕上げてくれた。
前回と同じく身なりを余所行きに整えたヨンハンス司教たちと一緒に、教会の騎士たちに囲まれながら俺はカプレリア侯爵家のお屋敷に向かった。
馬車の中で、ヨンハンス司教がこれから行くカプレリア家について話を聞かせてくれた。
「カプレリア侯爵家は貴族の中でも指折りの敬虔な聖グロリア教会の信徒なのです。前侯爵もよく教会に礼拝に来ておりました」
「そうなんですね。だから『ミラクル』を希望されているんですか?」
「それもありますが、現在、前侯爵が具合を悪くしていると聞いております。普段はこちらに無理を願い出る家ではないのですが、彼のためにユーリ様を招きたいようです」
「えっ、『ミラクル』には特に効果はないんですよね?大丈夫なんですか?」
最初に『ミラクル』の効果を聞いたとき、ただの光で奇跡も祝福も、ましてや治癒の効果などなかったはずだ。焦る俺にヨンハンス司教はゆっくりと答えてくれた。
「それは侯爵家側も重々承知しております。しかし、祝福と奇跡の光は聖女様のみがもたらすことができるものです。現侯爵は彼にその光景を見てもらいたいのでしょう」
「つまり、効果はなくてもその人が目にすること自体に意味があるってことですか?」
「そうなります」
信仰心の厚い病気の父親に、効果はなくとも聖女の祝福の光を見せてあげたいというところなのか。俺は信仰心とやらは特に持っていないが、誰かのためにというのは何となく理解ができる気がした。
俺の『ミラクル』でせめて気持ちぐらいは上向いてくれたらいいな。そんなこと思いながら、俺は石畳の上を走る馬車にしばらく揺られ続けた。