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白錫と黒曜  作者:
本編
3/9

無関心からの転換

 無関心ということは寂しくもあるが、平和だった。




 男の手には珍しく、DVDがあった。

「借りてきたのか?」

「うん。友達が面白いって五月蝿くてなぁ」

「ふぅん?」

 土曜日、男は遠方からやってきた友人の東京観光に繰り出していて、私の家にやってきたのは午後九時を少し回ったころだった。珍しく夕食はいらないと告げられたのは昨晩。私は買い込んでいた材料を余らすのも気が引けて、結局二人分作った。余った分を全てコンテナにいれて、冷凍庫に放り込む。こいつらは、月曜日からの弁当の具材として、順々に消費されていく運命だ。

 お茶漬けがほしいと男が駄々をこねたので、私はキッチンに立ってせっせとお茶漬けを作っている。あぁ、この労働の対価をどうやって返してもらおうか。何故私はこの男の言いなりになっているのだろう。

 とぽとぽご飯に緑茶をかけながら、私は映画の題目を尋ねた。

「なんていう映画?」

「WABISABI」

「……わびさび?」

「日仏合同で作られた映画やって。ジャニ・レンが主役のやつ」

「へぇ」

 男が私はDVDをプレイヤーにセットする男の手から、空ケースを取り上げた。日本の有名な女優が、娘役として出演者のリストに名を連ねていた。あらすじを見る限りは、面白そうだ。

 私はお茶漬けをテーブルの上にどん、と乱暴に置いた。おおきにぃ、と、男は笑う。夕食をとってきたのではなかったのだろうか。そう思わせるほどのがっつきようで、男は茶漬けに手を付け始めた。

 私はプレイヤーのリモコンを操作して、スタートボタンを押した。テレビに海辺の風景とじゃじゃじゃーんというファンファーレ。

 ジャズ風の小気味よいオープニングが流れる頃には、男はすっかり茶碗を空にしていた。

「あー美味しかった」

「食べるの早いな」

「お腹すいとってんもん。今日会ったひとは料理について小難しいことばっか並べよるから、こっちはちっともご飯食べた気にならへん」

「へぇ?」

 男から彼の知り合いについて初めて聞いた。お互い、身内のことについてあまり話さない。仕事のことについてすら、把握していないぐらいだ。お互いに土日が休みで、隣人で、男は、関西出身。私も電話が掛かってきた幼馴染について少し話した程度だ。

 そんなことに、気付かされる。

 気付かないようにしていたんだ、と私は思った。好奇心は関係を殺すから。

 無関心は平和だ。しかしこの男相手の時は、少し寂しい。

「なんなん?難しい顔しよるなぁ」

男は炬燵から這い出ると、テレビのちょうど正面に座って、テレビの前に立ち尽くしている私を引き寄せた。こけそうになる私をしっかり背中から抱いて、私の頭に彼は顎を乗せる。

「あぁ、いい匂い」

「茶漬けの匂い」

「ちゃうって」

 男は苦笑し、私を抱いたままそばに落ちていた彼のマフラーを引き寄せた。厚みと大きさのあるマフラーで、私の足元をすっぽり覆う。ぬかりのない男だ。

「寒い?」

 男の問いに、私は首を横に振った。

「いいや」

 暖かいよ。

 男と男女の関係として過ごしたことはままあるが、暖かいと思ったのはこの男が初めてだった。この暖かさは、みりあと過ごすときに似ている。彼女と過ごすとき、額をくっつけ合って笑い合うとき、哀しいことを分け合うとき、こんな風に暖かくなるのだ。

 私は大人しく男に身体を預けて、映画を見ることにした。

 アクションサスペンスの映画は面白かった。フランス人の監督がメガホンをとっていることもあって、日本の現実とは少し異なる部分もあったが、違和感なく十分楽しめる。ヒロイン役の日本人女優が、澱みないフランス語を話しているシーンには感心させられた。

