色欲の悪魔 15.
カレが名前を呼ぶ。
ワタシの体を起こし、引きつるような声で名前を呼ぶ。
もう瞼を開けるのも辛いけど、最後に悲しそうにしているでカレの顔見たさになんとか開く。
……あーあ。
開かなければよかった。
何も見えない。
モヤみたいなものが視界全体に広がっていて…何も…何も見えない……。
「ッ―――!」
カレの声が洩れかけている。
そうよね……今のワタシ、とっても醜いもの…。
「あ…るは……どこ……?」
「っ…………」
声を発せずにいるカレを探そうと手を伸ばすと、柔らかなものに当たる感触。 カレの手だ。
声を出す事すら苦しい……けど、もう、最後だから…せめて、最後くらいは……。
ウソをつかずに、素直な自分でいたい。
「そこに…………いたのね……………」
「ああ……ここにいる…っ」
ワタシの手を握るカレの手の力が強まる。
「……そんなに…つよくにぎらないで…? いたいわ……」
「あっ、悪い……」
…ワタシは敵なのに、ワタシは悪魔なのに、ワタシを…ワタシたちを見捨てたのは神なのに……。
「……どうして」
「……え?」
「どうして……そんなに悲しそうにするの…?」
「どうしてって…そんなの――っ!」
「ワタシは……大罪の悪魔で、アナタは神様……。
神様であるアナタは、ワタシを殺して、世界に平和をもたらすのが目的……でしょ?」
「違う!
俺は殺すつもりなんて最初から無い!
お前たち大罪の悪魔だって元は天使だ。 大罪さえ取り除けば、どうにだって出来た……。
出来たはずなのに……」
大罪を取り除く……。 そっか……そうやってあの子の事も助けたのね。
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれる。
「そうね……あの子が死んでいないんだもの………。
他の神がどうだったかは分からない……でも…」
「っ……!」
カレの手を辿って、頬に触れる。
この力をこのまま持って死ぬのはイヤだった。 誰かに悪用されるかもしれないと不安だった。 でも、、、
「アナタになら……コレを託せる……」
頬に触れ、カレへと色欲の権能を送り込む。
負の力が蓄積されたモノだから、カレはきっと良くは思わない。
……でも、カレならきっと、ワタシのような間違いを他の天使達にはさせないように管理してくれる。
「これは……」
「色欲の罪の権能。
ワタシの中から…コレが全て失われたら、きっと……その瞬間にワタシは枯れ木のように朽ち果ててしまう……」
体から色欲の力が失われていき、それに比例して容姿だけでなく肉体も急激に弱っていってるのを実感する。
肉体の衰えから意識も薄れている。
話さなきゃ…全部……。
そして、ワタシはかつての自分の事を話した。
色欲の罪が棲み着いた事、楽園から追放された事、アザトゥスに救われた事。
汚れない美しい少女の体を奪ったこと。
ワタシの最後の言葉に対し、カレは[マノ]という名前を出した。
一瞬誰の事だろうと思ったけれど、マノというのが誰かというのは察した。
マノ…か。 ワタシが与えることのできなかったありきたりで可愛らしい名前。
意識が消えかかっている。最後に……これだけは…言わなきゃ…………。
「神殿…で………」
あ。
その瞬間、色欲の悪魔は事切れた。
肉体は黒い泡となり消滅をし、その魂は永遠に罰を受け……
「聖奥解放……。
汝を新たなる世界へと誘おう。
レインカルナティオ」
完全に消滅をする直前。
男の奇跡により、悠久の罰を受けるはずだった悪魔の魂は近代世界へと転生する準備が始まる。
(なんて……なんて愚かな事をしたんだ、君は……)
………………………………。
………………………………………………。
………………………………………………………ぅ。
意識が戻る。
何も見えないし、何も聞こえないけど、とても心地良い事だけは分かる。
誰かの腕の中で感じるこの優しい感覚。
「懐かしい…」
そうだ。 ワタシは遠い遠い昔、こんな気持ちになった事がある。
ワタシがこの世界に生を受けた時、父である創生の神クロノスの後ろにある玉座でワタシたち天使を見つめる神。
その神は玉座から立ち上がり、ワタシたちの前まで歩いてくると、そこにいた全ての天使達の頭を優しく撫でてこう言った。
『ありがとう』
ありがとう。
ワタシが生まれてはじめて覚えた言葉。
ワタシが一度だけ貰った感謝の言葉。
ワタシが堕ちてから一度も貰えなかった言葉
「ありがとう」
あの言葉がまた聞こえた。
五感は全て失っていて何もわからないはずなのに、あの優しい声で、あの時のように。
悪魔のワタシを転生させようだなんて…本当にバカね、お祖父様は……。
本当は罪を償わなければいけないのに、本当は生きる事を望んじゃいけないのに、カレはワタシに生きてほしいから自分が指を差されようとも、あの力を使ってくれた。
なら、ワタシは……。
「ダメですよぉ、勝手に幸せになろうとするのはっ」
「!?」
瞼を開く動作をする。
声に反応して反射的にしたその行動でワタシはありえない光景を目の当たりにする。
視界に広がる一面の緑、それは間違いなく森奏世界だった。
おかしい…ワタシの肉体は完全に消滅して、転生する直前だったというのに……。
でも、それ以上に驚いた事が一つあった。
「…………」
「お久しぶり…いや、さっきぶりですねっ!アスモデウス様っ!」
魔転化の際、踏み潰して殺したはずの彼女がそこにはいた。
溌剌な少女の姿をした悪魔は、アスモデウスの口を左手で押さえつけながらも、笑顔で愛嬌を振り撒く。
その内に秘めた思いをひた隠すために。




