書状
翌日の午後、オフィーリアはスカーイェンの中心にある総督府に参内した。
執務室に入ると、金髪の白面王子が紅茶を啜っていた。
「呼び出してすまんな、オフィーリア」
総督はティーカップを円卓に置いた。何故か嬉しそうな顔をしていた。
「実は、少々面倒なことになりまして」
フォーティンブラスの隣にはホレイショウがいる。こちらは少し緊張した面もちである。
もとはデンマーク国の主計課の役人で、財務の才があり、またデンマーク国の内情にも通じていることから、王子に参謀役として抜擢された。常にその傍らに近侍し、何かと諮問される立場になっていた。
「何事ですか?」
オフィーリアが尋ねると、王子の参謀は一層暗い顔になった。
「実は、デンマークの新宰相から書状が届いたのですが……」
そう言いながら、ホレイショウは書状を円卓に広げ、オフィーリアに見せた。
書状の内容はおよそ次のようなものであった。
北部十州を奪った悪党フォーティンブラスに告ぐ。
一、
貴殿は我が国の領土であるユトランド半島、北部十州の沃野を武力をもって略奪し、民の安寧を脅かした悪人である。もしも貴殿に幾ばくかの良心が残っているのであれば、速やかに北部十州の領土と民を我が国に返還せよ。
二、
貴殿が匿っている雌狐オフィーリアは、前宰相であった忠臣ポローニアスを殺害した重罪人である。故に、速やかにその身柄を拘束し、我が国に送還せよ。
三、
貴殿が匿っている王子ハムレットは、現政権を打倒し王位を簒奪せんと企てる逆賊である。故に、速やかにその身柄を拘束し、我が国に送還せよ。
以上の三つの要求に従わない場合、我、精兵を率い、武力をもって北部十州を奪還し、貴殿と二名の罪人を捕らえ、その首を刎ねて城門に晒し、鳥獣の餌とするであろう。
デンマーク国宰相 レアティーズ
読み終えた刹那、彼女は怒りに身体を震わせた。
「私が宰相を殺しただと? 狂人め! 総督閣下、このような讒言、決して信じてはなりませぬぞ!」
「落ち着かれよ、オフィーリア。元より貴女を疑ったりはしておらん」
「しかし不味いことになりました。このままでは、また戦になってしまいます」
ホレイショウは顔色を失っていたが、それとは対照的にフォーティンブラスは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「敵軍を誘引する手間が省けるではないか」
長征してくる軍勢を討つのは容易いと総督は考えているようだ。
「貴女の兄、レアティーズは闘争を好む気質だそうだな?」
オフィーリアは無言で頷いた。
「ならば新宰相は、兵を率いて必ずや先陣に立ちこの北部十州の地に侵攻してくるであろう。これを討てば、残るは脆弱にして人望なき新王のみ。かの国の政治的支柱など、もはや無きに等しい」
ヘルシンゲルの堅固な城壁から、わざわざ敵が進発してくるのだ。これを迎え撃ち、殲滅出来れば、城攻めの労もなく、デンマーク軍の戦力を大いに減殺できる。
そうなれば、あとは高圧外交によって屈服させ、ノルウェーに有利な条件で不平等条約を突き付け、朝貢国とすることも難しくはない。
「それに……先の負け戦の雪辱も果たしたい。これは絶好の好機なのだ、私にとってのな」
総督の眼に覇気の光が揺らいでいた。
この男にも大いなる野心があることをオフィーリアは知り、そして母国の兵がこの地に押し寄せてくることを思うと、不安と焦燥、迷いにも似た暗澹たる渦が心中で巻き起こった。
しかし自身は国を捨てた人間である。もはや故郷に父はなく、未練もない。
そして新宰相レアティーズは父の仇。討ち果たすべき宿敵である。戦場で、その悲願を叶えることが出来るかもしれない……そう思い定めることで、内にあった迷いが消えてゆく。
「総督閣下、どうかデンマーク軍迎撃の任に、私もお加え下さい」
オフィーリアが言うと、フォーティンブラスは彼女の腰間の剣を見つめた。
「ご婦人を戦場立たせねばならぬほど、兵には不足しておらぬよ」
「私が暗殺の仕事をしていたことは、以前、総督にもお話したはずです」
「剣の心得があることは分かる。だが、同胞に刃を向けることになるのだぞ?」
「私は国を捨てた身です。かくなる上は、この身、修羅と化し、レアティーズを討ち果たし、首級を献上してご覧に入れます。何卒、閣下の軍列にお加え下さい」