 ちらりと視線を動かすと、すぐ頭上には男の顔がある。長い睫毛の煙る黒耀の双眸の視点が、かなり上のほうを向いていることに気がつき、私は尋ねた。

「フランス語がわかるのか?」

「え?」

 今、登場人物は皆フランス語を話している。

 だが、男は字幕を読んでいる気配がなかった。

「あぁ……うん。大学で習っとったんよ」

「そうか」

 大学で習った程度で、話せるようになるものなのだろうか、と考え、私はそれも才能か、と思い直した。考えれば、私の周囲には数ヶ国語操れる男が幾人かいるし、私も英語とドイツ語なら問題なく扱える。

「大学では何を専攻していたんだ?」

「フランスの歴史。フランス革命とか、そんなんやった」

「……意外な」

「僕、あっちのほうが好きやねん。ふらふら旅行も、ようしおった」

「ふうん。あっちでの就職は考えなかったのか?」

「うーん考えたけど……」

 男の口調は、妙に端切れの悪いものだった。

「ま、むずかしいやね」

「そうだな」

 言語だけではなく、人種の壁がある。特に東洋人が白人の中に入るのは、ことのほか難しいものだ。

「お鈴さんはドイツ語話せるん?」

「あ?あぁそうだが……いったっけ?」

「いいや。聞いとらへんよ。ただ、クォーターやんか。鈴さん」

「うん」

 私の祖母がドイツ人。さらにさかのぼれば北欧。私はその血がよくでていて、日本人にしてはとても色素が薄い。髪など、亜麻色に近いほどだ。

 だからこの男の黒に惹かれるのだろう。

 ずっと焦がれている、揺らぎのない色。

「綺麗な色、しとるもんな」

 男は私の髪を掬いあげて口付けた。

「真っ白や。とても、とても、綺麗」

「そうか?」

「うん。僕が見た人んなかで、鈴さんは一番綺麗やと思う。瞳なんか、こう、黄金きん掛かって。雪の精霊とかみたいやろ」

「ぷっ」

「あ、笑わんといてよ。僕、めっさ真面目やのに」

 それでも笑わずにはいられない。なんだその、精霊とかいう乙女チックな表現は。

「嬉しいよなぁ」

「何が」

 映画は終わりに近づいている。うん。十分に楽しめる映画だった。幼馴染は、見たことがあるのだろうか。彼女が好きそうな映画だったのだ。

 私は、男の言葉の続きを待った。

「こうやって、お鈴さんのこと、ゆっくり、一つ一つ、知れていくこと」

 私達の始まり方は実に曖昧で、いつのまにか、というものがほとんどだ。お互いのことを知って、好きです、付き合いましょうという形ではない。そして、こんな風に夜の時間を共に分け合うようになっても、お互いのことを深く詮索したこともない。男も私も、自分のことを進んで口にするたちではないから、なおさらだ。

「私のことを知ってうれしいのか?」

 私は尋ねた。私のことを知ってほしいような気もするし、知ってほしくないような気もした。

 男はもちろん、と頷いた。

「ひとつひとつ、鈴さんの哀しみも喜びも、一緒に経験してない子供時代も、こんな都会で、女の子一人でがんばっとる姿も、知っていきたいと思うてるよ」

「そんなことをしてどうなるんだ?」

 私の、子供時代。

 大人になった今でも、引きずってしまう絶望の底の底と砂金の粒にも似た眩しい時間を、同時に経験した時代。

 逃げるように誰もが互いに無関心な都心に、身を置いた私。

 そんなものを、知って、どうするんだ。

「どうするなんて、そない」

 男は笑みに声を立てた。

「好きな相手ンことを知りたい思うんは、普通やろ?」

 違うんか、といわれて、そうだ、と私は答えることができない。

 男の問いに、私は別の問いでもって応じた。

「お前は、私のことが好きだから、私のことを知りたいのか?」

「だから、さっきからそういうとるやんか」

 男は苦笑したようだった。

 あぁ、だったら。

 私も、きちんとこの男のことが好きなのかもしれない。

 単に、その美しい瞳に、心奪われていたわけではなく。その存在を、求めているのかもしれない。

 無関心は、寂しいと。

 この男のことを、知りたいと、私は確かに――たとえ僅かでも――思ったのだ。

 男は胡坐を掻いたその膝に、私を乗せたまま、私の腰を抱く腕に力を込めた。

 私の耳元に唇を寄せて囁く。

「愛しとうよ」

 乾いた土に降る雨のように、柔らかい声音が染みとおった。




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