1.和紗(かずさ)
怜斗は外に出た。あの出来事があってから、外出頻度が大幅に減っていて、外の世界をあまり見なかった。最低限の荷物を持って、最低限といっても、ある程度の重さと大きさはある。クレアはカゴに入れて持っていく。小さなカゴになってしまったが、クレアは物分りがいい猫なので、駄々をこねず入ってくれた。
ゆっくりと戸を開けた。光が差し込む。鳥の声、残暑の季節、少し暑いか。蝉も鳴いてるな、とってもうるさい。蝉の声は嫌いだった。怜斗は夏が大嫌いだったので、夏を連想する季語も大嫌いだった。
「うるさ…、まぶし…、あつっ…。」
怜斗はこれでもかというくらい愚痴をこぼした。クレアは静かに眠っているのか、何も言わない。
「さて、これからどこに向かおうか?」
スマホを取り出して、地図を開く。周辺の地形がダウンロードされて、徐々に表示されていく。
とりあえず、歩みを進め、近くの川に到達する。
「こんな浅い川じゃ死ねないな…。」
怜斗は苦笑しながら言った。
しばらく怜斗は川に沿って歩くことにした。旅が好きだったので、長距離を歩くのはとても得意なのだ。
怜斗はどこまでも歩く。歩いて歩いて死に場所を探した。
しかしだ、このしょぼい川に死に場所など無かった。あるのは浅い川と高さのない塀だ。唯一死ねる場所の高台には先客が居た。
ん?先客?
「あれ、死のうとしてんのか…?」
高台の端っこの方に、1人の女の子が立ち尽くしていた。下を見下ろし、この後の自分を想像しているかの様だ。
「まてまてまてまて。」
怜斗は走った。何故死ぬ自分が死ぬ人を助けようとしているのか、それは分からないが、自分が死ぬ前に人が死ぬのを見るのは辛いものがある。
頑張れ俺、陸上競技部の意地見せろー!
そう思いながら女の子の所に辿り着く。
「きみ!!」
想像以上の大きな声が出て、すごく自分で恥ずかしくなった。
めっちゃ響いたやんけ。
女の子はびっくりした表情をこちらに向けた。
「あの、えと…」
怜斗はその後の言葉を必死に頭の引き出しから探した。
「し、死ぬの…?」
なんてド直球な質問だろう。
「そうよ。悪い?」
女の子は単発的に答えた。なんて綺麗な声だろう。怜斗自身、声フェチなので、敏感なのである。
「悪いよ、どうして自分で命を絶つの?」
自殺志願者が何を言っている。凄いブーメラン発言だ。クレアもきっとあきれた顔をしているはずだ。
「私、虐められているのよ?そんな辛い人生、生きてても無駄だもの。」
女の子は下を向いて話した。虐められて自殺、典型的な理由だ。怜斗何かよりもとても辛い現実である。
「確かに辛いかもしれないけど、まだ何か生きる理由があるかもしれないよ。」
怜斗が何を言ってもブーメラン発言となる。なんてこった。
「無いわ!もう無いの!」
女の子は怒りながらこっちに来た。
やばいこっち来た。
「まあまあ!落ち着け!とりあえず座れ!な?」
怜斗は頑張ってなだめに入った。
とりあえず座ってくれた。女の子はとても綺麗な美人さん、その中に可愛さがあった。こんな女の子がどうして虐めにあわなきゃいけないのか?
「さっきは悪かったわ、ごめんなさい。」
女の子は落ち着いたのか、素直に謝ってくれた。
「こちらこそ、急に止めてごめん…。」
「いいの、正直悩んでたの。ここで本当に死んでもいいのかなって、止めてくれてありがとう。」
「あのさ、名前聞いてもいい?」
怜斗はぎこちなく名前を聞いた。
「和紗よ。あなたは?」
そう名乗った。
「怜斗、杉 怜斗。自殺志願者だよ。」
自己紹介文に自殺志願者を名乗るのって正解なのか。
「あなたはどうして自殺を考えているの?」
当然の疑問だ、同じ自殺志願者同士、氣になるものだ。
「色々あって、生きる意味無くなったのさ。」
怜斗は超省略して説明した。
「その色々を聞きたいのだけれど?」
和紗は険しい顔をした。
「聞かないでー?」
「そ、そう?なら聞かないわ。」
和紗は1歩引いてくれた。
和紗は怜斗の次に、背中から降ろした大きなバックに目をやった。
「怜斗は、自殺志願者なのに、どうしてそんな大荷物なの?自殺するなら、もう何も無くていいんじゃない?どうせ死ぬのだから。」
それもそうだ、どうせ死ぬんだから、何を持っていったって無駄、そう考えるのが当然である。
「死に場所を探してるのさ。静かに死ねて、死体が綺麗に見つかって、遺族に迷惑がかからない死に場所をね。」
