上
井上鈴は学校でいちばん可愛い
登場人物
由比藤絵里菜 演劇部部長 二年生
加藤 光 演劇部副部長 二年生
井上 鈴 演劇部員 一年生
新条高彦 演劇部員 二年生
田中康一郎 演劇部員 一年生
開幕
放課後の部室。鰻の寝床のような部屋。上手側のみに出入り口があり、下手側にのみ窓がある。中央に長机が二つ重ねられてテーブルのようになっている。絵里奈、康一郎板付き。二人とも長机の前に立っている。
絵里奈「何で呼ばれたと思う?」
康一郎「新条先輩をからかうためだと思います」
絵里奈「あんたの演技力を試すためよ」
康一郎「違うんですか?」
絵里奈「あんたも演劇部で役者の端くれなら、あのバカを騙すくらいできなきゃね」
康一郎「やっぱりそうなんだ」
絵里奈「まずあたしがこの部屋で倒れている。あのバカが入ってくる。あんたは人工呼吸が必要だと大騒ぎする。あいつは
うろたえてオロオロする。そこをあんたが『人の命がかかってる』ってたたみかける。そしてあいつが顔を近づけ
たところで…」
絵里奈、携帯電話を取り出す。バシャッと音をさせる。
絵里奈「あいつのことだから完全に勘違いして、キス顔になってるわ。後でみんなで見て大笑いしましょう。『ドサクサにまぎれて女の子の唇を奪おうとした不届き者』っていうタイトルをつけてアップロードするのもいいわね」
康一郎「悪趣味ですね…」
絵里奈「やるの? やらないの?」
康一郎「面白そうだからやります」
絵里奈「わかってるじゃないの」
康一郎「つきあってるわけでもないのに、よくそんなにかまいたがりますね」
絵里奈「あら、からかいやすいだけよ」
絵里奈、上手側を見る。
絵里奈「あっ、そろそろ来るわよ」
絵里奈、上手側を頭にして床に横たわる。顔を観客席に向けたまま。康一郎、絵里奈より上手側に立つ。高彦、上手側から登場。
高彦 「(テンションが低い)おはよーっ」
康一郎「先輩、大変です! 部長が…」
高彦、カバンを長机に置く。絵里奈のそばにかけよってしゃがむ。康一郎もしゃがむ。
高彦 「なんだ? おまえ何かしたのか?」
康一郎「ふざけてる場合ですか! いきなり倒れたんです!」
高彦 「頭は!」
康一郎「打ってないようです!」
高彦、絵里奈の肩を叩く。
高彦 「おい、由比藤! 由比藤!」
康一郎「完全に意識を失っています。何回呼びかけても返事が…」
高彦 「(叫ぶ)絵里奈!」
絵里奈、ビクッと体を震わせる。
高彦 「おい、今反応したぞ!」
康一郎「え、えーと今のは…、耳元で大声出されたから鼓膜が震えて体が反応しただけです! 意識がもどったわけじゃ
ありません!」
高彦、立ち上がる。
高彦 「おまえは救急車を呼べ! おれはAEDを…」
康一郎「待って下さい。脈はあるようです。それに救急車の前に応急処置が必要です!」
高彦 「応急処置ってまさか…」
康一郎「人工呼吸です!」
高彦、硬直して絶句する。
康一郎「迷ってる場合ですか! 人命がかかってるんですよ!」
高彦、硬直したまま康一郎を見つめている。
康一郎「先輩!」
高彦、眼をつぶる。
康一郎「部長が死んじゃってもいいんですか!」
高彦、いきなりカッと眼を開く。
高彦 「わかった…」
高彦、康一郎の顔をしっかりと見据える。
康一郎「わかってくれましたか! 自分は外に出ますからすぐ…」
高彦 「やれ」
康一郎「……は?」
高彦 「はじゃねえ、おまえがやれ!」
康一郎「なんで自分が…」
高彦 「おまえ地元の防災訓練で、心肺蘇生法の講習を受けたって言ってたじゃねえか!」
康一郎「待ってください! それはお人形さん相手に一回やっただけで…」
高彦 「おれは一回もやったことがない!
