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14話 雨上がりの三日月

 あがってしまった久遠の部屋にようやく慣れたとき、声をかけられる。


「なにか、飲む? 温かいのがよければ、紅茶でも淹れましょうか」


 久遠は、座っていたソファーから立ち上がりながら言っていた。スカートの裾をなびかせながら、キッチンへと歩いていく。


「いいの? 長居するぞ」


「いいわよ。時間が許すだけ、いてくれても」


 久遠の後ろ姿を目で追ってしまう。


 足なっが、腰ほっそ、髪きれい。凛と歩く姿は、モデルのようだった。

 

 思いついた質問を、そのまま口にする。


「一人暮らし、いつから?」


 広く大きな間取りの部屋からは、久遠の生活しか感じられなかった。それも、日が浅そう。


「3月からよ。まだ、慣れていないわ」


 キッチンで、久遠が手を動かしながら答えてくれる。

 まだ、一ヵ月ぐらいしか経ってなかった。


「いいな」


「わたしも、最初はそう思ったわ。実家に比べると、自分でやらなければいけないことが増えて大変なのよ」


 コポコポと、ポットからお湯が注がれる音がした。ふわっと、香りが飛んでくる。柑橘系の果物の香り。華のある、いい香りだ。


 なんとなく目に入った本棚を眺めた。

 白い本棚が三つ並んでいる。ぎっしりと本の詰まった棚は、ジャンルごとに整理されているようだった。多くの本は、タイトルを見ただけでむずかしいとわかる。久遠らしいと思った。


 久遠らしくない本もあった。


 本棚の一角に、俺でも知ってる本がある。

 漫画やライトノベルがすこし、意外だった。


 少年誌でやっているバトル漫画に、スポーツ漫画なんかもある。

 タイトル毎に整頓されているライトノベルは、ファンタジーからラブコメまで、さまざまだ。


「羽純くんも、意外そうに思うのね」


「ちょっとな。こういうの読むんだって思った」


 振り返ってみると、久遠の顔は険しい。どこか、さみしげに見えた。


「俺と同じところ見つけて、うれしい」


 一冊、手に取ってみる。俺の家にない漫画。棚の一番上から手に取ったのは、少女漫画だった。線の細い女の子が、ルックスの良い男たちに囲まれて、たのしそう。


 金属が小さくこすれ合う音がした。テーブルの上に、ティーカップとソーサーが置かれている。キャンディのように、一個ずつ包装された四角い砂糖が添えてあった。


「すごい良い香りがする」


「でしょう? お気に入りなのよ」


 久遠は、キッチンのほうから黒く細長い缶を持ってくる。紅茶の葉っぱが入っているらしい。缶には、メーカーのロゴが描かれていた。高級なのが、見るだけでわかった。


 久遠のとなりに座ると、お尻がソファーに吸い込まれる。


 ソーサー上のスプーンを手に取り、砂糖の包装をあけて一粒、カップへ放り込んだ。四角い形が、紅い液体のなかでぼやける。スプーンでつつくと、形なんてなかったように砂糖があいまいになった。

