両翼
ホレイショウの後を追うようにオフィーリアも部屋を辞し、共に総督府の一角にある客室へ向かった。
扉を開けると、二人の軍人がソファーに座り、紅茶を飲みながら談笑していた。
右将軍ギルテンスターンと、左将軍ローゼンクランツだった。
両将ともに四十を過ぎてはいるが、軍人らしく引き締まった身体つきで、年齢の割に若々しい印象である。黒地に金色の刺繍が施された軍服を着ている。
この客室は王族用の貴賓室で、調度、設えなどは豪奢なものだった。デンマーク王の勅使ということで、相応のもてなしを受けているようだ。
「ご歓談中のところ、失礼致します」
ホレイショウは二人の上級大将に恭しく礼をした。
「小官はホレイショウと申します。王の両翼たるお二人にお会い出来て光栄です。実は、少々お話したいことがありまして……」
黒髪碧眼の男、ローゼンクランツがふと微笑んだ。
「以前、ヘルシンゲルの宰相府で、貴官の顔を見たことがある。たしか……」
「はい、主計課におりました」
するともう一人の将軍、やや小柄で茶髪のギルテンスターンが口を開いた。
「ああ、思い出した。輜重や兵士の給与のことでは、何かと苦労をかけたな。元気そうでなによりだ」
「今は敵国の官吏という立場でして、お二人とお会いするのに正直躊躇しておりましたが……」
「貴官は騎士ではなく平民であろう。変節など気にする必要もあるまい」
ホレイショウの後ろに居たオフィーリアは一歩前に出た。
「両将軍ともお変わりなく」
王の両翼と称される二人はすっと立ち上がり、居住まいを正した。
「お久しぶりです、オフィーリア様」
ローゼンクランツが言うと、ギルテンスターンも静かに礼をした。宰相令嬢という立場になってからヘルシンゲルの王宮で何度も顔を合わせている。
「もはや私は宰相令嬢ではなく、反逆者です。お二人に礼を施されるような立場ではありません。どうぞお気楽に」
四人はソファーに腰掛け、紅茶を飲み始めた。
「オフィーリア様、真相をお聞かせ願いたい。貴女がポローニアス殿を殺したというの本当ですか?」
「おい、ギル、唐突ではないか」
ローゼンクランツは小柄な僚友を窘めるように言った。
「いや、俺にはとても信じられんのだ」
右将軍ギルテンスターンは、謹厳実直、清廉で表裏無く、直情的な軍人である。戦場においては騎兵を用いることに長け、その機動力を活かした速攻を得意とし、将兵からは「雷光」と渾名されている。
「落ち着け」
彼とは対照的にロズのほうは冷静だった。
左将軍ローゼンクランツ……常に理詰めで、拙速を嫌い、粘り強さと堅実さ優先し、戦場においては常に先王の傍で守護する立場であった彼は「王の盾」と称されていた。デンマーク国きってのチェスの名手でもある。
「失礼。実は新宰相から、貴女を捕縛するよう命令されておりまして……」
ロズの碧眼がオフィーリアを静かに見据えている。
「聞いております。お二人が届けて下さった書状にも、そう書かれておりました。私が父殺しの罪人であると……」
オフィーリアもロズの双眸をじっと見返した。視線が交錯する。
「しかし私は殺しておりません。父を殺害したのはレアティーズです」
令嬢の双眸の奥に、澄んだ光がある。それを見たローゼンクランツは、ふと微笑み、視線を紅茶の入ったカップに落とした。何かを確信したようだ。
「やはり、おまえの予想した通りだったな、ギル」
その後、ホレイショウが、身振り手振りを交えながら、ハムレット一行がこの地に逃れてきた経緯を二人の将軍に語り始めた。ヘルシンゲルの森で起こった惨殺劇、宰相府の事変、ポローニアス殺害の瞬間、そして逃避行に至るまでを、詳細に話した。
ギルとロズは時々、紅茶に口を付けながら熱心に聞き入っていた。ホレイショウが一通り話し終えると、両将は深い溜め息を付いた。
「いろいろと大変な目に遭われましたな」
ローゼンクランツが同情するように呟いた。
「おのれレアティーズ……ポローニアスだけでなく森で隠棲していた陛下のお命まで奪っていたとは」
ギルテンスターンは先王の冥福を祈るように瞑目した。
「それにしても、ハムレット殿下が前宰相ポローニアスの遺児だったとは」
「その件については、私も信じかねておりますが」
オフィーリアは席を立ち、壁際に寄りかかり、腕組みをしながら眼を閉じた。
「王妃様はご冗談を仰るような方ではないでしょう」
ギルがそう言うと、ロズも頷いた。
「これで、俺たちが継嗣問題に関して抱いていた疑念は晴れたということだな。ハムレット殿下は先王の血を継いでおられない。ならば、先王の弟君たるクローディアス陛下に王位が継承されたことは理にかなう。だが……」
ロズは空になったカップを見つめながら言葉を続けた。
「だが俺は、新王も、新宰相も気にくわん」
「同感だな」
ギルも僚友を見ながらそう呟いた。
傀儡でしかない新王はともかく、あの冷酷な狂人レアティーズが宰相になったことは、デンマーク国にとって由々しき事態であった。
すなわち暴政が始まったのだ。
租税は重くなり、民からの供出や徴発も頻繁に行われるようになった。財貨を納めることが出来なかった者は、土地と住居を没収されたうえ、奴隷として鉱山に送られて苦役を強いられた。
