痴ノ話 ほうおうが豆鉄砲を食ったよう 其ノ玖
こんにちは。おれんじです。採れたてです。
009
対処。
鳩の狂獣を払う対処と言うのは、手順さえ踏めば簡単らしい。俺の時や夜宵の時に起こった騒動とは無縁の、面倒なんて言葉とは疎遠の、とてもシンプルなものだという。
俺も昨日、放課後の屋上で似たようなことをした。
目には目を。
歯には歯を。
セクハラには――セクハラを、だ。
「ええっと……初めまして、燕雀ヶ羽鳳凰と申します」
「よろしく~。僕は夕影薄暮って言うんだ~」
夜叉ちゃんが興奮気味に口にした対処法はと言うと、『鳩が満足するまでセクハラをしてしまう』というものだった。もとより第三者に対して不躾に触りたい、弄りたいという性的感情は鳩に憑りつかれているからこそ生まれてくるもであり、その鳩に憑りつかれている内は不本意ながらそう言う欲求が無尽蔵に湧いて出てきてしまう以上、であるならば、その鳩の欲求を早いところ叶えてしまえば、すっきりした鳩はさっさと宿主から出て行ってしまうそうだ。
心地の良い羽音を響かせて。
次なる宿主を求めて――いなくなってしまうそうだ。
「だからとりあえず、お嬢さんの気が済むまでは、誰かがセクハラの被害者になるということだね。大丈夫だよ夕影君。年下の君にそんな危ないことをさせるわけにはいかないからね。狂獣のプロフェッショナルとして、ここは私が一肌脱ぐとしよう」
「一肌どころか既に全裸じゃねえか。いやいや、見た目が完全に幼女のお前がそんな目に合ったら、いよいよメディア展開が危ぶまれるだろうが。年下? そんなもん気にしなくていいよ、危ない役目を進んで引き受けるのが男の役目だろ」
「聞き捨てならないなあ。こんなきれいで可愛いお嬢さんにセクハラなんかされたら、夕影君が危ないじゃないか。私は君を心配して言ってるんだ。わかったらその美味しいポジションを私に譲りなさい」
「そっちこそ強情だな。もとはと言えば俺が相談を受けたんだから、最後まで面倒見るのが俺としての務めだろうが。夜叉ちゃんこそ、とっとと服でも着て外で待ってろよ」
「セクハラされるのは私だ!」
「体を弄られるのは俺だ!」
やいのやいのと世界で一番醜い争いを繰り広げていると、そこに仲裁と言う形で、文字通り俺と夜叉ちゃんの間にそいつは唐突に表れた。
ただし、仲裁ではなかった。
「それなら僕に任せてよ!」
と。
俺の胸を突き破る勢いで彼女――夕影薄暮は、ビックリ箱のギミックの如く、突然飛び出してきた。
そのまま空中で前に三回転し、シュタッと華麗に着地。
「は、薄暮?」
「話は聞いてたよ、ご主人様」
そのままクルリと振り返り、腰に手を当てて薄暮は言う。
「要するに、その人が誰かの体を弄らなきゃいけないけれど、二人ともその役目が嫌なんだよね? なら僕の出番だわん。ご主人様のなでなで不足で、僕もいい加減ウズウズしてたところなんだ」
「…………」
「…………」
無邪気っていいなあ。
閑話休題。
そんな感じで表れた薄暮に美味しい役目を持って行かれ、鳶が油揚げをかっさらうように奪われ、そして今に至る――薄暮と燕雀ヶ羽のご対面だ。
燕雀ヶ羽は裸エプロンのまま「ええっと……申し上げにくいのですが、本当によろしいのですか?」と薄暮に問うた。
「全然構わないよ! 気の済むまでさわさわしてほしいな~」
俺もさわさわしたい!
いや、さわさわされたい!