 カップに口をつけようとすると、香りの高さにくらくらする。鼻から吸い込んだ空気さえ、おいしいと感じた。

 口をつける。

 紅茶の苦さと、すっきりとした青い味がした。


「ダージリンにベルガモットで香りづけした紅茶なの。ふだん、紅茶は飲む?」


「姉ちゃんが、たまに入れてくれるぐらい。いままで飲んでた紅茶、こんなんじゃなかった」


 香りの豊かさに、驚いていた。


「羽純くん、お姉さんいるの?」


 口をつけようとしていたカップを離してから、久遠が聞いてきた。カップを手に持った姿も、さまになっている。なにげない仕草に、品があるんだ。


「いるよ。大学生の姉ちゃん。いっつも夜中帰ってきてさ、昼まで寝てから大学いってるせいで、顔は合わせないけど」


「仲は、いい?」


「いいと思う。土日とか、いっしょにランチしたり、出かけたりするし」


「いいわね。うらやましい」


 カップに視線を落とした久遠は、どこか遠い目をしていた。

 なんとなく、話題を変えようと思った。楽しい話題がいい。


「にゃんこ好きなの?」


 借りたブランケットを折りたたむ。猫のゆるキャラ『もふネコ』の憎たらしい表情が、ここあの猫みたいだ。


「好きよ。よく被ってるもの」


 青い瞳が輝いた。浮かぶのは、挑発するような目。


 清楚な久遠から引き出される、小悪魔めいた顔。この顔が、好きだった。


 被っている猫を脱いだ久遠の素顔に、ぶつかってみたくなる。


「ははっ、器用だよな。でも、疲れないか?」


「ええ、とても。羽純くんが、うらやましいわ。羽純くん、どんなときでも真っすぐで素直でしょう。そういう在りかた、いいなって」


「うっ」


 うめき声がでた。

 まさか褒められるなんで思ってもいなかった。

 ただ、なにも考えてないだけなのに。


「ふふっ、そんな驚かなくてもいいわよ。わたしね、幸運なことに、良い家に生まれたの。それだけで、小さいときから周りに期待されて、気づいたらそれに応えちゃってた。おかげで、理想の自分をいつからか演じられるようになったのよ」


 久遠は、唇を舐めながら足を組みなおしていた。視界の端で動く足先を、目で追いかけてしまう。


「まじめな優等生で、規律に正しい高嶺の花。告白も、ぜんぶ受けるほどの律儀さ。羽純くんのなかの、わたしのイメージ、これで合ってる? そうよね。わたしも、そう見られていると気づいてる」


 どこか大人びた表情の久遠は、言いながら目を伏せた。


「羽純くんと向き合ったとき、自分で言った言葉に、自分でもはっとしたの『周りと比べても意味がない』と言っておきながら『周りに見られることを意識してる』のよ。自分は自分って言っておきながら、良い自分を演じてるのが、ひどく滑稽にみえるようになったわ」


 銅のように鈍くなめらかに光るカップのなかを見ながら言っていた。


「それって、ふつうじゃないか? 俺も、久遠にどう見られるかは気になる。久遠もきっと、親とか周りにいたひとのこと、好きなだけじゃないのかな」


 そう言ってから、なんだか恥ずかしくなって。


「わかんねーけど」


 照れ隠しを一言だけ付け加えた。


 久遠をチラ見すると、ソファーの上ですごい体勢になっている。

 体をふたつに折り曲げていた。組んだ足の上に、胸がついてる。

 顔を両手で覆いながら、耳まで赤くして、ふるえていた。


「もうっ。そういうところよっ」


 顔を真っ赤にした久遠が叫ぶ。白い歯を見せ、ぎゅっと拳を握っていた。


「バカ鉄。アホ犬。あんぽんたん」


 リズムよくディスられる。

 なんでだよ。

 残念だ。ぜんぶ言われたことのある言葉だった。


「よく言われる、犬っぽいって。姉ちゃんにも、忠犬っぷりがえらいって褒められる」


「羽純くんは、まごうことなき犬系男子だもの。わたし、あなたみたいに、自分の気持ちを正直に伝えられるのに弱いの。自分が取り繕ってる分、ストレートな感情の処理に困るのよ、もうっ。ふいうちは、やめてちょうだい」


 ふいうちがダメってことは。


「告白みたいに、いまから久遠に告白しますって前置きしてから、好きとか言えば大丈夫なのか?」


「尻尾をふりながら、楽しそうに言うのをやめなさい。あと、それはそれでイヤよ」


「どうしようもねーな」


 ふきだした久遠が言った。


「あなたがね」


 屈託のない笑顔は、はじめて見る。

 俺が見惚れていると、久遠の瞳が見つめ返してくる。


 いたずらな、小悪魔な顔だった。


「わたしも、素直なことを言うとね」


 もったいぶられた。


 小悪魔の顔には、三日月の笑みが浮かんでいた。


「最近は、犬もいいかなって思ってきたのよ」

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