宰相と王妃
病室を出たガートルードは、怒りと悲しみに満ちた表情で宰相府へと向かった。ポローニアスと会うために。
「これは王妃様、どうなさいましたか?」
執務室の中で恭しく礼をする宰相に、王妃は詰めった。
「何故です、ポローニアス!」
「はい?」
「何故、息子をあんな酷い目に」
「何の事でございますか? ハムレット殿下は夜盗に襲われたのでございます」
おそらく宰相はこの問いを予期していたのであろう。平然とした口調で答えた。
「嘘です。すべてあなたが仕組んだことです」
「何を仰せになりますか王妃様、いったい何を根拠にそのようなことを」
「黙りなさい! 隠しておこうと思っていましたが、もう我慢なりません!」
王妃は取り乱し、叫んだ。怒声が室内に響き渡る。
「ハムレットは……ハムレットは、あなたの子なのよ!」
「な、なんですと?」
刹那、雷鳴が轟き、部屋全体が揺れた。
いつも冷徹な宰相が珍しく狼狽する様を見た王妃は、自身が打ち明けた話の重大さを改めて認識した。
雨が降り、窓硝子を叩き始めた。
「今まで、ずっと黙っていました。ポローニアス、あなたは知らないでしょう。先王陛下は、いくさで受けた傷が元で、種が出なかったのです」
「そんな……」
宰相は愕然として身を震わせた。
「ゆえにハムレットは自分の子ではない事を、先王陛下はご存じだったのです」
「……」
「ハムレットを身ごもったとき、私は城壁から身を投げて死のうと思いました。しかし先王陛下はそんな私を叱りつけ、抱きしめ、喜んで下さいました。私は正直に打ち明けました……あなたとの間に生まれた不義の子であることを。それでも陛下は、寛大な心を持って、まるで我が子のようにハムレットを愛し、育てて下さいました」
「しかし、私の子だという証拠は……」
「私、娼婦じゃないのよ! あなた以外の人に身体を許したと思っているの? 間違いなくあなたの子よ!」
ガートルードは叫んだ。宰相は声を失い、額に手を当てた。顔色を失い、椅子にもたれ掛かった。雨が激しさを増してゆく。
「お願い、ポローニアス、あの子を殺さないで」
ガートルードは両手で顔を覆い、膝から崩れ落ちた。宰相は慌てて王妃のそばに寄り抱擁した。
宰相府、執務室のカーテンの裏で、オフィーリアは両手で口を押さえていた。
王妃の告白はあまりに衝撃的だった。
ハムレットが腹違いの兄……とても信じられなかった。
この執務室の天井裏には、いつもカールが潜んでいる。たぶんこの話を聞いているはずだ。声も気配も感じないが、今頃さぞ驚いているに違いない。オフィーリアは、再び父の方を窺った。父は王妃をなだめて長椅子に座らせると、その細い手をそっと握った。
「王妃様、事情は分かりました。このポローニアス、必ずやハムレット様をお守り致します。殿下の武勇と軍略は、今後この国に必要となるでしょう。私も、かの御仁の才覚を高く買っております」
王妃が宰相の胸に飛び込んだ。
「お願い、もうあの子が傷付くのを見てられないの」
「王妃様……」
「王妃様なんて嫌、昔みたいに名前で呼んで」
まるで少女のような口調で言い、泣きついた。激しい慕情の念が、王妃の身体から滲み出ている。 宰相は王妃の髪をそっと撫でた。
冷徹な父がこうまで感情的になるのを初めて見た気がする。身分を越えた禁断の恋。よほどの紆余曲折が二人の間にはあったのだろう。
オフィーリアは心臓が激しく脈打つのを感じた。
突然、ものすごい勢いで宰相室の扉が開いた。
「父上、騙されてはいけませんわ」
「レ、レアティーズ……」
宰相の瞳孔が開いていた。視線の先には、狂気に満ちた双剣の男が立っていたのだ。
「この雌狐は、父上を誑かそうとしているのです! ハムレットを助けたい一心で!」
王妃を指さしながらレアティーズは叫んだ。
「何を言うか!」
「女の色香に惑わされ、己を見失うとは、父上も耄碌したものです」
狂人は冷笑していた。相変わらず嫌な笑い方をする、とオフィーリアは思った。
「黙れ、おまえに何が分かる!」
激昂する宰相を冷たい目で見ながら。レアティーズは静かに双剣を抜いた。
「父上、あなたはもう駄目です。これからは私が宰相となってこの国を治めますわ」
双眸と双剣が怪しく光った。殺気が満ちてゆく。宰相と王妃の身に危険が迫る。
オフィーリアはカーテンの裏から飛び出し、抜剣しながらレアティーズに斬り掛かった。
だが狂人は双剣を交差させ、その一撃を受けながら、蹴りを放った。革靴がオフィーリアの腹を捉える。華奢な身体は軽々と吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「やっぱり隠れてたわね。何故いつもいつも邪魔をするのかしら、この雌豚!」
「あ、兄上……おやめ下さい」
腹を押さえ、苦痛に顔を歪めながらオフィーリアは懇願した。
「兄上なんて呼ばないでちょうだい、八つ裂きにするわよ?」
「お嬢様!」
突然、天井裏の板の一部が外れて、そこから黒い影が降ってきた。
カールだった。オフィーリアを庇うように立ち、レアティーズを睨んだ。
「カール、邪魔よ、そこをどきなさい」
「どきませぬ、お嬢様には指一本触れさせませぬ」
カールが剣を抜き、そしてオフィーリアも立ち上がって剣を構え直した。
すると双剣の男は溜息をついた。
「まったく、どいつもこいつも邪魔ばかりして……もし新王陛下が、この二人の密通を知ったら一体どうするかしらね?」
父と王妃は堅く抱き合っている。その様をオフィーリアは横目で見ながら、心中に戦慄が走るのを感じた。
「兄上、陛下に告げ口するつもりですか」
「新王陛下は、その雌狐を溺愛しているのよ。毎晩のように寝室に呼んでは貪るように犯しているわ」
「いつも私がどんな思いをして、あんな飲んだくれのクズに抱かれていると思っているのよ!」
普段の王妃とはまるで違う、激しい口調だった。
「嫌いな男に臭い息を吹きかけられ、身体を嘗め回され、獣のように犯される……色町の娼婦のようにね。本当に惨めですわ。心中お察し致します、王妃様」
「レアティーズ! 貴様!」
刹那、ポローニアスの身体が弾けるように飛んだ。宰相はカールから剣をひったくると、すかさずレアティーズに斬りかかった。
しばらく互角に打ち合う二人。だが、やがてその均衡は崩れ、狂人の剣が宰相の頸部を捉えた。
首が、飛んだ。
「ポローニアス!」
王妃が悲鳴を上げた。首のない身体は、血柱を吹き上げながら、ゆっくりと床に倒れ込んだ。
レアティーズは狂ったように笑いながら首級を掲げた。
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