という欲望を押し殺し、廊下から出入りできる客間に二人が入っていくのを後ろから付いて行ったら、『できれば二人きりにしてほしいのですが……』とやんわり入室拒否され、仕方がないので俺と夜叉ちゃんは、二人がプレイを始める部屋の前で、金剛力士像委の如き風貌で立ち尽くすことにした。
気分はボディガードである。
「決して、盗み聞きをしようなどと言う下心はないんだよね? 夕影君」
「その言葉、そっくりそのまま送り返してやるよ、成人幼女」
『あぁん! い、いきなりそんなとこさわっちゃうのぉ……?』
『は、薄暮さんとおっしゃいましたよね……? 凄く健康的と言うか、美しい体つきをしておりますわね……ここなんて、いかがでしょうか?』
『くぅん! だ、駄目……そんなとこ、ご主人様だって触ってくれないよぉ……』
『今は私がご主人様ですわ……余すとこなく、発展させていただきますわね……』
ガバッ! と夜叉ちゃんはものすごい速さで扉に右耳を擦り付けた。
「おい夕影君。まるで自分は動じていないみたいな描写はやめるんだ。君の方が若干早く動き出してただろ」
「はっ。都合の悪いことは文字に起こさない。これが語り部の特権だ!」
「くそっ! このシーンが挿絵になることを私は願う!」
「嫌だよ。二人して扉に耳を押し当ててる挿絵なんて。描く人の身にもなれよ」
誰が得するシーンなんだ。
「……で。結局、燕雀ヶ羽に鳩が憑りついた原因ってのは、母親の家出っていうわけなんだな?」
「誤魔化すために急に話題を変えたか。卑怯な語り部だなあ」
「うっせえ」
体勢が不真面目なので、話だけでも真面目にしないと格好がつかないだろ。
「今更格好をつける意味が分からないけどね……そうだろうよ。まあ、今までの家庭環境によるストレスの蓄積が、元と言えば元なんだろうけど。ただ、母親の家出が、身勝手な疾走が、ストレス爆発のトリガーになったというのは間違いないだろうね」
「トリガー、か」
つまりは引き金。
長年積もってきた膨大なストレスが、自我で押さえつけていた甚大なストレスが、とどめの一撃によって、一気に弾けたというわけか。
母親への愛情。
押さえつけられ、縛り付けられ、叩きつけられるような教育下の中で、それでも燕雀ヶ羽は、そんな邪知暴虐な母親に対して、娘として当然の、子供として至極当然の、親に対する愛情を、感情を、抱いていたというわけか。
「私たちに対して嘘をついていたのは――私たちに対してというよりは、自分に言い聞かせてたのかもね。まさかあんな母親を、好きになるわけがないって。表面上では嫉妬や憎しみの方が勝ってただろうし、もしかすると、母親のことが好きだって言う気持ちに、気付いていなかった可能性だってあるだろうよ」
それは、仕方のないことだろう――また聞きだけでも反吐が出るような振る舞いをした母親を、紛いなりにも好きだなんて、きっとそれは、信じられないというよりは、信じたくもない事実なのだろう。
考えもしないのだろう。
だから、母親に対する愛情に、自分自身が気付かなかったと、そういう可能性だってあるのだろう。
結局、その真相は――燕雀ヶ羽にすら、わからないのではないだろうか。
「なんだかんだで、母親のことが好きだった、か……夜叉ちゃんは、そのことにいつから気付いてたんだ?」
「はっきりと答えがわかったのは、それはここに来た時点で、だろうね。家の中の状況を見て、推理が確信に変わったってだけの話だ――ただ、気付いたという話なら、店でお嬢さんから家庭の話を聞いた時点で、まあ、想定内ではあったよ」
つまり昨日、須佐之男書店で燕雀ヶ羽から母親についての話を聞いた時点で、少なからずこういう結末になるであろうことを予測してたってわけか。
相変わらず、何もかもお見通しってわけか。
「お見通しだなんて、そんな大層なものじゃないよ」
夜叉ちゃんは言った。
「普通に考えて――母親のことが嫌いな娘なんて、いないだろうって、そう思っただけだよ」
口では嫌いと言ってても。
心では憎いと言ってても。
身体は辛いと言ってても。
親を――本気で嫌うことは、子供にはできないのだ。
それが、親子の縁と言うものである。
「まず間違いなく言えるのは、お嬢さんは今回の件において、阿鼻叫喚の被害者だということだろうね。泣きっ面に蜂と言うか、七転八倒と言うか、不幸に不幸が重なって、偶然に偶然が重なってしまって、とんでもない渦中に突き落とされたって感じだろうからね。憐れむことすら躊躇しそうなほど、悲劇のスーパーヒロインだよ」
憂い気な顔で夜叉ちゃんはそんなことを言う。
悲劇のヒロイン。