おまえがやる方が少しでも助かる可能性があるはずだ!」
康一郎「自分がやり方を教えますから、先輩が…」
高彦 「その時間が無駄だ!」
康一郎「先輩、平気なんですか!」
高彦 「下らねえこと言ってんじゃねえ!人命がかかってるんだぞ! さっさとやれ!」
絵里奈、ガタガタ震え出す。
高彦 「おいっ、痙攣しはじめたぞ!」
康一郎「自分も震えてます…」
高彦 「知るか! やれ!」
康一郎「しかし…」
高彦 「人命がかかってるんだ! やれ!」
康一郎、立ち上がって駆け出そうとする
康一郎「人を呼んできます!」
高彦、康一郎と出口(上手側)の間に立ちふさがる。
高彦 「絵里奈を死なせたらおまえを殺す…。やれ!」
絵里奈と康一郎、ビクビクッと震える。絵里奈、顔をくしゃっと歪めて、手の平で涙をぬぐう。
康一郎「わかりました。ただ、背を向けていただけませんか」
高彦 「下らねえこと言ってんじゃねえって言ったろ! さっさとやれ!」
康一郎、頭を下げる。
康一郎「お願いします!」
高彦 「貴様…」
康一郎「先輩の見ている前で部長にそんなことをしたら、自分が死ぬことになりかねません!」
高彦 「救命活動だ。おれはそんなことを気に…」
康一郎「部長が気にします!」
康一郎、床にとびこむように土下座する。
康一郎「お願いします!」
高彦 「…わかった」
高彦、背を向ける。
康一郎、絵里奈のそばにしゃがむ。
康一郎「(小声で)わかってますね…」
絵里奈「(小声で)あんたこそ、わかってるわね!」
康一郎、絵里奈の顔から頭一つ分上手側にずれた場所に顔を傾ける。康一郎、人工呼吸をしているフリをする。絵里奈、人工呼吸をされているフリをする。
康一郎「スーッ、フーッ、スーッ、フーッ………」
絵里奈「………うぐっ。はぁ、はぁ、はぁ、…」
康一郎「部長、気がつきましたか?」
絵里奈「はあっ、はぁっ、はあっ…」
康一郎「先輩、もういいですよ!」
絵里奈、上半身を起こす。高彦、振り返る。
高彦 「おいっ、大丈夫なのか!」
絵里奈「大丈夫よ…」
高彦、絵里奈のそばで片膝をつく。右手で絵里奈の二の腕をつかむ。
高彦 「とりあえず落ち着いたら病院へ…」
絵里奈「大丈夫だって言ってんでしょうが!」
高彦 「おまえ、顔真っ青だぞ!」
絵里奈「離して!」
高彦、ゆっくりと手を離す。
高彦 「すまん…」
絵里奈、情けなさそうに顔をしかめる。立ち上がろうとする。
高彦 「無理に立つな」
絵里奈「だから大丈夫…」
絵里奈、高彦の目を見ないようにして立つ。
高彦 「座れ」
絵里奈「だから…」
高彦 「座れ!」
絵里奈、ビクッとする。
高彦 「すまん、大声を出した…」
絵里奈、のろのろした動作で長机のそばの椅子に座る。高彦と目を合わせようとしない。
高彦 「大丈夫なんだな…」
絵里奈「うん…」
高彦 「良かった…。田中、おまえも座れ」
康一郎「はい…」
康一郎、絵里奈と距離を取って座る。高彦、立ったまま。なんとなく三人とも沈黙する。
高彦 「…二人とも、おまえらが言いたいことはわかっているつもりだ。おれがあまり嬉しそうに見えないっていうこと
だろう?」
絵里奈と康一郎、はっとしたように高彦を見る。
康一郎「救命行為なんだからノーカンです、ノーカン!」
絵里奈「そっ、そうよ!」
高彦 「絵里奈、いやすまん、由比と…」
絵里奈「絵里奈でいいわ。その方が言いやすいでしょ。あたしも高彦って呼ぶわ」
高彦 「そうか。絵里奈、いきなりこんな時にこんな話をされても困るよな。田中もおれに言われてやったことにケチをつけられているような気がするよな。なんだか息を止めたくなってきた」
康一郎「………なぜ?」
