1話 放課後の校舎裏にて
「好きです。付き合ってください」
ああ、まずいところに出くわした。
とっさに、校舎へと背中をつけて、隠れるようにしゃがみこんだ。
ひとけのない校舎裏で、同じワイシャツを着ている男の背中と、そいつと向き合う女の子の姿が見えた。
たまたま、男の告白のシーンを見てしまう申し訳なさと、制服姿の女子と目が合ってしまった気まずさがある。かといって、走って逃げるのも違う気がする。
もう、植物になりきるしかない。道端の雑草みたいに、だれの気にも留められない存在になりたい。
「こほんっ」
どこか、わざとらしいせき払いが聞こえた。女の声だった。
じゃまが入ったと怒られたりしたら、どうしよう。焦りで背中に汗をかきそうだった。
「ごめんなさい」
グラウンドから聞こえる部活の音が、どこか遠くに感じられるほど、はっきりした声が聞こえた。
いま、告白した奴が……振られたんだ。
気付いたら、地面を見つめていた。校舎の日陰で、たんぽぽが力なく黄色い花を咲かせている。
太陽を雲が覆う。建物の影が、さらに暗くなった気がした。
「まず、あなたがわたしのどこを好きになったか伝わってこない。どうして付き合いたいかも、わからない。言ってしまっては悪いけど、言葉が平凡なのよ」
ズバズバと、切れ味のいい言葉が飛んでいる。
怖くて動けないと思ったのは、はじめてだった。
「今日、登校初日よね。わたし、別のクラスのせいで、あなたの名前も知らないわ。緊張しているのは、お互い様よ。だからといって、自己紹介や挨拶、前置きを抜きにして、そんなことを言われても困ってしまうわ。驚きの感情が先行したわよ」
男の声で、なにかを言いかけてやめるような、言葉にならない声がした。どこか、うめき声に似ていた。
「でも、その行動力は、すごいと思うわよ。お昼休みに別のクラスのわたしに声をかけて、ここに来る約束を取り付けて、放課後には告白でしょう。なんだか、情熱的ね」
空が明るくなった。元気のないたんぽぽに、光が差していた。
「そうね。もし、やり直しができるのなら、もっと想いを言葉にしたほうがいいわよ。わたしのどこに惹かれて、いっしょにいたくなったのか。だれしも、心の内側って見えないでしょう。だからこそ、想いを言葉にするって、とても大事なことだと思うの」
風が頬をやさしくなでた。しめった青くさい匂いがした。
「ごめんなさい。よかったら、また話しかけてちょうだい。いつでも、待ってるわね」
男の大きな声がした。
「ありがとうございました」
ふっきれて、清々しい声だった。
じんわりと、胸があつくなる。どきどきしている。
――なんでだよ
口を押さえていないと、いまにも声を出して、飛び出していきそうだった。
聞こえてきた女の声。
その内容が、すごすぎて。
どんなやつが、こんなこと言えるんだろう。
たしかめたい。
そんな気持ちを、抑え込んでいた。
「ごめんなさいね。通行止めしてしまって。いま、終わったわよ」
すぐとなりで、声がした。さっきまでと、音が違う。優しい声だった。
いきなり声をかけられた俺は、ビクッとして、顔を上げる。
のぞき込んでくる顔と、目が合った。
作り物のような顔。まるで、精巧な人形のようだ。
光をはじき返す黒く長い髪が、胸のあたりで揺れていた。
青い目は、俺と目が合うと、まだ大きくなる。
結ばれていた薄い桜色の唇が、ぽかんと開いた。整列している白い歯を隠すように、透明な肌をした手が口を覆う。揃えられた指先が、口元を隠す。きらきらとした大きな目だけが、俺を見つめていた。澄み切った空に、見つめられているようだ。
「同じクラスの羽純くん? はずかしいところ、見られちゃったわね」
やばい。教室で見たことあるのに、名前が出てこない。
しどろもどろになってる俺に、彼女は笑いながら言った。
「となり、座ってもいい?」
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