「そんな場所あるかしら、死ぬのだから、そんな贅沢良くないわよ。迷惑をかけないというのは分かるけれど…。」
「まあ、贅沢言っちゃいけないのはそうだな、大事な命を自分で絶つのだからね、死体が綺麗なんて以ての外だろうな、でもさ、それでも飛び降りってのはどうかと思うぞ。」
飛び降り、なんて、想像するだけで恐ろしい。致死率は最高に高いけど、死体の状態はすごいだろう。
「落ちたら死ねるけど、死ぬなら頭から落ちなきゃいけないし、頭から落ちたら脳漿から目玉から、色んなもの飛び出るだろうよ、やだやだ。」
怜斗は舌を出して渋い顔をした。飛び降り自殺が一般的だが、何を思って選んだのだろうか。
「何を思って飛び降りなんて選んだんだ?」
怜斗は思ったことを口に出して質問した。
「とりあえず死にたかったのよ、他の飛び降り自殺をした人も同じだと思うわ、あなたみたいに贅沢言わず、とりあえず死にたい人が選んだのよ。」
「なるほど、大分贅沢言ってるんだなぁ、俺。」
ここで、自分でどれだけ贅沢な自殺志願者か理解した。
「そうよ、お花畑な頭してるのね。」
「うるさいな。」
「でも、悪くないわ、そういうの。」
「そいつはどーも。」
上から目線な奴め。そう思いつつも、いい奴に出会えた。と、そう思った。
「私、こんなに楽しくなったの初めて。同じ自殺志願者のくせに、あなたはとても愉快ね。生きてるといい事あるのね。」
和紗は嬉しそうな、初めて笑顔を見せた。
なんて綺麗な笑顔だろう。惚れるぞこれは。
ふと、生きてるといい事がある、という言葉が刺さった。
「私、もう少し生きてみるわ、あなたの死を見届けるわよ?」
と、残酷なことをにこやかに言った。
「そ、そうか、酷いことを…。」
「連絡先を交換しましょう?何かあったら連絡ちょうだいね?」
こんな所で女の子と連絡先を交換出来るとは…。どうせ死ぬのにね。
「おう、何かあったら連絡する。思いとどまってくれてよかったよ。」
「ありがとう怜斗、これから死ぬ人間に止められるなんて思わなかったわ。」
「だろうな。」
怜斗も少し笑いが出た。
「これからどうするの?」
和紗は聞く。
「そうだなー、とりあえず川の方を歩いていって、また死に場所をみつけようかと思ってる。元々そういう予定だったんだ、そこに和紗が居たので。」
「あら、お邪魔をしちゃったみたいね。」
「いいさ、氣にすんなよ。死ぬ前に楽しい時間を過ごせた。」
死ぬ前にこんなに素晴らしい人に出会えた。それだけで少し、心が安らいだ氣がした。
「あら、そのカゴはなあに?話と大きな荷物のせいで氣づかなかったわ。」
怜斗はカゴを開けて、クレアを外に出した。
「まあ!真っ黒ね、魔女の使い魔みたいね。」
和紗はゆっくりクレアを抱き抱えた。
「飼い主の死を見届けるの?大変ね。」
和紗はクレアに喋りかけた。
なーーん
その通りだ大変だよ。そう言っている氣がした。
「俺の唯一の心の拠り所なのさ。許してくれよクレア。」
なーん
今度は返事をした氣がする。
「さ、元のカゴへお入り、あなたは死んじゃダメよ?」
「クレアは死なせないよ。」
怜斗はカゴを閉めた。
「怜斗、どうしてそんなに優しいのに、死にたいなんて思っているの?」
「さあね、生きる意味を見失ったからじゃないか?」
怜斗はそう言って立ち上がった。
「そう…。」
和紗は俯く。悲しい顔をしている。俺のためにそんな顔をしてくれるのか?なんて優しい子だ。和紗は生きてくれなきゃ困るな。
「そんな顔すんなよ!楽しく生きろよ?明日はいい日になるぜ?」
「なにそれ、あなたに分かるの?」
「分からない、でも、そう思ったら、今日辛くても頑張れそうじゃないか?」
「ふふ、そうね、ありがとう。」
和紗も立ち上がる。
「お氣をつけて。」
「氣をつけるもなにも、途中で死ねたら儲けさ。」
「それもそうね、でもね。」
和紗はそういってしばらく何も言わなかった。1分くらいだろうか、また話し始めた。
「私は怜斗には生きてて欲しいわ。」
「ありがとう。じゃあ、そろそろ行くわ。」
怜斗は荷物を背負い、クレアを持って歩き出した。
「また、会えるといいわね。」
和紗は悲しそうな顔をしていた。と、思う。
「そうだな、またどこかで。」
怜斗は振り向かずに言った。
和紗。そういえばフルネーム聞いてなかったな。もう遅いか。
もしも、万が一生きてたら、また会えるかなぁ。
怜斗は歩みを止めず、行先も決めずに進んだ。