痴ノ話 ほうおうが豆鉄砲を食ったよう 其ノ參
おれんじです。皮が付いてます。
003
一年前の話。
以下、暫く回想シーン。
学力的な面――というよりは、どちらかと言えば通学の利便性を重視して入学した竜ヶ峰高校で過ごすこと早四日目、その日は高校生活において初めてとなる体育の授業があった。ぶっちゃけた話、もとい赤裸々な話、生まれてこの方インドアを貫いてきた引き籠り体質の俺にとって、体育と言う授業は小学生の頃より含教科含む全ての教科の中で一番鬱屈になる科目であり、というか鬱屈を通り越して最早鬱になる科目であり、なるべくなら絶対目立たない様にと隅の方に移動し、そのまま自生する雑草の如く寡黙にやり過ごしてしまうくらいには嫌悪感を抱いていた。そんなことばかりしていてはもちろん成績に響いてきてしまうが、それを予め見越したうえで他の教科でマイナス分を補っているし、とりあえず、五段階評定で一だけは付かないようにと、そんなことばかりを考えながら過ごしてきたのである。
運動神経がないわけではないと思う。
身体を動かすことは寧ろ好きなくらいだし、筋トレやストレッチは日々の日課として自宅で行っている――ただ、集団行動において『スポーツ』というルールに則ったプレイを行うことが、心より好きではないのだ。『あいつのせいで負けた』『あいつばっかり活躍した』『あいつにパスさえ渡さなければ』という、筆記科目とは違う明確な優劣順位が一目でわかってしまう、生まれながらの身体的格差が一瞬で露呈してしまうような状況そのものが、多分、俺は嫌いなのかもしれない――なので、入学早々、時間割に体育と言う文字が印刷されてあるのを見ただけで若干胃が締め付けられるような思いをした本校の体育の授業なわけなのだが、
「えー、今日は初日なわけだが、私の体育授業では、必ず授業の初めに、クラス全員で準備体操を行ってもらう」
そんな男勝りな口調で説明した体育先生(嘘のように聞こえるかもしれないが、苗字が体育なのだ)の言葉を聞き、内心ガッツポーズを浮かべてしまった――これは決して、体育教師が美人で巨乳の先生だったからではない。やけに体にフィットしているジャージを着ているせいでやたらと胸の主張が激しい女教師が汗水流すこと請け合いの体育を担当していることに欣喜雀躍、飛び上がるような気持ちになったからではない。
なるわけがない。
俺、年下の方が好きだし。
閑話休題。
理由は単純、夜宵と一緒になれるからである。嫌いも嫌い、嫌いすぎて反吐すら自然に出てきそうな体育の授業において、その初めに夜宵と体操できるとあらば、少しは頑張れそうな気がする。体操などと称して、隙見て膝枕とかしてもらえれば、もうそれだけでダンクシュートを決められるくらいやる気が出るであろう。
「体操の相手は、男女混合だってさ。よかったわね逢真、あたしと組めて」
「それはお互い様だろ」
特に示し合わさずとも、夜宵の方から足を運んできた。全く、よくできた幼なじみだよなこいつは――そんなことを思いながらも体操に移ろうとする、俺の視界の端で。
「なんだ。相手が見つからなかったのか?」
と。
そんな風に、懐疑的な視線を向けられて体育先生に声をかけられている生徒が写ってしまい、俺もつい、そちらの方を見てしまった。
女子の生徒だった。
太陽光で反射するほど煌めく金髪に、スカーレットを連想する真っ赤な瞳、漂う大物オーラを醸し出していたその女子生徒は――とても悲しそうな顔で、先生に声をかけられていた。
「燕雀ヶ羽さん、一人じゃん。可哀想」
「いや、でも声かける勇気はないわ。住む世界違うっしょ」
「話しかけるだけでもお金とられそうなのに、一緒に体操とか、ねえ?」
なんて。
周囲からそんな醜悪な会話が、俺たちにも――恐らく、あの少女にも聞こえていたことだろう。
「…………」
「…………」
俺と夜宵はしばし見つめ合い、そのうち夜宵の方から、
「――仕方ないわね」
と、やれやれと言わんばかりに俺の下を離れて先生の方へと歩き出した。
俺は、夜宵のああいうところが好きだ。
普段は宿題もしないしテストも赤点ギリギリだしとまるで駄目な奴だが、困っている人を見ると自らを差し出す根性と言うか、真の通っている内面と言うか、ただの馬鹿ではない部分と言うか。
さすがは生まれながらの幼なじみ。
アイコンタクトだけで意思疎通ができてしまう関係はそうはないだろう――さて、それでは俺も先生の下へと向かい、体操の相手を申し出よう。なんて、そう思いながら夜宵の後を続いて歩き出すと、先に二人の下へと到着した夜宵が元気溌剌に、
「先生。あたし、余っちゃったんで、体操の相手してもらっていいですか?」
…………?
