森
牢から出た王子は、燭台の灯りに照らされた城内の通路を、ホレイショウと並んで歩いていた。
「居室に戻り、風呂に入りたいのだが」
ハムレットがそう言うと、ホレイショウは王子の耳元に顔を寄せた。
「そのまえに、是非お会して頂きたい方がおりまして」
声を潜めて言った。王子は幼馴染みの青年を怪訝そうに見つめた。
「ほう、一体誰だ?」
「会えば分かります。とにかく私に付いて来て下さい」
そう言うと、ホレイショウは城を出た。夜の城下街の喧噪の中を黙々と歩き続ける。
しばらくすると街から抜け出てしまった。
「どこへ行くというのだ?」
「今しばらく、ご辛抱を」
さらに半時ほど歩いて、町外れの森の中に入った。
夜風に揺らぐ木々のざわめきに、フクロウの鳴く声が混じる。月明かりは僅かに入ってくるが、それでもあたりは暗い。
半時ほど歩いたところで、暗がりの中に粗末な小屋が見えてきた。大きな切り株がある。樵の家だろうか。苔だらけの扉を開けると、粗末な寝台と、そこに横たわる壮年の男の姿が目に飛び込んできた。
その顔に、ハムレットは見覚えがあった。
「父上?」
「おお、ハムレットか」
「父上!」
王子は寝台に駆け寄り、父の手を握った。肩や腕に包帯が巻かれている。痛々しい姿だった。
「刺客に毒殺されたものとばかり思っておりました」
「予の影武者が死んだのだ、身代わりとなってな」
先王は悲しげな声を出し、目を閉じた。
「一体何がどうなっているのですか?」
「玉座を影武者に任せ、予はひとりで野原へ行き、鹿狩りをしていたのだが、そのとき突然、刺客どもが襲ってきてな……こうして手傷を負ったのだ」
傷を負い、必死になって逃げ回っていたところを、たまたま通りかかったホレイショウに助けられた、ということだった。
「襲ってきたのは黒装束の一団であった。はじめは盗賊か何かだと思っておったのだが……」
そこまで言うと、王は傷の痛みに呻き顔を歪ませた。
「陛下、無理はなさらず、お休みになって下さい」
ホレイショウは先王に毛布をかぶせて寝かしつけ、 扉を開けてハムレットと共に小屋の外に出た。
暗く、静かな森。寒風が木々の間を縫うように吹いている。
宰相府の役人は王子に向かって言った。
「敵は八人ほどで、みな手練れでした。剣筋は正確で鋭く、かなりの訓練を受けている者だと思われます。陛下と私で三人ほど斬ったところで、騒ぎを聞きつけた近隣の住人らが駆けつけて、残りの刺客は皆逃げてしまいました」
父は幾多の戦場を駆けた武人でもある。老いはあれど、剣技にも秀でていた。その父がこうまで手傷を負ったのだ。よほど腕の立つ刺客だったのだろう、と王子は思った。
「俺も昨晩、砂浜で刺客に襲われた」
「何ですと?」
「黒装束の一団だった。おそらく宰相ポローニアスの手の者だろう」
「そうでしたか……己が政権を盤石にするためとは言え、そこまで徹底しているとは思いませんでした」
ホレイショウは黙り込んでしまった。
宰相は冷徹で、情など微塵も無い。政敵を排除するためには、いかなる手段も用いるだろう。
そんな男が、いま玉座の裏で国を動かしている。己が繁栄のため、民草さえ、犠牲にするかもしれない。ハムレットは国の行く末を憂いずにはいられなかった。
だが今は、迫り来る外敵、ノルウェー軍を追い払うのが先である。
「俺は、この王都ヘルシンゲルを離れなければならない。ノルウェー軍の侵攻を止めるためにな。その間、どうか父上をお守りしてくれ、ホレイショウ」
「はい、一命に変えましても」
「すまんな……王宮の人間は誰ひとり信用できぬ。頼れるのは幼馴染みのおまえだけだ、頼んだぞ」
父は生きていた。死んだはずの父が生きていた。玉座に座るべき者が、生きてここに在るのだ。
閉ざされていた希望の道が、再び見えてきた。
捲土重来、為すべきか、為さざるべきか?
否、もはや自問するまでもない。国権は、父の手に返さねばならない。玉座を奪還するその日まで、なんとしても父には生き続けて欲しいとハムレットは願っていた。
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