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偽典ハムレット(二次創作ラノベ)  作者: 月山青雲
前編 絶望のハムレット
7/28

父と娘

 数日後、ノルウェー軍の残存部隊は、ユトランド半島の北辺、北部十州の領内へと撤退した。それに呼応するように、デンマーク南端の国境線に展開していたザクセン公の軍勢も後退して行った。

 南北からの軍事的脅威に晒され緊迫していたデンマークに、再び安堵の気が戻った。


 ハムレットは再び宰相府に訪れ、執務室に入った。宰相ポローニアスは相変わらず円卓上の地図を睨んで何かを思案していたが、王子が入ると笑みを浮かべた。


「殿下、お見事でございました」


「俺は何もしていない。すべては貴様の部下、影の者どもの手柄である」


「先王陛下の亡霊が現れたと聞きましたが?」


「父上が囮となって兵を引きつけ、その間に影の者たちが敵陣に火を放つことができた。死して尚、この国を守らんとする英霊に、我らは救われたのだ」


 ハムレットがそう言うと、ポローニアスは苦笑しながら頭を下げた。夜陰、霧、陽動、火計……気象と奇策が、万軍を退ける僥倖を生んだ。


「此度の、フォーティンブラスの南征を防いだのは良いが、ユトランド半島の最北部、北部十州は依然失われたままだ。失地を回復したい。策はあるか?」


 今後の方策のほうが、ハムレットにとっては気掛かりだった。


「いえ残念ながら。かの地の州民たちは、そのほとんどがノルウェー人です。フォーティンブラス王子を歓迎する者のほうが多く、こちらから軍を差し向ければ、かえって民の反発を招くやもしれませぬ」


 北部十州の最北の港町スカーイェン、そしてその南西、内陸部にある城西都市オールボーまでもが、既にノルウェー軍に制圧されている。統治を任されていた領主や貴族たちは一戦もせずに夜逃げし、領民たちは喜んで開門し、ノルウェー軍を迎え入れていた。

 民にとって、北部十州という土地は、デンマーク領ではなく、ノルウェー領であるほうが好ましいと考えているのだろう。


「失地を回復することは難しいでしょう。領土を敵に割譲することになってしまいました」


「簒奪などするからだ」


「は?」


「いや戯れ言だ。スウェーデンの動きはどうか?」


 王子は卓上の地図を眺めた。王都ヘルシンゲルの東、エーレ海峡を挟んだ対岸に広がる強大な隣国が、今回の動乱に対しどのように動いたのか……王子は不安だった。だが、それは杞憂であった。


「こちらは静観しています。王妃様のご尽力によるものです。さすがはスウェーデン王室に連なるお方です」


 ハムレットの実母ガートルード王妃は、スウェーデン王家の血を引いている。

 すぐさまスウェーデン国王に親書を送り、その動きを掣肘したようだ。もしもこの血縁、この母ガートルードの力がなければ、南北からの挟撃に加え、東からの横槍も入り、三方より攻め立てられ、この国はたやすく瓦解したであろう。


 ハムレットは地図から目を離し、窓の外を眺めた。遠くから海鳥の鳴き声が聞こえる。


「殺すなよ」


「は?」


「王妃様を……母上を殺すなよ。殺せば、スウェーデン王の怒りを買うことになるぞ」


「何を仰せになりますか」


 困惑する宰相を見てハムレットは微笑み、そして執務室のカーテンの方をちらりと見やった。


「出てきたらどうだ?」


 王子が言うと、カーテンの裏から黒装束の女が、足音も立てずに出てきた。すぐに抜剣できるよう身構えている。


「オフィーリア、殺気の出し過ぎだ。それでは良い暗殺者にはなれんぞ」


「我が名を気安く呼ぶな! この道化者!」


「オフィーリア! 何を言うか!」


 ポローニアスは娘を怒鳴りつけた。だが宰相令嬢はハムレットを睨み、また怒声を上げた。


「ハムレット! 貴様、何故あの時、フォーティンブラスを殺さなかった?」


「なんのことだ?」


「先王の鎧を纏い、単騎で敵陣に斬り込んで行った貴様の度胸は認める。だが何故、王子の首を穫らなかったのだ?!」


「あれは亡霊の仕業ゆえ、俺に聞かれても困る」


「ふざけるな! 痴れ者が!」


 オフィーリアは激怒していた。


「いくさとは非情なものだ。敵となった以上、かつての友とて斬らねばならぬ。だが貴様は剣を引き、奴を見逃したのだ。敵を助けるとは一体どういうつもりか!」


 黒装束の女は剣の柄に手を掛けた。その手をポローニアスは慌てて押さえた。


「よさぬか」


「しかし父上」


「フォーティンブラス王子はノルウェー王から格別の寵愛を受けている。もしも王子を斬ろうものなら、かの老王は激怒し、総力を上げて、この国に攻め込んで来るであろう。さすれば、我が国は防戦に疲弊することになる」


 ポローニアスは壁に掛けられた大地図に目をやり、言葉を続けた。


「そればかりか、二国間の対立を見た周辺国が、隙やあらんと兵を繰り出し、横槍を入れてくるやもしれぬ。さすれば、卍巴の大いくさとなり、戦火は北欧全土にまで広がることもある得るのだ。それすら分からぬか、この未熟者が……」


 ポローニアスはそう言うと娘を睨みつけた。


「……」


 オフィーリアは黙って俯いた。殺気が消えてゆく。


「申し訳ありません、父上」


 娘の謝罪に父は溜め息をつくと、ハムレットのほうを向いて、頭を下げた。


「娘の重ね重ねのご無礼、どうかお許し下さい」


「いや、ご令嬢の言う通りだ。俺はあの時、フォーティンブラス王子を殺すのをためらった。英国留学の際、机を並べて勉学に励んだ仲だからな」


「殿下……」


「結局、俺は情を捨てることが出来なかった。愚かな男だ。笑いたければ笑うがいい」


「いえ、賢明なご判断です」


「買いかぶるなよ宰相殿。留学中、地政学や兵法を修め、いささかの学識は得たが、それでも俺には大局など見えぬのだ」


 王子は俯き目を伏せた。


「ところで話は変わるが、スウェーデンの王族がこの王都に来ているそうだな?」


「はい、王妃様の弟君、グスタフ公がいらっしゃっております」


「そうか、叔父上どのか」


「今宵、夜会が開かれます。ハムレット殿下も是非……」


「俺は新王を罵倒した罪で死刑になるはずだ。死刑囚が宴に出るわけにもいかぬだろう?」


「殿下は寡兵をもってノルウェー軍を撃退なさったのです。死刑の沙汰など既に取り下げております。是非、今宵の夜会に御出席下さい」


「いや、遠慮しておこう。宴の最中、いつ貴様に毒を盛られるか分からぬからな」


 ハムレットは苦笑しながら部屋を出ていった。

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