と言う顔を、現場にいた夜宵以外の三人が浮かべた。
「は? 余ってるのは燕雀ヶ羽じゃないのか?」
「いえ、余ってるのはあたしです――燕雀ヶ羽さんの相手は、あいつがやります」
そう言って。
ピッと。
とても行儀良く真っ直ぐ伸ばした右手で、夜宵は俺を指差した。
「…………」
後から夜宵に聞いた話だが、その時の俺はとてつもなく間抜けな顔をしていたらしい。
その話を聞いて、まあ、夜宵のことを三回はぶん殴ったわけなのだが……いやいや、俺は悪くないだろ。
違うだろ。
お前がその女子生徒――燕雀ヶ羽さんの相手をしてあげて、余り物ならぬ余り者となった俺が体育先生と組むって言う、そう言うことじゃないの?
なんだこのアンジャッシュ現象。
アイコンタクト駄目駄目じゃねえか。
意思疎通の欠片も成り立っていない。僕らはいつも以心伝心じゃなかったのかよ。
惨敗ハニーである。
そんなわけで、なぜそうなってしまったのか全く分からないまま、俺は燕雀ヶ羽の体操の相手をすることとなり、以来、二年生になった未だ尚、『燕雀ヶ羽の体操の相手は夕影がやる』という大それた暗黙の了解ができてしまったのである。
なんでできてしまったんだ、そんな暗黙の了解。
クラスが違ったらその暗黙はどうなるんだよ――そんなわけで、俺と燕雀ヶ羽の不思議な縁は、以来こうして、続いているというわけなのだ。
回想終了。
現在へと戻る。
三時間目は体育の授業だった。
今週初の、体育授業である。
今日だって例外なく、クラスメイトが授業前の体操のために二人一組のペアを作っていた。気恥ずかしさのあまり同性同士で組む者、異性を変に毛嫌いして同性同士で組む者、見せつけたいのか男女同士で組むカップル、仲のいいグループ同士で混ぜ合う男女――いつも通り、省かれる俺氏。
平常運転。
わかっていて、夜宵も適当な女子と組んでいるのだろう。元はと言えばすべてあいつが蒔いた種なのだが、あいつが蒔いたんだからきちんと最後まで面倒見て、せめて花が開くまでは責任を負う義務があると思うのだが――辺りを見回す。
いた。
うちのクラスの人数は四四人と偶数で、今日の欠席者は二人――つまり、俺があぶれているならもう一人、同じようなはぐれ者がいるはずである。
いや、彼女であれば、例え奇数だろうと偶数だろうと余るのだろうが。
ほら、あそこに。
「…………」
校庭の端の方で、おどおどと辺りを見回しつつ突っ立っている女子生徒――燕雀ヶ羽鳳凰である。
最早いつもの光景。
しかも周りにいる生徒も、わざと燕雀ヶ羽のことは気にかけないようにしている。自分に害が加わらないようにするためなのか、それともどうせ俺がいるからと安堵しているからなのか、そもそも気にも留めていないのか……先にこれはいじめではないと言ったが、訂正、見ている限りいじめとさほど変わらない待遇であった。
そこにいるのに、いない者扱いされるなんて。
いじめと何が違うというのだ。
「…………!」
と、そんなふうに彼女のことを見ていると、若干の憐みの視線を送られていることに気が付いたのか、ただ単に俺の存在に気付いただけなのか、燕雀ヶ羽もこちらの方を一瞥した。そして目があった途端、とてとてとこちらに駆け足で寄ってくる。
鳩みたいな歩き方だな。
ああ、俺のことを探していたのかな。
いや、それはさすがに自意識過剰だろう――ほんの数秒で、彼女は俺の前までやって来た。
「あ、あの、夕影さんっ。その、本日も、私のお相手をしてくださると、う、嬉しい、です……あう」
いつも通りのコミュ障っぷりを発揮する燕雀ヶ羽。
仮にもお嬢様だというのなら、もっと堂々としててもいいと思うんだけどな……アニメとかだと彼女のようなキャラの口から『あらあら夕影さん。あなたまた一人取り残されていますの? はっ、お可哀そうなこと。でもまあ、燕雀ヶ羽家の娘として、愚かな子羊を放っておくわけにもいきませんわね。仕方ないから相手をしてあげますわ』くらいの傲慢な台詞が飛んできても、別に驚きもしないのだが……。
