今日子の小中学校時代
今回は、少し過去の話をしてみようかと思う。
今日子の小中学生時代の話だ。
当時、学校に‘発達障害’という言葉は、浸透していなかった。
そして、今日子も発達障害の診断は受けていなかった。
そのため、今日子はただの‘変わった子’という扱いであった。
言い換えれば、問題児である。
身の回りの片付けができず、忘れ物も非常に多い。
また、コミュニケーション能力も著しく低かった。
特に今日子の忘れ物を矯正させようと、担任となった教師達はありとあらゆる手段を講じた。
例を挙げよう。
まず、ある教師は今日子が何か忘れ物をすると、文字通り‘灸’をすえた。
火のついた線香を頭に押しあてたのである。
また、ある教師は油性ペンで今日子の顔に「宿題忘れました」などと書いた。
また別の教師は、校庭に出て小石を1000個拾うように命じた。
ちなみに、拾った小石はすぐにまた元の場所にばらまかれた。
‘反省文’を書かせる教師もいた。
大抵、原稿用紙10枚程度であった。
他には
正座をさせる。
廊下に立たせる。
校庭を走らせる。
掃除をさせる。
ビンタ。
などなど。
しかし、これらすべては、何の役にも立たなかった。
いくら反省しろと言われても、今日子は何で自分が忘れ物をしてしまうのかわからなかったからだ。
そして、その理由を教えてくれる教師は誰もいなかった。
しかし、これらはまだ良い方であった。
最も質が悪いのは、‘忘れ物班’である。
5~6人の班をクラスに6個ほど作り、その班ごとに忘れ物の数を競わせたのである。
忘れ物の多い班は連帯責任で、全員に罰則がある。
目的は「生徒間で協力し合いながら、忘れ物を減らしていく」という事だったが、大人が直してやれない発達障害児(診断されていなかったが)の忘れ物を、子供同士の工夫でどうにかできるものではない。
だいたい察しが付くと思うが、この方法はいじめに直結した。
ただでさえ、少々風変わりでコミュニケーション能力の低い今日子は、いじめのターゲットになりやすかった。
その上、この状況では「いじめてください」と言っているようなものである。
学校でこのような扱いを受けていたからであろう。
今日子は大学で、教職課程も履修した。
獣医師免許の他に、教員免許も取ったのである。
教師になるつもりはなかったが、「教師になるための勉強」をしてみたかったのだ。
もっと言うなら、生徒ではなく、教師の目で学校現場を覗いてみたかった。
大学時代になっても、まだ‘発達障害’という言葉は浸透しておらず、講義の中でこの言葉が出る事はなかったし、今日子自身もそれを知らなかったが、「忘れ物に対する最も誤った指導法」として、‘忘れ物班’が例に挙げられた。
また、体罰が何の効果も上げない事は、繰り返し教えられた。
教育実習に行くと、明らかに自分と似たような生徒がいる事にも気付いた。
だが、そんな生徒にどう接して良いのか悩む現場の教師の苦悩も知った。
教職課程を履修した事で、今日子は過去の自分を客観的に見つめる事ができるようになった。