高彦 「おれの体から出た汚れた息を、おまえらに吸わせたくないからだ」
絵里奈「うぐっ!」
康一郎、こわごわと絵里奈の方を見る。絵里奈、息を止めている。
康一郎「ひっ!」
高彦 「悪いけど今日は帰らせてもらう。これ以上ここにいたらまだおかしなことを言いそうだ」
高彦、机からカバンを取る。絵里奈たちに背を向けて上手側に向かって歩く。
高彦 「(背を向けたまま)田中、まだ絵里奈の具合が悪いようだ。後を頼む」
絵里奈、高彦から顔をそむけている。息を止めているため鬼のような形相。ぶるぶる震えている。高彦、退場。
絵里奈「ぷはーっ、はっ、はっ、はっ…」
康一郎「全くあの人は、我々に息をするなと言ってるのでしょうか…」
高彦、いきなり上手から登場。
高彦 「肝心なことを言い忘れていた」
絵里奈「うぐっ…」
高彦 「田中…、田中康一郎君。絵里奈の命を助けてくれて、ありがとう」
高彦、康一郎に丁寧に頭を下げる。頭を上げると同時に二人を見ないままくるりと背を向け、そのまま退場する。
絵里奈、高彦が完全にいなくなったのを確かめてから康一郎に向かって叫ぶ。
絵里奈「どうすんのよこれ!」
康一郎「知りませんよ!」
絵里奈「本当のことをあいつに知られたらきっとものすごく怒ら…」
康一郎「軽蔑されるでしょうね」
絵里奈「け、けいべつ…」
康一郎「今更落ちこんでもどうにもなりませんよ」
絵里奈「お、おまえが…こんな下らないことに協力すると言ったから…」
康一郎「あんたわがままだっ!」
絵里奈「だけど本当にあいつ、あたしが大事なのね…」
康一郎「今の立場わかってます? ノロケてる場合ですか…」
絵里奈「あんたさっきの台詞言いなさい」
康一郎「は?」
絵里奈「さっきの台詞!」
康一郎「そんな場合じゃ…」
絵里奈「言いなさい!」
康一郎「『絵里奈を死なせたらおまえを殺す、やれ!』」
絵里奈「………大根」
康一郎「傷つきました」
絵里奈「セリフを言ってるだけ。迫力がまるで違うわ」
康一郎「確かに。自分はそっちの気はありませんが、あれを聞いた時はゾクッとしました。全身の毛が逆立っちゃいましたよ」
絵里奈「あたし、泣きそうになったわ…」
康一郎「泣いてたじゃないですか」
絵里奈「人間ってあんな声が出せるのね…」
康一郎「人間ってあんな目をするんですね…」
絵里奈「…それあたしは見てないわ」
康一郎「仕方がないでしょう、寝てたんですから」
絵里奈「やっぱりあんたはあたしの敵だっ!」
康一郎「いい加減にして下さいよ…」
絵里奈「そうだ。あの台詞を入れたホンを書きなさい」
康一郎「そんなことしてどうするんです?」
絵里奈「公演の時にあいつに言わせるのよ」
康一郎「その時倒れているのは?」
絵里奈「もちろん、あ・た・し」
康一郎「台本にするんなら、名前を変えなきゃならないですよね。例えば、『光を死なせたらおまえを殺す』とか…」
絵里奈「やっぱりおまえはあたしの敵…」
康一郎「だいいちそんなあざといことをして、今日の真相が新条先輩にバレたらどうするんです?」
絵里奈「そうだ! こんなことを話してる場合じゃないわ! これからどうするかよ!」
康一郎「どうしようもありません」
絵里奈「どうしようもないって…」
康一郎「こうなったら隠し通すしかない」
絵里奈「いつまで?」
康一郎「卒業するまで、ずっと」
絵里奈「あんたはあたしとあいつが、卒業したら縁が切れてしまうと思ってるの?」
康一郎「なら墓に入るまでです」
絵里奈「あいつに隠し事なんかしたくないのに…」
康一郎「…誰のせいですか」
絵里奈「もともとおまえが、やるって言わなければ…」
康一郎「はあ…、やれやれ」