ちなみに、喋る前に『あ、』と一言唸る奴は大体コミュ障である。
小林製薬かよ。
「ああ、まあいつもの通り……」
「は、はい! ご一緒させていただきます!」
女の子に恥をかかせるのはあまり好きではないので、あくまで俺からのお願いと言うていを作り出そうとしたのだが、俺が最後まで言い終わる前に燕雀ヶ羽が爛々とした瞳で俺に言い寄ってきた。
俺の気遣いは一瞬にして散った……まあ嬉しそうにしているので、細かいことはもういいか。体操の相手が見つかっただけにしては喜び過ぎの気もするが……あれだろうか、お金持ちお嬢様にしては、案外幸せの閾値が低かったりするのだろうか。
空が晴れているだけで幸せとか。
道端にに咲く花を見て幸せとか。
最早、生きてるだけで幸せとか――。
「おう、ペアは組んだかお前ら。したらとっとと始めるぞー」
と、相変わらず今年も担当教師である体育先生の不愛想な号令と共に、前に立つ体育委員二名が体操を初めだし、それに倣って他の生徒も準備体操を始めていった。
あの先生もあの先生だ。こんな状況、傍から見ていれば大層わかりやすい様子であろうに、あくまで見て見ぬふりを貫き通すのか――まあ自分の手なんて、誰も汚したくないだろうけど。
とは言え、準備体操。
あの二人と手本に体操をするというシステムである。
別にわざわざ二人ペアで行わずとも、古き良きラジオ体操第一でも流して単独でやればいいのに――と、一年の頃からずっと考えている俺がいたりもする。
「いっち、に、さんっ、しー」
ゴールデンウィークも終わったというのにまだ気温は肌寒く、そのせいか体育委員の掛け声に覇気が感じられない。それに続く他の生徒たちも、ややだらけ気味に体操を進めていった。
二人ペアと言っても、前半の背伸びやジャンプ、体を回す動作は単独で行う。
後半からは、いよいよ二人での共同作業ならぬ共同体操だ。
「いっち、に、さんっ、しー」
体育委員の二人が据わり出し、続くクラスメイトも座り出す。
二人で背中合わせになって胡坐をかき、そのまま腕を横に開いて後ろの相手と絡めてから掌を合わせ、腕を地面と平行にしたまま、右手は前に、左手は後ろに、今度はその逆に動かして――という、胸を大きく開くストレッチ。
最初は肩回りの筋肉が突っ張って痛みを伴うのだが、何度かやっているとほぐれていくのが実感できる体操だ。
「あ、あう、よろしくお願いいたします……」
ペアの競技の度にそんな風に丁寧な挨拶をしてくる燕雀ヶ羽に感動すら覚えつつ、俺は燕雀ヶ羽と背中合わせに座り、そのまま腕を絡め合う。
そして、掌を合わせる。
「!?」
あまりにも流れるような動作に、思わず俺もナチュラルに対応してしまい――驚いた。
掌を合わせる動作。
掌を、合わせるだけでいい動作――それなのに、燕雀ヶ羽は俺と掌を合わせた後、指と指を絡めて優しく握っていたのである。
いわゆる恋人繋ぎと言う奴だ。
だが――何故?
今まで、そんなことは一度もしてこなかったはずなのに。
「!?!?!?」
握られて、こちらが握り返してから気付いたのが遅かった――燕雀ヶ羽は何の気なしに恋人繋ぎにした後、そのまま何事もなく体操をしていったのだ。
意識してるのは、まさか俺だけ……?
いや、別に恋人繋ぎくらい夜宵や朝日と何度もしていることだし、別に真新しさなんてこれっぽっちもないのだが……何故だろう、繋ぐ相手が相手だからなのだろうか、未だ嘗てないほど胸の鼓動が高鳴っている。
指細っそ!
肌柔らけぇ!
手ェ温ったけぇ!
オマケになんかいい匂いがする!
こいつ――もしかして、俺のことが好きなのか!?