また宰相は豪奢な後宮を王都の一角に造営させると、そこに年端もいかぬ少年少女ら百人を集め、夜な夜な宴を開き、閨に連れ込み伽をさせていた。粗相をした者、後宮から逃げ出そうとした者は見せしめのために四肢を切断され壷に封じられた。
そうした醜聞が王都で流れる度に、両将軍は心を痛めていた。
南中にあった陽は西に傾き、窓からは夕日が差し込み部屋の中は赤く染まっている。
ホレイショウが立ち上がった。
「お二人も今のデンマークの情勢には、ご不満がおありのようですね。小官もこちらに来てから、海運業者や行商人たちと話をする機会が多く、新宰相の暴政については、いろいろと聞いております」
ギルとロズは俯き、暗い顔をしている。
「単刀直入に申し上げます。お二人には国を捨て、小官らと共にハムレット様を推戴し、デンマーク国の世直しをして頂きたいのです」
二人は顔を上げた。突然なにを申すか……とでも言いたげな表情だった。
「ハムレット様は前宰相との間に生まれた不義の子でありました。しかし、王妃ガートルード様の正嫡子であることに、変わりはありません」
確かにそうだが、とギルは呟く。
「お二人が推戴するに不足は無いでしょう」
「俺たちに逆賊になれと言うのか」
ロズが低い声で言った。
「逆賊ではありません。反乱でもありません。レアティーズの暴政から民を解放し、救って頂きたいのです」
「……」
王の盾と称される名将は、冷たく冴えた碧眼をホレイショウに向けている。
「かつてお二人は、群雄割拠、戦火渦巻くデンマークに平和をもたらさんと、先王陛下と共に旗揚げし、戦場を駆け、武をもって国内を平定し、王政を施き、太平の世を築き上げた建国の功労者であります」
ロズは眼を閉じた。かつて共に戦った先王の事を思い出しているのか。
「また、お二人の武勇と軍略をお借りしたいのです」
ギルが立ち上がった。
「我らは王に……王家に忠誠を誓ったのだ。変節など、騎士として恥ずべきことだ。後世の笑い者にしたいのか!」
「恐れながら申し上げます。先王は、いったい誰の血を引いておられましたか。カエサルですか、アレクサンドロスですか」
「貴様、何が言いたい」
ギルがホレイショウを睨み、場に緊張が走る。オフィーリアは息を飲んだ。
しかしホレイショウは臆する様子もなく熱弁を振るった。
「家柄や血筋を、忠誠の対象にすべきではないということです。お二人が先王の旗のもとに馳せ参じたのは、覇業を為し、民を安んじようとする陛下の志に惹かれたからではありませんか」
「新たな樽に、新たな葡萄酒を入れ、醸成せよということか」
ロズが腕組みをしながら言った。ギルは僚友の言葉の意味を察したようだ。何も言わず、静かに座った。
「その喩え、まこと正鵠を射ております。デンマークという国は滅ぶかも知れません。旗の意匠も、仰ぐべき君主も、ノルウェーのものに変わってしまうかもしれません。それでも、民に安寧をもたらし、富貴と豊穣を、歓喜と共に享受できるのであれば、これに勝る幸せはありません」
「デンマークという古い樽を捨て、ノルウェーという新しき樽を国土に据える。となれば、そこに入る葡萄酒は必然、フォーティンブラス王子……ということになる。だが貴官は先ほどハムレット殿下を推戴しろと言っていたが……」
ギルが言うと、ホレイショウは間髪を入れずに応じた。
「今のハムレット様は、この国の食客。兵など持てる立場ではありません。ゆえにノルウェーの兵馬を用いて戦をすることになります。しかし兵馬を用いるには、それ相応の正当性をフォーティンブラス王子に示さねばならず、また、その戦の正当性の根拠となる大義名分なども必要でありまして……」
ホレイショウは、ハムレット王子の名をもって、デンマーク解放軍の旗印とする考えを両将軍に語った。形式的には、ハムレット率いる解放軍が、救国のため宰相レアティーズを粛正し、新王クローディアスの廃位を行うという構図ではあるが、実際は、ノルウェー軍とフォーティンブラス王子を動員し、デンマークの人々を暴政から解放することをホレイショウは標榜していた。
「デンマークという国を餌に、ノルウェーの王子と兵馬を煽動するということか」
ギルがしみじみと言った。
「我が兄ハムレットが、絶好の釣り針となりましょう。どうか存分にお使い下さい」
しばらく黙っていたオフィーリアが口を開いた。その言葉を聞き、王の両翼の二人は苦笑した。
「民を安んじる為です。私利私欲の為ではありません。生前、先王陛下が抱いていた大志と同様です。どうかお二人には、明日にでもハムレット様に会って話をして頂きたいと思っております。いかがでしょうか?」
ホレイショウがそう問いかけると、ギルとロズは納得したのか無言で頷いた。
たいした男だ。ハムレットとフォーティンブラス、二人の王子を利用し、両翼を説き伏せ、救国の道筋まで作ってしまうとは……オフィーリアは驚きを禁じ得なかった。
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