牢
ハムレットは牢に収監されることになった。
縄を解かれた後、じめじめとした暗い独房に押し込まれた。鉄格子が閉まり、激しい金属音が通路に響き渡る。
惨めだった。
いま隣国ノルウェーの王子フォーティンブラスは、燦然たる万軍を率い、軍笛の音も高らかに、ユトランド半島北部十州奪還のため奮戦している。既に、郡里のいくつかは陥としているだろう。
それ比べ、いまの自分は虜囚の身。寸鉄も帯びず、率いるべき兵も無く、暗い牢の中で無聊を託っている。彼我の境遇は比べるべくもない。
「王子はひとまず牢へ。まだ処刑してはなりませぬ。私に考えがありますゆえ……」
王宮から連れ出されるとき、宰相ポローニアスが発した言葉が、頭をよぎった。
今の俺に、どのような利用価値があるというのか? 俺も叔父と同様、あの狡猾な男の手駒に成り下がるのだろうか?
ハムレットは今後の自身の立場を思うと、暗惨たる気持ちになった。
既に父は亡く、母は何の頼りにもならない。叔父は宰相の人形と化した。王宮内は宰相の一派で固められている。自分に味方する貴族や官僚など、もはや王都には居ないだろう。後ろ盾がなければ、いかに王族と言えど、何も出来ないのだ。
もはや希望は断たれた。このうえは時流に身を任せるしか無いだろう。王子は考えることを止め、粗末な寝台に横たわり、古びた毛布にくるまって目を閉じた。
しばらく眠っていたが、吹き込む寒風の冷たさに、王子は思わず目を覚ました。鉄格子のはまった小窓から、月光が差し込んでいる。
いつまでこの牢獄に幽閉されねばならぬのか……心中に不安と絶望が募ってゆく。
更に半時ほど経った頃、暗い通路から足音が近付いてくるのが聞こえた。寝台から身体を起こす。
やがて、鉄格子の外に、松明を持ったひとりの役人が現われた。
「ハムレット様ですね?」
鉄格子の向こうから、男はそう問いかけてきた。声と顔に、見覚えがあった。
「ホレイショウか? 久しぶりだな」
幼馴染みとの思いがけない再会に、ハムレットは喜んだ。
幼少の頃、王宮内の学院で机を並べて勉学に励み、また剣術の稽古でも研鑽し合った間柄である。
「東方へ行っていたそうだが?」
「はい、南宋という国に留学しておりました」
「漢人の国か……いつ、ヘルシンゲルに戻ってきた?」
「一年ほど前です」
「かの国は文化水準が高く、繁栄していたと聞く。学ぶことも多かったのであろう」
「国は富み、栄えておりましたが、ここ数年、北方から襲来してきた騎馬民族に領土を侵されつつありました。それでやむなく帰国することになったのです」
ホレイショウの頭には白髪がいくらか混じっていた。ずいぶんと苦労したのだろう、とハムレットは思った。
「ところで何用かな? 今の俺は虜囚の身。話し相手ぐらしかできないが……」
「実は、宰相様から命令を受けまして」
「ほう」
「ハムレット様とフォーティンブラス王子は、ともに英国留学をなさった旧知の間柄でございましょう?」
「留学先で二年ほど交友はあったが……なるほど、停戦交渉の使者として、フォーテンブラス王子のもとへハムレットを差し向けろ、とでも言われたか?」
「ご明察」
ホレイショウが言うと、ハムレットは苦笑した。既に戦端は開かれている。何を説いても、どのような供物を捧げても、もはや停戦になど応じないだろう。
そもそも北部十州はノルウェーの領地。そしてフォーティンブラス王子は、その領地を回復するため、進撃してきたのだ。
猛り狂う獣のまえに、この身を晒せというのか。俺に死ねというのか。そういう死に方を、俺に望んでいるのか。
「いかにもあの男が考えそうなことだな」
「とりあえず、ここを出ましょう」
ホレイショウは鍵を取り出し、鉄格子を開けた。ハムレットは寝台から勢いよく立ち上がると、颯爽牢を出た。
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