第二話 オッドアイの少女
「ぶはっ!」
太い腕で口をふさがれて、強制的に民家の中に連れ込まれてしまったが、しばらくして、草のようなもので編まれている床の部屋に着くと、男は案外あっさり拘束するのをやめた。
「何をするんですか!」
僕は無精ひげの男の少したれてる目を見て叫んだ。
「いきなりで、悪かったな。
だが、この世界は兄ちゃんが知っているのと少し事情が違うんだ。」
男は罪悪感を感じている様子もなく、至って真剣な眼差しで続けた。
「俺は、宮代健司。
今はそこのカタバミ商店街で八百屋をやっているが、昔は、兄ちゃんの世界からやってくる”バケモノ”の討伐が仕事だった。」
それから、宮代さんは、この世界は僕が元いた世界とは違うこと。
この世界では一般的に魔法というものが信じられていないことを、戸惑う僕に対して、ただ淡々と語った。
「人間自体がこの世界にくることは極稀なケースだが、前例がないわけではない。
兄ちゃんが知っているかは知らないが、かぐや姫や吸血鬼伝説なんかも、その最たる例だといわれ
ているな。」
何を言っているのだろうか、この人は。
異世界?そんなものあるわけがない。
僕の顔は自然と俯きがちになっていった。
「だからな、兄ちゃん。
この世界で人前で魔法を使うのはオススメできないぜ。
最悪の場合、狩人たちの耳に入って”バケモノ”として討伐されることもあるからな。」
討伐?僕が、魔物のように?
「そうですか……。」
そして、僕は一番聞きたいことを尋ねた。
「……それなら、どうしたら国に帰れるのですか?」
どうしたら、いつになったら、家族に会えるのですか?
「そうだな。
まず、ほぼ元の世界に帰ることは不可能だろう。
詳しくは知らないが、あちらの世界からやってくる理由として時空の歪みが大半だそうだが、それ
は想像もできないほど、微々たる確率で生じるときく。
それと同様にこちら側からあちら側に行ってしまった例もあるらしいが……、どっちにしろ、雲を
つかむような確率であることには変わりない。
それから、何より、あちらからきてあちらに帰っていた前例を知らない。」
帰れないのか?
この人の話を信じるなら、僕は帰れないということか?
この話が事実であるなどという確証はないが、全てが虚妄だという理由もない。
そしたら、どうなる。国は、家族は?
早く、早く帰らなければならないのに。
「どういうことですか。なぜ……?
僕は、一刻も早く帰らなければならないのです!
何か他に一つでも方法はないのでしょうか?」
この人に言っても仕方がないとはわかっていても、口調は次第に責めるものへと変化し、気づいたときには、僕の頬には雫が伝っていた。
「さあな。知らねえよ。
そこまでは。俺も当時ちょっときいただけのの話だからな。」
この人は僕に残酷な事実を突きつけておきながら、傍観を決め込むというのだろうか。
「そうですか。教えてくださりどうもありがとうございました。
では。」
感情ののっていないお礼をした後、僕は無理やり部屋から退出した。
呼び声とともに左腕をつかまれたが、無造作に振り払い、民家を後にした。
※ ※ ※ ※ ※ ※
僕は冷静さを欠きすぎてしまったのかもしれない。
深緑色の尖った葉をつけた樹木に囲われた、小さな広場のような場所で、備え付けの蛇口から水を飲みながら考えた。
冷たい水は喉を通り、身体の熱を少し冷ましてくれた。
日が落ちてから二時間ほどたっていたため、辺りは暗くて、うっそうとしている。
「ひどい一日だった。」
今日は僕が誕生してから十六年の人生の中で、最も災難な一日だった。
実の叔父に殺されたかと思えば、単身異世界に飛ばされ、帰る方法さえ不明なのだ。
―メイナード。昔はあんな方ではなかったのに。
幼い記憶の中の叔父はいつでも優しく、そして頼もしかった。
メイナードは覚えているだろうか。
僕がまだ魔法を習いたてだったころ、僕の魔法が通用するか知りたくて、みんなには内緒で城から少し離れた小森に住むゴブリンに戦いを挑んだのだ。
三体は倒せたのだが、次から次へと出てくるゴブリンに魔力が続かなくなって、杖も折られてしまい、その辺にあった木の枝を泣きながらひたすら振り回していた。
そしたら、大切な人のピンチを救う王子様みたいにメイナードが現れて、一発の魔法でたくさんいたゴブリンたちを一蹴してくれたのだった。
僕はこの時幼心にこれが本物の王子様なのだろうなぁっと憧れを抱いていた。
―そういえば、あの時も今みたいに水を飲んだんだった。
メイナードは泣きじゃくる僕を見て、落ち着けと自分の水筒の水を飲ましてくれたのだ。
あの時の水はとても温かくて、心が癒されたのを覚えている。
今思うと、きっと冷たい水がぬるくなってしまうくらい僕のことを探してくれていたのだと思う。
いつかはメイナードみたいに素敵な大人に――なんて思っていたのだが……。
僕を殺したあの人には、温かみ欠片さえも感じなかった。
―人間はあんなにも変わってしまうのかな。
僕はそのまま広場のベンチに横になり、静かに目を閉じた。
※ ※ ※ ※ ※ ※
次に目を覚ましたのは、月が真上をちょっと通り過ぎた頃だった。
「ウゥーーー。」
獣の低い唸り声のような音が聞こえて、僕は飛び起きた。
周囲を伺うと、広場を囲う真っ黒な樹木の中に赤色に光る六つの目を捉えた。
目を凝らしてよくよく見ると、六つの目はだんだん大きくなっていった。
どうやら、こちらに近づいてきているようだ。
そして遂に、六つの目は月明かりの下の晒された。
「ケルベロス……。」
月光でさえも吸収するほどの漆黒の毛並みに特徴的な三つの首。
三つとも半開きの口からはとめどなく唾液を垂らしている。
―冥界の番犬ケルベロス。
本来ならば、王国の北の森深くにしか生息しないはずの魔物がなぜここに。
――逃げなくては。
いかに僕が魔法使いといえども、まだまだ未熟な上に、魔力増幅効果の高い杖なしでは、勝機は薄いだろう。
僕はケルベロスいる方向とは反対側のベンチの後ろに回り込み、ゆっくりと敵を見据えながら後ずさる。
ドンッ!
――しまった!!
僕はさっきまで自分が水を飲んでいたウオーターサーバーに気づかずに背中から衝突してしまったのだ。
そして、ケルベロスは僕がぶつかった音を皮切りに、後ろ足で地面を蹴り上げ、こちらに向かって突進してきた。
前足の爪が月明かりを反射して、その獰猛さとともに鋭利な刃物のように僕の眼球へと飛び込んでくる。
――今度こそおしまいか。ごめんなさい、国に帰ることができなくて。
もう一回だけでも……会いたかった。
僕は死の恐怖から眼前の敵に抗うこともなく、目を閉じた。
(生きろ、レオン!希望を捨てるな!)
「父上!」
瞼の裏に父上の影が見えたような気がして、ハッと目を見開いた。
ゴトッ。
アスファルトの地面には色を失った目をした三つの首が転がっていた。
そして、その横には僕を見下ろす、青と黄色の目があった。
「私はあんたのパパじゃないわ。
情けないわね。男のくせに腰抜かして、親の名前を呼ぶなんて。」
これが、僕とオッドアイの少女竹取月夜との出会いだった。