「…………」
んなわけねえだろ。
いかん、落ち着け俺……燕雀ヶ羽は市長の娘、住む世界の違うお嬢様だ。そんな相手にもし発情しているなんてことがばれたら、いや発情はしていないけれど、それでもこんな劣情を抱いていることがばれた暁には、本土にいられなくなってしまう。それにそんな、こうして体操のペアを組む以外には縁もゆかりもない、まともな会話すらしたことがないような相手が、実は俺に好意を抱いていましただなんて、冒頭三ページ読んだだけで欠伸が出てくるようなありきたりなラノベ展開が現実に起こるはずもない。
落ち着け、素数を数えるんだ。
「0,1,1,2,3,5,8,13、21……」
「あの、お言葉なのですが、それは素数ではなくてフィボナッチ数列ではありませんか……?」
「はっ!」
動揺のあまり素数すら数えられなくなっていた。
っていうか、つっこむ余裕があるくらいなのか、燕雀ヶ羽には。
悔しいな、俺だけ変に考え込んでいるみたいじゃないか。
「よーし、次―」
先生の掛け声で、次のストレッチへと移る。
今度は方方が仰向けに寝転がり、片足を曲げて、残った一人がその曲げた足を徐々に体重をかけながら押していき、筋肉を伸ばすというよくあるストレッチだ。
「んじゃ、俺先に寝るから」
「は、はい」
動揺のあまり楽になりたかったのもあって、俺は先に仰向けになる。
しかし、恋人繋ぎでこんなに動悸が激しくなるなんて、俺もまだまだ青二才だな……こんなことではいつまでたっても朝日に馬鹿にされ続けてしまう。まあそうは言っても、未だ童貞であるという事実も朝日は知っているわけだし、変に格好つける必要も大人ぶる理由もないんだけどな……まあ、何はともあれもう手を繋ぐ体操はないし、とりあえずは大丈夫だろう。
と。
高を括っていた。
油断していたと言ってもいい。
何故なら、こうは言いながらも燕雀ヶ羽と体操のペアを組むのはこれで二年目なのだ。なんだかんだで一年の頃からはぐれ者同士、ペアを組んで体操をしていたため、正直慣れた感じで体操をしていた。慣れてもいたし、信頼もしていたし、安心もしていた――だからこそ、突然の恋人繋ぎにこれだけ動揺するほど、俺は燕雀ヶ羽と言う相手に安心しきっていた。
その安心がそのまま仇となる。
足。
右足。
仰向けになって右足を曲げた態勢になった俺に、燕雀ヶ羽の手が伸びる。
その足を掴み、膝の部分をゆっくりと押してストレッチをするために、俺の右膝――ではなく。
さわっ。
「!?」
太腿。
右足の太腿の裏側、丁度大腿二頭筋の辺りに、燕雀ヶ羽は右手を添えるように置いてきた。
「え、燕雀ヶ羽さん?」
仰向けの状態であり、また彼女も下を向いているせいで前髪が垂れ下がっていたため、燕雀ヶ羽の表情はよく見えなかった。ただ心なしか、肩が上下してるというか、吐息が若干荒い気もするが――。
「ひゃうんっ」
字面だけ見れば完全に喘いでいる女の子だが、今しがた喘いだのは俺である。それもそのはず、燕雀ヶ羽は俺の大腿二頭筋に添えた右手を、さわさわと動かし始めたのだ。
(な、何考えてるんだこいつ……)
さわさわと、手を開いたり閉じたり、今度は撫でるような動作で右へ左へ、右手を動かす――スケートリンクで踊るフィギュアスケーターのように、まるで右手に意思でもあるかのように、さわさわと、わさわさと、撫でるように、舐めるように、弄ぶように、俺の太腿の上で燕雀ヶ羽は右手を動かしていく。
声を出すのは簡単だ。
止めることだって、もちろん。
ただ、それで突き放すような真似をしてしまって、次の体育から彼女の体操相手がいなくなってしまったら――俺と組むのが気まずくなって、一人ぼっちになってしまったら、それはあまりにも可哀想ではないか。
ならば別段、これくらいのことは我慢しよう。
なあに、育ちの違うお嬢様が庶民の体のつくりに、ちょっとばかし興味を抱いているだけの話だ。
ならば容易い。
いくらでも触ってくれ。
「ッ!?」
そんなことを考えていると、燕雀ヶ羽の右手は太腿から移動し、そして気が付けば、臀部の辺りへと移っていた。
臀部。
平たく言って、お尻である。
(いや、さすがにそこはちょっと……でも、突き放すのも気が引ける……むむ)
さわさわと、初めこそ表面を伝うくらいだった手の動きに、いつの間にか力が入り、気が付けば、俺の尻に燕雀ヶ羽の指が食い込むような形にまでなっていた。
有体に言うと、揉まれていた。
俺が揉んでるんじゃないよ?
俺が揉まれてるんだよ?
{…………}
心が乱れすぎて変な括弧になってしまった――その後も結局、他のストレッチでもあるとこないとこ弄られ、体操が終わるころには、俺はフルマラソンでも走り切ったかのようにどっと疲弊していたのだった。
お疲れさまでした。鳳凰ちゃん可愛いです。