長年にわたるストレス環境下において、唯一の心のよりどころでもあった母親に裏切られ、身に覚えのない欲望が剥き出しになってしまう。
どん底の期間であっただろう。
それは、鳩に憑りつかれた日からなのか、母親が家を出ていった日からなのか――或いは、こんな家庭に生まれてしまった瞬間から。
始まりの時点で、既に最低だったのだろうか。
それを思うと――いたたまれなくなる。
「それに、鳩がいなくなってくれたところで、入れ代わり立ち代わりで母親が戻ってくるってわけでもないしね。伝書鳩が有名なように、鳩には解析不能な帰省本能が備わっているみたいだけれど、話に聞くその母親のには、野生本能はあっても帰省本能はなさそうだしね」
「皮肉な話だな」
だが、それは即ち、荒治療でしかないということだ。この部屋で行われている救命措置によって燕雀ヶ羽の身体から鳩が飛び去ってくれたところで、彼女の母親が、失われた自由な過去が、家族の絆が、返還されるというわけではない。それらは別に、鳩によって奪われたものではなく、勝手に、自然に、崩れていってしまったものだから。
壊れてしまったものだから。
修復不可能なほどに、ばらばらになってしまったものだから。
だから、燕雀ヶ羽のストレスの原因は、解明はできたところで、解決はできていないのだ。というか、俺たちにはどうしたって解決できる手立てはない。例えば飛躍的な話、俺が燕雀ヶ羽と結婚して幸せな家庭を築いたところで、それは彼女が願った家庭には、どうしたってなりはしない。新たな家庭は作り出せても、失われた家庭は取り戻せない。
解決の糸なんて、初めから存在しなかったというわけだ。
「そう。根本的な問題は解決していないし、これからも解決することはないんだ。だからこの先、もしかしたら、今回よりもヤバいケースの狂獣に憑りつかれてしまうことだってあるかもしれないんだよね」
「それは……結局、燕雀ヶ羽は、助かっていないってことじゃないか」
「そんなことはございませんよ」
と。
押し付けていた扉が突然開き、完全に凭れ掛かっていた俺と夜叉ちゃんはそのまま勢いで倒れて部屋の中に入る形になってしまう。
地べたにだらしなく伸びる男子高校生と幼女。
見上げると、下着姿の燕雀ヶ羽がこちらを見下ろしていた。
「確かに、今までは最低の人生だったのかもしれません。お二人が申し上げた通り、笑うことすらできないほどの、聞くに堪えない人生譚だったのかもしれません――ですが」
燕雀ヶ羽はしゃがみ込み、寝そべる俺の頬に手を当てて言う。
「その結果として、夜叉神さんや夕影さんとお近付きになることができた――だとしたら、もう私は、最低な人生だとは思いませんわ」
ああ。
そうか。
きっと燕雀ヶ羽は、そんな風に、どんなことでも前向きに考えることができたから、今に至るまで折れずに、挫けずに、頑張ってくることができたのだ。
どんなに辛くても。
どんなに苦しくても。
艱難辛苦が待っていたとしても――それでも、いつでも母親といられたから。
彼女は、生きてこれたんだ。
「大丈夫だよ、夕影君」
寝そべったまま夜叉ちゃんは言う。
「確かに形だけ見れば助かってないように見えるけど、あくまで形だけの話だ。この先お嬢さんが狂獣に憑りつかれるかどうかは、彼女がストレスを感じるかどうか――今回のことも含めて、狂獣に憑りつかれるほどのストレスを、彼女が背負うかどうかってとこだね。この先の未来、ふと今回のことを思い出して、ストレスまで思い出してしまって――なんてことがあれば、狂獣どもはいくらでも襲ってくるかもしれない」
まあ、今のお嬢さんを見る限りじゃあ、その心配はいらなさそうだけどね。
「もしこの先、お嬢さんに何かあったら――その時は、また君が助けてあげたら?」
なんともまあ投げやりな言い草ではあるが――きっと夜叉ちゃんなりに俺を信頼してくれているということで、ここは一つ、捉えておくとしよう。
「……なあ、燕雀ヶ羽」
それに、俺だって。
あれだけ信じた肉親にも裏切られてしまった彼女を、この状況でも最低な人生だと思わない燕雀ヶ羽を、これ以上辛い思いはさせたくないから。
結局のところ、今回俺は何もしていないけれど。
非力で無力な俺だけど――助力くらいは、この先どこかで、してあげたいから。
「――俺と、友達になってくれないか?」
「あらあら、嫌ですわ、夕影さんったら」
すっげえ良いシーンなのに笑顔で断られた――なんてどん底の気分に浸っていると、
「私たちは――もう、大親友ではありませんか」
ありがとうございます、夕影さん。
ようやく聞けた彼女のお礼の言葉が、いつまでも耳に残っていた。
お疲れさまでした。次で最後です。