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お前の腕は俺のもの

作者: 筧 月子

 気付くと、俺は親友の有希の部屋にいた。

「あれ? 俺、寝てた?」

 いつの間に、うたた寝していたんだろう?

 PCに向かっていた有希が振り向く。

「お前、疲れてんじゃね―の? 最近、しょっちゅう居眠りしてんじゃん」

 うん、と頷いて、思いを巡らせる。確かに最近、眠くて仕方がない。けれど、きちんと睡眠時間は取っているし、ただ、居眠りの後は、やたらと腕が重かったり、疲れていたりする。

「結構、寝てると思ってるんだけどなぁ」

 ため息が混じった。

「質のいい睡眠、取れてないんじゃないか? 熟睡してないと、疲れも取れないって聞くよ」

 有希は、再びPCに向かって、レポートか何かを打ち込んでいる。そして、思い出した。

「ああ。今度は助教授の推薦受けてるんだっけな」

 有希は、エリートだ。

 心理学の教授を目指して、パッとしない講師を地道に、評判の良くない助教授のもとで愚痴一つ零さず続けてきた苦労人であり、努力家だ。

 その功績と、ちょっとしたアクシデントと言うか、ラッキーな出来事で、有希は助教授に推薦の話が舞い込んだ。

 ろくでなしの助教授が事故で死んだのだ。

 大学側では、早々に、有希を指名してきた。

 実力的にも、キャリアにも問題はない。むしろ、底意地の悪い助教授の差し金で、中々上がらせて貰えなかった様なものだ。

 有希は、今、教授に提出するための論文に取り組んでいるのだろう。

 俺は、気怠い体をソファから立ち上がらせた。大事な時期だ。有希の邪魔をするのは忍びない。

「なんか、迷惑かけたな? 俺、そろそろ帰るわ」

 その声に、有希までが立ち上がる。

「待てよ。今、ドリップコーヒー淹れたとこだから、飲んで行けよ」

 有希は、キッチンに消えて行った。

 ヤツの淹れるコーヒーはちょっとしたカフェで飲む味に近い程、美味い。最近、上手い入れ方のレクチャーを受けただけだと言っていたが、本当に千円出すコーヒーと遜色ない味わいだ。

 そんな有希のコーヒーに、俺は若干、ハマっていた。

「じゃあ、それ飲んだら帰るわ」

 そう言いながら、また、すわり心地のいいソファに腰を下ろす。

 数分もしないうちに、コーヒーの良い香りが部屋に充満する。その香りは鼻孔を擽り、全身から力が抜ける程にリラックスしてしまう。

「どーぞ」

 カチャリ、と軽い陶器の音を立て、ローテーブルにコーヒーが置かれる。


 俺は、熱いコーヒーを含みながら、有希の心地いい声を聞いていた。


 何を言っているのか分かる。でも、俺の脳には刻まれない。何かを唱えられてるような感覚。

 目は見えている、けれど、これは、自分の視界なんだろうか?夢のようで、他人の視界を覗き込んでいるような感覚でもある。


 有希は、俺の親友で。

 凡庸に生きてきた自分とは違う。常に、成績は首席。自分のするべき事を真っ直ぐに見つめて、努力を惜しまない。その友人でいられることが誇れる存在だ。

 だから、有希には成功者になって欲しいと思う。

 努力は、嘘をつかないのだと、有希を見ることで自分を信じたい。

 そんな風に思っているところもあるのかもしれない。


 俺の力の及ぶ事なら、有希の力になりたい。


 そう、思う。

 そう、願っている。


 その力が法に触れることだとしても。

 他の人間を陥れる事だとしても。


 けれど、自分には出来ない事だとも思う。どうしたら有希の役に立てるのか、考えもつかないし、法に触れるようなことをして助ける方法も思いつかない。


 それに、有希は文句もため息もない。

 不満も愚痴もない。

 ただただ、真っ直ぐ前を向いている。


 そんなヤツの役に立つことなど、正直、分かりようがない。


 だから、きっと、このどす黒い、汚泥の中から生まれたような声と言葉は、有希の言葉である筈はなく、単に誰かの譫言が耳に届いてきただけなのだ。


 有希の助教授昇進を快く思っていない教授がいる。

 理事と繋がりがあり、論文が通ったとしてもすんなり助教授へなることは難しいかもしれない。


 俺は、そんな邪魔な奴がいたのか、と、ぼんやりと思う。


 しかし、その教授は、自大学の学生を愛人にしている。

 その証拠に、この地図にあるタワーマンションにこれから教授は現れる。


 目の前に、一眼レフのカメラが差し出された。


 お前は、どうするべきだと思う?


 声が聞いてきた。

 俺は、カメラを手に取る。


 写真を、証拠を掴む。


 それから?


 声は、更に俺を促す。


 出版社に売るのは、足が付く。ネットに流してしまうのが一番だろう。


「上出来だ」


 嬉々とした声は、少し有希に似ていた。


 俺は、カメラを手に、外気を感じていた。

 レンズを覗く。

 はしゃぐ女子大生と鼻の下を伸ばした中年男性にシャッターを切る。

 何枚も、何枚も。

 シャッター音が、風に消えていく。

 そのデータをネットに配信した。


 これで、有希の邪魔は、もういなくなった。


 有希は、助教授となり、それを足掛かりに教授になっていくのだろう。


 俺は、それを見ることは出来ない。


 俺は、今、田舎の片隅の納屋で、首を吊った。


 何故、首を吊ったのか?

 分からない。

 そうしたかったから、としか言いようがない。


 俺が死んだら、有希は、喜ぶ気がする。

 それが心地いい。


 だから、俺は、死ぬ。


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