オフィーリアの双眸に光が灯る。それを見たフォーティンブラス王子は大いに頷き、微笑んだ。
「いいだろう。だが部隊への編入には、ひとつ条件がある」
「条件?」
「そうだ。貴女はデンマーク人。しかも宰相の妹だ。いくさの最中に裏切るかも知れん」
「そのようなことは絶対に致しません。神に誓います」
オフィーリアは語気を強めた。
「それでは部下どもが納得せんのだ」
「では、どうしろと仰るのですか?」
「我が妻になれ」
「な……」
オフィーリアは一瞬、息を詰まらせた。
「なにを仰せになられますか。私たちは、まだ会って間もないのです。お戯れも程々に……」
「戯れではない。これは本心だ。貴女を一目見たときから、我が心は軍鼓の如く鳴り、夜も眠れず、政務もおぼつかないのだ」
フォーティンブラスは真剣な表情だった。
総督からの突然の求婚にオフィーリアは困惑した。
これまで影の者として、父ポローニアスの覇業を支えるため、数多の政敵を切り捨て、闇に葬ってきた。無明の中で、暗殺を生業として生きてきたのだ。
そんな血塗られた人生を歩んできた自分が、他国の王子に……それも白馬に跨がっているような瀟洒な美丈夫に求婚されるなど、夢にも思わなかった。
傍らにいるホレイショウも唖然として総督の横顔を見ている。
「考えさせて下さい……」
か細い声で言うと、彼女は慌てて執務室を辞そうとした。
「いや、すまんな。私も性急であった。このような大事、即決など出来ぬであろう。ゆっくり考えてくれ……ところで、この無礼な書状を届けに来た者が、貴女に会いたいとしきりに申していたが」
「オフィーリア様、今、その使者を客室に待たせております。ギルテンスターン様とローゼンクランツ様です」
「なん……だと?」
オフィーリアは愕然とした。デンマーク軍の将官の中でも、最も位の高い右将軍、左将軍の二人だった。
「知っているのか? オフィーリア?」
「はい。ギル、ロズの両名は”王の両翼”と呼ばれる宿将です」
右将軍ギルテンスターン、左将軍ローゼンクランツ……かつて先王と共に、群雄割拠の戦国時代であったデンマーク国を統一するため、数多の戦場を駆け抜けた歴戦の強者であり、建国の労臣でもあった。
「どういうことだ、ホレイショウ? それほどの名将を使者によこすとは、新宰相は一体何を考えているのだ」
王子はホレイショウに諮った。
「おそらく……両名を閣下に処断させようと画策したものと思われます」
「なるほど、あの挑発的な書状を見た私が、怒りにまかせて二人を処断するとでも思ったのか」
フォーティンブラスは笑った。
「新宰相は、よほどその二人の将軍が気に食わんようだな」
「ギルもロズも先王の股肱。その忠烈ゆえに、新王の治世を快く思ってはおりません。新宰相の跳梁にも不満があるはずです」
「謀反を起こすかも知れぬ、というところか。不穏な反乱分子を内に含むよりは、こうして使者にでも立てて、敵の刃で排除させたほうが、都合が良いだろう。功臣二人を殺害されたとなれば、侵略のための良い口実になるからな。だが、とんだ奸計だな」
「ご明察」
ホレイショウが頭を垂れた。
激情に駆られることなく、理をもって考え、謀略を看破する眼を、この王子は持っている。その聡明さに、ホレイショウは安堵の表情を浮かべていた。
「どうだ、その将軍どもを、こちらに寝返らせることはできぬか?」
総督はそう問いながら二人を見た。
オフィーリアは黙ったまま何も言えなかった。
軍人というのは変節を潔しとはしない。ましてやギルとロズは建国以来の宿将。王家への忠誠を固く誓った者達で、義理堅く、その為人は、まさに騎士道精神そのもの。たとえ今の王政に不満があろうとも、そう易々と主君を変えたりはしないだろうと考えていた。
だがホレイショウは何かを思いついたのか、声を弾ませながら言った。
「ハムレット様がおります。先王唯一の遺児ゆえ、ギル、ロズの両将が忠誠を誓うに足る存在です」
「なるほど、そなたに任せよう。上手くやってくれよ」
「はい、では早速……」
ホレイショウは勇躍し、執務室を出て行った。
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