胸騒ぎ
翌朝、オフィーリアは寝台に横たわるハムレットを見ていた。包帯だらけの酷い姿だった。傍らにはホレイショウもいる。
クロンボー城の一角にある病室である。医師たちがせわしなく動き回っていた。
「傷は縫いました。出血は治まっています」
初冬だというのに、汗だくになりながら年輩の医師は言った。
「助かりそうか?」
「なんとも言えませぬ、殿下のご気力次第です」
医師は一礼してオフィーリアの前から去って行った。
ハムレットは静かに寝ていたが、傷が痛むのか、悪い夢を見ているのか、時々苦悶し、呻き声を上げている。そのたびにホレイショウが心配そうにハムレットの手を握った。
「殿下、どうして殿下が、こんな目に……」
目に涙を溜ながら、悲痛な声でホレイショウは言った。
ふいに扉を開け放つ音が聞こえた。そこには王妃ガートルードが立っていた。満身創痍のハムレットのそばに駆け寄ると、ホレイショウを突き飛ばして、手を握った。そして狂ったように王子の名を叫び、泣き崩れた。
オフィーリアは思わず目をそむけ唇を噛みしめた。ホレイショウもいたたまれなくなったのか、外に出ましょうと言い、扉を開け、二人は病室を出た。
廊下を並んで歩き、城の中庭に向かう。オフィーリアは、しばし庭の花壇を見つめてから、ハムレットが寝ている病室の窓をちらりと窺った。
「オフィーリア様」
ホレイショウが小声で話しかけてきた。
「なんだ?」
「ご助力、感謝いたします」
「……」
「先ほど、カールという老人が私のもとを訪れ、いろいろと話して下さいました。貴女が居なければ、ハムレット様は、間違いなくあの狂人に首を落とされていたでしょう」
一礼するホレイショウ。
「礼を言われる筋合いでは無い」
助ける筋合いでも無かったのだ。ハムレットは討ち果たすべき宿敵であった。だが敵味方を越えた感情がオフィーリアの心の中に芽生えていた。
庭木の上に小鳥の巣がある。親鳥が飛んできて、雛に餌を与えていた。
「私の落ち度だ、私が奴らに尾行されなければ……」
「いえ、遅かれ早かれ、あの隠れ家は奴らに見つけられていたことでしょう」
オフィーリアの心中に悔恨の念がこみ上げてきた。
「許せ……私は、おまえたちの希望と、ささやかな幸せを奪ってしまった」
オフィーリアは頭を下げた。
「あ、頭をお上げ下さい」
ホレイショウは慌てた様子で言った。
「先王陛下の治世は終わり、国は変わりました。今は、私たちの方が反逆者であり、悪人なのです」
先王は玉座を奪われた。そして奪われたものを奪い返そうと森に籠もり、傷を癒し英気を養っていた。それが反逆になるのだろうか。善悪というものがオフィーリアには分からなくなっていた。
「傷が癒えたら、ハムレット様を連れて夜逃げするつもりでおります。いかに王妃ガートルード様のご子息であろうと、いつ殺されるか分かったものではありません。刺客どもの手が届かぬ土地で、私たちは静かに暮らしたいと思っております」
「……」
「オフィーリア様、もしも私たちのことを憐れんで下さるのでしたら、どうか夜逃げの件は、内密にして頂きたいのです。身勝手なお願いではございますが」
ホレイショウが涙ながらに言うと、オフィーリアは胸が詰まった。
左腕を切断され、目の前で父を殺され、男としての尊厳すら失った哀れな王子。もはやハムレットに対する敵意は消えていた。今は憐憫の情しか残っていない。
「分かった、夜逃げのことは決して口外せぬ。神に誓おう」
「オフィーリア様……」
「逃げる時は教えてくれ。私も手助けをしよう」
「ありがとうございます」
ホレイショウは深々と一礼し、城の外へと去っていった。その後ろ姿を見送ったあと、オフィーリアは空を仰いだ。
青空が、見る間に曇ってゆく。しばらくすると、遠くの方から雷鳴まで聞こえてきた。嵐が来る、と思った。初冬に嵐が来るなど珍しいことだ。オフィーリアは何か胸騒ぎを感じ、慌てて宰相府に戻った。
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